第4話 不意の遭遇

 浮気はされる方にも問題があるらしい。

『彼女を大事にしていないから浮気される』

『自分は浮気をさせられている』

 雑誌や本でこれらの声は真っ当な意見として肯定される。

『浮気するのは当然』と言わんばかりに


 一方で、有名人の浮気や不倫が報道されれば非難の嵐だ。

「最低」「猿」「不誠実だ」「奥さんがかわいそう」

 まるで『浮気や不倫は許さない』と言わんばかりに


 どっちが正しいのだろう。

 恋愛に正解はないというのなら、どちらも不正解ではないということになる。

 いや、正確に言えば違う。

 きっとどちらも正しくて、その時の状況、その時の気分が違うだけ。自分を守ってくれる聞こえの良い言葉をその時々で選んでいるんだ。

 意見はいくらでも対立できるし、自分自身の言葉さえ矛盾する。

 そう考えれば『恋愛に正解はない』という言葉も随分と陳腐で、無責任な、都合の良い便利な言葉に成り下がってしまうものだ。


 恋愛に限った話じゃない。

 ま、そんなことを言い始めたらキリがないし、きっと誰も自分を保てなくなる。


 だがこの浮気に関して言えば……原因の大半はきっと俺にある。

 彩乃が考えていることは想像がつく。

 なのに俺は関係を修復するどころか、逆にこうして利用している始末。


 断言できる。

 早盛猿司はクズだ。

 そして俺自身も正真正銘の、救いようのないクズだ。


 だがそれでも——


 誰に恨まれても——


 あいつだけは……猿司だけは……どうしても許すことができない。




 ◆◇◆◇




 白石先輩の男装姿を見た翌日。

 長い長い授業を終えて、待ち合わせ場所の駅前に着いた。

 時刻は十五時四十五分。約束の時間まで十五分ほどある。


 しかし顔を上げれば、目的の人物がすぐそこまで来ていた。


「あれ? あたしの方が先に着くと思ったのに……もしかして待った?」

「いや、さっき来たばっかだ」


 小走りで駆け寄ってきたのは、俺の彼女である七川彩乃。

 ハイトーンだが柔らかい印象を与えるベージュカラーの長髪に、意志の強そうな相貌。大人……というよりかは気の強そうなイメージを持つ女性だ。


「そう? なら良かった」


「少し早いが、さっそく行くか」


「そうね。早めに行動する分には問題ないし」


 自然と彩乃の手を取って、歩幅を合わせて歩き出す。

 目的地は映画館。今日が最終公開日の女子に人気の恋愛映画を観るのが今日の主なデート内容だ。


「そう言えばさ、この前話したさつきと石田のこと覚えてる?」


「二人がいい感じの雰囲気だって話か?」


「そうそれ。あたしも今日聞いたんだけど、二人、実は一週間前から付き合ってたらしいんだよね……知ってた?」


「いや、今知った」


「翔って他人の恋愛事情興味ないもんね〜。あたし、ちょっと意外だったの」


「意外?」


「さつきってステータス重視っていうか、けっこう面食いなんだよね。石田って馬鹿だし、顔もそこまで良くないからなんで付き合ったのかなーって」


 なるほど。

 たしかにおかしな話だ。


「もしかしたら、石田の隠された内面を見たんじゃないか?」


「どーいうこと?」


「普段はバカでおちゃらけている石田が、外見を整えてみたらイケメンで実は秀才……みたいな」


「あー、なんかの事情で実力を隠してる系の主人公ね。石田に限ってないでしょ」


「ま、ないだろうな」


 実は俺、彩乃、さっき話題に出た石田洋介、新藤さつき……そして猿司は同じサークルに所属している。

 サークル名は『L ・E 』。

 元は県外の高校に通っていた先輩が作ったサークルらしく、『let's enjoy』を略してこの名前になったらしい。当初は元バスケ部だった人が多かったらしく、趣味や息抜き程度に集まってバスケや他のスポーツをやっていたんだとか。今もその名残りはあるが、主なサークル活動はイベントを企画、運営する方向にシフトチェンジしている。


