螺旋階段 2


 階段はぐるぐると螺旋を描きどこまでも続いている。

 高いところって苦手なのだけど、あまり恐怖心はなかった。死んでるからかな。

 階段は森の木々を抜けた。視界が広がる。螺旋階段はどこまでもどこまでも空高く果てしなく伸びていた。

 登るのには途方もない時間がかかりそうだ。けど、体がないせいか疲労も感じないし、なんとなく感覚としては流れるプールの中をゆらゆら揺られながら移動しているような身軽さなのだ。だから、あまり疲れずに登り続けることができた。


 どのくらい登っただろうか。

 少しだけ下を見ると、街がミニチュアサイズになっていた。かなりの高さまで登ってきたようだ。

 太陽もすっかり姿を表して景色としては抜群だった。しかし、下界の人々は誰もこの螺旋階段に気づいていないようで、やはりこの階段は天国に続いているんじゃないかと思った。

 ぐるぐるぐるぐると登っているなんだかぼーっとしてくる。

 木の周りを回ってバターになっちゃう虎の話が絵本か何かであったけど、俺もそんな感じでこの螺旋階段を登っているうちに全身が溶けてしまってそれでおしまいになるのかな。それでもいいか。もう体もないんだし。

 段々と視界もあやふやになってきて、銀色の階段がキラキラ光ってて、綺麗だなぁとぼんやり考えていたら、突然目の前に白猫が現れた。

 上から降りてきたようだが、俺は階段を踏み外さないように足元(足なんてないけど)を見ながらぼーっとして歩いていたので、それに気づかなかった。

 突然、猫が目の前に現れたので、俺は驚いて階段から足を踏み外しそうになった。危なかった。


「びっくりした!」と思わず声を出すと、猫は俺を見上げてちょこんとお座りした。


「おい、あんちゃん」


 また驚いた。猫が喋ったのだ。しかも結構低くて渋い声だった。


「ったく。この階段がなんだか知ってて登ってんのか?」


 ダンディな声の猫は俺を見上げて言った。


「し、知らない。何の階段なんだ?」


「知らねえで登ってきたのか。世話ねえな。いいか、これは煉獄螺旋ってもんらしい。本来なら、おいそれと見つけられるもんじゃねえし、ましてやホイホイ登れる代物じゃねえ」


「煉獄螺旋……それは何なの?」


「まあそれはいい。俺の要件とは違うからな」

 

 要件……? この猫は一体何者だ?

 喋る猫が天国からの使者だなんておとぎ話でも聞いたことがない。


「俺は女神だ」


 ……女神? 猫なのに? 


「ったく、これだから人間ってのは面倒だな。猫が女神じゃいけねえのかよ」


「いや、いけないって訳じゃないけど……。っていうかオスだよね? 声的に」


「おお。俺はオスだ。だからなんだ」


 不満げに俺を見上げる白猫。

 喋る猫でオスで女神って……どこから突っ込めばいいのかわからない。


「んだよ。男は男らしく。女は女らしく。猫は猫らしく、女神は女神らしい態度を取れって? かー。時代錯誤のジェンダーハラスメントですか。これだから嫌なんだよ凝り固まった人間ってのは」


 しかも口が立つ。


「ご、ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど」


 突然現れた猫に怒られた。一体なんだってんだ。


「ったく。言葉には気をつけろよ。まあいい。話を戻そう。俺が来たのはお前さんを救済するためなのだ」


「救済? どういうこと?」


「ってのも、俺はこの世界のモンじゃない。次元の門の向こう側に広がる数多の世界の内の一つで女神をやらさせてもらってるモンだ。ほら、お前さんを食っちまった魔物がいたろ。あいつらが元々生息している世界の女神だ」


 つまりは異世界の女神ってこと?

