第17話 最後の呪文と混沌の風

 前庭の破裂音と神殿内に響く魔物の絶叫を何度も聞きながら、ジェトとカカルは混戦状態の前庭を潜るように走り抜け、聖なる池がある西側に回った。


「アニキ!あったっす!」


 カカルが聖なる池のほど近くを指差す。

 そこには、外壁と茂みの間に隠れるようにして、青い炎が浮かんでいた。


「布でも石でもなんでもいい!とにかく塞ぐぞ!」


 二人は手近な石や枝などを集め、外壁に開いている拳二つ分ほどの穴にそれらを詰めていく。目に付く石や枝はあらかた使ったが、まだ隙間があった。


「カカル!」


 ジェトは弟分に呼びかけた。


「脱げ!」


 真剣な顔で服を脱いで穴に突っ込めと命令してきた兄貴分に、カカルは「えええ!!」と悲鳴を上げる。


「嫌っすよ!おいらすっぽんぽんになっちゃうっす!」


 ぶんぶんと首を横に振りながら、カカルは全力で拒否した。


「イエンウィアも服突っ込んでたろうが!ガキのお前が恥ずかしがってどうすんだよ!」

「あれはショールっス!ちゃんと服着てたもん!アニキだってまだ子供じゃないすか!アニキが脱いで下さいよ!」

「お前がやれよ!」

「アニキがやってよ!」


 お前がお前が、と二人は暫く押しつけ合っていたが、やがて閃いたカカルがぱっと顔を輝かせた。


「そうだ、草詰めるっす!」


 カカルは腰の剣を抜いて、辺りを見渡しながら、比較的丈の長い草を選んで刈りとっていく。


「アニキ。これでいいでしょ」


 刈り取った草の束をかかげて、ジェトに振りかえって見せる。

 その時、カカルのすぐ後ろのヤシの木の影から、人型の蛇が現れた。

 人型の蛇は長い舌を出して周囲の様子を探っていたが、人間の子供の熱を感知すると、蛇にはあり得ない表情で、にやりと口元を歪めた。


「アニキ・・・蛇が笑ったっス」


 カタカタと震えながら、カカルが涙目でジェトに言う。


「言ってる場合か!逃げろ!」


 ジェトが剣を抜いて叫んだ。カカルは『逃げろ』という言葉で弾かれたように伸びあがり、ジェトに向かって走りだした。

 人型の蛇がカカルを追いかける。

 化け物を連れて走って来たカカルに、ジェトは「げぇっ!」と身体をのけ反らせた。


「なんでこっちに来るんだよ!」

「だってアニキが逃げろってー!」


 しばらく池の前で蛇の化け物と少年二人の追いかけっこが繰り広げられる。しかしそれは、神殿の壁際に少年達が追いつめられる形で終了した。


「おいら美味しくないっすよ~!」


 ありがちな台詞を言ってカカルが頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 両手と頭にある三つの蛇の頭部が、同じような顔で再びにやりと笑う。

 次の瞬間、弓矢が蛇の頭を撃ち抜いた。続けて、両手の比較的小さな頭部にも矢が刺さる。

 蛇の化け物は気味の悪い笑顔を凍りつかせ、横にぐらりと身体を揺らすと、ばたりと倒れて動かなくなった。

 倒れた蛇の後ろには、矢を放ったばかりのライラがいた。


「あああ~っ!ライラさん~!」


 絶体絶命のところで助けられ、感極まったカカルが、泣きながらライラの腰に飛びついた。

 感動的な再会だが、ゆっくり抱き合っている暇は無い。


「ほら、早く行って!」


 ライラは涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたカカルを引っ剥がすと給水口の方へ押しやり、自分は次の蛇の来襲に備えて新しい矢をつがえた。


