8.視察1
「視察、ですか?」
それが数日前に父から言われたことだった。
「そうだ。行ってくれないか?」
「……何故私が?」
素直な感想が口から漏れる。
私は王女とはいえ、公務からは距離を置いている立場にいる。
そういうことは次期国王のルー君に任せている方が上手くいくはずだ。
父にそう伝えるが、父には何か別の考えがあるようで「是非行って欲しい」と引く気配はない。
「……実は今回の視察にはルーカスも同行する。というより、今回はルーカスが視察に行くことがメインなのだ」
「えっ? でしたら尚更、私が行く意味は無いのではないですか?」
「いや、それがそうでもない。と言うのも今回視察に行く場所は、カリスにとって……いや、カリスの計画の助けになるかもしれないからな」
「……その話、詳しく!」
私は机に身体を乗り出す勢いで食いつく。
視察は面倒だけど、計画の助けになるというなら話は別だ!
「行先は、アンデルソン子爵領だ。……場所は分かるか?」
「アンデルソン子爵領……すみません、何処にありましたっけ?」
言われて思い出そうとするが、あまり聞き覚えの無い名前でパッと出て来なかった。
子爵領ということは領地はそれほど大きくないだろうし、おそらく辺境のはずだ。
父は地図を取り出して「ここだ」と指を差す。
私の予想通り、アンデルソン子爵領は王都からかなり離れた場所にあった。
馬車でも片道4~5日は掛かりそうだ。
「かなり遠いですね」
「それはそうだ。かなり辺境な所だからな」
それは、見れば分かる。
なにせ地図で見ても、周りが沢山の山と森に囲まれている場所だというのがハッキリと分かるくらいだ。
王都の周辺でそんな大自然豊かな場所は無い。
「……ん?」
そう思って地図を見ていた私は、気になる点を見つけた。
「父上。アンデルソン子爵領ですが、子爵領にしては領地がかなり大きくないですか?」
アンデルソン子爵領は領主邸がある街を中心として領土が広がっているけど、その範囲は街を飛び出して周囲の山々や森まで含まれていた。
軽く見積もっても領地の広さだけなら公爵領にも匹敵するか、それ以上だ。
一子爵が持つには、あまりにも大きい領土だった。
「まあそれには理由がある。これはカリスを視察に行かせようとした理由にも繋がることなのだがな」
「そうなのですか? それ一体どんな理由ですか?」
「それは――」
「それは?」
「――いや、あえてここで言うのは止めておこう」
私は前のめりに倒れそうになった。
「父上、勿体ぶってそれは無いですよ!」
「まあまあそう言うな。こういうのは行ってからのお楽しみというものだ。答えを聞きたいならアンデルソン子爵に直接聞くといい。はっはっは!」
父上はそう言うと呆然とした私を残して、笑いながら部屋を後にして行ったのだった。
――そして出発の日の早朝。
王城の中庭に行くと、既にルー君と護衛の騎士達が集まっていた。
「お待たせ。私達が最後かしら?」
「いえ、護衛があと一人来ていません」
ルー君に言われて見渡して見るが護衛の人数は十分に多く、一人くらいいなくても十分な気もする程だった。
すると私の姿を見つけた護衛の一人がこちらに向かって来る。
細い釣り目で視線の鋭い男だ。
「カリス様おはようございます」
私に挨拶してきた彼の名前は『ミュラー』。王国第一騎士団の団長を務め、王国騎士団最強と言われる人だ。
一見すると目線が怖くて誤解されがちだが、根は真面目で優しい人だ。
「おはようミュラー団長。護衛がまだ一人来てないらしいけど、誰かしら?」
「ああそれは――」
「いや~、待たせてすまんのぉ!」
突然、緩い口調の声が背後から聞こえてくる。
振り向くと頭を掻きながら、一人の老練な男がこっちに向かって歩いてきた。
色の抜けた白髪と長く伸びる顎髭がその男の年齢を表すようだ。
「待たせたではありません! 護衛対象より遅く来るとは、明らかな遅刻ですよ!」
「まあそう言うなミュラー。全ての年寄りが朝早く起きられると思っておるなら、それは大きな間違いじゃ」
叱るようなミュラーの言葉を、老人は言い訳じみた持論で軽くいなす。
「また師匠はそう言って! いいですか、護衛任務というのはそのような緩い態度で務まるものではないのです! 護衛対象にどんな小さな危害でも及ばぬように護衛対象よりも先に行動し、常に周囲に神経を張り巡らせる集中力が求められるのです!」
「でも儂はそんなことせんでも、お前より強いぞ?」
「つ、強さどうこうの話ではありません! これは精神的、心構え的な話であって――」
――シュッ!
