第9話 アニキとおいらと王子の時間

 翌日。朝陽が小さな格子窓から差し込んできた。夜明け前から聞こえはじめた鳥の声は、今では一層賑やかさを増し、目を覚まして仕事にとりかかる人々の気配もする。

 昨夜メジャイに捕えられた小さい方の少年は、格子窓から差し込む太陽光に眩しそうにクマの浮いた目を細めると、ゴシゴシと乱暴に擦った。そして、牢屋の冷たい土床に四肢を投げ出して寝ころがる。


「あ~朝が来たっす~。ホントもう最悪っす~。どうすんすかジェトのアニキ~。オイラ達殺されちゃうっすよぉ」


 細い両手足を駄々っ子のようにバタつかせた彼は、窓際で頬杖をついて座っているジェトに話しかけた。

 ジェトはぼんやりと壁を眺めながら、「そうかもな」と一言返す。

 処刑を目前にしても落ち着いているジェトに、少年は口をとがらせて恨みがましい眼差しを向けた。


「もう~。アニキがあのまま黙ってたら生きられたかもしれないのに。オイラまだ死にたくないっすよ~!」


「あのなあ、カカル」


 頬杖から顔を上げたジェトが、呆れて少年の名を呼んだ。


「死にたくないならなんで俺についてきたんだよ。あのまま団に居りゃあよかったじゃねえか」


 ジェトは最近、盗賊団をこっそり抜けてきた。そこに、カカルもおまけでくっ付いてきたのである。

 ジェトは是が非でも一緒に行くと言って譲らない弟分に、団を抜けると『裏切り者』とみなされ、見つかったら殺させるかもしれない事。運よく見つからず逃げおおせたとしても、普通の生活に戻る事は難しく結局は飢え死にするかもしれない事を再三言って聞かせた。それでもいいと、ついてきのはカカルである。


「そりゃあ、まあ・・・」


 痛いところを突かれたカカルは返答に詰まったが、むくりと起き上がると泣きそうな声で言った。


「でも、前のお頭が言ってたんすよ。生きてるうちに少しくらいは善い事しとけって。あのままあそこにいても、善い事なんか出来る気しないっす」


 カカルが悲しげに肩を落とす。


 先代の頭目を話題に持ち出され、ジェトの表情にも憂いが帯びた。弟分に気付かれぬよう、ぷいとそっぽを向く。


「んじゃあ仕方ねえな。腹くくれ」


 わざとそっけなく言った。


「もうっ!それが嫌なのぉぉぉ~」


 元の駄々っ子に戻ったカカルは、叫びながら狭い牢屋の中を左に右に、ゴロゴロと転がった。


「あ~あ!オイラ絶対『○○の災厄』とか『盗人○○』とか不名誉な名前刻まれて埋められるンス~!来世あの世では石投げられて暮らすことになるンス~!!」


 あまりに転がり過ぎて砂埃が立ち、牢の外にまで舞い上がった。


「うるさいぞお前ら!何やっとるんだ!!」


 牢屋の入り口を見張っていた番兵が、顔だけ覗かせ怒鳴りつけてきた。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


