15 靴職人令嬢、近衛騎士とお出かけする


 翌朝、リルジェシカは両親と三人そろって、マレット男爵家の玄関でフェリクスを待っていた。


 昨日、夕飯の時に、フェリクスと一緒にモレル村まで革の仕入れに行くことを両親に伝えたところ、


「王配であるアルティス殿下の甥であるフェリクス様にお手数をおかけするとは……っ!」


 と、大変驚かれてしまい、何のお礼もできないが、せめて謝意を伝えなくてはと、両親もそろって三人で玄関前でフェリクスを出迎えることになったのだ。


 迎えに来てくれるというフェリクスの言葉に甘えてしまったものの、やっぱり遠慮しておけばよかったのではないかと、いまさらながらに後悔する。


 マレット家の屋敷は、さして広くもない上に手入れに回せる人手が足りないせいで、とてもではないが、貴族の屋敷には見えない。


 本来ならば、庭師が四季折々の花を植えているはずの庭は、十年以上前から耕されて畑と化している。


 豆やらかぶやらハーブやら、と種々の作物が植えられた畑は、マレット家の食卓を支える生命線だ。もちろん、リルジェシカも父と一緒に世話を欠かさず行っている。今日も朝から水やりと雑草抜きをしたところだ。


 服に土がついていないか、ふと心配になって、リルジェシカは自分の姿を見下ろしてみる。持っている服の中でも、つぎはぎの少ない服。腰のベルトから下げた小さな皮袋に入っているのはわずかなお金だ。


 革の仕入れ代の支払いについては、レブト親方の分と一緒に、翌月に掛け売りで支払うことになっているので、大金を持ち歩かないで済むのは助かる。


 行き先は王城ではなくモレル村だからと、いつも工房に行く時と変わらぬ服にしてしまったが、さすがに土で汚れた服では、一緒に行くフェリクスに申し訳ない。


 汚れがないか確認していると、門の向こうに馬にまたがったフェリクスの姿が見え、リルジェシカは驚きに息を吞んだ。


 今日のフェリクスは近衛騎士の制服ではなく平服で、いつもの剣を腰にいているだけだが、立派な栗毛の馬にまたがり、秋のさわやかな朝の光に金の髪をきらめかせている姿は、一瞬、おとぎ話の中から騎士が飛び出してきたのかと錯覚した。


 リルジェシカが呆気あっけに取られている間にも、フェリクスの姿はどんどん近づいてくる。


「これはこれは……。マレット男爵と夫人にまでお出迎えいただくとは恐縮です」


 屋敷の前までやってきたフェリクスが、並んで立つ三人を見てさっと馬から降り、手綱を握って深々と頭を下げた。


 フェリクスの声にリルジェシカ達もようやく我に返り、あわてて頭を下げて挨拶を述べる。


「とんでもない。こちらこそ、リルジェシカが無理を言ったようで申し訳ない」


 恐縮したように頭を下げる父に、フェリクスが穏やかな笑みを浮かべてかぶりを振った。


「いいえ。リルジェシカ嬢は無理などおっしゃっていません。むしろ、わたしから一緒に行かせてほしいとお願いしたのです。セレシェーヌ殿下からも、可能な限りリルジェシカ嬢の力になるよう、仰せつかっておりますので」


 折り目正しく告げたフェリクスに、両親が「セレシェーヌ殿下まで……っ!」と感動の声を上げる。


 だが、リルジェシカは素直に喜べなかった。ちらちらと視線を向けてしまうのは、フェリクスが乗ってきた立派な栗毛の馬だ。


 まさか、フェリクスが馬で来るとは思ってもいなかった。リルジェシカはいつもの通り徒歩でモレル村へ行って、帰りは王都へ行く荷車があったら、お代を払って乗せてもらおうと思っていたのだ。


 リルジェシカの様子に気づいたのだろう。隣に立つ母親が、気遣わしげな視線を向けてくる。


「リルジェシカ、大丈夫? あなた……」


 娘の顔を覗き込もうとした拍子に、ふんばりが利かなかったらしく、母親が体勢を崩してよろめく。


「お母様!」


 せた身体をあわてて支えたリルジェシカは、心配を吹き飛ばそうとにっこりと笑ってみせた。


「大丈夫だから心配しないで。あまりに立派な馬だから、見とれていただけなの」


 次いで、フェリクスを振り向き、明るい声で尋ねる。


「フェリクス様! こんな立派な馬に、乗せていただいてもよろしいのですか?」


「ああ。馬車を用立てようとも思ったんだが、あまり仰々ぎょうぎょうしいのもどうかと思ってね。徒歩で行くよりもずっと速いだろうし……。その、わたしと二人乗りは嫌だったかな?」


「とんでもありません!」


 ぶんぶんぶん、とかぶりを振る。高価な馬車なんてとんでもないし、フェリクスが言う通り、同行してもらうというのに、徒歩でのんびり行くのは申し訳ない。


 どんな革がいいだろうとばかり思い悩んでいて、そこまで考えが及ばなかった自分の至らなさが情けない。


「今日はどうぞよろしくお願いいたします! お父様、お母様、行ってきます!」


 一歩踏み出し、笑顔で両親を振り向いたリルジェシカに次いで、フェリクスも礼儀正しく一礼する。


「本日はわたしが責任をもってリルジェシカ嬢をお連れいたしますから、どうぞご安心ください」


「娘をどうぞよろしくお願いいたします」


「リルジェシカ、気をつけてね」


 両親の声を背に、フェリクスと馬へと歩み寄る。


 近づけば近づくほど、馬の大きさに圧倒されて、足が震えそうになる。


「あ、あの、フェリクス様。私、馬に乗れなくて、その……」


 困り顔でフェリクスを振り向くと、「大丈夫だよ」と優しく微笑まれた。かと思うと。


「ひゃあっ!?」


 突然、腰に両手を回され抱き上げられて、くらの前へ横座りに乗せられる。


「ひ……っ」


 悲鳴を上げるより早く、続いてフェリクスが鞍にまたがった。フェリクスの腕が身体に回され、横座りのリルジェシカは反射的に胸元にしがみつく。


「大丈夫だよ」


 フェリクスが穏やかな声で囁くが、返事をするどころではない。気を抜くと悲鳴が飛び出しそうで、ぎゅっと唇を噛みしめる。


「進めていいかい?」


 気遣わしげな声にこくりと頷くと、フェリクスがゆっくりと馬を進めた。慣れない揺れに、身体を強張らせ、ますます強くフェリクスの服を掴む。


 馬の歩みは並足で揺れはわずかなものだが、高さも相まって緊張に頭がくらくらしてくる。


「……すまない……。もしかして、馬が苦手だっただろうか……?」


 申し訳なさに消え入りそうな声でフェリクスが尋ねたのは、屋敷の門を出て、両親の姿が見えなくなった頃だった。


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