19 ぜひとも末永いおつきあいをしたいと願っておりますので


「突然の急転には同情しよう」


 自分がザックから奪ってしまったものにおののくリルジェシカを励ますように、フェリクスが掴まれていた右手で逆にリルジェシカの指先を握りしめる。


「が、今回の件に限らず、素晴らしい品を作る者が取り立てられるのは世の道理。己の力不足を棚に上げて、リルジェシカ嬢を侮辱してよい理由にはなるまい」


 大きな手のあたたかさと力強さに、リルジェシカははっと我に返った。

 そうだ。ザックには申し訳ないがリルジェシカにだって譲れない願いがある。


 淡い青の瞳を細めて問うたのはドルリーだ。


「では、どうなさいますか? フェリクス・オーランド様」


「……なぜ、わたしの名前を?」


 フェリクスの凛々しい眉がいぶかしげに寄る。

 ドルリーがくすりと笑みをこぼした。


「これでも王家御用達の商人のひとりでございますから。王配であるアルティス殿下の甥御おいご殿は存じておりますよ」


 ドルリーが端麗な面輪に笑みを浮かべ、貴族にも負けぬ優雅な所作で一礼する。


「ここでお会いできたのも何かのご縁。ドルリー商会は主に服飾関係を手広く扱っております。近衛騎士の制服なども当商会が承っておりますので、今後とも、末永いおつきあいができれば嬉しく存じます」


 恭しいドルリーの言葉に、だがフェリクスの表情は緩まない。


「近衛騎士といえど、わたしは爵位も継げぬ次男坊。わたしなどと懇意こんいにしたところで、うまみはあるまい」


 すげないフェリクスの言葉にも、ドルリーの笑顔は崩れない。


「フェリクス様はご冗談がお上手でいらっしゃる。セレシェーヌ殿下やアルティス殿下のご信頼が篤いということは、ちゃんと存じておりますよ。本日、リルジェシカ嬢とモレル村へ来られたのも、女王陛下のご指示でしょうか?」


 なぜ、ザックがリルジェシカが女王陛下から靴の依頼を受けたのを知っているのか疑問だったが、ドルリーから聞いたに違いない。


 リルジェシカがセレシェーヌ殿下から靴作りを依頼されていることは、知り合うきっかけが女王主催の猟遊会だったこともあり、貴族の多くが知っている。元婚約者のダブラスも、そこに目をつけて婚約を申し込んできたのだから。


 女性の靴職人はさほど多くない。御用商人の情報網で、女王陛下の新しい靴職人が女性だということさえわかれば、その職人とリルジェシカを結びつけるのは簡単だろう。


「いや、セレシェーヌ殿下のご命令だ。殿下はリルジェシカ嬢のことを、たいへん気に入ってらっしゃるのでな」


 ドルリーの問いかけに、フェリクスが「たいへん」を強調するように答える。


「なるほど、なるほど……」


 感じ入ったように頷いたドルリーに、フェリクスが「それよりも」と強い声を出した。


「王家御用達の商人ならば、配下の職人にもう少し気を配ってはどうだ? 職人が問題を起こせば、ドルリー商会の名にも傷がつこう」


「何だとっ!? 俺に文句をつけようって――」


「ザック」


 食ってかかろうとしたザックが、ドルリーの静かな声にぴたりと動きを止める。振り返りもせずザックを縫い留めたドルリーは、にこやかに微笑んでみせた。


「確かに、フェリクス様のおっしゃる通りでございます。若輩者ゆえ、しつけが行き届いておらず、お恥ずかしい限りでございます」


 頭を下げるドルリーは、二十歳過ぎのフェリクスより、二、三歳上くらいだろう。だというのに、ひとこと名前を呼ぶだけでザックを止めたのだから、今の言葉は謙遜けんそんに違いない。


「若くして会長の座に就いた手腕は伊達だてではないのだろう? 職人の手綱をしっかり取るよう、期待している。……互いの今後のためにも」


 威圧感を帯びたフェリクスの低い声に、リルジェシカは思わず隣に立つフェリクスの厳しく張り詰めた面輪を見上げる。


 いつも穏やかなフェリクスが、これほど険しい表情をするのは珍しい。


 近衛騎士として御用商人に侮られるわけにはいかないということなのだろうか。だが、リルジェシカが知る限り、フェリクスはいつも物腰が柔らかで、平民だからといって居丈高いたけだかになることなど、決してないのだが。


「ええ、今後のためにも」


 ドルリーの笑んだ声に、リルジェシカはあわてて視線をそちらに向ける。

 淡い青の瞳が真っ直ぐにリルジェシカを見つめていた。


「ぜひとも末永いおつきあいをしたいと願っておりますので、ね」


「……?」


 御用商人としてのつきあいなら、リルジェシカではなく、フェリクスを見るべきではないだろか。


 リルジェシカが疑問の答えを見つけるより早く、不意に、ドルリーの姿が視界から消える。


 手を握ったまま、一歩踏み出したフェリクスがリルジェシカの姿を隠そうとするかのように、ドルリーとの間に立ちふさがっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る