 ジェトとハワラが番兵にどやされている頃、カエムワセトはヤグルマギクの花束を手に、王宮の傍を流れる川に来ていた。

 日が昇って間もない川べりは、水面を滑る風が涼しい空気を運び、パピルスの葉や葦を揺らしている。

 カエムワセトは水辺ギリギリまで歩みを進めた。人の気配に驚いた水鳥が、葦の草むらから水滴を散らして飛び去った。

 カエムワセトは、ゆっくりと辺りを見渡した。


「ここか。現場は」


 後ろから、アーデスが声をかけた。

 カエムワセトは振り返る事無く、「ああ」と短く答えた。


「十年以上経っても、あの頃のままだ」


 腰をかがめ、水面に花をたむける。

 ヤグルマギクの花束は、初めはまとまってゆっくり流されていたが、やがて散り散りになって運ばれていった。

 カエムワセトとアーデスは黙ってヤグルマギクを見送った。

 やがてカエムワセトが、「アーデス」と近臣の名を呼ぶ。アーデスは「ん?」と返事をした。


「先日、兄上に訊ねられた。この世の中、本当に生き残った方が幸せなのだろうか、と」


 それを聞いたアーデスが「ははっ」と哀愁を帯びた声で笑う。


「皇太子殿は公務にお悩みかい」


 皇太子の人となりもある程度知っているアーデスは、主人の兄である皇太子アメンヘルケプシェフの悩みの種を見事言い当てた。

 あの親父が仕事の相方では病んでしまってもしょうがなかろう、とも心中で付け加える。

 だが、今のカエムワセトは兄の苦悩ではなく他の事柄に思うところがあるようだった。

 ぼんやりと水面を眺めるその背中からは、憂いと疑念が漂っている。

 アーデスはそんな主人の背中を黙って見守った。


「・・・幸も不幸も本人の考え方次第なのだろうけれど、ただ思うんだ。生者だけが幸せでは、不公平だと」


 憂いの理由を理解したアーデスは、「やれやれ」と頭を掻く。

 ここは、十年ほど前に三男のプレヒルウォンメフが溺死した場所だった。


「辛いんならどうしてわざわざ来るかねえ・・・」


 自分を助け、まるで身代わりのように川の底に沈んだ異母兄を思い出し、心を痛めるのは仕方のないことだ。だが、水死現場まで来てわざわざ死者のあの世での生活を心配する必要もなかろう、とアーデスは思う。

 心の傷が癒えていないのなら、現場には行かず墓に花を手向けるという方法もあるのだ。


「弔いのため。そして、自らを戒め、気持ちを奮い立たせるため」


 アーデスに答えたカエムワセトの声は、思いのほか力強かった。


「私は亡くなられた兄上にはなれない。私にできることは、救い上げてもらったこの命と人生を、救い上げてくれた人の分まで精一杯この世に捧げる努力をするだけだ。それを再度心に刻み付けるには、ここはとても適した場所なんだよ」


 なるほど、とアーデスは思った。気真面目なこの王子は、使命感で気合を入れるつもりなのだろう。しかしその背中はどうしても、無理をしているように見える。

 アーデスは、さてこれはどうしたものか、と再び頭をがしがしと掻いた。悩むと頭を掻くのは彼の癖である。

 近臣の困惑を感じ取ったカエムワセトは、振り向いて笑顔を作った。


「すまない、アーデス。つまらないことを話してしまった。忘れてくれ」


 そう言って、宮に戻ろうと川岸を登る。


「つまらん話だが、ちょっと聞け」


 すれ違いかけたカエムワセトを、アーデスが片手で押し留めた。


「俺は知ってのとおり傭兵だ。戦場で何百人と殺してきた。これからも必要があればそうするだろう。だが俺は、失った戦友や殺した奴らの人生まで背負いこもうとは思わん。んなことしてたら身がもたねえし、結局、俺の一生は、俺に与えられた一人分だけだからだ。ほんで、人生の途中で不幸のどん底に落ちようが、死者に対して不公平だと文句つけるようなナンセンスな真似をするつもりもねえ」


 アーデスがカエムワセトに説教じみた話をするのは、随分と久しぶりだった。毎日夜遅くまで神殿で書物を読みふけり、トトの書を探そうとやっきになっていたカエムワセトに、生き急ぎ過ぎている、と忠告した時以来である。


「命を賭して守ってくれた奴には『ありがとう』。命を奪った奴には『すまんかった』。冷たいと思えるかもしれんが、それくらいにしとけ。でなきゃ特にお前みたいなクソ真面目な人間は、自分の人生すらまともに全うできなくなっちまうぞ」

 

 確かあの時は、「子供らしく、もっと外で遊べ」と言ったんだったかな、と思いだしながら、アーデスはカエムワセトの肩をぽん、と叩いた。


「今のお前には必要な考え方だと思うぜ。覚えといて損はねえ」


 気真面目に生きる人生経験の浅い主人は、アーデスが昔に忠告した時と同じ、真っ直ぐな眼差しで年上の忠臣を見ていた。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


「おっかしいな~おかしいな~」

「次はなんだようっせえな!」


 場所はまた牢屋に戻る。賑やかな元盗賊の少年二人はまだ命が繋がっていた。


 「死にたくない」と、もんどりうって暴れていたカカルは落ち着きを取り戻したが、今度は何やら引っかかる事があるようで、先程からずっと「おかしいな~」を繰り返している。