 そしてこのサークルには、藍沢先輩も所属している。

 奇しくも俺、彩乃、猿司、藍沢先輩の四角関係はこのサークルで繋がっていたわけだ。




 平日ということもあり、映画館はそれほど混雑はしていなかった。

 事前に予約しておいたチケットを発券し、片方を彩乃に渡す。

 続けてドリンクを注文。

 映画を見終わった後に夕食を取るため、ポップコーンは控えといた。


「少し時間あるし、グッズの売店でも覗くか」


「そうだね。他の店を回れるほど余裕があるわけでもないし」


 俺と彩乃は館内の売店を適当に物色する。

 そこそこ豊富な品揃え。これなら時間潰しには十分だ。


「お? 翔と彩乃か?」


 突然、背後から声をかけられた。

 二人で同時に振り返ると、そこには——


「猿司と……藍沢先輩」


「こんにちは」


 藍沢先輩が柔らかく微笑み


「お前らも映画を観にきたのか? すんげぇ偶然だな」

「みたいだな」


 堂々とした態度で猿司が言う。

 二人でデートか。

 それにしてもここで会うとはな。

 思わぬ事態に彩乃も少し動揺しているようだ。

 猿司と藍沢先輩の顔を見た途端、表情が強張っている。


「ちなみになんの映画を観るんだ?」


 尋ねてきた猿司に、俺はチケットを見せながら答える。


「これだ。最近流行ってるやつ」


 すると、藍沢先輩の目が見開かれた。


「うそ、ほんとに? 実は私達も同じ映画を観に来たの!」


「え、やば! すんごい偶然じゃない!?」


 いつもの調子に戻った彩乃が、少し興奮気味に身を乗り出す。


「偶然に偶然が重なると必然になるって言うが、もしかして誰かに仕組まれてたりして。なぁ、翔」


 猿司に顔には、謎の含み笑いがある。

 何を考えているのかは知らないが、いずれにしろ興味はない。


「なに言ってんだ猿司。考えすぎだろ」


「そっか、そうだよなぁ。いや悪りぃ、悪りぃ。変なこと言っちまったわ」


 今にも吹き出しそうな一秒前。

 猿司の顔を例えるならそんな感じだ。もう少し彩乃みたいに自然に振る舞え。

 誰にも言えない秘密があるんだから……


「ごめん、猿司。そろそろ上映時間だし、お手洗いだけ行かせて」


「おっけ。ごゆっくり」


「俺もトイレに行ってくる」


「え……! あ……うん……」


 藍沢先輩に続くようにして、俺もトイレに向かう。




 残される形となった猿司と彩乃。

 しばらく二人は無言だったが、先に彩乃が口を開いた。


「なんでいるの? 今日は映画館には近づかないでって言ったよね?」


「ははっ、ごめんて。どうしても気になっちまってさ」


「なにが」


「自分の彼女が寝取られてるのを知らない馬鹿彼氏が、どんな顔でデートしてんのか」


 下卑た笑いを浮かべる猿司。


「趣味わる……」


 彩乃は侮蔑を多分に含んだ視線で猿司を射抜く。


「そんなことでここまできて……藍沢先輩に浮気がバレても知らないからね」


「俺なら大丈夫だ」


「どうして?」


「強いて言えば……俺だからだ」


 あまりに根拠のない自信に、彩乃は言葉を返すことも忘れてしまった。


「でも滑稽だったろ……楽しそうにデートしちゃってさ。彩乃だって内心笑ってたんじゃねーか?」


「あんたと一緒にしないで」


「いやいや一緒だろ? 俺とお前は」


「ちが——ッ!?」


 尚も反論しようと口を開きかけるが、視界に翔が映り、思い留まる。

 これ以上ここにいたくない彩乃は、戻ってきた翔の腕を急いで取り


「あたし達は先に行こ。あまり一緒にいると向こうにも迷惑だし」


 いつもと変わらない自然な表情を向ける。


「だな。できれば席も離れていてくれると助かるんだが……」


「いや、それほんとに。近くにいられると気まずいし」


 翔と彩乃が並んで劇場内に向かう。

 だが彩乃は気付いていない。

 翔の腕を掴んでいる手が、いつもより強くなっていること……

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