7.別荘改築3

 別荘の改築工事が始まって数日が経過した。

 工事の日数は、当初の予定通り数ヵ月単位になる予定だ。

 今日はハウに会うついでに、その改築工事の進捗状況を確認しに来た。


 改築は別荘の全面に及ぶため、沢山の足場が別荘をぐるりと取り囲むように組まれている。

 その為、改築が終わるまでは、別荘の中に入ることが出来ない。

 

 私はその別荘の横を素通りして、裏庭の先の森に足を踏み入れてハウを探す。

 するとすぐに木々をかき分けてハウが私の前に姿を現した。


「ハウ、元気だった?」

 〈うん、元気だったよ〉


 私はハウを一頻ひとしきり撫で、ブラッシングをして、滑らかでサラサラな毛並みを堪能する。


「そういえば、改装工事の間はずっと森の中に居てもらってるけど、ここは狭いでしょ。何か不便はない?」


 改装工事を取り仕切っているアントさんは、魔王討伐の際に息子さんを殺した幻獣に憎しみを抱いている。

 そんなアントさんに配慮してハウには改装工事が終わるまでの間、アントさんの目に入らない森の中で過ごしてもらっている。

 だけど正直言って、森の中はハウにとってあまりいい環境とは言えない。

 というのも、ハウは“ペガサス”と呼ばれる馬の身体に翼が生えた姿をした幻獣で、体格は普通の馬より大きく、その体格に見合った翼もある。

 その為、木々が密集して生えるこの森にはハウの身体が大きすぎて、動きがかなり制限されてしまうのだ。

 

 〈少し狭くて歩きづらいかな。でも、動けない程ではないから大丈夫だよ。……ただ〉

「ただ?」

 〈森の中は翼を広げられる十分な空間が無くて、翼の手入れが出来ないのが不便だね〉


 言われてハウの翼を確かめると、確かに羽毛の毛並み、特に翼の裏辺りが少し荒れていた。

 ……どうしよう。手入れはしてあげたいけど、ここじゃあハウの言う通り翼を広げる十分な空間は無い。

 裏庭なら十分な空間があるけど、今はアントさん達が屋敷の改築工事をしているのでハウを連れて行くことが出来ない。


 私はどうしようかとしばらく考える。

 ハウの手入れを優先するか?

 アントさんとの条件を優先するか?

 

 「……いや、これはむしろチャンスかもしれないわね」

 

 どちらも大事なことだが、どちらかを優先する事も難しい。

 だったら両立させることは出来ないか?

 そう、例えば、アントさんのを減らしたりだ。


 そもそも私の夢は、幻獣との共存だ。

 そしてそれは《私と幻獣の共存》という意味ではなく、《社会と幻獣の共存》でなければならない。

 その中には当然アントさんの様に憎しみを持つ人も含んでいる。

 以前シアに言ったように、これはその問題を解決するチャンスに変えることが出来るかもしれない。


 そう思い付いた私は早速行動を開始した。

 ハウに少し待つように言って森を出て裏庭に戻った私は、アントさんを呼出す。


「なんじゃ王女様。急に呼び出して」

「作業中にごめんなさいね。ちょっとアントさんにお願いがあるの」

「なんじゃ?」

「ハウを、あのペガサスを裏庭に連れて来てもいいかしら?」

「ダメに決まっとるじゃろう!」


 速攻で拒否されてしまった。

 ……まあ、そうなるわよね。

 でも私もここで簡単に引き下がるつもりはない。


「まあまあアントさんそう言わずに、まずは話だけでも聞いてちょうだい」

 

 そう言ってアントさんをなだめ、私は話を続ける。


「私だってアントさんとの条件があるから、何の理由も無くそんなことはしないわ」

「ということは、ちゃんとした理由があると?」

「勿論よ。改修工事が始まって数日経ったけど、その間ハウはアントさんの条件通りにずっと森の中で過ごしているの。でもアントさんも一度見たから分かると思うけど、ハウって普通の馬に比べてかなり体格が大きいの。それに翼もあるから、木々が密集してるあの森だとハウには手狭なのよ」

「うむ……確かに遠目で一瞬だったが、確かに大きかった気がするの」

「それに、動く度に木々に身体をぶつけてしまうから毛並みが荒れて大変なのよ。手入れをしようにも森の中だと狭すぎて翼も満足に広げられないから、このままだと十分な手入れも出来ないわ」

