13 近衛騎士は靴職人令嬢を慰める


「リ、リルジェシカ嬢……っ!?」


 一瞬で、混乱の坩堝るつぼに叩き込まれる。


 どうしたらいいっ!? どうすれば……っ!? と無意識に視線を巡らすも、この部屋にいるのはフェリクスとリルジェシカだけだ。


 ひっくひっくとしゃっくりを上げながら、ぬぐうことも忘れて涙をこぼすリルジェシカは、途方に暮れる迷子のようだ。想いを寄せる少女が泣いているというだけで、フェリクスの胸が刃で刺されたようにずきずきと痛む。


「リルジェシカ嬢……」


 もし、少しでも嫌な素振りを見せたら、すぐさま放して許してくれるまで謝ろう。


 ごくりと唾を飲み込んで決意し、羊皮紙を作業台の上に置いて、小柄な少女へそっと腕を伸ばす。


 壊れ物を扱うようにそっと抱き寄せると、案に相違して抵抗もなく華奢きゃしゃな身体がもたれかかってきた。


 初めて腕の中におさめた少女の想像以上の細さと柔らかさに心臓が轟く。唇を引き結ばなければ、口から心臓が飛び出しそうだ。


 激しく脈打つ鼓動が聞こえてしまうのではないかと心配する心とは裏腹に、右手は勝手に動いて、あやすようにリルジェシカの柔らかな髪を撫でる。


 どのくらい、そうしていただろう。


「す、すみません……っ」


 すん、と鼻を鳴らして告げられた謝罪に、フェリクスは弾かれたように腕をほどいた。


「い、いや……っ」


 不埒者ふらちもの! と軽蔑されるのだろうかとおののくフェリクスをよそに、袖口で濡れた頬をぬぐったリルジェシカが、恥ずかしそうにはにかむ。


「あんまりびっくりして、信じられないほど嬉しくて……。気持ちがたかぶりすぎて、涙があふれちゃいました……」


「よ、よければこれを……」


 わたわたとハンカチを取り出し、リルジェシカへ渡そうとする。


「いえっ、申し訳ないですから……っ」


 かぶりを振ったリルジェシカが、自分のハンカチを取り出し、ごしごしと顔をこする。そんなにこすったら赤くなってしまう……。と言いたいが、いつけられたように口がうまく動かない。


「すみません。濡らしちゃいましたね。大切な制服なのに……」


 抱き寄せていたせいで、近衛騎士の制服の胸元が、色が変わるほどぐっしょり濡れている。


 困り果てたように眉を下げ、ふれようと伸ばされたリルジェシカの手を、フェリクスは反射的に握りしめて止めた。


 だめだ。いまふれられたら、どれほど心臓がばくばくと高鳴っているか、知られてしまう。


「あの……?」


「き、気にしないでくれ。乾けばなんともないから」


 握りしめた指先は細くて、このまま力をこめればたやすく折れてしまいそうだ。華奢な指先が、先ほど抱き寄せたまろやかな身体を嫌でも連想させて、もう一度抱き寄せたい衝動に駆られる。


 意志の力を振り絞り、なんとかリルジェシカの指先を放したフェリクスは、できるだけ穏やかに微笑みかけた。


「急に驚かせてすまなかったね。きみが泣くほど喜んでくれるなんて……。すぐに伝えに来た甲斐があったよ」


「フェリクス様! 本当にありがとうございます! 女王陛下に気に入っていただけたばかりか、これから、女王陛下のお靴を作らせていただけるなんて……っ! 嬉しすぎます!」


「わたしは何もしていないよ。セレシェーヌ殿下に命じられて、使いとして来ただけだからね。今回の陛下の決定は、きみの努力の賜物たまものにほかならない。本当に、おめでとう」


 雨上がりの晴天のようなリルジェシカの笑顔につられて、フェリクスの口も自然とほころぶ。


「はいっ! 女王陛下やセレシェーヌ殿下に気に入っていただける靴を作れるよう、これからも頑張ります! あっ、でも……っ!」


 さぁっとリルジェシカの愛らしい面輪から血の気が引く。


「どうしよう……っ! いまちょうど、鹿革の在庫が心許こころもとなくて……っ! モレル村に仕入れに行かなくちゃ……っ!」


「モレル村まで? いまからでは、着くのは夕刻になってしまうだろう? レブト親方に分けてもらうわけにはいかないのかい?」


 モレル村は王都から徒歩で数刻の場所にある革なめしを特産にしている村だ。近衛騎士に配属される前、警備隊に所属していた頃に巡回で何度か行ったことがある。


 工房に入った時、片隅に置かれていた革の小山を思い出しながら告げたフェリクスの言葉に、リルジェシカの眉がへにゃりと下がる。


「その……。女王陛下やセレシェーヌ殿下のお靴には、柔らかい鹿革を使っているんです。男性用の靴を主に手掛けている親方が在庫として持っているのは丈夫な牛革なので……」


「なるほど。革からこだわっているわけか」


 そういえば、先ほども使っている革が違うと話していたと思い出す。フェリクス自身は、自分が履いている靴がどんな革でできているかなんて、いままで考えたこともなかった。


「フェリクス様の靴用の革は、親方から分けてもらおうかと思っていたんですけれど……」


「いやいやいやっ!」


 リルジェシカの言葉に、あわてて首を横に振る。


「女王陛下の靴作りがあるだろう? わたしの靴なんて後回しでかまわないよ」


「だめですよっ!」


 フェリクスがびっくりするほど、強い声が返ってくる。


「もちろん女王陛下のお靴を作るのが最優先ですけれど、一度受けた依頼を反故ほごにしたりしませんっ! フェリクス様は初めて工房を訪れて私に依頼してくださったお客様なんですから!」


 ぐっ! と両手を握りしめて力説したリルジェシカが、不意にその手を胸の前で握りしめ、哀しげな表情でフェリクスを見上げる。


「それともやっぱり……。女の私が作る靴じゃ、ご不満ですか……?」


「とんでもないっ!」


 考えるより早く、声が出る。


「一度した依頼を翻すなんて、そんな無責任なことをするものか!」


 勢い込んで告げながら、そっとリルジェシカから視線を外す。


 本当は最後までしっかり視線を合わせて伝えたい。だが……。


 泣いて潤んだ瞳に、こすったせいでうっすら紅く染まった面輪で上目遣いに見上げられていたら……。


 うっかり、理性がぐらついて、もう一度抱き寄せてしまいそうだ。


 しっかりしろ、理性! と己を奮い立たせていると、ほっとした声が聞こえてきた。


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