4."あの素晴らしい愛をもう一度"
由木がお礼にと弥生を連れていったのは、最寄り駅近くの天ぷら料理の店だった。
「格好つけてイタリアンとかフレンチがいいとは思うんだけど、肩こるんだよね。ってことで同級生のよしみで許して」
「そもそも私たち、中学の頃はイタめしとかスパゲッティって言ってなかった?」
由木の言葉に、弥生は笑いながら返す。確かに特におしゃれな造りでもない天ぷら店は、婚活パーティで出会った相手と初めて行く店には相応しくないだろう。だけど一つ一つ持ってきてくれる揚げたての天ぷらは、由木の言うとおりとても美味しかった。
二人のグラスには烏龍茶が入っている。
ビール飲む? と弥生が聞くと、ごめん飲めないんだよねと由木が返して驚いた。飲めないイメージがなかった。
「よく言われる」
由木は口を横に広げて苦笑いをした。南さんは飲んでいいよと言われたが、実は弥生も得意ではない。
「私は付き合いで少し飲むことはできるけど、あんまり気分良くはならないの」
二人は顔を見合わせて笑い出した。
「さっきの南さん、めちゃめちゃかっこよかったわー」
ぜんまいの天ぷらを箸でつかんだ途端、由木がため息混じりに言うものだから、思わず取りこぼしそうになる。
「かっこいい?」
眉をひそめて見つめると、由木は真面目な顔をして大きくうなずいた。
「あのヤモリをだよ? なんの躊躇いもなく、パッてつかむし、水漏れは工具使ってぱぱぱーって直すし」
「えー! それが!?」
一生懸命、身振り手振りで先ほどの弥生を表現しながら話す由木に、弥生は首をひねって声をあげた。
謙遜しているわけではない。結局自分が結婚できない理由が、これだと思うのだ。
唯一、24歳の時に紹介で付き合った彼がいた。固い瓶の蓋も道具を使ってさっと開け、通販の本棚も難なく一人で組み立てる弥生に、彼はきみって強すぎるよねと言った。そしてなにも頼ろうとしない弥生に、一人で生きていけそうだねと言って去っていった。
美人ではないだけじゃない、自分には男性を寄せ付ける可愛さがないのだろう。だから男性経験も少なく、未婚なのだ。それは十分わかっている。だけど媚を売ったり、あざとく振る舞うことは自分にはできなかった。
「可愛げがないでしょ、私」
苦味のあるぜんまいを食べながら、弥生はぽつりと呟く。本当だ、ここの天ぷらはおいしい。山菜の苦味をおいしいと思う。
「それ言ったら」
ふきのとうに塩をつけながら、由木は言葉を区切った。
「オレは情けないでしょ。水道管は直せない、ヤモリも虫も怖いオレ」
弥生は動きを止めて、目線だけを動かして由木を見た。二人の目が合う。それと同時に二人は吹き出した。
「酒もだけどね、これもよく言われるの。野球できるのに、なんで虫が怖いの! って。関係ないじゃん、野球と」
それは女の子に言われてるんだな、と弥生はそっと目を細める。
「だーってピッチャー由木はすっごいカッコ良かったもん。だから女の子は虫に叫び声をあげる姿なんて、見たくなかったのよ。きっと」
「……じゃ、南さんはどう」
「どうって?」
急に話を振られて、弥生は問い返す。
「南さんはさっき、男のくせにーって思わなかった?」
「……」
中学の暗くなり始めたある日のグラウンド。
委員会の仕事を終えて弥生が一人で外に出ると、野球部の由木が誰もいないバッターボックスに向かって投球練習をしていた。いないキャッチャーをじっと見つめ、白いボールを投げる。みんなが帰ったあと、一人だけで自主練習をしているようだった。
由木は野球の才能はあるのだろうが、きっとそれは人一倍の努力の上に成り立っているのだろう。
ひたすら投げ続ける由木を、弥生はグラウンドの端から隠れるようにそっと見ていた。
「ぎゃああああ!!」
突然、振りかぶった由木が大きな声を上げて、しゃがみこんだ。頭を抱え込み、うなり声を出している。
