第20話 最終話~今度はただ遊びにおいで

 野次馬達が家路につき、ある程度の戦後処理が落ち着いた頃、ラムセスが兵士達を連れてやってきた。


「んじゃま、俺は帰るわ。遺体が腐る前に運んでやらにゃいかんでな」


 そう言うと、リラにもう一度聖なる池からぺル・ラムセスまでの道を開くよう頼む。

 リラは「わかった」と頷き、神殿内で作業をしている神官達を呼びに行った。

 何人かの兵士が背中に仲間の遺体を負ぶっているのを見て、カエムワセトは申し訳なさそうに俯いた。


「全員無事で帰す気でいたんだとしたら、とんだ甘ちゃんだぞ」


 ラムセスは死傷者を出して落ち込んでいる息子の頭を、拳でゴツンと叩く。


「死人の出ねえ戦争なんざ、お伽話にも存在せん。連れて帰ってやれるだけ、マシってもんだ」


 ホラ、と掌を出す。

 その行動の意味するところが分らなかったカエムワセトは、しばし父の掌を見つめた。他国との戦争を繰り返してきた父のその分厚い掌には、剣のタコがある。

 いつまでもぼんやりとしている息子に、ラムセスは「なにやってんだ」と苦笑った。


「剣だよ。返す約束だろうが」


 そう言われてやっと、カエムワセトは帯から剣を抜き取り、本来の持ち主に返した。


「ありがとうございました」


 自分の命を助けてくれた剣とラムセスに、深々と礼をする。

 ラムセスは満足げに口角を上げると、「ぺル・ラムセスで待ってるぞ」と言い残し、兵士を引き連れ去って行った。


「殿下」


 後ろから呼び声が聞こえ、カエムワセトは振り向く。

 そこには、ハワラと母親が寄り添って立っていた。

 母親は泣き腫らした目を指で押さえながら、息子の助けとなったエジプトの王子に何度も頭を下げた。

 母親にやっと頭を上げさせたカエムワセトに、ハワラが別れを告げる。


「そろそろ行くよ。お迎えが来たみたい」


 そう言って、ハワラは門に顔を向けた。そこにはアヌビス神の使いであるジャッカルが一頭、明らかに誰かを待っているように座っていた。


「行くというのは、どこへ?」


 カエムワセトの問いに、ハワラは、自分はミイラ造りの工房で目覚めてやってきたのだと説明した。だから、工房の処置台の上に身体を戻すのだ、と。

 それを聞いた母親が、再び嗚咽を漏らす。

 心細いだろうし付いて行こうか、との申し出に、ハワラは「一人でいいよ」と笑った。


「死体に戻る所なんて、見られたくないもん」


 カエムワセトは「そうだな」と悲しげに微笑み返した。


「別れが辛くなるから、皆にももう会わないよ。よろしく伝えてね」


 そう言うと、ハワラはくるりと背中を向けて、ジャッカルの元へ歩いて行く。

 カエムワセトは隣で嘆き崩れる母親の背中に手を添えながら、「ハワラ!」と、全ての重荷を下ろした少年の背中に声をかけた。


「君の葬儀、約束通り私がやらせてもらう」


 振り返ったハワラは満面の笑みで、「じゃあ、きっと僕、イアル野に行けるね!」と応えた。

 夜はすっかり明けており、ハワラは朝陽が降り注ぐ下、ジャッカルと共に神殿を後にした。



―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


 その日の夕刻、神殿では、イエンウィアと神官の遺体をミイラ造りの工房に運ぶ為の準備を終えようとしていた。

 二人の遺体は身体も衣服も綺麗に整えられ、その表情は眠っているのと大差ない。

 二人に花を手向けたジェトとカカルは、べそべそと泣きながらアーデスに肩を抱かれていた。フイに遺言を伝え終えたライラは、リラと階段に座り、ぼんやりと別れの様子を眺めている。

 他の神官達も次々に二人に花を手向けていく中、少し離れた場所からその様子を見守っていたカエムワセトの隣に、フイが立った。


「あやつめ、昨晩ワシの枕元に現れよったわ」


 花に囲まれてゆく部下達を憮然とした表情で見ながら、フイは魂となったイエンウィアの来訪を告げる。

 カエムワセトがその横顔を見ると、骨ばった頬の下にある大きな口が、不自然なほど歪んで震えていた。


「何を言うかと思えば、『葬儀は質素にしてくれ』とのたまいよった。道端で転がっとった幼いあやつを、拾って育て上げたのはワシじゃぞ!しゃらくさい!ド派手な葬式あげてくれるわ!」


