2 そもそも婚約者に頼る気なんてありませんでしたから!
「本気か、お前っ!? 貧乏男爵家がディプトン子爵に
男爵家の借入先であるドルリー商会が、裕福なディプトン子爵家との婚姻に期待して借金の返済を待ってくれているのだという事情は、リルジェシカも知っている。だが。
睨みつけるダブラスに、リルジェシカは首をかしげた。
「男爵家の借金を知りながら、ディプトン子爵家は今まで援助してくださったことなんて、なかったではありませんか? 我が家が貧乏なのは重々承知しております。ですから、腕を磨き、靴職人としてやっていこうとしてるんです。それに……。そもそも子爵家に頼る気など
「何だと……っ!?」
詰め寄ろうとしたダブラスが一歩踏み出すより早く。
ぶはっ、と吹き出した笑い声がダブラスの動きを縫い留める。
笑いをこらえきれないのだろう。広い肩を震わせ、くつくつと喉を鳴らしながら、フェリクスが、リルジェシカを背に庇うようにダブラス達との間に割って入った。
「ダブラス殿。そのくらいになさってはいかがです? 人の目もございます。これ以上は不名誉な噂が貴族達の間に広まりそうですが」
笑いをおさめたフェリクスが、ダブラスを見据えて告げる。口調こそ穏やかなものの、響きには有無を言わさぬ強さが宿っていた。
ダブラスが忌々しげに唇を歪める。
「伯爵家といえど、爵位も継げぬ近衛騎士の次男坊風情が偉そうに! おれは未来のディプトン子爵だぞ! 王配・アルティス殿下の甥であるのをよいことに、盾突く気か!?」
「とんでもないことです。わたしはあくまでも近衛騎士のひとりにすぎません。ですが」
フェリクスの声が、さらに低く、厳しさを帯びる。
「先ほどダブラス殿は、『本職の職人でもないものに靴を依頼するとは近衛騎士団もずいぶんと物好きな』とおっしゃいましたね? それは、リルジェシカ嬢に靴を依頼なさったセレシェーヌ殿下も物好きということでしょうか? 王女殿下に仕える者として、王家への侮辱は見過ごせませんね」
「な……っ」
揚げ足を取られたダブラスが絶句する。
「お、王女殿下を侮辱する気など……っ! そんなつもりは毛頭ない! さっきのは単なる言葉の綾で……っ!」
うろたえて言い募るダブラスに、「でしたらよいです」と口調を穏やかなものに戻したフェリクスが告げる。
「では、もう御用はありませんね。リルジェシカ嬢、行きましょう。近衛騎士団の者が待っていますから」
リルジェシカを振り返った端整な面輪には、見慣れた柔らかな笑みが浮かんでいた。
「は、はいっ!」
婚約を破棄され、晴れて自由の身になった喜びにひたっていたリルジェシカは、フェリクスの声にはっと我に返ると、
「
背中にダブラスの捨て台詞をぶつけられたが、婚約を破棄したいま、何の
玄関広間を奥へ進み、人目のない廊下へ入ったところで。
「あのっ、フェリクス様! 先ほどは助けていただき、本当にありがとうございました!」
リルジェシカはフェリクスを呼び止めると深々と頭を下げた。
「フェリクス様が来てくださらなかったら、どうなっていたことか……。しかも、お見苦しいところを見せてしまいまして、申し訳ございませんでした!」
「いや……」
リルジェシカを振り返ったフェリクスが緩やかにかぶりを振る。
「こちらこそ、すまなかったね。その……」
口ごもったフェリクスが何を言おうとしているのかと察し、リルジェシカはあわててかぶりを振る。
「いえっ! 婚約破棄の件はお気になさらないでください! もともと、両親に頼まれて嫌々引き受けただけですし、破棄になって心から喜んでいるので!」
誤解の内容にとはっきりきっぱり宣言すると、ふたたびぶはっと吹き出された。
「す、すまない……。笑いごとではないとわかっているのだが、つい……。ま、まさか婚約を破棄されてありがとうございますとは……っ」
剣だこのある大きな手で口元を覆い、横を向いたフェリクスがくぐもった声を洩らす。
この一年間、セレシェーヌに拝謁するつど、近衛であるフェリクスとも何度も会っているが、こんなに笑い上戸だったなんて、初めて知った。
「……失礼した」
ようやく笑いの発作が治まったらしい。気まずそうに咳払いしたフェリクスが、長身を折り畳むようにして頭を下げる。
「えっ!? いえっ、謝らないでください!」
ぶんぶんとかぶりを振るリルジェシカを、身を起こしたフェリクスが見下ろす。
「その……」
春の空のような明るい碧の瞳には、気遣うような光が宿っていた。
「きみにとっては望んでいた婚約破棄とはいえ、口さがない貴族達によからぬことを言われることもあるだろう。立ち会ったのも何かの縁だ。もしわたしで力になれることがあったら、遠慮なく言ってほしい。たいした力はないが……。必要ならば、セレシェーヌ殿下にご助力をいただくことも可能だからね」
「お気遣いありがとうございます。ですが、殿下にご迷惑をおかけするなんて、とんでもないことです! どうぞ、私のことはお気になさらないでください!」
「だが……」
凛々しい面輪をしかめ、なおも言を継ごうとするフェリクスを、笑顔で押し留める。
「お引止めして申し訳ございませんでした。これ以上、セレシェーヌ殿下をお待たせしては申し訳ございません。殿下の元へ参りましょう」
「……そうだね」
低い声で呟き、
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