頭痛!? 貧血!? 弥生は駆け寄ろうとしたが、由木の頭上にはためく二匹の白い蛾に気がついた。
ぽかんと見ていると、しゃがみこんだ由木がじりじりとその体制のまま動きだす。数歩分進んだところで、勢いよく身体を起こし、バッターボックスの方へ猛ダッシュした。
「……」
一連の動きを離れた場所で見ていた弥生の耳に、由木の呟きが聞こえてきた。
「うえ~こっえー!!」
思わず吹き出し、嬉しくなった弥生である。こんな由木くんの姿、みんな知らないんだろうな、と。
「水道もさ」
ぼんやりと中学時代の思い出にふけっていた弥生に、由木は話かける。
「本当は一ヶ月位前からポタポタ水漏れしてたんだ。でもさ、頼むのが怖くてさ」
「怖い?」
意味が分からず、弥生は首をかしげて聞き返す。
「ネットとか広告にメンテ会社が載ってるのは知ってるけど、それが詐欺とかだったら怖いなって」
「ああ、まあ~」
悪質なリフォーム業者や修理業者のニュースを思いだし、弥生は相づちを打つ。しかし『怖い』という表現に少し違和感を覚える。
それを由木は感じたのかが肘をつき、少し頬を膨らませて上目づかいで弥生を見た。
「離婚したあとさ、なんかやたら優しい人から沢山連絡来たの。友達とか仕事関係とか、その繋がりで『何か悩んでない? 大丈夫?』って」
「うん」
「そしたら神様が救ってくれるから集会に来てください、とか。この石を持てばきっと幸せになれるからとか」
「えっ、ホントに?」
弥生はグラスを持ったまま、顔をしかめて不快感をあらわにする。
「ホントだよ。すんごい優しい言葉かけてくれる女性がさ~。いやもう女性はいいんだって思うのに、ただ話を聞いてあげたいだけとか言われて。そんな風に言われたら、満更でもないじゃん。なのに暫くしたら弟が難病だとか言い出して、500万必要だって」
「払ったの!?」
「まさかまさか」
目を大きく見開いて身を乗り出した弥生に、由木は大きく首を横に振った。
「あーこの人もなのかーって一気に覚めたし。それ以来、あまり知らない人を信用するのが怖くなっちゃって」
「で、中学の同級生なら大丈夫だろう。不動産関係ならいい水道業者知ってるだろうと思って、婚活パーティで連絡先を交換したの?」
「まさか!」
弥生としては半分冗談で言ったのだが、由木は被せるように強く否定してきた。
「そんなわけないでしょ! 水道のために南さんと連絡交換って……!」
「冗談だってば」
予想外の由木の反応に、弥生は慌ててフォローする。少し微笑んで見せたのだが、由木は目に力を入れて眉間に皺を寄せ、空になった天ぷらのお皿をじっと見つめた。
さっきまで笑い合っていた二人の間に、微妙な空気が流れた。
「ごめ……」
「お礼を言いたかったんだ」
由木が、つと顔を上げた。そして、つまらない冗談を言ったことをもう一度謝ろうとした弥生に、まだ思い詰めた表情を見せて言った。
「お礼?」
心当たりのない弥生は、真剣な由木の顔を見て聞き返す。
「合唱コンの時の。あの……"あの素晴らしい愛をもう一度"事件の」
言われてすぐに思い至った。遠い、遠い、14歳の頃の記憶。
「知ってたの」
「当たり前じゃん。ずっと心残りだったんだよ」
婚活パーティで再会した時、不思議だったのだ。みんなの憧れだった由木が、あまり目立たなかった自分のことを覚えていたことに。
まさか、あんな小さなことを気にかけていたなんて。
「些細なことなのに」
「そんなわけないでしょ。本当はお礼を言いたかったんだけど、中学生のオレには恥ずかしくてできなかった。大体そこで吊し上げられて当然だったんだから」
"あの素晴らしい愛をもう一度"は、弥生のクラスが合唱コンクールで歌う曲だった。
恋人と別れてしまい、心が通じ合わなくなったことを嘆き悲しむ歌だ。