 ジェトが怒鳴るのと同時に拳で壁を殴ったので、天井からパラパラと砂埃が落ちてきた。

 カカルは自分の髪に落ちてきた砂埃をぱっぱと払うと、「いや、じつはね」と話しだす。


「昨日船着き場で出会ったあの男の子、オイラどっかで見たんすよねー・・・」


 それだけ言うと、カカルは「ううむ」と唸って首をひねった。必死に記憶を呼び起こしているようである。

 人の顔を覚えるのが得意なカカルは、カエムワセト一行の面々を一人残らずしっかり記憶していた。

 一方そういった特技を持ち合わせていないジェトは、髭を生やしたアジア人と変な洞察力を発揮した若者以外、はっきりと思い出す事はできなかった。暗かったし、人数も多かったから尚更である。


「それがどうしたよ。メンフィスの奴ならどっかで顔合わしててもおかしくねえじゃねえか」


「違うンスよ。もっと、なんか変わった場所でね・・・・」


 再び唸って考え込んだカカルだったが、やがてパチンと指を鳴らしてスッキリした顔を上げた。


「あ、思い出しました。ミイラ処置室にいたんだ」


 ミイラ処置室、という言葉にジェトは眼をむく。

 ミイラを作るのは、墓地一帯の近くの西側だと決まっている。知り合いに死人でも出ない限り、一般人がそこへ赴く事はまず無い。ということは、カカルの場合、副葬品や護符を盗みに入った可能性が高い。


「お前、西側で盗むなってあれほど言っただろ!」


 自分の主義に反する場所で、こっそり盗みの仕事をしていた弟分の胸倉を掴み、ジェトは詰め寄った。

 約束を破った弟分は涼しい顔で「そうでしたっけ?」と嘯いた。そしてあろうことか、「そんなこと今はどうだっていいんです!」と、自分の首を締めあげて来るジェトの手を押しのける。


「あの子供、処置台で寝てたんすよ!だからさっきから、おかしいなー?って言ってるんじゃないすか!」


「へー・・・」


 興奮するカカルとは対照的に、ジェトは興味なさげに両手を頭の後ろに組んで寝転がった。しかししばらくしてから、「――ってそりゃ死人じゃねえか!」と跳び起きる。

 重ねて言うが、カカルは人の顔を覚えるのが得意で、まず見間違う事はないのである。


 ジェトは茶色みを帯びた毛髪を逆立てると、すぐさま立ち上がって格子扉に走った。そして、それを掴むと、力いっぱい揺すって牢屋の入り口に向かって叫んだ。


「おい!番兵!おい!」


 だが、返事は無い。居るなら、さっきのように怒鳴りつけてくるはずである。


「いないのかな?犯罪者が留置されてるってーのに、職務怠慢すね」


 カカルがのんびりと文句を言った。

 いつもなら「お前が言うな」と頭の一つでもはたいているところだが、今はそんな余裕はなかった。


「好都合だ」


 閂を外そうと格子の隙間から腕を出したジェトに、カカルが首を傾げた。


「何してるんすか?」


「お前だけでも逃がしてやるよ。その代わり、あの貴族の男に子供の事を話せ。多分、この城に居るはずだ」


「貴族の男って、アニキを助けてくれた昨日の兄ちゃんすか?なんでまた?」


「知らねえ。勘だ。あの男でなきゃ、髭面の奴でもいい。・・・嫌な予感がする」


 カカルが頭脳面の特技を持っているのに対し、ジェトは動物的直感に優れていた。

 ジェトの勘は大きな危険を警告しており、それを昨日出会った青年に伝えなければならない、と言っていた。


「くっそ!この閂、鍵付きのヤツだ・・・!」


 ジェトがいくら閂を引き抜こうとしても、それはピクとも動かなかった。

 閂の中には、鍵付きのものもある。閂の中に幾つものピンが存在しており、そのピンの位置と、櫛の様に見える鍵の棘の位置が一致していて、鍵を下から差し込んでピンを持ち上げ解錠する、という仕組み。つまりは、シリンダー錠だった。