「だから、広い裏庭に連れ出して来て、そこで手入れをしたいということか?」

「そういうことよ。……ねっ、お願いアントさん。アントさんは私の理想を聞いたでしょう? アントさんとの条件は勿論守りたいけど、私はあの子にも不便な思いはさせたくないの。改装工事の邪魔にならない隅の方でするから。ねっ、この通りよ!」


 私は両手を合わせて頭を下げる。

 そこに王女としてのプライドや自尊心など一切込めていない。


「分かった分かったから王女様、頭を上げてくれ! あんたに頭を下げられると肝が冷えるわい!」


 流石に王女の私が簡単に頭を下げたのに驚いたのか、アントさんは慌てた様子で私の要求を了承してくれた。

 ……これは今後も使える手かもしれないわね。

 私はニヤリと笑みを浮かべて、心のメモ帳にメモを書き残す。


「全く……それは反則じゃぞ王女様。……はぁ、するならなるべく離れた場所でしておくれ……」

「ありがとうアントさん!」


 頭を抱えながらアントさんは工事に戻って行った。

 出会った時のアントさんの幻獣に対する怒りは凄かった。

 しかし今は文句を言いつつも許可をくれるのをみると、少しは幻獣に対する見方が変わったのかもしれない。

 

 「……まあ、私が幻獣について熱く語ったり、さっきのように頭を下げたりしたのがそれなりに効いていただけかもしれないけどね」

 

 しかしそれでも、アントさんの心境に変化は起きているはずだ。

 一歩でも着実に前進している。そう思うと嬉しくなってきた。

 私はウキウキした気分でハウの元に戻って行く。

 

 私はハウにアントさんから許可を貰ったことを伝え、ハウを森から連れ出す。

 そして別荘から離れた裏庭の隅の方に移動して、ハウの毛並みの手入れを始める。

 ハウもようやく翼を思う存分広げられたことに喜んでいる。

 そんなハウを見て、私も気合を入れてハウの毛並みの隅々まで丁寧に、しっかりと時間を掛けて手入れをしていく。


 ――そして一時間後。

 

 「――や、やり切ったわ!」


 私は目の前にある努力の結晶を見て、感嘆の言葉を漏らす。

 時間を掛けた全力の手入れの甲斐があって、ハウの毛並みは純白の美しさを取り戻していた。

 太陽の光を反射するほどに輝いていて、そよ風にもなびくほどのさらさらに仕上がっていた。

 翼を広げれば、まるで光の粒子が飛び散っているかのような錯覚が見えるほど、今のハウは神々しい。


「ハウ、気分はどうかしら?」

 〈最高だよカリス! こんなにすっきりした気分は久しぶりだ! ありがとうね〉


 ハウはそう言うと、私の頬に顔を摺り寄せて感謝を伝えてくれる。

 頬に伝わってくるハウのさらさらな毛並みの肌触りが、この世のどんな生地よりも最高で気持ちいい。


(――ああ、幸せ~。私はこの為に今日を頑張ったと言っても過言ではないわ!)

 

 私は擦り寄って来るハウの顔を抱きしめて、思う存分撫でまわして一頻り堪能する。

 そして最後は地面に座っているハウの身体を枕代わりにして体重を預け、私とハウは日向ぼっこをする。


「今日は天気が良くてよかったわね。おかげで最高に気持ちがいいわ!」

 〈そうだねカリス〉


 見上げれば上空には澄んだ青空に暖かい日差しの太陽、そして適度な白い雲。

 森の中の避暑地とあって、最適な気温と程よい木陰。

 そして私の体重を支えてくれて、手入れで疲労した心身を癒す最高の寝具。

 

 ……なんて魔性で最高の組み合わせなのだろうか。

 全身が脱力していく……。

 私が睡魔にいさなわれるまで、そう時間は掛からなかった……。


 ――――――

 ――――

 ――


「……スさ……。カリ……ま。――カリス様!」

「んぁ……?」

 

