17 靴作りに打ち込む理由


「その、立ち入ったことを聞くんだが……。きみが靴作りに熱意を傾けているのは、もしかして……」


 遠慮がちな声にこくりと頷く。


「お母様は左足が不自由なんです。落馬の怪我が治りきらなくて、どうしても引きずるような歩き方になってしまうので、靴が脱げやすくて……。脱げないように紐で縛ったりもしているんですけれど、動くうちにほどけたりするので。だから、足にぴったり合う靴を作れたら、喜んでくださるんじゃないかと思って……」


 リルジェシカが靴作りに熱中する理由を両親に話したことはない。

 だが、リルジェシカを応援してくれている両親は、きっと気づいているに違いない。


 告げた途端、突然フェリクスが手綱を握っていた手で顔を覆う。


「ひゃっ!?」


 騎手の急な動きに馬が足並みを乱し、ぐらりと起こった揺れに悲鳴を上げてフェリクスにしがみつく。


「ど、どうなさったんですか?」


健気けなげ過ぎて感情の抑えが……っ。いや、落ち着け自分……っ!」


 片手で顔を覆ったまま、フェリクスが何やら低い声で呟くが、くぐもっていてよく聞こえない。


「すまなかった。急に驚かせてしまって」


 ややあって、ごまかすように咳払いしたフェリクスが顔を覆っていた手を下ろす。


「だから、去年の猟遊会でセレシェーヌ殿下の靴が脱げた時もすぐ的確な対処ができたのか……。だが、騎乗する殿下に近づくのは怖かっただろう?」


「あの時は無我夢中で……っ。きっとお困りだろうと思ったら勝手に身体が……。出過ぎた真似をしてしまいましたよね……?」


「とんでもない! セレシェーヌ殿下を助けてくれて、近衛騎士として改めて礼を言うよ。男のわたし達ではどうにもできなくて困り果てていたからね」


 フェリクスが力強い言葉を返してくれる


「セレシェーヌ殿下もリルジェシカ嬢に深く感謝してらっしゃるよ。次期女王となられる殿下の周りには、どうしても権力の座を狙う者がどうしても多く寄ってくる。きみみたいに裏表のない話し相手は貴重なんだ。叶うことなら、これからも殿下に会いに来てもらえると嬉しい」


「そんな……っ! 私なんかがセレシェーヌ殿下のお話相手だなんて……っ! おそれ多すぎます!」


 ぶんぶんとかぶりを振ったリルジェシカは、おずおずとフェリクスを見上げる。


「その……。フェリクス様は靴作りばかりしている私に呆れてらっしゃらないんですか……?」


 婚約者だったダブラスは、リルジェシカが靴作りに情熱をかけている理由を知った時、唇を歪めて嘲笑した。


『靴なんて、職人に好きな物を注文すればいいだろう? 自分の手を汚してわざわざ作ろうだなんて……。物好きも極まるな』


 と。もともと望んでいた婚約ではなかったが、その瞬間、ダブラスに期待することを完全に諦めた。


 そのくせ、セレシェーヌに会う機会がある時は婚約者のわたしも連れて行け、と執拗しつように迫っていたのだから、いかにリルジェシカが鈍感でも、ダブラスがリルジェシカと婚約した狙いが、セレシェーヌとのつながりを作ることだったというのは嫌でもわかる。


 結局、リルジェシカが一度もセレシェーヌに取り次がなかったため、婚約を破棄されたが、後悔はまったくない。


 リルジェシカの問いかけに、フェリクスが目を丸くする。


「わたしがきみに呆れるなんて、そんなこと、あるはずがない! むしろますます……っ! あ、いや……」


 口ごもったフェリクスの碧い瞳が、真っ直ぐにリルジェシカを見つめる。


「わたしは決して、きみに呆れたりなんてしないよ。それどころか、事情を聞いて、きみの心根にますます感じ入った。きみの夢を叶えるために……。わたしにも、協力させてもらえると嬉しい」


「今でももう、十分に助けていただいてます! こうして、馬に乗せていただけるだけで、とてもありがたいです!」


 ゆっくり歩かせているとはいえ、やはり人の足と馬では速さが違う。


「少しは慣れてきたかい?」


 フェリクスの問いに、「はい」と頷き、ゆっくりと視線を巡らせる。


 二人が乗る馬はすでに王都の町並みを出て、モレル村へ通じる街道に入っていた。


 土が踏み固められた街道の両脇には少しずつの距離をおいて木々が植えられ、赤や黄色、橙色に色づいた葉は、まるで木々がドレスを纏っているかのようだ。


 野辺に咲くサフランの紫色や、寄り集まって咲くヒースの色とりどりの花も目を楽しませてくれる。


 はらはらと落ちた葉が彩る道を進むのは、収穫物を載せた荷車をロバに引かせる近隣の農夫や、背に大きな荷物を背負った行商人などで、王都の外れとあって行き来は少ない。


 貴族達はそれぞれ所領を持ち、王都にある屋敷と領地を行き来する生活だが、収穫が近づいてきたいまは、マレット家の小さな領地でも、管理人が収穫の段取りを考えていることだろう。


 今年はどうか豊作でありますようにとリルジェシカは心から祈る。ここ数年、不作のせいでマレット家の家計はますます困窮している。


 だが、リルジェシカの心配とは裏腹に、秋の明るい陽射しに照らされたのどかな景色は、どこまでも美しい。


 何度も通ったことのある道なのに、視線の高さが違うだけで、いつもよりさらに美しく感じる。


 ほぅ、と感嘆の息をついたリルジェシカは、身体の震えがいつの間にか止まっていることに気がついた。


 いつ止まったのだろう。フェリクスが気をまぎらわそうとあれこれ話しかけてくれたからに違いない。


「もう大丈夫だと思います! フェリクス様のおかげで、怖いなんてもう全然……っ」


 勢いよくフェリクスを振り仰いだリルジェシカは、凛々しい面輪の予想以上の近さに言葉を途切れさせた。


 秋の明るい陽射しに金の髪をきらめかせるフェリクスは、まるで彼自身が光を放っているかのようだ。


 さっぱりと刈られた短髪に縁取られた顔は見惚れるほどに端整で、空の色を映した碧の瞳は一対の宝玉のようだ。


 柔らかな光を宿す瞳にぽかんと間抜けな顔の自分が映っているのに気づいた途端、ぱくんと大きく心臓が跳ねた。


 馬に乗る恐怖でまったく頭が回っていなかったが、身だしなみからして貧相なリルジェシカと、今日は近衛騎士の制服を着ていないとはいえ、見惚れるほど凛々しいフェリクスが二人乗りをしているのを見た者は、いったいどう思うだろう。


 なんてちぐはぐな二人かと笑われるに違いない。


 浮いた噂ひとつ聞いたことはないが、フェリクスが令嬢達の憧れの的だというのは、お茶会などにほとんど出席したことのないリルジェシカですら知っている。


「あ、あのっ、その……」


 何か言わねばと思うのに、うまく言葉が出てこない。


 少しでも距離を取らねばと、不安定な馬の背で動こうとすると、体勢を崩しかけた。


 途端、ぎゅっと力強い腕に抱き寄せられる。


「どうしたんだい? 急に動くと危ないよ?」


 穏やかな低い声が耳朶じだを撫でるだけで、顔に熱がのぼるのがわかる。きっと紅葉した葉よりも真っ赤になっているに違いない。


「やっぱり、慣れるにはもう少し時間が必要なようだね。ゆっくり行こう」


「は、はい……」


 フェリクスの優しい声に、リルジェシカはただ、かすれた声で頷くことしかできなかった。


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