二
ガラルヘルムのボルゼクール離宮を拠点とし、ヴォルはアリシアの探索を行っていた。
ロッシュ教の聖地だけあり、道に立てば視界に必ず教会が飛びこんでくる。古様式、レイ様式、ガニューク様式、折衷式など、時代の入り混じったさまざまな様式がガラルヘルムの街並みから顔を覗かせている。
ヴォルは自室の窓から、赤茶けた町の屋根の波を眺めていた。
ガラルヘルムのどこかにアリシアがいるという直感的な思いに影が差し始めていることを自覚している自分に、苛立ちを隠せない。
単純に、教会もしくは教会関係に隠されているとは考えにくい。
むしろ、一見ガラルヘルムとは無関係な方面を探すべきだ。
ガラルヘルムと癒着の深い、大富豪ラクタンティウス家周辺も調べあげたが、当然アリシアを発見できなかった。発見できたのはローデンバッフの秘宝の一部だけだった。
(ラクタンティウス家ではない)
真っ先に踏み込まれるであろう場所に、アリシアを隠すはずがない。判っていたはずなのに、暗い予想が当たってしまうと胸に重たいしこりが生まれる。
ヴォルは別方向に照準を合わせた。
―――ここ最近ガラルヘルムによって破門された者、かつ、いまだ家屋敷を没収されてはいない者。
ノストーア四世が、アリシアを
調査では該当者は軽く20名を超えていた。ただごとではない数字に憤りを覚えたが、いまはとにかくアリシアの行方が先だ。
王都から呼び集めた大量の兵士たちは、常ならざるヴォルの気迫を恐れてか、忠実に任務を果たしている。オーヴルを取り逃がした一件が効いているのだろう。
とはいえ、彼らから返される報告は望まないものばかりだった。
ガラルヘルムに来て2週間が過ぎていた。捜索の範囲を周囲の町やガラルヘルムと関係の深い町、それらを繋ぐ街道などに広げてはいるが、時既に遅しという感は拭えない。
もう、アリシアはオーヴルの手によって遠く連れ去られているのでは。
胸に巣食った小さな不安は、日を追うごと、確かな思いとなってヴォルを苦しめていた。
「殿下! ヴォル殿下!」
机に広げられたガラルヘルムの地図を悄然と眺めやっていたヴォルは、部屋に飛び込んできたラデューシュにはっと身体を硬くさせた。
ラデューシュは慌ただしく身を乗り出す。
「見つけました、ウィストーノ・トゥークという男です!」
「デルム街33番地。ひと月ほど前まで運送業を営んでいましたが、神を冒瀆したとされ破門を宣告されています」
足早に廊下を突き進むヴォルを小走りに追いかけ、ラデューシュは説明する。
「本人の言によれば、法王庁への寄付を拒んでいただけだと。多額の上納金を強要される上、寄付まで納めることに強い疑問を抱いていたそうです」
「ふん」
ヴォルの声は硬い。
「そこまでしながら、破門を恐れるとはね。半端なことをしてくれるものだ」
「破門を恐れないのは、殿下くらいですよ」
「おれほど敬虔な信者を、誰が破門できるというんだ」
「……でしょうね」
「その、ウィストーノ・トゥーク氏は、押さえてあるんだろうな」
「はい。ツィルズが張っています。なんでも10日ほど前に激しく騒ぐ声がしたり、北方の医者らしい男が出入りしていたりと、近隣の者が不安がっているそうで」
ヴォルの脳裏を、リュノージュ大聖堂謁見の間でちらりと見た男の姿がよぎった。
医者、というのが気になった。アリシアは無事なのだろうか。
「アリシアさまを襲った賊も割れまして」
そう言うと、ヴォルは首が振り切れるほどの勢いでラデューシュを見た。
「どれだった!?」
「オトゥラーバ家です」
「あいつらか!」
ヴォルは忌々しげに廊下を蹴りつけた。ラデューシュが口にしたのは、法王庁と胡散臭い噂のある裏組織の名前だった。最近蔓延しだした麻薬を売りさばいているのがオトゥラーバ一家であることが浮かび上がっている。
「既にスィーユとグリュージュをまわしてあります」
スィーユとグリュージュの両名は、近衛警備隊直属特殊警察隊を率いている。
「こちらには?」
「エラヴァとクラルヴィが」
彼らも特殊警察隊を従えているが、スィーユとグリュージュよりも階級はひとつ上にあたる。ヴォルが特殊警察隊を創設した当時からいる者たちだ。
「上出来だ。ラクタンティウス家のほうは誰をやっている?」
「あ、いえ、そちらのほうはまだ」
「スィーユの部隊をまわせ。ローデンバッフの秘宝の回収も必要だ」
「はッ」
厩舎では既に馬の用意が整っていた。ヴォルはすっかり疲れのとれた愛馬にまたがると、鞭をうならせ疾風のように飛び出していった。
アリシアは目を疑った。
「どうして、ここに……?」
「もう一度、機会を与えようと思ってね」
「機会?」
ロチェスター公爵は微笑み頷く。すいとクラウスの消えたほうに視線を流し、
「もとはといえば、あなたには罪はない。この時代でもよく頑張っているし、褒美があってもいいでしょう」
「どういう、ことよ」
「このまま、クラウスを追うことができますが?」
「え?」
「クラウスはああは言ったが、本心はやはり、あなたを求めている。あなたも、クラウスを求めている」
アリシアは首を横に振った。
「これでいいの。わたしは、クラウスと一緒には行かない」
「後悔しますよ、愛する者を棄てたことを」
「後悔なんかしない」
「たいした自信だ」
睨みあげると、ロチェスター公爵はどこか嬉しそうに笑った。その笑みが
「これが最後のチャンスです。あなたの肉体はいま、死の淵にある。魂を解き放ちわたしの
アリシアは目を閉じ、呼吸を整えた。
クラウスの言葉を思い、ヴォルの言葉を思い返した。
そしてゆっくりと、万感をこめた言葉を紡ぎだす。
「わたしは、生きてゆくの。ヴォルと一緒に」
ロチェスター公爵の瞳の奥が、きらりと鋭い光を載せる。
「ヴォルを選んだ。その言葉に偽りはありませんね?」
「ないわ」
ロチェスター公爵はなにも言わなかった。ただ静かに、春の透ける光を浴び、アリシアを見下ろしている。
「愚かな娘だ」
それは、冷たい宣告だった。
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