 シアが私の名前を呼ぶ声に目を覚ます。

 ……いけない。いつのまにか寝てしまっていたようだ。

 慌てて体を起こすと、いつの間にか掛けられていたブランケットが滑り落ちる。


「シアが掛けてくれたの?」

「はい。いくら天気が良かったとはいえ、何も羽織らなくてお休みになっているカリス様の姿はあまりにも無防備でしたので」

 〈カリスが寝ている間、ずっとシアが見ててくれてたよ。勿論、僕もね〉


 そうだったのね。

 別に起こしてくれても良かったのに、どうやらシアもハウも寝てしまた私に気を使ってくれたようだ。

 

「ありがとねシア」

「……カリス様、今の言葉をもう一度お願いします。できれば次は上目遣いで、幼さが残る甘い声色こわいろでしてくれれば最高です!」


 真面目な顔して早口に何を言っているんだこの子は……。

 私は当然無視してハウにもお礼を言う。


「……ハウもありがとう。お陰でよく眠れたわ」

 〈どういたしまして〉


 空を見ればオレンジ色に染まっている。もう夕暮れだ。

 アントさん達も既に今日の作業を終えて撤収した後だった。

 どうやらかなり長い時間寝てしまったようだ。

 

「そろそろお城に帰らないと」


 私は立ち上がって服に付いていた芝を軽く払う。


「ハウ。私は明日から少し王都を離れないといけなくて次に会いに来られるのは遅くなるけど、それまでいい子にしててね」

 〈分かった〉

「じゃあまたね。ハウ」

 〈またね。カリス〉


 ハウと別れた私とシアは、馬車で王城への帰路に就く。

 馬車に揺られながら私はおもむろに、御者台に繋がる小窓を開く。

 この小窓は御者と会話をするための連絡窓だ。


「シア。私が寝ていた時、何か変わった事は無かった?」

「変わった事ですか?」

「そう。例えば……アントさん達の様子とか」

 

 アントさんの了承を得たとはいえ、あれは自分でも中々に無理矢理な交渉だったと思っている。

 それに毛並みの手入れだけのはずが、私が寝てしまったからハウをずっと裏庭に置いてしまった。

 アントさん達に余計な不安を与えてしまっていないかが心配だ。


「そうですね。私はカリス様の隣にずっといたので詳しい様子までは分かりませんでした。……ですが、あのアントを含め、あの時働いていた建築士達全員がカリス様に何度も視線を向けていたのは確かです」

「アントさん以外の人も全員?」

「はい。間違いないかと」


 アントさんならハウの事を警戒して見張っていたのかもしれない。

 しかし他の建築士達もとなると、一体どういう事だろうか……?


「……因みに、それはとか分かる?」

「すみません。流石にそこまでは……」

「まあ、そうよね……。ありがとうシア」

 

 流石にあの距離でそれを判別しろというのが無茶ね……。

 連絡窓を閉じ、私は思考に集中する。


 少なくともアントさんは私の夢を聞いて、多少なりとも幻獣に対する認識が変わったと思っている。

 でなければ私が頭を下げようとも、アントさんはハウを裏庭に連れ出すのに首を縦に振ることは無かっただろう。

 そこは今の所いい方向に進んでいると思って大丈夫だろう。


「……だけど、慢心は禁物ね」


 アントさんは今のところ大事な協力者だ。絶対に離さないようにしないと……。


「それと、アントさん以外の建築士達も視線を向けていたというのも気になるわね……」


 当然だけど、彼等はアントさんと境遇は違う。

 幻獣に対してアントさんと同じ気持ちを抱いていたのか……。

 それとも別の感情を持っていたのか……。

 一体ハウに、幻獣に対してどんな感情を抱いているのか全く分からない……。

 

 彼等の感情を理解して、それに合わせた寄り方をしないといけない。

 もしそれに失敗すれば、別荘の改築そのものに直接影響が出るだろう。

 下手をすれば、幻獣そのものに対する認識を悪化させるかもしれない。


「――それだけは、何としても避けないと!」


 私は心に活を打ち、夢の実現に向けて決意を新たにする。

 しかし、私は明日からしばらく王都を離れないといけない用事がある。

 ハウは私の言う事を聞いてくれる良い子だから、自分から何か問題を起こすことはしないと信じている。

 ……でも心配なものは心配だ。

 

「せめて、私が戻るまで何も悪い事が起きないのを祈るしかないわね……」

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