「蛇は私に任せて、あんたらは侵入口を塞ぎなさい!」


 背中越しに言ったライラに、ジェトが「ライラ、イエンウィアは?」と問いかける。

 ライラはジェトに一瞥をくれると、すぐに警戒態勢に戻った。

 弓を構えながら、


「彼は見届けると言っていたわ。余計な事は考えるな」


 低い声で答えると、それ以上は言及しなかった。

 それでも、怒りと哀しみを孕んだ声から、ジェトは仲間の死を悟った。

 ジェトは「ちくしょう!」と吐き捨て奥歯を噛むと、自分の腰に巻いてあった布を外し、それを給水路の残りの穴に力任せに押し詰めた。

 やがてわずかな隙間から出ていた水の流れが止まり、その場所が完全に塞がれた事を示した。

 ジェトが止水に使った腰帯は、育ての親の形見だった。


 変異した蛇を倒しながら三つの給水口を塞ぎ終えたジェトとカカルとライラの三名は、再び神殿内に戻り、大蛇の魔物の捜索に乗り出した。


 神殿内は既に変異した蛇で溢れて帰っていた。

 いたる所で、神官や援軍の兵達がてんやわんやで蛇と闘っている。


「あいつ、消耗戦を狙い始めたわね」


 ライラが忌々しげに呟いた。


 カエムワセトの攻撃に耐えながら、ひたすら影に身をひそめて機会を待ち、その間、次々と蛇を投入することでカエムワセト達を疲弊させるつもりのようだと、ライラはジェトとカカルに説明する。


 蛇の魔物はカエムワセトに何度影からはじき出されても、素早い動きですぐにまた影に身を潜めてしまう。しかも今は全員が変異した蛇の処理に追われて、魔物の捜索どころではなくなっていた。

 

 そしてとうとうライラ達も、神殿内の壁際で巨大化した蛇数匹に囲まれてしまう。悲しい事に、ライラの矢筒はもう空だった。


「だめだ。水路を塞いだのはいいが、入っちまった数が多すぎる」


 壁に背をつけたジェトが、泣きごとを言った。


「ちょっと、ジェト。あんたの名前『コブラ王』でしょ。こいつら巣穴に帰るように説得しなさいよ」


 カカルを挟んで反対側にいるライラが、蛇に睨みを利かせながらジェトに言った。

 ジェト、とはエジプト第一王朝4代目のファラオの名である。その名の意味は『聖なるコブラ』だ。


「冗談言ってる場合か。できるわけねえだろ」


 皮肉にも育ての親から蛇の王者の名をもらっていたジェトは、仲間のジョークに全く笑う気になれず冷たく返した。

 ライラは柳眉を逆立てる。


「こんな時に冗談言うわけないでしょ!できないんだったら蛇遣いに習っときなさいよ!ご大層な名前名乗ってるくせに役に立たないわね!」


 理不尽な罵倒でめった打ちにしてくるライラに、ジェトは泣きたくなった。

 だがそこでしょぼくれるほど、ジェトは可愛い性格をしていなかった。

 負けじと睨み返し、ライラの無茶苦茶な言い分を跳ね返す。


「俺の名前についてご不満があるなら、お頭に言ってくださいな!」


「独立した身でお頭に責任転換するんじゃないわよヘッポコ盗賊!」


「黙れヒス女!」


 負けず嫌いの二人の間で暫く悪態の応酬が続き、その間、蛇への注意は途切れていた。


「あにき・・・」


 カカルが震える手でジェトの袖口を引く。


「その悪口、前も聞いたわよ!あんた語彙が少ないんじゃないの!?」


「あ、あにき・・・!」

「なんだよ!」


 ジェトがようやく弟分の呼びかけに気付いた時、三人の前には巨大化した蛇の山ができていた。

 人一人分の大きな蛇が集まっているそれは、お互い長い身体を絡み合わせながら、まるでピラミッドのように天井近くまで上へ上へと重なっている。

 そして、それらの目は全て、壁際にひっついている三人の人間に向けられていた。

 三人は蛇のピラミッドを前に、しばし言葉を失う。


「・・・・なんじゃこりゃ」


 ジェトが愕然とした表情で呟いた直後、最上部の蛇がぐらりと揺れた。それを機に、山となっていた蛇は上の方から崩れるように、次々に三人の頭上に落ちて来る。

 三人は絶叫しながら、左右に散り散りになって逃げた。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


 あいもかわらず、神殿の外壁周りは蛇の大群に囲まれていた。援軍がどれほど駆除しても、ありとあらゆる種類の蛇が湧きでるように押し寄せて来る。

 その数は、メンフィス中の蛇どころの騒ぎではなかった。


「数が多すぎる。あまりよくないね」


 数を増す一方の蛇の大群を見たリラが、表情を険しくする。

 追っている魔物がアペピでない事は確かだが、アペピはエジプトの蛇を統べる存在である。これほど大量の蛇を動かしたとなれば、本物に気付かれない保証はない。

 しかも、援軍は蛇に圧されて、徐々に後退している。


「ああ。早くカタをつけないと」


 アペピに気付かれるリスクを冒してまで蛇を投入してくるということは、相手もそれほどに追い詰められているということだった。だが、もしこの事態に気付いたアペピがこの戦場に加わると、三つ巴の戦いとなり、それはそれで非常に厄介である。

