3.名古屋めしは美味い

 そして現代。


「車はレンタカーなんだな」

 弾丸的に名古屋へ行き、ひつまぶしを食べることに決めた二人は、レンタカーに乗り込んだ。

「『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』だとギャングから車を盗んでいたけど……」

 竹山が不満そうに口をとがらせる。

 映画では海を見るためにギャングの車を盗んだせいで、物語が楽しく動き出す。

「馬鹿言うな。これまで堅実に生きてきた俺がそんな馬鹿なことするかよ。俺たちの人生は映画じゃないんだからさ」

「笑わせるね。堅実に生きているやつは子どもと奥さん連れてアメリカになんて行かないし、向こうの会社で新しいビジネスの立ち上げリーダー任されたりなんかしない」

「ふっ、まあそうかもな。何の才能もなかったにしてはかなり高いところまで来ちゃったかもしれん。でも仕事と考え方なんて全然別のところにあるからなあ」

 言いながら戸川は車のエンジンをかけた。

 予約したひつまぶし屋をナビにいれ、車を走らせる。助手席に座った竹山が窓の外を眺めながらしみじみと言う。

「レンタカーはまだ手動運転メインなんだな」

「そうだなー、まあ責任の所在とかいろんなしがらみがありそう」

「人間の進化を止めるのはいつだって人間ってことだな」

「え、なに? 突然名言っぽいこと言いだして、映画化でも狙ってるんか?」

「全米泣かすかあ」

「どうせなら全世界を震撼させようぜ。竹山、サイコ~~~~~!」

「子ども向け夏休み映画のCMのモノマネすんな」

 そんな雑談をしながら高速道路へ入り、懐かしい曲から最新の曲までをシャッフルで流しながら移り行く窓の景色を眺めていた。


「そういえば、ドラマの『ガールズ・ロンド』みたか?」

 戸川はふと、二か月ほど前に一挙配信されて話題になった洋ドラマを思い出した。

「もちろん見たぜ」

「お、じゃあ感想戦すっか」

 感想戦とは、この二十年間二人が幾度となく繰り返してきた戦のことである。

 戦と言うほど大げさなものではないが。

 要するに同じ作品を見た感想を語り合う会のことである。

 自分の感じたこと、考えたことをまっすぐに相手とぶつけ合い、殴り合うその様相は戦いそのものなので、いつの間にか二人の間では感想戦という言葉が馴染んでいた。

「じゃあまず一番好きなシーンからな。ラストライブの前座」

「おあ……わかるわ……」

「あそこでエリックが歌う直前に、ちょっと笑うじゃん。あの口角のあがり方が本当に好きで!」

「あれでようやく受け入れられたんだよな。過去を乗り越えましたっていう表現を口元を映すだけで”わからせ”てくる演技が最高なんだわ」

「だよなあ!」

 そのまま『ガールズ・ロンド』の感想を語り合い、いつしか最近読んだ小説や観た映画を布教し合う、いつも通りの会話になっていた。


 竹山はもうすぐ死ぬ。

 それでも戸川は、今までと何も変わらず、自分の好みを布教し続けた。

 死ぬ瞬間まで、好きを追い続けてほしかったから。


 戸川の労働は激務だ。

 それでも竹山は、今までと何も変わらず、自分の好みを布教し続けた。

 約束があったから。

 戸川が労働に飲まれてしまったその日は、彼を殺さなければならない。

 だから少しでもエンタメに触れやすくなるよう、選択肢を提示し続けた。


 日が傾きはじめ、そろそろ静岡県を抜けようとしている頃。

「あー……ハラへったな」 

 助手席の竹山が俯きながらそう言ったので、思わず戸川は噴き出した。

 食えよ、と言いながらドリンクホルダーに突き刺さっているじゃがりこを指差す。

「いや、もうすぐ着くだろ。どうせなら最高のコンディションでひつまぶしに挑みたい」

「……楽しみにしてるとこ悪いんだが、ひつまぶし、美味いことは間違いないんだけど、要するに鰻だから多分知ってる味だぞ……?」

「なんで食べる前にそういうこと言うの!」

 高速道路を降り、目的のお店まで車を転がす。

 そこは地元でも人気の老舗であり、ウェブサイトも地元民もみんなが口をそろえて称える名店だった。

 席に着き、貰ったメニューを開く。

「んじゃ、この一番高いやつでいい? 奢るよ」

 戸川が指をさして同意を求める。

「奢ってくれんの? 金あるなあ」

「まあ、金と人脈はかなりあるし、値段も言うて手頃だしね」

「それを嫌味なく言い切れるのがすごい。でも落ち着け、ここは俺が奢るよ」

 そう竹山は提案した。

「……なんで?」

「そりゃお前、俺はもうすぐ死ぬんだぜ、他に金を使うところなんてないからよ」

「あ~、確かに! ……待って、今のリアクションあってた? さすがにもっと湿っぽくするべきだったか?」

「そこまで聞いちゃってる時点で終わりだよ終わり」

