23湯目 憧れのロッシ
こうして、私と花音ちゃんの「二人旅」が始まったわけだが。
前回、私がフィオと行った「二人旅」とはまるで逆の現象が起こっていた。つまり、二人でタンデムして、密着して、楽しそうに回る「女子二人旅」とは、ほど遠い、「勝手に先に行く旅」だ。
むしろ、「これは二人で行く意味があるのか?」と思うくらい、花音ちゃんは速かった。
実際、勝沼インターチェンジから中央高速道路に乗り、大月ジャンクションから右折し、富士吉田線に入り、東名高速道路に入ってすぐの駒門PAに入った私は、出発から1時間が経っていた。
ここまでは、ナビ通りに順調だった。天気も晴れていたし、気温は真夏らしく暑かったが、筋力と脂肪が少ない私には、そこまで不快な暑さではないとすら思っていた。
ここで小休止をして、出発。
沼津インターチェンジからは、伊豆縦貫自動車道に入り、後は1車線の道をひたすらまっすぐ行くだけで、着いてしまう。
だが、それでも休憩を挟むと2時間はかかり、午前9時頃に私は、道の駅伊豆のへそに到着した。
ここは、ヤシの木が生えているいかにも「南国風」な場所で、広々とした駐車場には、多くの車と共に花音ちゃんのバイクも確かにあった。車と同じスペースに停めていたから、隣が空いていた。
私はその隣にバイクを停めて、ヘルメットを脱いで降りる。
道の駅の施設に入る手前にある、白いベンチ。そこに座って、ソフトクリームを食べながら、彼女は暑そうに、不機嫌な目を空に向けていたが、私に気づいても、挨拶もしなかった。
「お待たせ」
「遅いですよ、まったく」
相変わらず、先輩に対する礼儀がなってないと思うが、彼女は不機嫌そうな表情で続けるのだった。
「私は30分くらい前に着いてましたよ」
「速っ! 相変わらずだね。事故らないでね」
と、一応は先輩として、心配したつもりだったのだが、彼女自身の口からは相変わらず強気な発言が飛び出てきた。
「事故る? バカ言わないで下さい。ここはサーキットじゃありません。スピード出しすぎて、ハイサイドすることも、無闇にハングオンする必要もないですからね。余裕ですよ」
「ハイサイド? ハングオン?」
「瑠美先輩みたいに、趣味で遊んでるライダーにはわからない話でしたね」
さすがに、馬鹿にしてるのか、とすら思う発言だったが、彼女はその日、珍しく饒舌だった。ソフトクリームを食べ終わってから語り出した。
「私は子供の頃から、バイクに乗ってます。バイクの面白さも怖さも熟知してるつもりです。将来はレーサーになって、Moto GPに出て『女ロッシ』とか言われるかもしれません。今のうちにサインあげましょうか?」
その強気な発言と、自信はどこから来るのだろうか。彼女は不敵に微笑んでいた。
「でも、そのロッシだって、転倒して大怪我したことがあるでしょ。本当に気をつけてね」
私の記憶だと、バレンティーノ・ロッシは確か2010年頃に、レースの予選中に転倒し、右の脛骨を複雑骨折して、絶望的な怪我を負ったはずだ。その影響は大きく、ロッシは2009年までは、ロードレース世界選手権で、1位を連発していたが、この怪我があった2010年以降、引退まで二度と1位には輝いていない。
だが、彼女の見解は少しだけ違っていた。
「ああ。有名なロッシの事故ですね。バイクレーサーにとって、怪我はつきもので、それによって引退する選手が多いんです。何故かわかりますか?」
「ええと。怖くなるから?」
「もちろん、それもあります。一度でも転倒して大怪我を負った人間は、そのことを思い出してしまい、以前のようなスピードを出せなくなります。怪我の時のことがフラッシュバックしますからね。そして、怪我の後遺症によっても、スピードが出せなくなるんです」
「ロッシも?」
