靴(くつ)職人と蔑まれていた男爵令嬢ですが、婚約破棄されて世間体を気にしなくてよくなったので靴作りで実家の借金返済にはげみます!

綾束 乙@4/25書籍2冊同時発売!

1 靴職人令嬢、婚約破棄される


「リルジェシカ。まさかお前と王城で会うとはな。珍しいこともあるものだ」


 歴史ある石造りの王城の門をくぐり、官吏達や侍女達が行き交う玄関ホールを少し進んだところで、リルジェシカは背後から声をかけられた。


「ダブラス様……。お久しぶりでございます」


 振り返り、婚約者である子爵令息のダブラスに、腰を折って丁寧におじぎする。


「登城しているというのに、相変わらず地味な格好だな。もう少し、身を飾るのに気を遣ったらどうだ? そんなみすぼらしい格好では、婚約者のおれまで他の貴族どもに侮られてしまう」


 頭を下げるリルジェシカに、ダブラスの尊大な声が投げつけられる。「マレット男爵家が貧乏な上に借金持ちだとご存じではありませんか」と、とっさに口をついて出そうになった言葉を、リルジェシカは片手に抱えた木箱を包んだ布袋を抱きしめてこらえた。


 わざわざダブラスに指摘されずとも、自分が着ている着古きふるしたドレスが、周りで掃除に励んでいる侍女たちのお仕着せよりも粗末なことは、リルジェシカ自身が誰より知っている。


「も、申し訳ございません……。私はご令嬢達のお茶会にも招かれない不調法者ですので、流行りのドレスなど存じあげないのです。ダブラス様がお教えいただけましたら、添えるように努力いたします」


 顔を上げ、困ったように微笑んで名ばかりの婚約者へと告げる。


 婚約して半年、ダブラスがリルジェシカを屋敷へ訪ねてきてくれたことはたった一度きりで、貴族の夜会へエスコートされたり、茶会に出かけようと誘われたことなんて、まったくない。


 まあ、誘われないのをよいことに、ダブラスを放っておいたという点では、リルジェシカも同罪なのだが。


「はっ、教えてやったところで、効果があるかははなはだあやしいがな」


 侮蔑を隠そうともせず鼻で笑ったダブラスが、探るような視線をリルジェシカに向ける。


「ところで、お前は何の用で王城へ来たんだ? もしや、王女殿下に拝謁するのでは……?」


「い、いいえ! 違います」


 低俗な期待に満ちた視線に、反射的にかぶりを振る。


 ダブラスが見抜いた通り、リルジェシカが王城へ来たのはセレシェーヌ王女へリルジェシカが作った靴を渡すためだ。


 でなければ、王城なんて華やかなところへ貧乏男爵の娘が来るはずがない。


 だが、これから王女へ会うのだと告げれば、ダブラスは同席させろと必ず要求してくるだろう。


 そもそも、リルジェシカがほとんど会ったこともないダブラスから婚約を申し込まれたのは、一年ほど前からリルジェシカがセレシェーヌ王女と親しくしているという噂が、どこからかダブラスとディプトン子爵の耳に入ったからだ。


 現女王の一人娘であるセレシェーヌ王女は、この国の未来の女王だ。


 子爵の家格では王配は望めぬため、せめて未来の女王との縁を強めておこうとリルジェシカに目をつけたのだというのは、貴族の事情にうといリルジェシカにだってわかっている。おっとりとした両親は、どこまでディプトン子爵やダブラスの思惑に気づいているのかはわからないが。


 とにかく、そんな権力欲にまみれた輩を大切なセレシェーヌ王女に会わせたりするなんて、断じて御免こうむる。いままでも何度となくセレシェーヌに会わせるよう求められてきたが、受け入れたことなど一度もない。


 だが、ダブラスはリルジェシカの返答に納得できなかったらしい。「はあっ?」といぶかしげに眉を寄せる。


「では、何のために王城へきたんだ? その抱えているものは、セレシェーヌ王女様へ献上する靴じゃないのか?」


「いえ、これは……」


 リルジェシカの思惑など、あっさり見抜かれている。

 どう言い繕おうかと必死に頭を巡らせていると。


「リルジェシカ嬢は、騎士団員に試作品の靴をお持ちくださったのですよ」


 耳に心地よく響く低い声が背後から飛んできた。


「フェリクス様!」


 振り返った先にいたのは王女付きの近衛騎士・フェリクスだった。引き締まった長身と春の陽射しを連想させる金の髪、そして凛々しく端整な顔立ちに、周りで立ち働いている侍女達がほぅ、と感嘆の吐息をこぼして見惚れている。


