28 靴職人令嬢、借金相手の訪問を受ける


 さほど広くない工房の中に、木を削るかすかな音だけが静かに流れ続けていた。


 木型を削りながら、リルジェシカはときおり目を閉じ、女王から送られた文書と、昨日見た村娘達の足の形を脳裏に思い描く。


 リルジェシカは女王陛下の足を直接見たことはない。形を思い描く手がかりになるのは、先日、女王陛下に献上した靴に対する意見と、己の経験だけだ。


 緩いと言われたところは少し細め、きついと言われたところは前よりも大きめに削っていく。


 木型は靴作りの土台となるものだ。底部の革は木型をもとに切り出すし、革を縫い合わせていく時も、木型に沿わせて縫っていくため、木型の形がそのまま靴のできあがりを示すと言って過言ではない。


 特に、履く人の足の形に合わせた履き心地のよい靴作りを目指すリルジェシカの場合、いかに木型を適切な形に作れるか否かが、そのまま靴の成否に関わる。決して気を抜けない大切な作業だ。


 非力なリルジェシカにとって、硬い木を削っていくのは時間のかかる根気のいる作業だが、ひたすらもくもくと削っていく。


 レブト親方や他の靴職人と同じように、左右の区別もない大きさが違うだけの限られた木型で靴作りをしたほうが、効率が良いのは、リルジェシカにだってわかっている。


 けれど、それではリルジェシカが作りたい履き心地のよい靴は逆立ちしても作れない。


 作る人ごとに異なる木型を用意するため、壁際の棚には、セレシェーヌや母など、これまで靴を作った人の数だけ、名前を書かれた木型が整然と並べられている。


 その中のひとつ、明らかに他のものより一回り大きいまだ粗削りなままの木型に、リルジェシカはふぅっと吐息して視線を向けた。


 朝一番に工房に来てからずっと、集中して木を削っていたので、背中と肩がっている。のみを作業机に置いてうーんと伸びをすると、凝り固まっていた筋肉が伸ばされて心地よい。


 ひとつだけ大きさの違う木型は、フェリクスのためのものだ。女王陛下から急ぎの依頼をいただいたため、削りかけの中途半端な状態で止まっている。


 が、もちろんこのまま放っておくつもりなんかない。


 男性で初めてリルジェシカに靴を依頼してくれたのだ。いろいろな靴を作ることは、きっとよい経験になるに違いない。


 それに……。


(少しは、ご恩返しができるかな……)


 フェリクスには昨日、いくらお礼を言っても足りないくらい、お世話になった。セレシェーヌにリルジェシカの靴作りを助けるよう命じられたためだと知っていても、このまま何もしないでいるのは申し訳なさすぎる。


 まだ粗削りの大きくてごつごつした木型を見ていると、昨日、馬に怯えるリルジェシカを抱き寄せてくれた力強い腕や、頭を撫でてくれた大きな手のひら、葡萄踏みで汚れた足を洗ってくれた骨ばった指先などが無意識に甦る。


 同時に、なぜかぱくりと心臓が跳ねて、リルジェシカはぶんぶんとかぶりを振った。


 ありがたいことに、二つも依頼をいただいているのだ。ぼうっとしている暇なんかない。少しでもよい靴を作って、早く借金を返せるように頑張らなくては。


「よし!」


 気合を込め、ふたたび木型に向き直る。


 そうして、どれくらい形を整える作業に没頭していただろうか。


「お前をリルジェシカに会わせる気なんざねぇ! 帰れ!」


「ふぁっ!?」


 滅多に聞くことのないレブト親方の怒声に、集中していたリルジェシカはすっとんきょうな声を上げて我に返った。


 お客さんともめているのだろうか。だが、自分の名前が聞こえた気がする。


 リルジェシカは立ち上がると、おずおずと部屋の扉を開けて、工房の入り口のほうを覗いた。


 まるで壁のように立ちはだかるレブト親方のどっしりとした背中の向こうに見えたのは。


「ドルリーさん!?」


 昨日、屋敷に来たばかりのドルリーの姿に、リルジェシカは部屋を飛び出すとあわてて親方の隣に並ぶ。


 親方が「ちっ」と舌を鳴らしたのとは対照的に、ドルリーが整った面輪にゆったりとした笑みを浮かべた。


「リルジェシカ嬢、こんにちは。またお会いできて嬉しいですよ」


「勝手に押しかけてきておいて、何が嬉しいだ! おいリルジェシカ、こいつの話をまともに聞く必要なんざねぇぞ! どうせ、ザックが女王陛下の担当を外されたから、お前を引き込みに来やがったに決まってる!」


「親方はザックさんを知っているんですか!?」


 同じ靴職人同士だ。知っていても不思議ではないが、驚いて問うと、親方がいかつい顔をしかめて頷いた。


「ああ。腕はいいが、それを鼻にかけて横暴にふるまう職人の風上にもおけねぇ奴だ。お前が逆恨みされることも十分ありえる。重々気をつけろよ……って、お前こそ、ザックを知ってんのか?」


「その、昨日モレル村で偶然お会いして……」


 憎しみに満ちたザックの視線は、忘れようとしても忘れられるものではない。


 レブト親方が不愉快そうにいかつい顔をしかめた。


「いいか。間違ってもあいつに関わるんじゃねぇぞ。昔、流血沙汰を起こしたこともある奴だからな。そして、こいつは」


 親方があごをしゃくってドルリーを示す。


金儲かねもうけのためなら、そんな評判の悪い職人でも重用するろくでもねぇ商人だ。見た目に惑わされるんじゃねぇぞ」


 親方の辛辣しんらつな言葉にもドルリーの笑みは崩れない。


「おやおや、これは手厳しい。ですが、商人が金儲けのために努力するのは当たり前のことでしょう?」


「何が努力だ! 旨味があるところだけついばんでいくカラスじゃねぇか! うちの大事な弟子をお前にいいように利用されるわけにはいかねぇんでな! とっとと帰れ!」


 滅多に褒めてくれない親方に「大事な弟子」と呼ばれて、そんな場合ではないのに、リルジェシカの胸が喜びで弾む。が、そんなリルジェシカの様子には気づかぬ様子で、ドルリーがかぶりを振った。


「そうは参りません。わたしは今日、リルジェシカに大切なお話があって来たのですから。聞かずに追い出したら……。きっと、後悔されますよ?」


 ドルリーの言葉に、ぞわりと嫌な予感が背筋を走る。


 昨日、ドルリーの申し出を断ったばかりに、借金の一括返済を迫られるのだろうか。父ではらちが明かないと、直接リルジェシカと交渉に来たのかもしれない。


 リルジェシカの脳内で嫌な予想が成長するまで、たっぷりと間を取ったドルリーが思わせぶりに口を開く。


「突然の決定で驚かれるでしょうが――」


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