19.精霊のお願い

「キメラを倒す手助け、ですって?」

「ええ。あのキメラには少々手を焼いておりまして、困っていたところなのです」


 ニンフは顔に手を添えて眉を顰める。

 そして、キメラの事について語り始めた。


「あのキメラはこの森で暴れ過ぎました。多少の事なら摂理の範疇だと見逃していたのですが、有ろう事かあのキメラはこの私にまでその牙を突き立てようとしてきたのです。ですので、あのキメラをこの森から排除しようと決めました。……しかし予想外に力が拮抗し、その結果は御覧の有様です」

 

 ニンフはそう言って、周囲の惨状を手で示す。


「ま、まさか、この破壊の跡って……!?」

「お察しの通り、私とキメラが争った痕跡です。……結果は引き分け。最終的には私もキメラも『魔力切れ』を起こして眠りについてしまいました。目覚めたのはつい先ほどの事です。そして若干、目覚めるのはキメラの方が早かったみたいですね」


 ……驚いた。しかし今のニンフの言葉が事実なら、この破壊の跡にも納得がいく。

 森を操る力を持つ精霊と、その精霊と対峙できる程の互角の強さを持つキメラが争ったのだ。

 その争いの規模と余波は、それは凄まじいものだっただろう。……周囲の木々が全てなぎ倒されるくらいには。

 

 しかしそうなると、かなり厄介な事実が判明してしまう。

 それは、あのキメラの力がだという事実だ。

 

「……森を操る力を持つ精霊が、全力を発揮できる森の中で互角の戦いを強いられた相手と戦えなんて、考えたくもないくらい厄介だわ……」

「申し訳ないです……」


 ニンフは俯いてしまう。


「ああごめんなさい、別にニンフを責めてるわけじゃないのよ。……でもそれって、私が手助けしたところで倒せるの?」


 これは素直な疑問だ。

 ハッキリ言ってこの森の中でなら、森を操る力を持つニンフはほぼ無敵に近いと言っても過言ではない。

 そのニンフ相手に、あのキメラは互角の戦いをして引き分けている。

 勿論、私が手伝う事で手数が増えればこちらが優位になるだろうけど、それだけで簡単に勝てるとは思えないし、その保証もどこにもない。

 

「あら、随分と自分の力を謙遜しているのですね。私の見立てではカリスの力添えがあれば、あのキメラを十分に倒せると思っていますよ?」

「……随分と初対面の私の力を買ってくれるのね?」


 私はニンフと出会たばかりで、まだ一度も力を見せていない。

 それなのにニンフはどういう訳か私の力を異様まで頼りにしている。それが不思議で仕方ない。

 

「ふふ、当然ですよ。だってカリスは今回の魔王を倒したのですから、その力を買わない理由は無いでしょう?」

「なっ、どうしてそれを!?」

「私は数百年の時を生きている精霊ですよ? 相手の力量を測る目はありますし、その程度の情報を集めることも造作も無いことです!」


 ニンフは自信ありげに答える。

 ……確かに、精霊の事についてまだ詳しい解明はされてはいない。

 長い時を生きていると言うなら、相手を見る目は養えるだろうし、様々な情報を集める方法や情報網を構築していても何ら不思議はない。

 そしてニンフの言っていることに間違いは無いのだから、ここで嘘を言って誤魔化しても意味が無い。

 

「……因みに一つ提案なんだけど、キメラを倒すのは私達が一度街に戻って十分な戦力を整えてからじゃ駄目かしら?」

「……おすすめはしませんね。カリス以外であのキメラとまともに対峙できる人間がそう簡単にいるとは思えません。闇雲に人手を増やしても足手まといが増えるだけで、かえって戦いづらくなるだけですよ? もし、カリス以外に対峙できるとすれば、そこのご老人くらいでしょうか」


 ニンフはチラリとヤスツナの方に視線を向ける。

 確かにヤスツナの実力なら、あのキメラとも対峙できるだろう。

 