「正解よ。鍵はここ」


 若い女の声が聞こえるのと同時に、ジェトの目の前に陽に焼けた形のいいふとももが現れた。見上げると、赤髪の女が櫛のような棒、つまり鍵を手に持って立っていた。

 幾つかジェトより年上に見えるその面立ちは、釣り目がちの大きな瞳と小ぶりの鼻と口が、猫科の大型肉食獣を連想させた。潤沢に広がった豊かな赤毛はタテガミのようだ。

 ジェトは一目で、「こいつを怒らせたらヤバい」と感知した。


「性懲りもなく、また脱走するつもり?」


 怒らせたら怖そうな赤毛の女はそう言って、嘲るようにジェトを見下ろした。

 ジェトはゆっくりと格子扉から腕を引き抜くと、舌打ちする。


「番兵は留守じゃなかったのかよ」


「おあいにくさま。腹具合が悪いって言うんで、私が代わりを引き受けたのよ」


 そういえば苦しげな唸り声が廊下の向こうから聞こえていた気がする、とジェトは思い出した。牛か馬でもいるのかと思っていたが、トイレに駆け込みたいのを必死に我慢している番兵のものだったようだ。


「気になってきてみれば、案外元気そうじゃない」


 赤毛の女を覚えていないジェトにとっては、彼女の言葉は不可解だった。だが、今はそんな事よりも、弟分を逃がす方が先決だと判断する。


「ご親切にどうも。親切ついでに、こいつを逃がしてやってくれると嬉しいんだが」


 駄目もとで頼んでみた。予想通り、赤毛の女は「それとこれとは別よ、お馬鹿さん」と腕を組んだ。

 さてどうしようかと考えあぐねいていると、後ろからカカルが、ジェトの肩をつついてきた。


「アニキ、この姉ちゃんも昨日一緒に居た人っすよ」


 耳打ちし、「この人でもいいんじゃないすか?」と訊いてくる。

 ジェトは赤髪の女を見上げた。そういえば、髭面の男の左斜め後ろに、いたようないなかったような・・・。

 カカルはジェトの返事を待たず、「あのね」と赤髪の女に話しかけた。


「昨日一緒にいた男の子、知り合いっすか?」


「ハワラのこと?知り合いだったらなんなのよ」


 きょとんとした顔で、女がカカルに聞き返した。

 カカルは「驚かないで聞いて下さいよ」と前置きしてから、右手を口の横に添えて、女に近寄った。女もその動作の意味を察し、身をかがめ耳を寄せる。


「あの子、何週間か前にミイラ処置室で処置台に寝てたんす」


 声のトーンを落としたカカルが格子扉越しに伝えた事実に、一瞬、女の身体がピクリと震えた。途端、周りの空気が張りつめたのを、ジェトは感じ取る。

 しかし、そういった変化に鈍感なカカルは「もうお腹の横を割かれてたから、生きてるわけないんすよ」と続けた。


「あれってもしかして、オバケ――」


 そこまで言った時、格子の隙間からげんこつが飛んできた。その拳は見事、カカルの額を直撃する。

 それだけにとどまらず、カカルが地面に倒れるより先に、女は間髪置かずカカルの胸倉を片手で捻り上げた。その手なれた一連の動作に、ジェトは遅まきながら、彼女が手だれの武人である事を知った。


「こんのクソガキどもぉぉぉっ!冗談でも言っていい事と悪い事を知らんのかぁぁぁっ!」


「うわぁぁぁぁんアニキ―っ!この姉ちゃん、番兵よりおっかないよーっ!」


 何故か突如狂ったように怒り暴れ出した赤髪の女に、ジェトとカカルは慌てふためいた。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


 川岸から王宮に続く階段を上っていたカエムワセトとアーデスは、上の方が妙に騒がしい事に気付いて階段を駆け上がった。

 登り切ると、「殿下―!」とハワラが猛獣に追いかけられているような形相で走って来るのが見えた。

 その後ろからは、片手に短剣を握ったライラが。更にその後ろからは、番兵と思われる兵士に縄でつながれて引きずられるような格好で、昨日の自称盗賊二人が走って来る。


「なんだなんだ!?」


 流石のアーデスも、迫り来る異常な展開に声を上げた。


「殿下、助けて下さい!」


 ハワラが怯えた声でカエムワセトの服を掴み、後ろに実を隠そうとする。しかし、すぐそこまで迫ってきたライラの姿を見つけると、「わあ、来たあぁっ!!」と慌てて川に続く階段の方へ逃げた。


