27 靴職人令嬢、感謝する
「リルジェシカ嬢⁉」
よろめいた身体をフェリクスに支えられる。
「す、すみません……っ」
自力で立たなければと思うのに、身体に力が入らない。思っていた以上に気を張っていたのだと、初めて気づかされる。
「緊張しただろう? 気にしなくていい」
力強い腕でリルジェシカを抱きとめたフェリクスが、柔らかに微笑む。
心をほぐすような微笑みに、リルジェシカも口角が自然に上がるのを感じた。
「もう大丈夫です。ありがとうございました」
しっかりと自分の足で立って身を起こし、ぺこりと頭を下げる。
「すみません。居合わせただけのフェリクス様にご迷惑をかけてしまいまして……」
「いや、こちらこそ、立ち入った話に割り込んでしまって申し訳ない」
頭を下げて詫びたフェリクスに、あわててぶんぶんとかぶりを振る。
「とんでもありませんっ! フェリクス様がいてくださって、とても心強かったです! フェリクス様がいてくださらなかったら……」
きっと、借金返済という一点だけに囚われて、ドルリーの申し出を深く考えずに受け入れていた。
いや、リルジェシカは受け入れなかったが、本当は両親はどう考えているのだろう。
「ごめんなさい。私が勝手に断ってしまって……。お父様とお母様は本当によかったの……?」
寄り添って立つ父と母をおずおずと見やる。「もちろんだとも」と父親が大きく頷いた。
「靴作りについては、お前が好きでやっていることなんだから、全部お前の好きにしていい。それよりも、すまないね。わたしが当主なのに、不甲斐ないせいで、お前にまで苦労をかけて……」
「お父様! そんな風におっしゃらないで!」
情けなさそうに肩を落とした父親に、あわててかぶりを振る。父親が包み込むような笑顔を見せた。
「借金のことは、お前は何も気にしなくていい。時間はかかっても、なんとしてもわたしの代で返してみせるから。だからお前は返済など気にせず自分の好きにしていいんだよ」
父親に同意するように母も頷く。
二人が一人娘のリルジェシカに苦労を背負わせないよう気遣ってくれているのはわかる。けれど。
「お父様とお母様のお心遣いは嬉しいです……。でも、私だって家族の一員です! 私も返済を手伝いたいんです!」
借金を全額返済するにはほど遠いが、リルジェシカがセレシェーヌから渡された靴の代金は、材料費を除いて、すべて父親に渡している。
父親が受け取るのを渋るので、実際には押しつけているようなものだが。
「部外者が差し出がましい口をはさんで申し訳ありませんが……」
フェリクスが遠慮がちに口を開き、リルジェシカ達ははっと我に返ってフェリクスを見やった。
最初に頭を下げたのは父親だ。
「オーランド様。お恥ずかしいところをお見せしてしまい、たいへん申し訳ございませんでした」
「マレット男爵。どうかお気になさらないでください。もちろん、口外する気はございませんので。ただ……」
フェリクスの端整な面輪が、憂いに曇る。
「リルジェシカ嬢を諦める気はないというドルリーの先ほどの宣言が気にかかります。お金を借りているという弱みがある以上、ドルリーが無体な要求を迫ってきた場合、なかなか断りづらいのではないかと懸念しているのですが……」
凛々しい眉をきつく寄せ、フェリクスが気がかりを口にする。
同じ不安を抱いていたのだろう。父の顔が哀しげに歪む。
「それ、は……。ですが、父として何があろうとリルジェシカを守ってみせます」
「そうですわ! 大切な娘を
父に続いて母もフェリクスを見上げ、はっきりと告げる。フェリクスが凛々しい面輪に柔らかな笑みを浮かべた。
「失礼いたしました。リルジェシカ嬢はご両親に愛情深く育てられているのですね。リルジェシカ嬢の魅力の理由のひとつを知った気がします」
両親へのお世辞だとわかっていても、フェリクスの言葉に頬に熱がのぼる。
「ですが、どうぞお気をつけください。リルジェシカ嬢の靴を女王陛下が気に入られたという話が貴族達の間で広まれば、ドルリー以外にも取り入ろうと企む者が現れぬとも限りません。わたしもセレシェーヌ殿下にお伝えして、目を光らせるようにはいたしますが……」
「いえっ! フェリクス様にそこまでご迷惑をおかけするわけには……っ! それに、男爵令嬢に過ぎぬ私などに取り入ろうとする方なんて……」