「ええ。彼は、右の脛骨を複雑骨折して、もう復帰は絶望的と言われてました。通常なら5、6か月はバイクにすら乗れないんですよ。その上、肩に元々痛みを抱えてました。けど、そこがロッシの凄いところで、驚異的な回復力によって、転倒からわずか40日程度でバイクに乗り始めました」
「すごいね。何で?」
「もちろん、最高の医療を受けたこともありますが、ロッシ自身が、怪我から早く回復して、バイクレースに復帰したい一心で、懸命にリハビリに励んだこともありますね」
「へえ」
「何でもそうですが、『好き』という気持ちは、大きな力になるんです。しかも、ロッシはその大怪我から復帰して、それから11年もレースを続けました。ロードレース世界選手権で、ランキング1位になることはありませんでしたが、2位に3回、3位に2回もなってます。ロッシが他のライダーと違って、すごいのは大怪我から復帰しても、走り続けたことですね。彼は心の底からバイクレースが好きだったんです」
意外だった。花音ちゃんは、ロッシのことを本当によく調べていて、別にこのことは携帯の記事を見たわけでもないのに、彼女の口から淀みなくすらすらと出てきていた。
それだけ、ロッシのことが好きなのだろう。
「さすがに詳しいね。でも、ロッシって言えば、ヤマハのイメージが強いけど」
正確には、私が知るロッシのイメージは、Moto GPに勝ちまくっていた、2000年代初頭の、ヤマハ YZR-M1に乗っていた頃のイメージが強かった。
そして、花音ちゃんにとっても、それは似たようなものだった。
「そうですね。ロッシだけでなく、ホルヘ・ロレンソも乗って、優勝してます。だから、私が今、一番欲しいバイクは、YZF-R1Mです」
「YZR-M1じゃなくて?」
「それは一般的には市販されてません。YZF-R1Mは、YZR-M1の設計思想を引き継ぎ、市販車として販売されたモデルなんです」
「そっか。じゃあ、将来的には乗るんだね?」
「まあ、乗りたいですけどね」
「けど?」
「1000ccの大型なので、18歳以上じゃないと免許取れないのと、値段が高いです」
「いくら?」
「安くて200万。状態がいいと中古でも300万はしますね」
「300万! それはもうスーパーカーだね」
「はい。でも、私もいつかロッシみたいにあれに乗って、バイクと対話がしたいんです」
「対話?」
花音ちゃんは、私の何気ない一言に反応し、彼女にしては、珍しく可愛らしい笑顔を浮かべて、こう呟いたのだった。
「ロッシは、レースの開始前に、バイクから2メートル離れて、しゃがみ込み、マシンの右ステップを踏むという『儀式』をしてたそうですが、インタビューで彼はそれを『バイクとの対話』って言ってるんです」
「へえ」
「バイクは、ある意味、生き物です。天候、マシン調整、路面温度、もちろんライダーの体調によっても変わります。そして、バイクとは『五感を使った究極のスポーツ』だと私は思うのです」
いつになく饒舌な、花音ちゃんは目を輝かせて、ロッシやバイクの魅力について語っていた。
そこには彼女の「バイクが大好き」という気持ちが溢れ、痛いほどに伝わってくる。
だが、私はこの長くなった休憩の最後に、彼女にこれだけは言いたかったので、先輩として一言だけ告げるのだった。
「花音ちゃんが、ロッシやバイクが好きなのはわかったけど、『女ロッシ』って呼ばれるには、その性格を直さないと無理だね。ロッシは、イタリア人らしく陽気で、ファンサービスも充実してた。不器用で、不愛想な花音ちゃんとは真逆だね」
さすがに、これには彼女は「ぐうの音も出ない」ほどに、口を噤んで、恥ずかしそうに俯いてしまったが、苦し紛れに、
「そ、それはレースとは関係ありません」
と、口答えしていたのが、私には面白く感じるのだった。
何だかそうやって向きになっている辺りも、私には可愛らしく見えていたが。
私と花音ちゃんの、奇妙な二人旅は続く。
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