螺旋階段 4

「今のって……?」


「これも近くて遠い世界の出来事。この世界ではワタシに煉獄螺旋のことを教えたのはあなたなの」


 全然わからない。とてもややこしくなってきた気がする。

 今の映像もここではないどこかの並行世界で、その並行世界によっては少女と俺の立場が逆転しているっていうこと?


「ワタシもあなたと同じ。気がついたら煉獄螺旋に巻き込まれていたの」


 彼女も俺と同じ立場だってことか?

 つまり今の映像は過去の彼女の思い出ってこと?


「違うわ。今の映像のことはワタシは知らない。どこかの並行世界での出来事よ。けど、でも、今の映像と同じようにワタシは一人でさまよっている途中に煉獄螺旋について教えてもらった。もう少し歳を重ねていたあなたにね」


「俺に? ちょっと待ってくれ。歳を取ってる俺に会ったってことは、つまり君は未来の俺に会ったってこと?」


「いいえ。並行世界の別のあなただと思うわ」


 余計にわからなくなってくる。


「ある世界ではワタシに煉獄螺旋のことを教えるのはあなた。けど別の世界では立場は逆になる。あなたが煉獄螺旋のことを知らないのなら、ワタシが教える運命にある。そういう風になってるみたいなの」


 なんとなく彼女の言っていることは理解できた。けど、そもそもの煉獄螺旋ってのがなんなのかがわからないんだけど。


「煉獄螺旋というのは数多ある並行世界や異世界を飲み込み、やがて一緒くたにするもの。そして、その全ての世界を終わらせるもの……らしいわ。これを教えてくれたのはあなた。そして、あなたは今の話を過去にワタシから聞いたと言っていわ。『もっと幼い姿の君に教えてもらった事しか教えられないけど』って前置きをしてから、煉獄螺旋について教えてくれたの」


 つまり、別世界の中年の俺が若い頃に幼い少女に煉獄螺旋のことを聞いて、それを何年か後に今度は歳を重ねた少女に教えて、それを教えてもらった少女が今度は今の俺に教えてくれてるってことか。……めちゃくちゃややこしい伝言ゲームみたいな。


「捻れてるって女神様が言ったのはそういうこと。本来干渉することのない時間や場所が、どういうわけかワタシとあなたにだけは繋がっているみたいなの」


「どうして君と俺がそんなわけのわからないモノに巻き込まれたんだ?」


「それはわからないわ。けど、ワタシたちは逃れられない煉獄螺旋の渦の中にいることは事実よ」


「俺、別に普通の人間だと思うんだけど。今まで特別変なことなんかなく普通に暮らしてきたんだけど」


「気が付かなかっただけよ。無意識下であなたは奇跡的な出来事や偶然をたくさん経験しているはず。たとえば電車の事故に巻き込まれそうになったけど、トイレに行ってて乗る電車が一本遅くなって助かったとか、そういう話ってよく聞くでしょ。そういう出来事をあなたは経験しているのよ。なかなか自分では気づかないでしょうけど」


 にわかに信じがたいが、事実こんな意味不明な事態に陥っている。


「それで、この煉獄螺旋ってのから抜け出す方法はないの?」


「ないわ」少女は即答した。


「それがワタシ達の運命なのよ。数多の世界は最終的には煉獄螺旋に飲み込まれて消える。ブラックホールが星を飲み込むようにね。ワタシ達はその時まで煉獄螺旋と共に生きることが運命付けられているの。この煉獄螺旋がいつか全ての世界を飲み込み消滅するその時まで、ワタシ達はずっと次元の狭間を行き来しながら生き続ける。煉獄螺旋の中の数多の異世界や並行世界を漂流しながらね。ワタシ達は死ぬことができないの」


 少女は大人びた微笑みを携えて言った。全てを諦めたような達観した表情だった。


「死ねないって……あれ。俺、魔物に食われて死んだんだけど?」


「でも、現にまだ意識があるでしょ。死んでいないわ」


「じゃあ、なにかい。煉獄螺旋ってのに巻き込まれてるから魔物に食われても死ななかったってこと?」


「それも少し違うわ。あの女神様が言ってたことが真実よ。魔物はあなたの魂は食べれなかった。だから意識が残ってる。それだけよ」


「……難しいな」


「理解しようとするから混乱するのよ。人はわからないことをなんとか理解しようとするけど、理解できないことなんて星の数ほどあるわ」


 それはそうなんだろうけど……。


「でも、死なないってどういうことなの? 俺、このまま幽霊みたいにふらふらしてなきゃいけないの?」


「違うわ。ワタシ達は次元の門を越えることを運命つけられているの。世界を超えて生き続けなければならない運命にいるのよ。たとえば、この世界のあなたが死にかけたとしても、何かの不思議な力が働いて、あなたは別の世界に迷い込んで生き永らえるわ。きっとあなたは今までだって、何度も無意識のうちに世界を渡り歩いているのよ。姿や年齢は変わりながらも」