 のっぴきならない事態を悟ったカエムワセトは、慌ててライラの腕を掴んで止めた。

 カエムワセトに静止させられても、ターゲットを捕えている猛獣のように、ライラはハワラから目を離さなかった。完全に戦闘態勢に入っている。


「何をする気だ」

「この子を殺します」

「ライラ!」


 珍しくカエムワセトが声を荒げ叱責したが、ライラはハワラを睨みつけたまま、身体を前のめりに、いつでも飛びかかれる体勢を崩さなかった。


「この子は殿下を欺いております!子供だろうと、武器を持てば人を殺せます!ましてこの子は既に人ではありません!」


 ライラの言葉を聞いて、ハワラは顔を引きつらせ身を固くした。

 カエムワセトが手を離せば、ライラはまた、すぐさまハワラを襲うだろう。


 息を切らしながら、遅れて番兵が到着した。聞き分けの悪い犬っころ二匹を引きずってきたとはいえ、走ってきただけのわりに息切れが酷く、顔色も悪い。

 説明を求めたアーデスに、番兵は、「私もよく分らないのですが――」と前置きして話しだした。


 厠から戻ると、ライラが盗賊二人を収容している牢を開け、二人を縄で縛っていた。  

 ライラは番兵が止める間もなく、番兵に盗賊の縄を持って自分についてくるよう言い渡し走りだした。番兵はライラの剣幕におののき、言われるがまま盗賊二人を引っ張りながら必死にライラの後を追った。ライラはハワラに宛がわれた部屋に押し入ると、盗賊二人にハワラの顔を確認させた。カカルが「この子で間違いないっす」と息を切らせながら答えると、突然剣を抜いてハワラに斬りかかった。それから、今の様な追いかけっこが始まったのだという。


「なるほどな」


 アーデスは腕を組むと、番兵に「うちの若いのが迷惑かけた」と謝罪した。

 ようやく事の成り行きを理解したカエムワセトは、ライラに剣を降ろさせようと説得を試みる。


「ライラ。君の言うとおり、彼はもう死んでいる。私は危険も承知している。だがここで死なせる訳にはいかないんだ」


「ライラ、それくらいにしろ。ワセトがハワラの事を俺らに黙ってた理由を考えてみろ」


 カエムワセトとアーデスの説得は、ライラに剣を降ろさせるまでには至らなかった。

 ハワラは下り階段のすぐ手前で、震えながらライラを見ている。

 一向に諦める気配を見せないライラに、苦しそうな表情を作ったカエムワセトが言う。


「頼むライラ。剣をひいてくれ。・・・私は君に剣で勝てない」


 躊躇いながら発せられた最後の一言は、忠臣のライラには衝撃だった。心から忠義を尽くす相手から考えもしなかった言葉で制されたライラは、カエムワセトを見ると傷ついたように顔をゆがめた。

 波が引くようにライラから殺気が消えたのを感じると、カエムワセトはその細腕を解放した。

 重い空気の中、ライラは無言で短剣を腰の鞘に仕舞うと、カエムワセトとハワラに背を向けた。


「失礼。頭を冷やしてまいります」


 立ち去ろうとしたことろで、アーデスが道を塞いだ。続けて、ばっと両腕を広げて準備する。


「よし、来い!」


 真顔で歯切れよく言ったアーデスを、ライラは見上げた。

 俺の胸で泣け、とでも言いたいのか。

 ライラの瞳がギラリと狂暴に光る。

 殴られるか!とアーデスは覚悟したが、ライラはそのまま半身を返してアーデスを避けると、川の方へ行ってしまった。


「アニキ、あの人切ないっすね」

「あの人ってどの人だよ・・・」


 目の前の年長者達は、三者三様に胸を傷めている様子だ。三人で痛み分けどころか、これでは痛み三割増しである。


「どいつもこいつも不器用すぎるだろ」


 ジェトは呆れてつぶやいた。


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