コンクールが近くなり、放課後みんなで練習をしていたときだった。クラスの女子の一人、ミキが突然泣き崩れたのは。
顔を両手で覆って泣き出すミキに、クラスの女子たちが駆け寄った。みんな彼女が泣いた理由を分かっていた。ミキは最近、付き合っていた由木と別れたのだった。
「由木、由木でしょう!?」
「あいつもう桜沢先輩と付き合い始めたもんね!」
「マジ最低!!」
駆け寄った女子たちは、隣のクラスの由木を次々と非難し始めた。
「ちょっとこんなにミキを泣かせるなんて、私許せない!!」
そう言って立ち上がった女子は、確か樋口だったか。彼女もまた由木が好きだという噂があった。
「私も腹立つ!」
「私も!!」
当のミキは顔を伏せて泣いているばかりで何も言っていないのに、周りの女子が盛り上がり始める。こうなるともう合唱の練習どころではない。男子は怯えているような、呆れているような様子で、女子の勢いに引いてしまった。かなわんとばかりに、もう誰も何も言わない。一方クラスの女子たちは、群集心理も手伝ってヒートアップしていった。熱くなり、十数人で泣きじゃくるミキを抱えるように、隣のクラスの由木に抗議しに行こうとした。その時だった。
「ちょっと、待ちなよ!!」
気がつけば、弥生の口から叫び声が出てきた。女子たちは歩みを止め、一斉に振り返る。普段あまり目立たない、そして恋愛にあまり興味のなさそうな弥生がそこにいた。女子はみな、不審そうに顔をしかめた。
「ミキちゃんは別に何も言ってないじゃない! それなのに周りが抗議するっておかしくない?」
女子たちの鋭い視線が痛かったが、ここで辞めたら負けてしまいそうで、弥生はみんなの反応を待たずに一気にまくし立てた。
「由木くんとミキちゃん二人のことじゃない! なのにみんなで寄ってたかったら、ミキちゃんがつらいよ!!」
「え?」
弥生の言葉に、ミキを取り囲んでいた一人が驚いて聞き返した。そしてミキの顔をのぞき込む。
ミキは顔を覆ったまま、激しく首を横に振った。
「ミキ……」
また一人、女子が一歩後ろに下がりミキの顔をのぞき込んだ。
「いいの……由木くんは悪くないから……私が勝手に悲しくなって泣いただけなの。だから由木くんを責めたりしないで……」
しゃくり上げながら言うミキに、最初に憤りを見せた樋口も瞳を震わせ動揺した。
「ミキ……」
ミキの声に、勢いづいていた女子たちは一気に戦意を喪失したように呆然となった。
「ミキちゃんは可愛かったんだけど、色々細かく聞きたがってすーぐ嫉妬してさ。鬱陶しいなあって思ってる時に、美人の先輩に告白されてフラフラしちゃったんで、本当は吊し上げられて当然ではあったんだけど」
「えっ、なにそれ」
由木の22年目の告白に、弥生は絶句する。
「この子可愛いな美人だなーって感じで付き合い始めるから、ちょっといやだなって思うと、もう他の『好き』って言ってくれる子がよくなっちゃってたんだよね」
「はあああああ?」
がくんと身体中の力が抜けたかのように椅子にもたれ、弥生は天井を仰いだ。目立たない自分が、華やかな女子集団に意見を言った。自分としては、かなり勇気が必要だった出来事なのだ。それなのにまさか、そんな裏事情があったとは。
「中学生で、まだ人を好きになることがよく分かってなかったんだよ」
そう言われると、弥生だってよく分かってなかったかもしれない。それでもあの頃人を好きになる気持ちは、それなりに真剣だったのだ。
ついでにそのミキは、二十歳で結婚してすぐに子どもが生まれたと同級生から聞いた。由木に話すと、知ってる、実家に写真付きの葉書が届いたと言われ、また二人顔を見合わせて笑った。
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