「……」


 ニンフの言う通り、ここで時間を掛けて準備して人を集めても、あのキメラと戦える人物となれば結局のところ私かヤスツナくらいしかいない。ミュラーならギリギリ何とかなるだろうけど、不安は少し残るレベルだ。

 時間を掛けても掛けなくても同じなら、これ以上の被害が広がる前に倒してしまった方がいいだろう。


 「はぁ~……」


 私は大きく溜息を吐きつつも、決意を固める。


「分かった。キメラを倒す手助けをするわ」

「ふふ、そう言ってくれると思ってました!」

「でも今すぐは無理よ、この暗さだもの。せめて夜が明けてからじゃないと動けないわ」


 月明りが仄かにあるとはいえ、遠くを視認できるほどの明るさは無い。

 こんな視界の悪い状態で戦うなんて出来ない。

 

「分かっています。行動は明日になってからということで、今はまずはゆっくり休んでください。この周囲には既に私が結界を張っていますので、安全は保証しますよ。念の為の見張りも私が引き受けましょう」

「そう? だったらお言葉に甘えさせてもらうわね」

 

 そうして私達はニンフの言葉に素直に甘える事にして、しっかりと休むことにした。




「カリス様、本当によろしかったのですか?」


 焚火を囲みながら食事を済ませたところで、シアがそんなこと聞いてきた。


「何が?」

「キメラを倒すということです。カリス様の夢のことを考慮すれば捕獲することも諦めないと思っていましたのに、随分とあっさり討伐する事に同意なされたので」


 確かにシアの言う通り、私の夢は幻獣との共存だ。当然私もこの森に来た当初は、幻獣を討伐するよりも捕獲する事を強く考えていた。

 いくら被害を出しているとはいえ、それを理由に簡単に共存の選択を諦める気にはなれなかったからだ。

 

「……確かに普段の私なら、相手がどんな幻獣でも共存の道を探す為に捕獲する事を簡単には諦めなかったでしょうね。……でも、幻獣の正体がキメラなら話は別よ」


 そう、キメラが現れたあの瞬間……森で暴れていた幻獣の正体がキメラだと分かった瞬間、私は討伐を心に決めていた。

 ニンフに頼まれなくても、私はあのキメラを討伐する為に行動していただろう。


「シアにはまだ話していなかったけど、実は魔王討伐の道中で一度キメラに遭遇したことがあるの。そしてその時に思い知ったわ。キメラを救うには、倒す以外に方法が無いってね……」

 

 あの時の悔しさは今でも忘れない。

 キメラという存在が、幻獣の中でも如何に不条理な存在なのか、嫌というほど思い知ったからだ。


「カリス様……」

 

 あの時の記憶を思い出して唇を嚙む私を心配そうにシアが見つめている。


「大丈夫よシア、心配しないで。私はもうそれで悩んだりしていないから。必ず、あのキメラは倒して見せるわ!」

「……分かりました。カリス様がそう言うのであれば、私からはこれ以上何も言う事はありません」


 まだ若干心配な様子だったが、私の決意を汲んだシアはそれで納得してくれたようだ。

 シアが納得してくれたところで、私達は今後の事について話し合うことにした。


「それでカリス様、キメラを討伐する事に異存は無いのですが、あのニンフと言う精霊の事はどこまで信用したらよろしいのですかな?」


 ヤスツナがそんなことを言う。

 

「どこまで、と言うと?」

「話を聞いていてずっと疑問だったのですじゃ。森の精霊が自分の力を最大限に発揮できる森の中でキメラ一匹と引き分けるなどと、普通に考えてあり得ないでしょう。勿論、あれが精霊であることを疑っているわけではありませんが、儂にはどうにもその辺りが腑に落ちないのですじゃ」

