18 なめし革工房にて


 フェリクスに馬に乗せてもらったおかげで、モレル村には午前中に着くことができた。


 村はずれにある革なめし職人の工房へ近づいて行くと、いつもの通り、遠くからでも革なめしに使う草木の汁の独特の臭いが漂ってくる。


 革なめしは脂肪や毛を取り除いた革を何度も草木の汁に漬け込まなければならないため、倉庫かと思うほど工房が広い。レブト親方の工房とは雲泥の差だ。


「おはようございます!」


 工房のそばの木の枝にフェリクスが馬の手綱をくくりつけるのを待ってから、一緒に工房に入ったリルジェシカは、倉庫の中で在庫を確認していたらしい、なめし革職人の親方に明るい声で挨拶した。


 この工房はレブト親方が昔から懇意にしており、リルジェシカも革はすべてここから仕入れている。広い工房の一画には、なめされた革が牛、豚、鹿、馬など種類ごとに吊るされていた。


「いらっしゃい、嬢ちゃん。今日の仕入れもぜんぶ鹿革かい?」


 女性用の靴ばかり作っているリルジェシカが使うのは、牛革よりも柔らかな鹿革だ。


「はい。いつもより多めにいただきたいんです。それと――」


「鹿革?」


 リルジェシカがみなまで言うより早く、いぶかしげな声を上げて振り返ったのは、倉庫の奥で革をじっくり見ていた男だった。


「もしかして、あんたが、お遊びで靴作りをしてるリルジェシカとかいう嬢ちゃんか?」


 リルジェシカ達のほうへ近づきながら、初対面だというのに敵意もあらわに睨みつけてきたのは、三十歳くらいの職人風の男だ。


「どんなヤツかと思ってたら……。ほんとにまだガキじゃねぇか。くそっ、こんなヤツに……っ!」


「何者だ!? リルジェシカ嬢への暴言はわたしが許さんぞ」


 リルジェシカが口を開くより早く、隣にいたフェリクスが庇うように一歩前に踏み出し、男を睨み返す。


「ああん? お前こそ何モンだ? 従者か何かかよ?」


「ち、違います! フェリクス様が従者だなんて……っ! フェリクス様はセレシェーヌ殿下の近衛騎士です! どなたか存じませんが失礼なことを言わないでくださいっ!」


 常日頃から貴族達にさげすまれているリルジェシカはいいとして、フェリクスへの暴言は見過ごせない。


 前に立つフェリクスに並ぶように身を乗り出して告げると、男の顔があざけるように歪んだ。


「なるほどな。近衛騎士をたらしこんで自分の靴を売り込んだわけか。女なんかがろくな靴を作れると思ってなかったが……。裏が読めたぜ」


「貴様っ! 何を言う!?」


 大きく一歩踏み出したフェリクスが、剣の柄に手をかける。


「フェリクス様!」


 フェリクスは丸腰の相手に剣を振るうような人ではない。


 わかっていても、リルジェシカは反射的に両手でフェリクスの右手を剣の柄ごと握りしめる。初めて聞いたフェリクスの激昂げっこうした声は、思わずリルジェシカが不安になってしまうほど、恐ろしい。


 ぎゅっとフェリクスの手を掴んだまま、きっと男を睨みつける。


「そんなっ! ご立派なフェリクス様が私なんかにたぶらかされるわけがないじゃないですかっ! 私はともかく、フェリクス様に失礼なことを言わないでくださいっ!」


「いやあのリルジェシカ嬢、怒るべきはそこではなくて……」


 戸惑った声を上げたフェリクスが剣の柄から手を放す。それにほっとする間もなく、男がぶひゃっと吹き出した。


「色男には相手にされなかったってわけか! なら、誰をたぶらかして女王陛下に取り入ったんだ? どうせ靴だってレブトをたぶらかして作らせてるんだろう!? 無愛想なあいつだって若い娘にしなだれかかられたら悪い気はしねぇだろうしな!」


「っ! そんなことしていませんっ! レブト親方を侮辱しないでください!」


 レブト親方は確かに無愛想だが、リルジェシカが貴族で女だからといって、馬鹿にしたことは一度もない。いつだってひとりの弟子として厳しく指導し、リルジェシカを鍛えてくれた恩人だ。


 リルジェシカが自分なりの方法で靴作りをしたいと相談した時にも、笑ったりせず「なら、自分で創意工夫してやってみな。相談には乗ってやる」と見守ってくれた。


「あなたは私をご存知のようですけれど、いったい何者なんですか!? 会ったばかりのあなたにいわれのない誹謗中傷を言われる理由なんて――」


「てめぇ! 俺のことなんざ目にも入ってないって言いてえのか!?」


 激昂した男がリルジェシカに掴みかかろうとする。


 さっと間に入ったフェリクスが素早く男の腕を取り、ひねり上げようとしたところで。


「これは何の騒ぎです、ザック」


 冷ややかな青年の声に、男が動きを止める。


 倉庫に入ってきた青年の姿を見て、リルジェシカは驚きの声を上げた。


「ドルリーさん……」


「おや、リルジェシカお嬢様。ごきげんよう。こちらで会うとは奇遇ですね」


 リルジェシカ達やザックに歩み寄りながら、にこりと口元だけに笑みを浮かべて挨拶をしたのは、男爵家の借金の借り入れ先であるドルリー商会の若き会長だった。


 黒い髪に淡い青の瞳の端麗な面輪は、商人というより貴族のように見える。


 リルジェシカとザックと呼ばれた男に交互に視線を向けたドルリーが、得心がいったと言いたげに「ふむ」と頷く。


「どうやらうちの職人が失礼を働いたようですね。お詫び申しあげます」


 ドルリーが優雅な仕草で一礼する。


「ザックは腕の良い靴職人なのですが、気が短いのが玉にきずでして……」


「靴職人……」


 リルジェシカの呟きに、ドルリーが大きく頷く。


「ええ。女王陛下の靴を手がけるほどの腕前ですよ。……まあ、昨日、今後は不要だと言い渡されましたばかりですがね」


 す、と目をすがめて告げられたドルリーの言葉に、息を吞む。


 昨日、フェリクスから渡された女王陛下からの文書には、今後は靴作りはすべてリルジェシカに任せたいと書かれていた。


 なんて光栄なことだろうとリルジェシカはただただ喜んでいたが……。


 リルジェシカが取り立てられたということは、影で、その座から落とされた者がいるということだ。そこまで考えが及んでいなかった。


 だから、ザックはリルジェシカを見た瞬間から敵意をむき出しにしていたのかと、ようやく気づく。


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