 結局割り勘することになった。

 運ばれてくる料理を見て二人は声をあげる。

「めちゃくちゃ美味そう」

「だなあ」

 戸川は電子デバイスを操作してフリックで写真を撮る。

「奥さんに送るんか?」

「そうそう。羨ましいだろって」

「……俺が奥さんならブチギレるぞ」

 お吸い物を一口飲み、お櫃のご飯を四等分した後茶碗へと注いで、まずはそのままの状態で頂く。

 少しカリっとした、絶妙な焼き加減の鰻と、濃すぎず、それでいて深みのあるタレがご飯と絡まり、口の中が満足感でいっぱいになる。

「美味いな」

 鰻重はタレが美味しいんだ、と世間ではよく言われるし、竹山もおおむねその通りだと思っていたが、濃すぎないタレと鰻の程よい味の絡まりが、その通説を否定した。

 二杯目は、薬味だ。

 ネギとノリ、それにワサビを乗せて、味にアクセントをつける。

 先ほどのシンプルな味わいに、主張をしすぎないツンとくる刺激が合わさって、また違った形の鰻を楽しむことができた。

「美味いな」

 ワサビだけではなく、ネギやノリの辛みや香りも効いていて、薬味は鰻のために生まれてきたのではないかと錯覚する。

 三杯目は、いよいよお茶漬けだ。

 熱い出汁をかけてご飯になじませる。

 ズズ、と啜ると、今までよりも数段優しい味が口に広がった。

「美味いな」

「お前それしか語彙ないんか?」


 最後に余った四分の一は、自分の一番気に入った食べ方で食べる、というのがひつまぶしのルールらしいが、どれも違った美味しさがあったので、竹山はしばらく悩んだ。


「どうだ、これでもう天国での話題に乗り遅れることはないな」

 車に戻るなり、戸川は笑いながら言った。

「よかったよ。連れてきてくれてサンキュ」

「もう……思い残すことはないか?」

「そうだなあ」

 竹山は少しだけ考えた。

 思ったより、思い残すことなんてなかったのだ。

 それなりにいい人生だったのかもな、と思ってそう言おうとした瞬間、ひとつだけ思い残すことがあったことに気が付いた。

「づぁ、あったわ」

「びっくりしたあ。なになに、言ってみ」

「……あと四回で完結予定の『エンドエンドライフ』の最終回、たぶん読めねえ」

 『エンドエンドライフ』とは、週刊誌で連載中の大人気漫画である。

 多忙な戸川もそれだけは毎週欠かさず読んでおり、大きな展開があった時などは時間を合わせて竹山と感想戦を行うこともしばしばあった。

 そんな『エンドエンドライフ』も、残り四回で最終回を迎える。

 竹山の余命はあと三週間程度。きっと、『エンドエンドライフ』の最終回を読むことはできないだろう。

「まあ、『ワンピース』の最終回が読めただけ良しとするかな」

 欲を言えば『ハンターハンター』と『喧嘩稼業』も完結まで読みたかったけど、と竹山は零した。

「きっとそうやって、好きな漫画の最終回を読めずして死んでいった人間なんてごまんといるんだろうな」

「もし天国ってのがあったら、やっぱり後から来た人間は根掘り葉掘り聞かれるんじゃないか? 『はじめの一歩』は完結したか? とか」

「ぎゃはは、確かに。俺が天国にいたら絶対聞いちまうよ」


 時計をちらりと見る。早い時間にひつまぶしを食べたせいで、まだ七時にもなっていなかった。

「戸川、このあとどうする?」

「東京まで帰ってもいいんだけど、今から帰るとたぶん日は回るだろ、今朝早かったから眠くなりそうだし、できれば名古屋で一泊したいな」

「俺が運転しようか?」

「もうすぐ死ぬやつにハンドルなんて握らせられっかよ」

「それもそうか」

 戸川はそのまま名古屋駅から少し離れたところのビジネスホテルを予約して、「さて」と言った。

「名古屋に泊まるとなっても、今からなにするかって話は残ってるんだけどな」

「名古屋、飯は美味いのに本当に観光するところ何もないよなあ」

 竹山はしみじみと言った。

 一応名駅からそう遠くないところに大きな水族館や科学館などはあり、少し足を延ばせばナガシマスパーランドなどもあるのだが、この時間はどこも閉まりかけている上に、ナガシマスパーランドは三重県だ。

「なんかないんか、こう、退屈を忘れるようなドラマチックな展開はよ」

「俺たち二人にあるわけないだろ。そうだなあ。適当な映画でも観に行くか」

「……名古屋まで来て映画かよ」

「ほかに選択肢、あるか?」

「嫌だとは言ってないだろ」

 竹山は今公開中の映画を検索し始める。

「とりあえず車出して、適当に時間合う映画に行こう」

「だな」


 結局ちょうどいい時間の映画は『タルトタタンの作り方』という少女漫画を原作にした日本の実写映画しかなかった。


「俺の人生最後の映画館の映画、これかあ」

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