「……確かにそれは私も疑問に感じているところよ」


 私はチラリとニンフがいる方に視線を向ける。

 ニンフは今私達から離れた場所で、シシリーと一緒に結界の管理をしながら見張りをしてくれている。

 普通なら私達の話し声は聞こえないほどの距離だけど、ここはニンフの管理下にある森だ。おそらく私達のこの会話も何らかの方法で聞いているだろう。

 当然ヤスツナもそれを考慮しているが、それでもあえてこの話題を口にしてニンフの反応を見る腹積もりなのだと思う。

 

「でも、ヤスツナもこの惨状を見たでしょう。私にはそれが全てだと思うわ。多分だけど、引き分けてしまったのはそれなりの事情があるはずよ」


 実際にニンフはキメラとの戦いのことを「予想外に力が拮抗した」と言っていた。

 ニンフの言葉を信じるとすれば、ニンフですら予想してなかった力をキメラが持っていたと考えるのが自然だ。


「事情、ですか……」

「まあそれに関しては、ニンフから詳しい聞くしかないけどね」

「呼びましたでしょうか?」


 やっぱり私達の話を聞いていたようで、ニンフが何処からともなく突然私の横に現れる。


「やっぱり聞いていたのね。だったら話は分かっているわね?」

「ええ、丁度結界を強化し終えたところなので、お話ししましょう。あのキメラについて」

 

 私の隣に腰かけ、ニンフはキメラについて知っている情報を話し始めた。


「私がキメラと引き分けた要因は、単純に相性の問題でした」

「相性?」

「あのキメラの特徴は、何でも食べる『悪食』なのです。動物も植物も木々も、それこそ食べられるものは何でも見境無しに食べてしまいます。そして私の能力の根幹は『成長』、つまり植物を急成長させる事に特化しています。……これがどういうことか分かりますよね?」

「まさか……ニンフが成長させた植物を!?」


 なんとなくだが、ニンフの言いたいことが分かった気がする。

 そして私の予感は正しく的中した。

 

「お察しの通り、あのキメラは私が攻撃の為に成長させた植物を食べ、それを栄養に回復したのです。おかげで私の攻撃の殆どは、当てた傍から食べられて即回復される始末。更にキメラは強力な風魔法も使ってきました。私に残された手段は結界での防御と隔離のみ。それでキメラの魔力切れを誘うしか手はありませんでした……」

「そしてそれ自体は成功したけど、ニンフ自身の魔力も同時に底を付いた、という訳ね……」

「その通りです」

 

 そしてその結果が引き分けで、その激闘を証明するのがこの破壊の跡ということか……。

 なるほど、ニンフが手助けをして欲しいと言うのも頷ける。ニンフ一人だと有効な攻撃手段が無くて、あのキメラを倒すことは不可能だ。

 そしてキメラが目を覚ました今、ニンフにとって私達は大切な『剣』で、キメラを倒すまで手元に置いておきたいのだろう。

 だからこそ私が一旦街に戻ると提案したのを、理由を付けて拒否したのだ。誰でも、自分を守ってくれる『剣』をみすみす手放すなんてするわけがないからね。


 しかしこれで、ニンフのことを信用できる確信が持てた。

 少なくともあのキメラがこの森に存在する限り、ニンフは『剣』となる私達を手放すわけにはいかない。信頼関係を築いて味方に付けておかないといけない。

 つまり、ニンフは私達に嘘をくことメリットが無いのだ。

 

「なるほど、そういう事情だったのですな」


 どうやらヤスツナも私と同じ答えに辿り着いたようで、納得した顔をしている。

 これでヤスツナの疑問も消えただろう。


「とにかく、あのキメラが相当厄介なのは分かったわ。倒すにしても、しっかりと作戦を練らないとダメね」

「ですな」

「ニンフ、他にキメラの情報は無いかしら? 何でもいいの。とにかく分かっていることは全て教えて頂戴」

「分かりました。私が知りうる限りの情報をお話し致します!」

 

 それから私達はニンフからキメラの情報を聞きながら、夜遅くまでキメラ討伐の作戦を練るのだった。

 

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