 唾を飛ばしながら口にした言葉の最後で、堪え切れなくなった涙を流す。その白濁した瞳から流れ出た大粒の涙は、拭かれぬまま彼の服の裾や床を濡らした。

 家族を全て失い、妻も持たなかったフイにとって、イエンウィアは血の繋がりはなくとも息子同然であり、また、信頼できる部下でもあった。それを失ったフイの身体は、一回り小さく見える。

 カエムワセトは床に視線を落とした。


「彼は大きな存在でした。亡くしたとは、私も正直まだ思いたくはありません」


 途端、フイが「情けない事を申すな!」とカエムワセトを叱りつけた。


「あやつはイアル野でお前との再会を楽しみにしているとも言っておったぞ。成すべき事を成した暁には胸を張って会えるよう、現実を受け止めしっかり生きよ!」


 両手で杖をしっかりと握りしめ胸を張って、最高司祭は弱気な部下を叱責する。その目には、もう涙はなかった。腹の底から出ているような叱り声も、いつも通りである。

 だが、漏れた思考が独り言となって出て来る現象は、まだみられない。


「彼はまだ何か?」


 気遣うような笑顔で訊ねてきた部下に、フイは「ふん」と鼻を鳴らした。


「もう無理はするなと」


 元来皺だらけの眉間の皺を更に深くして、フイは言った。


「あやつがおらんくなった故、お前に最高司祭の座を明け渡すまでワシはまだ暫く頑張らにゃならん。断食も思考を湧かせるのも止めじゃ。普通の司祭として大人しく過ごすわ。無茶はもうすまいよ」


 フイの言葉に、カエムワセトは目を瞬いた。なんだが、物凄い計画を暴露された気がする。だがそこは、今は追求しないことに決め、「それは、御苦労おかけいたします」とだけ返しておいた。それよりも、フイが思考の漏れ具合を制御できた事が驚きであった。おそらく、有能な補佐役あってこそ許されていた奇行だったのだろう。


「まったく、ワシは面白い時代に生を受けたものよの・・・」


 フイが、穏やかな表情でぽつりと言った。


「今この国には、歴代のファラオに並ぶほどの器を持つ者が大勢おる。しかし、それをはるかに凌駕する器の持ち主が頂点に君臨しておる。奴の治世は長くなろうて。お主は生まれる時代を間違えた一人だな」


「・・・さて。私はファラオの椅子には興味がありませんので」


 普通の司祭として余生をおくると宣言したばかりで、下の根も乾かぬうちに預言めいた事を口にしたフイに、カエムワセトは苦笑った。しかも、この老人の中でラムセスと自分は随分と高く評価されているようだ。

 どちらにしても、カエムワセトには軍を指揮し、民を束ねるよりも、遺跡の修復や粛々と進める神事の方が性に合っていた。

 フイは野心の欠片もない王子を、その白い瞳でじろりと睨む。


「ファラオの椅子に座らずとも、お前には最高司祭の他にも多くの任が課せられるはずじゃ。精進せよ」


 ラムセスの在位期間も己に課せられる任も、未来の事など分らない。だが、フイが言うのであれば、そうなのかもしれない。

 カエムワセトは一つ大きく深呼吸すると、別れの時が近づいてきた仲間とイアル野で再会する時を思い浮かべた。いつになるかは知れないが、フイの言うように、それまでは現実を受け入れ、成すべき事を成すのみである。


「肝に銘じます」


 そう答えたカエムワセトの顔は、どこか晴れやかだった。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


 ハワラの葬儀もイエンウィアの葬儀もまだ何週間も先なので、カエムワセト達は一旦ぺル・ラムセスへ戻る事にした。

 ワニが大量に発生していたぺル・ラムセスまでの水路は、元の穏やかなナイル川に戻っており、帰路は船を使う事が出来た。

 馬と一緒に中型の木造船に乗ったカエムワセト一行は、川面を滑る風に吹かれながら、のんびりとナイル川を下る。


「――で、なんであんた達がいるわけ?」


 ライラは馬の傍ではしゃいでいる少年と、その少年に掴まれている腕を解いて何とか馬から離れようとしている少年に、不満そうな顔を向けた。

 ジェトがようやくカカルの手から逃れ、船の端に逃げながら、ライラに言う。


「王子が一緒に来ていいって言ってくださったんだよ」


 約束通りカエムワセトは二人を無罪放免にし、自由を与えた。しかし二人は、カエムワセトに仕えたいと申し出たのである。今回の働きもあって、二人はとりあえず従者として迎えられる事になった。