 そんな壮大なことを言われてもピンとこない。理解が追いつかない。


「小説のマトリョーシカみたいなものって、歳を重ねたあなたは言っていたわ」


「どういうこと?」


「アラビアンナイトってわかる?」


 アラビアンナイト。千夜一夜物語ともいう。

 いつか学校で習ったことがある。

 確か、毎晩若い娘の首を刎ねるペルシャの暴君に抗うために、一人の娘が毎晩いろんな物語を暴君に聞かせつつ絶妙にちょうど良いタイミングで「続きは明日ね」ってやめることで生き永らえるってストーリーだった気がする。


「ずいぶんと、かいつまんだ感じだけど大体はそうね。人ひとりの人生が小説や物語のようなものだとしたら、ワタシ達の人生はアラビアンナイトみたいなもの。終わりなき永遠の舞台を演じさせられている滑稽な役者みたいなものよ」


 死ぬことなく世界を渡り歩くって、そういうことか。それが本当なのだとしたら、めちゃくちゃ怖い気がする。


「けれど、心配しないで。あなたとワタシはいつでも巡り合う。それが煉獄螺旋の運命みたいだから。事実、こうしてワタシはあなたに出会えた。きっとあなたは過去に記憶にはなくともワタシに出会っているはず。ワタシと初めて会った気がしないでしょ?」


 言われてみれば確かにそうだ。彼女が階段を降りてきた時、俺は奇妙な既視感を覚えていたのだから。


「あなたが孤独な旅路に喜びや悲しみを分かち合えるのはワタシだけ。ワタシが孤独な旅路に憎しみや愛しさを分かち合えるのはあなただけ。それが、あなたとワタシがたどり着いた結論なの」


「君と俺がたどり着いた結論?」


「そう。遠い次元の果てで邂逅し憎しみあった果てに導き出したあなたとワタシの結論。そして、遠い時空の果てに巡り合い愛しあった末に導き出したワタシとあなたの結論。あなたはどこの世界でも、ひとりぼっち。ワタシもどの世界に行ってもひとりぼっち。だけど、ワタシたちは結ばれている。数多の世界を渡り歩きながらも、煉獄螺旋の渦に捉えられた二人は離れられない。だから、あなたはワタシを探し出す。だから、ワタシはあなたを探し出す。それが、どこかの世界でたどり着いたワタシとあなたの約束なの。だから、寂しいけど怖くない。またあなたに出会えるから。そして、また出会えた」


 少女はニコリと笑った。笑っているその瞳から一粒の涙がこぼれた。


「でも、もうお別れ」


「どうして?」


「あなたはもうこの世界では生きられないから。ここは魂だけで存在できる世界ではないでしょ。消えかかったあなたがこの螺旋階段を見つけたのは運命。煉獄螺旋の導きよ。だから、最後にこうして、ワタシに会えた」


 突如、視界がドロリと溶け始めた。油絵が溶け落ちるみたいに空も少女の姿も滲み始めた。


「お、俺はこれからどうなるんだ?」


「あなたは終われない。煉獄螺旋が全てを飲み込むその時まで死ぬことはない」


 少女の姿も景色もどろどろに溶けてしまった。もう彼女の

表情はわからなくなった。けど、声はまだはっきりと聞こえる。


「俺は別の世界に行くってこと? 今まで記憶とかは残るの?」


「わからないわ。きっと、目が覚めた時は、どうして自分はここにいるのだろう、とは思うだろうけど、その後はわからない。ワタシは前の世界のことは断片的にしか覚えていないわ」


 視界はいろんな絵の具をめちゃくちゃに混ぜたような色彩になっていた。


「記憶も何もかも改竄されて別の世界に送り込まれるって事?」


「ええ」


 そんなの怖すぎる。

 もう彼女の顔は見えないけど、彼女の声は温かく力強かった。


「もう時間がないわ。あなたの魂はこの宇宙そらに溶けて消える。けれど、あなたは門を超えるだけ。目が覚めた時、あなたは何も覚えていないかもしれない。けど、もしあなたがこの事を今までのことを覚えていたらワタシを探して。きっとワタシもその世界のどこかにいるから」


「どうして君は俺を……?」


「あなただけがワタシを愛してくれた。あなただけがワタシを救ってくれた……。だからワタシはどんな世界に迷い込んでもあなたを探し出す。怖がらないで大丈夫。どんなに孤独でもワタシとは巡り合えるわ。だから大丈夫。あなたはひとりじゃない。絶対に一人にはさせないわ」


 彼女の声がだんだんとぼやけてくる。残響のような広がりのせいで声が不明瞭になっていく。


「最後に教えてくれ。君の名前は?」


 叫ぶ俺の声もぼやけてエコーがかかったように反響していた。

 俺の声が遠くに消えて、静寂が残る。彼女の声はもう聞こえない。

 諦めかけたその時だ。


「ワタシの名前は……ユメ」


 遠くから少女の声が聞こえた。


 その名前を聞いた瞬間、何かが頭の中に浮かんだ。でも、それが何かはわからなかった。子供の頃の一家団欒を思い出すような、ほんのり胸が温かくなるような不思議な感覚だった。

 少女の声がぼやけて重なって捻れて消えて、そして俺は意識を失った……。

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