26 靴職人令嬢、提案を蹴る
「提案を受けない……っ!? 本気ですか!? 受ければ、借金もすぐに返済できるのですよ!?」
珍しく感情を露わにしたドルリーが、理解できないと言いたげに問い返す。リルジェシカが提案を受けるものと、今まで自分の優位を信じて疑わなかったらしい。
リルジェシカは一度ぺこりと頭を下げると、真っ直ぐにドルリーを見つめて言を継いだ。
「お金を借りている身でありながら、すぐにお返しできないのは、申し訳なく思います。ですが、私は女王陛下が認めてくださったという理由ではなく、私の靴を気に入ってくださった方のために靴を作りたいんです! ですから……。ありがたいお話ですが、ドルリーさんの申し出は受けられません!」
きっぱり告げると、不可視の雷に撃たれたかのようにドルリーの身体が揺れた。が、すぐに薄い唇に
「……困窮している家を救い、たやすく借金を返済できる機会を、自ら手放すと?」
わがままを言う子どもをたしなめるかのような声音に、リルジェシカは唇を噛みしめる。
自分でも、愚かな決断だとわかっている。
十人が聞けば十人とも、なんと愚かなと蔑むだろう。
「この上なくありがたいお話だというのは、わかっています。でも……」
「どうやら、決断を
リルジェシカが続きを言うより早く、ドルリーが小さく吐息する。機先を制され、リルジェシカはこくりと頷いた。
「すみません……。あまりに急なお話過ぎて……」
視線を伏せたリルジェシカの耳に、予想以上に優しいドルリーの声が届く。
「確かに、急にこんな話を持ちかけられて、すぐに決断せよというのは、年若いお嬢様には酷でしたね。……わかりました。先ほどのお返事は聞かなかったことにいたしましょう。ひと晩、ゆっくり考えれば、気持ちが変わる可能性も、大いにあるでしょうからね」
「そう、なんでしょうか……?」
落ち着いて考えれば、今とは違う答えに辿り着くのだろうか。
確信を持って告げられたドルリーの言葉に、あいまいに呟く。「もちろんです!」とドルリーが大きく頷いた。
「リルジェシカ嬢はいま、混乱なさっているだけですよ。落ち着いてご両親と話し合えば、必ずや最善の選択を――」
「きっぱりと断られたというのに、まだ追いすがる気か?」
ドルリーの言葉を遮って、フェリクスが口を挟む。ほんの一瞬だけ、不快げに眉を寄せたドルリーが、すぐさま表情をとりつくろって悠然と頷いた。
「もちろんでございます。商談が一度でうまくいかぬことなど、数多くありますから。この程度で諦めていては、ドルリー商会はここまで大きくなっておりませんよ。それに……」
ドルリーが思わせぶりな笑顔をリルジェシカに向ける。
「リルジェシカ嬢が今回の申し出を受けようが断ろうが、マレット男爵家がドルリー商会に借金があるのは厳然たる事実。これからも末永いおつきあいが続くことは変わりませんので」
ドルリーの言葉に、フェリクスの眉がきつく寄る。
「借金をかたに、リルジェシカ嬢に望まぬ契約を強いるのは、わたしが許さんぞ!」
「そのようなことはいたしませんよ。ですが、ご不安だとおっしゃるのでしたら、フェリクス様が代わりにご返済くださいますか? 耳をそろえてお返しくださるのでしたら、わたしといたしましては、どなたが返してくださってもかまいませんから。しかし……」
ドルリーが思わせぶりな視線をフェリクスに送る。
「近衛騎士とはいえ、フェリクス様は伯爵家のご次男。当主と異なり、ご自身で自由になるお金は限られてらっしゃるかと思いますが……。ああ、それとも」
くすり、とドルリーが挑発するような笑みを刻む。
「伯父上であるアルティス殿下を頼られますか? アルティス殿下とも縁を結べるのでしたら、わたしといたしましては、望むところでございますが」
「アルティス殿下に頼る気などない!」
フェリクスの声が険を帯びる。
が、ドルリーの指摘はフェリクスの痛いところを突いたのだろう。怒りに奥歯を噛み締めたフェリクスの輪郭が硬く張る。
というか、そもそも。
「フェリクス様に立て替えていただくなんて、そんなこと、するはずがありませんっ! フェリクス様は無関係なんですから!」
他人に借金を肩代わりさせるなんて、とんでもない。
泡を食って叫ぶと、隣に立つフェリクスの長身がかすかに揺れた。
何がおかしいのか、ドルリーの笑みが深くなる。
「いやはや、リルジェシカ嬢は可憐なご容姿とは裏腹に容赦がない」
「え……?」
至極当然のことを言ったはずなのに、容赦がないとはどういうことだろう。リルジェシカが疑問の答えを見つけるより早くドルリーが言葉を続ける。
「おっしゃる通り、フェリクス様はただ居合わせただけで、マレット男爵家とはまったくの無関係でいらっしゃいますからね」
ドルリーの指摘は至極真っ当な内容だというのに、なぜか、フェリクスの表情がますます険しくなる。ドルリーがフェリクスの表情を気にした様子もなく、「ふぅ」と芝居がかった様子で吐息した。
「リルジェシカ嬢が帰られる前に、ご両親の説得ができれば
「何度来ようと、結果は変わるまい。早々に諦めたらどうだ?」
「御冗談を。わたしはそう簡単にリルジェシカ嬢を諦める気はございませんよ」
フェリクスの言葉にドルリーがゆったりと笑う。
「わたしは、なんとしても欲しいものは、時間をかけ、手練手管を
フェリクスから視線を外したドルリーが、リルジェシカと目を合わせ、にこやかに微笑む。
「というわけで、リルジェシカ嬢。また参ります。その際には色よいお返事がいただけることを期待しておりますよ」
では失礼いたします。と一礼し、ドルリーが
ぱたりと扉が閉まった途端、ふぅっと大きく息を吐いた拍子に、身体から力が抜けた。
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