「いよいよ親衛隊結成か。頑張れよ、隊長」


 アーデスはにやりと意地悪な笑みを浮かべると、ライラの肩を叩いた。

 さっそく二人の配属先が決まりそうだ。

 しかしライラは目を剥くと、断固拒否で二人の配属先に異議を申し立てる。


「はあっ?こいつらとなんて冗談でしょ。盗賊じゃないの!」


「“元“をつけろよ、”元“を」


 ライラに指をさされたジェトが主張した。頭に一文字付けるのと付けないのでは意味が大きく異なる。

 確かに、二人が盗賊団を抜けたとは聞いてはいるが――


「どうだか。手癖の悪さは直んないんじゃないの?」


 これは完全に言いがかりだった。


「なんだと!?」


 ジェトがドン、と船のヘリを叩いて失礼な女兵士を睨みつける。

 カカルがジェトの後ろでおろおろした。


「兄貴ぃ、仲間内でケンカはやめましょーよ」

「誰が仲間よ、ヒヨコマメ!」

「おいらそんなに小さくないっすー!」

「お前は間違いなくチビだろ」


 三人の賑やかな声を聞きながら、カエムワセトは船の先端に移動した。間もなく増水期(アケト)を迎えるエジプトは、ナイル川の水勢が増し、船の滑りも早い。カエムワセトは風で飛ばされる前に、頭巾を取った。


「ワセト。どうかした?お腹でも痛い?」


 集団から一人離れた場所に移動したカエムワセトを気遣い、リラが傍にやって来た。

 カエムワセトは「いや。大丈夫だよ」と微笑んでから

 ただ・・・、と言い淀む。


「兄上ももしかしたら、ハワラのように生き返ることを望んでいらっしゃったのかもしれない。トトの書を封印したのは、私の間違いだったのかもしれないと、そんな事をふと考えてしまって」


 カエムワセトの言葉を聞いたリラの眉に、ふと影が落ちる。


「トトの書、また使いたいの?」


 その問いに、カエムワセトは首を横に振った。


「いや。あれは人の手の届かないところに置いておくのが一番いいんだよ」


 念のためカエムワセトは、プタハ神殿のホルス神像が置かれていた場所を探した。しかし、トトの書はどこにもなかった。おそらく、ネフェルカプタハの元に帰ったのだろう。

 しばらく二人は何も言わず、風に吹かれていた。


「・・・プレフィルウォンメフ殿下は、ちゃんとイアル野にいるよ」


 風に目を細めながら、リラがぽつりと言う。


「歴代のファラオと一緒にこの国を見守ってくれてる。あんたを助けたことも、後悔してないんだって」


「兄上に会ったのか?」


 思わすカエムワセトが身を乗り出す。

 リラはカエムワセトに顔を向けると、「ううん」と首を横に振った。


「アヌビスの使いのジャッカルが教えてくれたんだ」


 風に吹かれて、くすんだ金色の髪がリラの口元にかかる。リラはその髪を指でそっと耳にかけると、口元に優しい笑みを浮かべた。


「だから、あんたも後悔しなくていいんだよ。ワセト」


 その瞬間、後方から「わあ」と歓声が上がる。

 振り向くと、トキの群れが頭上を飛んでゆくのが見えた。頭部と尾が黒く、胴体が真っ白なこの鳥は、トト神の化身でもある。


「わー。トキがいっぱいだー」


「遅ればせながら、来たな」


 カカルが頭上に両手を伸ばし、アーデスも手を額にあててトキが飛んでいく様子を眩しげに見上げた。


「ああ・・・よかった」


 カエムワセトも皆の元に戻り、同じように空を見上げる。

 視線を下げたライラが、同乗していた魔術師の姿が無い事に気付き、辺りを見回した。


「あれ?リラは?」


「いませんねー。おかしいなー?」


 ジェトとカカルも船体を探し回るが、どこにもいない。


「大変!川に落ちちゃったのかしら」


 船の上に居ないとなると、残るは川の中である。青ざめたライラが、慌てて船のヘリから身を乗り出して川面を確かめた。

 アーデスがそんな同僚を呆れ顔で見やる。


「なわけねえだろ。お前もいい加減慣れろよ」


 カエムワセトの危機を告げにやってきたリラである。その心配も無くなり、自分はもうお役御免とでも思ったのだろう。


「どうせまたひょっこり現れるさ。な?」


 同意を求めてきたアーデスに、カエムワセトは「ああ」と頷く。そして、どこにでもなく、言った。


「今度は私を救いにではなく、ただ遊びにおいで」


 この言葉はきっと、風に乗ってリラの元へ届くだろうと信じていた。

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