 アペピが戦場に出張って来る前に、闘いを終結させなければならない。カエムワセトは考えを巡らせ、一つの案に辿り着く。


「リラ。私に代わって、ファラオの援護を頼めるか?」


「わかった」


 リラに援護役を任せて下に続く階段に走ろうとしたカエムワセトに、ハワラが「どこ行くの?」と呼びとめた。


「至聖所だ。奥の手を使う」


 答えたカエムワセトに、ハワラは拳を握って「僕も行く!」と、同行を願い出る。しかし、カエムワセトはそれを受け入れなかった。


「ハワラはここに居たほうがいい」


 言い残し、階段を下りかけたが、巨大化した蛇が階段を這って来るのを見て足を止めた。

 剣を抜こうとしたカエムワセトに、リラが声高に言う。


「蛇は任せて。飛び降りるんだよ!」


 カエムワセトはリラに振り返り頷くと、階段の途中から飛び降りた。

 着地したカエムワセトは、すぐに神殿内部への入り口を目指して走る。しかし、頭上から「ハワラ!危ないよ」というリラの声が聞こえ、立ち止まり屋上を見上げた。


 ハワラはカエムワセトを追いかけようとしたが、蛇に邪魔されて階段を下りられなかった。故に、自分も同じように飛び降りようと手すりから身を乗り出していたのである。

 まだ12歳の小柄な少年に、屋根が高い神殿の2階は飛び降りるには高すぎる。


「守られてるだけなんて嫌だ!僕も役に立ちたいよ!」


 手すりにしがみつく格好で、ハワラがカエムワセトに訴えた。


 カエムワセトは少し迷った後、ハワラを呼んだ。両腕を広げ、「来い!」と叫ぶ。


「――うん!」


 大きく頷いたハワラは、迷わず手すりから飛び降りた。

 カエムワセトは落ちてきたハワラの身体をしっかりと抱きとめると、下におろした。


「中は蛇だらけだぞ」


「分ってる。ちゃんと王子を守るよ」


 幼さが残る顔を精一杯引き締めて一人前の口をきいたハワラに、カエムワセトは思わず微笑んだ。

 

 カエムワセトとハワラは神殿内部に行き、屋上にはリラ一人が残された。リラは、階段を這いあがって来た蛇と対峙する。

 下で散々人間に追いまわされて興奮状態に陥っている蛇は、鼻からシューシューという音を立ててリラを威嚇した。

 リラは無表情に蛇と向き合うと、唇を小さく動かす。


「大地を守りし者達よ。何ゆえ我に毒牙を向けるか。去らねばその身を焼き尽くすぞ」


 小さく紡いだ警告の呪文むなしく、蛇はリラに飛びかかった。

 次の瞬間、蛇の身体が炎に呑まれた。炎に包まれた蛇の身体はリラに達する前にぼとりと落ち、あっという間に燃え尽きた。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・

 神殿内部から屋上へと続く階段には、数人の弓兵と、ライラとジェト、カカルがいた。

 屋上に行くつもりはなかったが、蛇を避けながら魔物を探しているうちに、こんな場所に追い詰められてしまったのである。

 ライラは階段を登りながら、弓兵から分けてもらった矢を放ち、次々と蛇を階段から落としてゆく。


「全部一発で仕留めてるっす」


「すげえ」


 他の弓兵が何本か打ち損じる中、ライラは一本たりとも矢を無駄にしなかった。その上、確実に頭部に命中させ、息の根を止めていた。

 エジプト軍セト師団弓兵隊小隊長の実力を目の当たりにしたジェトとカカルは、その戦いぶりに見惚れる。


「感心してないで戦え!雑魚にかまってる暇なんてないんだからね!」


 安全圏で呑気に観戦している少年二人を、ライラは蛇も慄いて逃げ出しそうな形相で怒鳴りつけた。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


