25 思いがけない提案
「…………え?」
思いもかけない申し出に、間の抜けた声を洩らす。大きく頷いたドルリーがたたみかけるように言を次いだ。
「ドルリー商会に所属いただければ、わたしが責任をもってリルジェシカ嬢の手助けをいたしましょう! 女王陛下やセレシェーヌ殿下のお靴を手掛けたと大々的に宣伝すれば、貴族達から注文が殺到するのは必至! わたしが注文を取りまとめ、より高額な値をつけた方から順に製作に入れば、今まで以上の報酬が得られることでしょう。もちろん、工房もこちらで素晴らしいものをご用意いたしますので、今後は工房を間借りして肩身の狭い思いをする必要はございません。必要なら、助手も何人でもお雇いください。ご心配なく。リルジェシカ嬢に休みなく靴を作るように強いたりなど、決していたしませんから。高級品は希少だからこそ、さらに価値が上がるもの。リルジェシカ嬢はいままで通り、お好きなように靴作りを続けられればよいのです。それで、マレット男爵家の借金がすべて返済できるのですから……。悪い話では、ないでしょう?」
「ちょ……っ、ちょっと待ってくださいっ!」
「そ、その、借金を返済できるのはありがたいお話ですけれど、でも……っ! 私なんかがそんな……っ!」
思いもよらなかった申し出に、喜びよりも恐怖が先立つ。
いままで、リルジェシカ嬢の靴を欲しいと言ってくれた人なんて、ほんの数人しかいなかった。それどころか、貴族の令嬢ともあろう者が靴作りをと蔑まれ、ダブラスからは婚約を破棄され……。
ドルリーがこんな熱心に申し出てくれる価値なんて、あるはずがない。
ぷるぷると震えながら首を横に振るリルジェシカに、ドルリーが「ふむ」と呟く。
「リルジェシカ嬢は、どうやらご自分の価値をおわかりでないらしい。女王陛下のご愛顧が、貴族達の間でどれほどの力を持つのか、リルジェシカ嬢、あなたも貴族の一員でしたら、よくご存じでしょう?」
「えっと、その……」
女王陛下本人ではなく、次期女王であるセレシェーヌであっても、ディプトン子爵は
リルジェシカが女王陛下にお目通りした経験は、去年、成人の儀を迎えた時に、他の令嬢達と一緒に祝いのお言葉を賜った一度きりだが、女王にお目通りし、お近づきになりたいと願う者が数えきれないほどいるのは想像がつく。けれど。
「女王陛下が私などをご愛顧されているなんて、そんなこと、ありえませんっ!」
ふるふると首を振ったリルジェシカの言葉に、虚を突かれたように目を瞬いたドルリーが、次いで顔を伏せる。肩が小さく震えているところを見るに、吹き出すのをこらえているらしい。
「……失礼しました。女王陛下は、わたしをお呼びになり、はっきりとおっしゃったのですよ。今後、靴はすべてリルジェシカ嬢に作らせる。ドルリー商会から買い上げることはもうない、と。これをご愛顧と言わずに何と言うのでしょう?」
「つまり、ザックが切られたがために、今度はリルジェシカ嬢をドルリー商会へ引き込もうという心づもりか。どこまでも己の都合優先ではないか」
ドルリーの
「とんでもない! リルジェシカ嬢のご事情も
ドルリーが心外だと言わんばかりの声を上げる。
「
「それ、は……」
リルジェシカは強張った顔でやりとりを見守る両親を見やる。
両親が借金の返済に
けれど……。
なぜか、心の奥底が頷くのをためらっている。
リルジェシカが自分の心の形を見極めるより早く。
「
フェリクスの険しい声が、刃のように振るわれる。
「リルジェシカ嬢は遊びで靴作りをしているのではない! その程度の心根で作ったものが、女王陛下の目に適うはずがないだろう! リルジェシカ嬢に謝罪せよ!」
「フェリクス様……っ!?」
いままで見たことがないほど厳しいフェリクスの表情に驚愕する。
同時に、どうしてドルリーの申し出を受け入れたくないのかを理解した。
フェリクスに女王陛下の文書を渡された時は、泣いてしまうほど嬉しかった。自分がこれまで続けてきた靴作りが間違っていなかったのだと。セレシェーヌ以外にも、それを認めてくれる人が現れたのだと、嬉しくて。
でも、ドルリーは違う。
彼が欲しいのは、リルジェシカの靴ではなく、『女王陛下が気に入った靴』なのだ。彼にとっては、リルジェシカの靴がどんなものかなど、どうでもよいに違いない。
それに、ドルリーは高額な値をつけた者から順に売るといった。希少であればあるほど、価値が上がるから、と。
確かに、リルジェシカの靴の作り方は、時間がかかって多くの注文をさばくことはできない。けれど。
「ドルリーさん……」
おずおずと声を上げたリルジェシカに、全員の視線が集中する。
リルジェシカが両親を交互に見やると、二人とも、小さく頷き返してくれた。何があろうと、娘の決断を支持すると言いたげに。
両親の心遣いに背中を押され、リルジェシカは母親から一歩離れて、前に立つフェリクスの隣に並ぶ。
「何でしょう? お受けいただく決心が固まりましたか?」
ひるみそうになる心を奮い立たせ、にこやかに微笑むドルリーを見つめる。
「ドルリーさんの申し出は、私などにはもったいないくらい良いお話だと思います。けれど……」
息を吸いこみ、はっきりと告げる。
「申し訳ありません。そのお話はお受けできません」
「っ!?」
瞬間、絶えず笑みをたたえていたドルリーの整った面輪が、驚愕に固まった。
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