 セレシェーヌが迎えによこしてくれたのだろうか。ともあれ、窮地きゅうちに現れた助けの手を無駄にすまいと、リルジェシカは大きく頷いた。


「そうなのです! これは、騎士の方々用の靴でして……。私ごときがセレシェーヌ殿下にお会いするなんて、とんでもありません!」


 リルジェシカの隣に並び立った長身のフェリクスをちらりと見上げてから、ダブラスに向き直る。フェリクスもダブラスをセレシェーヌに会わせる気は欠片もないのだろう。


 リルジェシカの言葉に、ダブラスが嘲笑を唇に刻む。


「へぇ? 本職の職人でもないものに靴を依頼するとは、近衛騎士団もずいぶんと物好きじゃないか。セレシェーヌ殿下への献上品ではないのなら、この場で見てもかまないだろう? 近衛騎士団がいったいどんな変わった品を履く気なのか、見せてもらおじゃないか! これは面白い見物みものだぞ!」


「な……っ!」


 ダブラスの暴言に思わず絶句する。


「何の権利があって見せよとおっしゃるんです!? 確かに私は本職の職人ではありませんが、それでも依頼人より先に、他人に見せるのが信義に反するのは知っています! 何の権利があって、そんな要求をされるのですか!? そんな無体には応じられません!」


 きっ! とダブラスを睨みつけ、はっきりと告げると、たるんだ顔が怒りで赤く染まった。


「何の権利だとっ!? おれはお前の婚約者だぞっ!? 未来の嫁がよからぬことをしていれば、それを止めるのは当然のことだろう!?」


「よからぬことなんてしていませんっ! 靴作りのどこが悪いんですか!?」


「死んだ動物の革を扱うなど……っ! 下賤げせんわざと言わずしてなんだと言うんだっ!?」


 侮蔑を露わにした声音に、かっと頭に血がのぼる。


「靴作りは下賤の業などではありませんっ! 創世神話でもうたわれているではありませんか! 『神はたっと御足みあしで原初の泥を踏み固め、この地をした』と! その御足を包む靴が下賤のものであるはずがありませんっ! 訂正してくださいっ!」


 リルジェシカ自身を蔑むのはよい。確かに、靴作りを趣味にしている貴族令嬢なんて、他に知らない。


 けれど、リルジェシカだって、師事している平民のレブト親方だって、誇りを持って靴を作っているのだ。


 それをけなされるのは許せない。


 まさか、激しく反論されるとは思っていなかったのだろう。憤怒のあまり、ダブラスが、顔どころか首まで赤黒く染める。


けがらわしいものを穢らわしいと言って何が悪いっ!? 黙って聞いていればいい気になりやがって……っ! そもそも、セレシェーヌ殿下と親しいと聞いたからこそ、お前のような落ちこぼれと婚約を結んでやったんだぞっ! だというのに、セレシェーヌ殿下に目通りが叶うどころか、ディプトン子爵家にまで悪評が及ぶ始末……っ!」


 リルジェシカに指を突きつけ、ダブラスが断罪の言葉を吐き出す。


「父上に請われてしぶしぶ婚約してやったが、お前のような悪女を誰が嫁に迎えたりなどするものか! 今ここで婚約を破棄してくれる!」


「っ!?」


 瞬間、王城の広い玄関広間がしん、と静まり返る。


 隣に立つフェリクスはおろか、他の者までが息を吞んでリルジェシカを見つめる中。


「ほ、ほんとうですか……?」


 震える声で問うたリルジェシカに、ダブラスが嗜虐しぎゃくに唇を歪ませた。


「ああ、もちろんだ。今さら泣いて許しを請うても取り返しはつかんぞ。まあ、心を入れ替えて、泣いておれにこれまでの不始末を詫び、これからはおれをセレシェーヌ殿下に引き合わせて、売り込むと確約するなら――」


「いいえっ! そんなこと決してしませんっ! 婚約を破棄してくださってありがとうございますっ!」


 ダブラスにみなまで言わせず、言葉をかぶせる。


「これでもう自由ですね! 心おきなく親方の工房に入り浸れます! 嬉しいですっ!」


「………………は?」


 言われた内容が理解できなかったらしい。ダブラスが、ぽかんと呆けた声を上げる。


「こ、婚約破棄を受け入れる、と……?」


「はいっ、そうです! たった半年でしたが、お世話になりました。これでもう、私のすることにいちいち目くじらを立てる必要もなくなりますね! おめでとうございます!」


 いちおう礼儀として最後のあいさつくらいはしておくべきだろう。ぺこりと頭を下げると、魚のように口をぱくぱく開閉させていたダブラスが、我に返ったように怒声を上げた。


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