4.男二人、ビジネスホテル

「ふい~、それなりに面白かったな。ベッド手前もらうぞ」

 ビジネスホテルに着くなり、戸川は体をベッドに投げ出してそう言った。

「駄目だ、寝そう」

「むしろアメリカから帰ってきたその日にここまで動けていることがびっくりだよ。風呂は?」

「明日の朝入る」

「了解した、んじゃ洗面台占領するぞ。眠かったら寝といてくれ」

 戸川は顔をベッドに沈めたまま、ひらひらと手を振って応えた。

 ここで寝て、明日の朝名古屋のモーニングを食べて東京へと帰る予定だ。

 夜の飛行機に乗るので、そんなにのんびりもしてられない。

 最後の力を振り絞って目覚まし時計をセットし、戸川は一瞬落ちた。


 ドライヤーの音で目を覚ます。

 十五分ほど眠っていたようで、若干眠気は飛んでいた。

「悪ぃ、起こしたか」

「や、構わん。明日なんだけど、七時くらいにはホテル出たいからよろしくな」

「任せろ」

 ドライヤーの音が鳴り、竹山も隣のベッドへ潜った。

 午後の十一時半。照明を落として、二人は眠る姿勢に移った。「じゃあ、おやすみ」「おやすみ」と言い合う。

 そのまま三十分ほど時間が流れた。


 このままアメリカへ帰ったら、もう二度と竹山に会うことはない。


 夜の孤独さが、急にそれを実感させた。

 意を決した戸川は、絞り出すような声で、言った。

「寝たか?」

 寝返りを打つ音が聞こえる。

「どうした?」

「…………俺は、さ」

 戸川はゆっくりと、言葉を紡いだ。

「迷ってたんだ、お前とどういう風に別れるか。あっさりと、いつもみてぇに馬鹿な話だけして、爽やかに別れる。それもまた俺たちっぽくていいかなって。でもさ、せっかくだから伝えることにするよ。俺が今思っている、このままの気持ちを」

「……」

 反応はなかったが、聞いているという確信はあった。

 戸川は続ける。

「お前が死ぬのは、いやだ。こんなこと言ってもどうしようもないのはわかってるんだけど、本当にいやなんだ。お前よりも気が合うやつには出会えなかったし、これからも出会えない。俺はお前と出会うために生まれたんじゃないかとすら思ったこともある。こういうの、なんていうんだっけ」

「……魂の片割れベターハーフ

 魂の片割れベターハーフ

 まるで「2人でひとつ」と感じられるような、ぴったりと重なる相手のこと。


「俺はさ、お前の替わりに死んでやるよとまでは言わない。例えそれが叶ったとしても、やらない。でもさ、せめてさ、俺の残りの寿命の半分を、お前に分けることができたらなって思うよ」

 戸川は話しながら、鼻の奥がツンとなった。

「そうすれば、先に死んじまうことの罪悪感も、残った世界で生き続けなきゃなんねえ退屈さも、どっちも抱えなくて済むだろう?」

 

 辛いのは、先に死ぬほうだけじゃない。

 辛いのは、後に残されるほうだけじゃない。

 

「それは、光栄だな」

 竹山はぽつりと言葉を返す。

「でもさ―――」

 続くその声は、少しだけ震えていた。

「俺は先に死んじまうけど、それはきっと、悪いことばっかりじゃねえよ」

「そうか?」

「ああ、だってお前の話だと、俺はこの後天国だか極楽だか知らねえけど、死後の世界に行くんだろう?」

 病室で戸川が「今天国では海の美しさについて語るのが流行ってるんだ」と言ったことを思い出す。

「そしてそこでは、海の話とか富士山の話、鰻の話など流行に事欠かねえと来た。ってことはさ、きっと天国にもあるはずなんだよ。こっちにはない、エンタメコンテンツが」

「一理あるな」

「だろう? だから俺はさ、先に天国のおもしれぇコンテンツを死ぬほど漁っておく。死ぬほど……いや、死んでるんだが、死ぬほど集めておくよ。だから戸川、お前は、この世界でこれから生まれてくるたくさんのコンテンツをしっかり履修しておいてくれ。それをほら、次にまた会ったとき布教し合って、感想戦しようぜ」

 竹山は体を起こし、戸川のベッドの淵に立った。

 握手を求めるかのように手を差し出す。

「俺が死んだあと、忙しさにかまけてコンテンツの摂取をやめるんじゃねえぞ。あんときの約束はまだ生きてるからよ」


『そん時は俺がお前のことを殺すよ。エンタメを楽しめなくなった人生に意味なんてないもんな。その代わり俺がエンタメを楽しむことができなくなってたらその時は、一思いに殺してくれ』


「俺に会いたいからって、殺されるのを待つなよ」

「言ってろ」

 戸川も体を起こし、二人はぎゅっと、強く手を握り合った。



 朝起きてからはもう昨晩の空気は残っておらず、いつものような馬鹿話で盛り上がり、予定通り東京へと戻ってきた。

「じゃ、そろそろ行くわ」

「おう、気をつけてな。奥さんによろしく言っておいてくれ」

 戸川は笑って、右手を挙げた。

「グダグダ別れるのは性に合わんから宣言しておくけど、さすがにもうお前が死ぬまでの間に帰国はできそうにない。だから、電話もしない」

 彼の右手には、昨晩の強い握手の感触がしっかりと残っている。

「ああ、別れの挨拶なら昨日の夜済ませたつもりだからな」

 竹山も同意して、右手を挙げる。

「ハイタッチでもするか」

「おう」

 二人の右手がぱち、と乾いた音を立てて、ぶつかった。


「じゃあ、達者で。俺はお前に出会えて、幸せだったよ」

「またな。お前に出会えて、最高の人生だった」

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