18.邂逅遭遇4

 背後から突然投げかけられた声に私は反射的にシシリーを掴んで飛び退き、剣のつかを強く握っていつでも剣を抜けるように身構える。

 十分な距離を取ってから声のした場所を確認すると……そこには美女が立っていた。

 

 若葉を連想させるような緑色の長い髪。

 琥珀をそのまま嵌め込んだかのような宝石の様に美しい目。

 女性らしい部分はしっかりと強調しながらもスラリとした体格。

 纏っている純白の衣が風でなびく様は、どこか神々しさまで感じさせる不思議な魅力に溢れている。

 そして、先のキメラを思い出させるような圧倒的な気配と魔力の波動。更によく見れば、女性は地面から少し宙に浮かんでいる。

 それらはこの女性が人間ではないことの、何よりの証明だった。

 

(声がするまで全く気配を感じなかった!? まるで、突然そこに現れたみたいだったわ……)


 私は集中して女性を観察し、正体を確かめようとする。

 するとシシリーが私の手から離れて、女性に向かって飛び出して行く。


「ニンフ様! 目が覚めたんですね!」

「ええ、お陰さまでね」


 シシリーと女性は親しげに会話をし始めた。

 ……どうやら知り合いの様だ。

 とりあえず私は剣の柄から手を放して警戒を解く。


「カリス様! ご無事ですかな!?」

「ええ、大丈夫よ」


 女性の気配を感じたヤスツナが血相を変えながら戻って来る。

 それに続く様にシアとアモンも戻って来て、これで全員が集まった。

 

「カリス様、あれはいったい何者ですか?」

「少なくとも人間ではなさそうですじゃ」

「私にも分からないわ。でもとりあえず、敵じゃないことは確かみたいよ」

 

 シシリーと女性はまだ何か話をしている。

 私達はとりあえず、二人の話が終わるまで待つことにした。




 しばらくして、話を終えたシシリーと女性が私達の方に近付いてくる。

 

「初めまして皆さま、私は“ニンフ”と言います。まずはこのシシリーを助けてくたこと、心より感謝します」

 

 ニンフと名乗った女性はそう言って頭を下げる。

 そこには素直な感謝の気持ちが表れていた。


「助けを求める声が聞こえたから、当然の事をしただけよ」

「それでも、人間が私達幻獣に手を差し伸べてくれることは珍しいのです。特に妖精は、人間達には特別な存在に見えているようですから」


 多分、「妖精は幸運をもたらす存在」という言い伝えの事を言っているのだろう。


「確かに、妖精を特別視する言い伝えは残っているわ」

「でもそのような力は、妖精にはありません。恐らく何かの勘違いから生まれたものでしょう」

「本当に迷惑な話だわ!」


 頬を膨らませてぷんぷんと怒るシシリー。

 実際にそれで被害に遭ったのだから怒りたくなる気持ちは分かる。


「一通りの事はシシリーから聞きましたので、皆さまの事情もある程度把握しています。あのキメラの調査に来たそうですね?」

「ええそうよ。でもまさか、あんなものが出てくるとは思ってなかったけどね……」


 そして遭遇してしまう事も予想外だった。

 何の準備もしていなかったので逃げることしか出来なくて、結局あのキメラがどれ程の力を持っているか等を調べること出来なかった。

 帰りに利用しようと思っていた荷馬車まで壊されるし……。

 ……ん? 荷馬車……?

 

「――ああっ!?」

「ど、どうしましたカリス様?」

「あいつらはどうなったの!?」

「あいつら?」

「ほら、荷馬車に積んでた密猟者よ!」

「あっ!?」


 どうやらシア達も思い出したようだ。

 キメラの事で頭が一杯になって、今の今まですっかり忘れていた。

 キメラが荷馬車に突進した時、私達は突進を避けたけど、密猟者達は荷馬車に置いたままだった。


「まさか、荷馬車と一緒に粉々に……?」


 あれほどの威力だ。まともに食らってただで済むはずがない。

 それに例え生きていたとしても、動けない様に拘束していたので逃げる事すら出来ないはずだ。

 ……とっくにもう今頃、キメラの餌食になっているだろう。

 

 ……正直に言ってしまえば、私にとって密猟者の安否はそれほど関心のある事じゃない。今回の幻獣の件に密猟者は無関係だと思うからだ。

 だけど少なくとも、森の動物達が受けている被害には、あの密猟者が関係しているはずだ。

 彼等から情報を聞き出せれば、ルー君やアンデルソン子爵の助けになると思っていたのに……。

 そこまで重要ではないのに、いざ無くなれば勿体なく感じるような、そんな何とも言えないもどかしい気持ちになる。


「密猟者? もしかしてこの者達の事ですか?」


 ニンフはそう言うと、足元の地面をタンッと一回踏み鳴らす。

 すると突然、踏み鳴らしたニンフの足元からニョキニョキと芽が生えてきて、見る見るうちに一本の大きな木へと成長した。

 目の前で起きるあまりにも突拍子もない出来事に、私もシア達も口を開けてただ驚くしかない。

 しかし、そこから更に驚くことが起きた。

 成長した木の表面に大きな穴が開き、その中からなんとあの密猟者達が出てきてボトッと力無く地面に横たわったのだ。

 横たわる密猟者達を見れば、かなりの怪我を負っていた。

 その所為で依然気を失ったままのようだが、まだ生きているみたいだ。

 