 ライラ達が屋上へ移動しつつある一方で、カエムワセトとハワラは神殿内の至聖所へ向かった。

 神官や兵士達がおおわらわで変異した蛇と闘う中、カエムワセトも何匹か襲ってくる蛇を斬る。

 ハワラが「王子も剣を使えるんですね」と、感心して言った。

 カエムワセトは余裕のない表情で「多少は」と答えたが、次に襲いかかって来た人型の蛇に押し倒されてしまう。


「けど、そんなに得意じゃないんだ……!」


 杖で蛇の頭部を押し返しながら、首筋に噛みついてきた蛇の左手を剣で斬り落とした。だが、蛇の手はもう一本残っていた。右手側の蛇がカエムワセトの肩に噛みつこうとしたその時、蛇の胴体を後ろから剣が貫いた。

 胴体に剣を残したまま蛇が倒れると、その後ろからハワラが現れた。


「ほら、ちゃんと、守れたよ」


 蛇にとどめを刺したハワラは震える声で言うと、カエムワセトに手を差し伸べた。その手も小刻みに震えている。

 カエムワセトは差し出されたその手を取ると、強く握りしめて身体を起こした。


「ありがとう。助かった」


 微笑んだカエムワセトはハワラの背中をぽんと叩き「急ごう」と至聖所へと再び走りだした。


 至聖所の重い石門を開けると、カエムワセトとハワラは中に入った。

 イエンウィアが言っていた通り、ホルス神の御神体はそこには無く、祠堂は空だった。


 ハワラがカエムワセトを見上げる。


「何をするつもり?」


「この神殿から、完全に闇と影を消し去る。そうすれば、奴は必然的にあぶり出される」


「そんな事できるの?」


「できるはずだ。だが、トトの書と失う事になるし、効力はそれほど長くないと思う」


 カエムワセトが『奥の手』と言った理由はここにあった。トトの書を失った状態で失敗すれば、もう勝ちは望めない。

 これが本当に最終手段だと知ったハワラは、ごくりと唾を飲んだ。


「それから、ハワラ」


 カエムワセトが躊躇いがちにハワラの名を呼び、しゃがみ込んでその両肩に手を添える。


「君にはもしかしたら、苦しい思いをさせてしまうかもしれない。申し訳ないが、耐えてくれ」


 ハワラはカエムワセトの深く優しい茶色の瞳を見つめながら、強く頷いた。仲間が命を落とし、今も皆が命がけで戦っている。自分ばかりが助けてもらう事などあってはならない。


「大丈夫。僕に出来る事は何でもするって決めたんだ」


 強い決意を示した少年に、カエムワセトは「よし」と両肩を握る手に力をこめた。

 そして、一度至聖所を出たカエムワセトは、混戦している光景を前に、片方の掌を壁に触れた。

 次の瞬間、天井が何本もの腕を伸ばすように形を変えると、変異した蛇に次々と絡みつき、それらと共に石の柱となって静止した。

 呆気にとられている兵達を前に、一つ呼吸を置いてその顔から疲労の色を払い去ったカエムワセトは、彼らに向かって声高に指示を出す。


「これが最後の好機となる!神殿内の者は全ての部屋に散開!影の消失と同時に、姿を現す魔物を討ち取れ!」


 カエムワセトの命令に、そこここから「応!」という野太い声が上がった。

 至聖所に戻ったカエムワセトは、御神体があった祠堂にトトの書の杖を立てた。カエムワセトの手を離れても、杖は自立していた。

 カエムワセトは大きく深呼吸すると、これから起こる事を予期したように光の呪文を映し出した杖に向かって語りかけた。


「私の魔力もこれで底を尽きる。お別れだ」

 

―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


「・・・・来ちゃったね。ワセト」


 リラが夜空を見上げて呟いた。

 冷たい風が吹き荒れ、リラの髪と服を大きく揺らす。


 リラの視線の先には、厚い雲がたちこめた暗い夜空を渦巻くように、巨大な物体が動いていた。それは、20mを優に超える蛇の姿をしている。今まで自分達が追っていた魔物の数倍はある巨大さだった。

 体内に夜を孕んだような暗黒のその身体は、鱗が月の光を反射して、夜空に散らばる星を集めたように輝いている。

 暗黒の蛇が夜空を舞うたび、雲が捻じれ、湿った冷たい風が吹き乱れ、木々を揺らした。

 太陽神ラ―の最大の敵。世界の秩序が始まる前に原子の水より産まれ出でたる大蛇。混沌と破壊と夜の闇を司る者。


 アペピの登場である。

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