「リルジェシカ嬢」
はあっと吐息したフェリクスがリルジェシカの顔を覗き込むように見下ろす。
「きみは貴族達を甘く見すぎている。全員が欲に踊らされる者ではないが……。自らの利益のためなら他人などなんとも思わない者だっている。そして、ひとたび
「す、すみません……」
謝りながら、心に思い浮かんだのは元婚約者だったダブラスのことだ。
フェリクスが言う通り、ダブラスがリルジェシカに求めていたのは、セレシェーヌとのつなぎ役だった。
そう考えると、女王陛下に靴を依頼されたことが広まる前に婚約破棄されたことは幸いだった。
「気をつけます……」
靴作りばかりしてきたせいで、貴族のことに疎いリルジェシカがどこまで大過なくできるのかさっぱりわからないが、両親やフェリクスに心配をかけたくない一心で告げると、不意に頭をくしゃりと撫でられた。
「心配しなくていい。微力だが、わたしがついているから」
不安をなだめるように大きな手のひらがよしよしとリルジェシカの頭を撫でる。が、何かに気づいたように、ぱっとフェリクスが手を離した。
「す、すまない。マレット男爵ご夫妻もいるというのに。つい……」
気まずげに一歩距離を取ったフェリクスが、「では、わたしも失礼します」と口早に告げる。
両親に一礼して、足早に進むフェリクスを、リルジェシカはあわてて追った。
「あのっ、フェリクス様! 待ってください!」
玄関扉を出たところでようやく追いつく。
「あのっ、その……っ」
追いついたはいいが、気持ちが先走りすぎてうまく言葉が出てこない。
だが、フェリクスは急かすことなく黙してリルジェシカを待ってくれている。
包み込むような穏やかな気配に、リルジェシカはひとつ深呼吸して気持ちを落ち着けると、がばりと頭を下げた。
「私の靴作りを
『どうせ、貴族令嬢のお遊びなんだろう?』
『よりによって、なんで靴作りなんだか。死んだ動物の皮を扱うっていうのに』
『貴族令嬢なら、刺繍でもしてればいいだろうに』
いままで何度そんな言葉を聞いてきただろう。リルジェシカが本気で靴作りをしているのだと認めてくれる人なんて、滅多にいなかった。
だというのに、フェリクスは遊びではないとドルリーに抗議してくれたどころか、謝罪するようにとまで言ってくれ……。
いくら感謝してもし足りない。
身を二つに折りたたむようにして、頭を下げ続けるが、フェリクスからの言葉はない。
追いすがられてまで、リルジェシカなどに礼を言われても迷惑なだけだっただろうか。不安になって、おずおずと顔を上げると。
「フェリクス、様……?」
片手で口元を覆ったフェリクスが、そっぽを向いていた。
「こんな不意打ちは……っ! くそ、そんな風に言われたら、抑えが利かなくなるだろう……っ」
「……?」
低い呟きはくぐもっていて、よく聞こえない。
沈黙をごまかすように咳払いしたフェリクスが、リルジェシカに向き直り、柔らかな笑みを浮かべる。
「きみが靴作りに真剣に取り組んでいることは、見ていればわかるよ。遊びであそこまでできるものじゃない。わたしだって、剣の鍛錬に励んでいるからね。靴作りと剣はまったく違うものだが、それでも努力の結果生み出されたものかどうかの見分けはつくよ」
じん、と心に染み入るような真摯な声で、フェリクスが告げる。
「だからこそ……。わたしの勝手かもしれないが、きみには自分の望むとおりの靴作りをしてもらいたいんだ。もし、ドルリーがしつこく絡んできて困るようなら、遠慮なくわたしに相談してほしい。できる限り、きみの力になるから」
「ありがとうございます! 何から何まで……。フェリクス様にはいくら感謝を申しあげても足りません!」
「そんなにたいしたことはしていないよ」
「では。今日はきみと過ごせて楽しかったよ。また機会があれば……。きみと出かけたいな」
「わ、私も……っ。本当に助かりました! 馬への苦手意識も払ってくださって、本当にありがとうございますっ!」
木の枝に結んでいた手綱をほどいたフェリクスが、身軽に馬にまたがる。
颯爽と馬を操る後ろ姿が見えなくなるまで、リルジェシカは凛々しい背中を見送っていた。
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