それは一瞬の出来事だった。
いつの間に抜刀したのか、老人が手にした刀の切っ先が、ミュラーの喉元に突き付けられていた。
「――!?」
「ほっほっほ! この程度で集中力を乱すとは、まだまだじゃぞミュラー。そういう説教は、本気の儂から一本取ってから言う事じゃな!」
「くぅッ!?」
完全に老人にしてやられたミュラーはとても悔しそうな顔で声を漏らす。
……まあ、ミュラーには可哀そうだけど、これは相手が悪い。
「流石ですね、“ヤスツナ”」
「いえいえ、これも剣術指南役の役目ですじゃカリス様。まだまだひよっこ共にでかい顔はさせませんぞ! ほっほ!」
ヤスツナはそう言って愉快に笑う。
この只者ではない老人は“ヤスツナ”。王国騎士団に剣術を教えている人物だ。
性格は呑気だが剣の腕は御覧の通りで、王国騎士団最強と言われるミュラーでさえ歯が立たない程の強者だ。
そのあまりの強さから『剣聖』と称されている。
ミュラーには悪いけど、護衛として来てくれるならこれほど心強い人はいない。
「ヤスツナが護衛として来てくれるなら安心ね」
「そう言ってくれるとありがたい限りですじゃ。このヤスツナ、カリス様には何人たりとも触れさせないことを約束しましょう!」
そう言ってヤスツナは、
今回の護衛対象は私とルー君の
「ヤスツナ。護ると言うなら私だけじゃなくてルー君の事もお願いしますよ」
気になってそこを指摘してみると、予想外の答えが返ってきた。
「いえいえ、儂が任されたのは
「役割分担、ですか……?」
「左様。今回の視察はカリス様とルーカス様で目的が違うと聞いておりますじゃ。でしたら、必ずどこかのタイミングでカリス様とルーカス様は別行動を取られるはずです。今回はそれを見越して護衛も分担する事にしたのですじゃ。カリス様には儂が、ルーカス様には王国騎士団が護衛します」
「……この事を父上は?」
「勿論、承知しておられます」
なるほど、父が承知して許可を出しているなら、これ以上私から言う事は無い。
でも気になるのは、ルー君の護衛が王国騎士団の人達複数に対して私の護衛がヤスツナ一人だけという、数の不釣り合いさだ。
そこを質問すると――。
「カリス様は今回の視察先で色々動き回るだろうから、護衛も最少人数の方がいいだろう。と、国王陛下からの配慮ですじゃ」
ということらしい。
どうやら父も色々私に気を遣ってくれているみたいだ。
……でも、そんな遠回しな気を遣うくらいなら、素直に視察の理由くらい教えてほしかったなー……。
――――――
――――
――
……とまあ、馬車に揺られながら、私はここに至るまでの過程を思い出していた。
私は今、視察先に向かう馬車の中にいる。
私の隣にはシアが座り、向かいにはルー君が座っている。
窓の外を見れば、馬に跨った護衛の騎士が馬車の周りを囲う様に付いて来ている。
更に私達の馬車を前後で挟む様に、他の護衛が乗った幌馬車がそれぞれ一台ずつ同行している。
次期国王のルー君と王女の私が出向いているだけあって、厳重な警備体制での移動だ。
「ねえ、ルー君。ルー君は今回の視察について何か聞いてる?」
馬車の長旅に手持ち無沙汰になった私は、もう既に何度もした同じ質問をルー君に投げかける。
「……姉上。それ何回目ですか?」
「ルー君が教えてくれるまで数えない様にしてる」
私の返しにルー君は明らかな溜息を吐く。
「では僕も同じ言葉を返します。今回の視察の内容は一緒でも、僕と姉上とでは目的が違います。だから姉上は姉上でアンデルソン子爵から話を聞いてください」
「……ルー君も、父上と同じことを言うのねッ……!」
「うっ……そんな顔をしないでください姉上……。でも、僕も父上から釘を刺されているのです……ご理解ください……」
涙目と上目遣いのコンボで攻め立てる私にルー君はたじろぐが、折れる気はないようだ。
……流石にこれ以上は意地悪が過ぎるわね。
「……私が悪かったわ。父上の言う通り、着いてからのお楽しみにしておくわ」
「そうしてください姉上……」
それからアンデルソン子爵領に到着するまでの間、私は愛読書の『幻獣図鑑』を読んだり、馬車の揺れを子守唄にして寝たりしながら暇を潰して過ごすのだった。
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