「この者達にはシシリーに危害を加えた罰を与えようと思って捕らえていたのですが、どうやらあなた達に託した方が良さそうです。ああ因みに、その者達の怪我は命に別条がない程度には回復させてありますので、それ以上の手当ては不要ですよ」


 ニンフに言われて密猟者の怪我の具合を詳しく見れば、確かに打撲や骨折は残っているがしっかりと止血はされていた。

 完全に回復させていない辺りが、シシリーに危害を加えられたニンフの怒りの表れだろうか……。


 しかし、そんなことよりも気になるのはニンフの正体だ。

 前触れも無く突然背後に現れたり、キメラと同じ様な気配と魔力を持っていたり、木を一瞬で成長させたりと、とにかく普通ではない規格外の存在だ。

 人型をしているが、本人も言っている通り幻獣なのだろう。だけど、これほどの芸当を軽々とやってのける存在となると、一体どんな幻獣なのか想像もできない……。

 

「……ニンフ、と言いましたね。あなたは一体何者なのですか?」

「ああ、そういえばまだ名前しか名乗っていませんでしたね。これは失礼しました」


 すっかり忘れていたといった表情で小さく頭を下げるニンフ。

 そしてニンフは貴族を思わせる様な綺麗なお辞儀をし、改めて自己紹介をしてきた。

 

「では改めまして、私は“ニンフ”。森を操る“精霊”です。以後、お見知りおきを」

「“精霊”ですって!?」

「はいそうです」


 驚く私の反応とは裏腹に、然も当然ですよと言わんばかりのあっさりとした返事をするニンフ。

 規格外な存在だとは思っていたけど……精霊とは予想外だ。

 ニンフの正体を知って、シア達も驚きを隠せていない。

 

 “精霊”とは、魔王によって召喚される幻獣ではあるのだけど、その中でも取り分け異質な存在とされている。

 精霊は召喚された当初から明確な自我を兼ね備えていて、その他の幻獣と違い暴れる事も生態系を破壊する事もしない、比較的大人しい存在だ。

 しかし大人しいからと言って、精霊の力を甘くみてはいけない。

 何故なら精霊の力とは、『自然を自由自在に操る力』だからだ。

 炎の精霊なら『炎』を、水の精霊なら『水』を、風の精霊なら『風』をといった具合だ。

 各精霊によって操れる力は違うものの、そのどれもが『自然を操る』ということに特化している。

 つまり、精霊と対峙するということは、と対峙するというのと同義なのだ。

 そして自然と対峙するなんてことは、自然中で生きている生物にはあまりにも無謀だということは想像に難くない。


「精霊の操る力は、その住み着いた場所全てに影響を与えることが出来ると聞くわ。森を操るということは……」

「はい、お察しの通りです。私の力はこの森全域に及びます」


 それはつまり、この森の中全てがニンフの管理下にあり、森の中にいる限りニンフの力から逃れる術は無いということだ。

 私の背筋を冷や汗が流れ落ち、身震いする。

 ……どうやらこの森は、私達が想像もできない程の魔境だったようだ……。


「ああ、私が精霊だと知って特に畏まらないでください。どうぞ先程の様な感じでお願いします。そうでないと、こちらがお願いしにくくなります」

「お願い……?」

「ええ。カリスといいましたね? あなたの力を見込んで、是非お願いしたいことがあるのです。聞いていただけますか?」


 ニンフの表情は真剣そのものだ。特に裏があるような感じはない。

 私はシア達にチラリと視線を向ける。シア達はそれに無言で頷いて答える。

 どうやらここは、私の判断に一任してくれるようだ。

 ニンフがどんなお願いをしてくるかは分からないけど、ニンフほどの存在が私の力を見込んで何をお願いしようとしているのか、正直かなり興味がある。

 まあ聞くだけ聞いてみて、無理そうなら断ればいい。


「分かったわ。でも、そのお願いを叶えるかどうかは内容によるわよ?」

「ええ、それで構いません。ですが、あなたはきっと断らないと私は確信しています」


 まだ会って間もないというのに、不思議なことにニンフには私が断らないという自信があるようだ。


「それで、そのお願いって何なのかしら?」

「単刀直入に言います。どうか、あのキメラを倒す手助けをして頂けませんか?」

 

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