 よくわからないけど、偉い人(猫)なのかなと思い、一応腰を低くする。


「その女神様がどういった要件です?」


「おう。この度はうちの世界のモンが迷惑をかけたな。次元の門が開いちまったみたいで、あの魔物どもがこっちの世界に迷い込んだんだ。ちょうどそこへお前さんたちが通りかかっちまったもんだから、あんなことになっちまった。申し訳なかった」


 ペコリと猫の女神様は頭を下げた。

 三つ目の恐ろしい魔物が住んでいた世界。俺たちの世界とは別の世界があるなんて俄に信じられない話ではあるけれど、現実にその異世界の魔物に食べられてしまったんだから、信じるもクソもない。


「異なる世界のモン同士は基本、干渉できないようになってるんだが、運悪く色々条件が重なっちまったみたいでな。で、要件に移るんだが、お前さんは自分が死んだのになんで意識があるのか疑問に思わねえか?」


「……思う。幽霊にでもなっちゃったのかと思ってたんだけど」


「うーん。半分は正解だ。説明が難しいんだけどな。お前さんの肉体は魔物に食われて失われた。けど、お前さんの魂は食われていないんだ。あの魔物はお前さんの体しか食うことはできなかったってことだ。魂には手が出せなかったんだな」


 体だけ食われた? そんなことがあるの?


「例えば、フグとかいう魚がいるだろこの世界に。あれって毒がある部分は食えないんだろ。だから、毒を取り除いて美味い部分だけを食うだろ。そんな感じで、あの魔物どもにとって、こっちの世界の人間の魂は毒みたいな物なんだ。だから、魂にだけは手をつけなかったんだな。それで、お前はこうして魂だけでノコノコ歩き回ってるってことだ。わかったか?」


 わかるようなわからないような。つまるところ、俺は生きてるの? 死んでるの?


「それは難しいところだな。この世界では体が無くなっちまったら生きてるとは言わねえんだろ。だからこの世界の定義ではお前さんは死んでると言えるだろうな」


 何だよ。ってことは、俺はやっぱり死んじゃってるんじゃないか。


「まあ待て。この世界ではって言ったろ。世界によってことわりは異なる。俺の世界では精神体に対する理解や研究が進んでる。魔法学が進んでる世界だからな。俺たちの世界の認識の上なら、お前さんはまだ死んでない。ってことで前置きが長くなったが本題だ。お前さん、俺の世界に来ないか?」


「えっと、君が女神様をやってる世界に?」


 でも、体は魔物に食われてしまったから無いぞ。精神体として幽霊みたいな状態で異世界に行くってことかな?


「違う。体は用意してやる。お前さんと逆でな、魂だけが死んで肉体は残ってるってパターンがあるんだよ。健康で良い感じの肉体の奴とかは、魂だけが死んだ場合は体を取っておくんだよ。別世界から魂を連れてくるってなった時に、そういう奴の体を魂の依代にするってことだ。俺たちの世界では死んだモンの体に異世界から召喚した魂を入れることを『転生』と呼んでいる。お前さんも、転生体としてこっちの世界で暮らさないかと聞いてるんだ。俺直属の部下として、特別待遇で色々能力とか授けてやるから、ちょっと世界のために色々やって欲しいってのが条件だけどな」 


 転生。

 なるほど。別の人間の体を譲り受けて生を受けるということか。


「もし、君の申し出を断ったら?」


「んー。魂のまんまでここら辺を彷徨ってりゃ、数日もすりゃ自然消滅ってルートが濃厚じゃねえかな。俺もこっちの世界のことはわかんねーけど多分そうだと思うぞ。ちなみに、お前のツレのあんちゃんは二つ返事で了承して俺の世界に転生してったぞ。俺の下で働くってのもすぐ同意してな」


 ……砧のことか。あいつのところにもこの女神様は行ったのか。


「あっけないほど迷いなく転生を選んだぞ。異世界に行くのが夢だったんだなんて、年甲斐も無くはしゃいでたぞ。変な奴だな」


 本当に判断が早い。ちょっと笑ってしまった。でも、それで気が晴れた。


「わかった。俺だってどうせ消えちゃうんだったら、異世界でもなんでも行くよ」


「よし。じゃあそうしよう。それで最初はお前さんの妹を見つければいい」


「そうだ!コマキはどうなったんだ? あのトンネルを通って女神様の異世界に行けたのか?」


「ああ。だが、ひとりぼっちで魔物のいる丘に行っちまったからな。早く助けないとやばいかもしれない。先にお前のツレのあんちゃんも探しに行ってるはずだ」


「わかった。早く転生させてくれ」


「うむ。では、チャチャっと転移を始めるぞ」


 女神様はスッと器用に二本足で立った。前足をくねくねさせてブツブツと呪文のようなものを唱え始めた。

 白い体毛が逆立ち、差し出した前足の間に眩い光が現れた。その光を俺に向けて押し出す。

 光は球となり俺の体(体はないのだけど実感としての話だ)を包んで、そして、プシューッと空気が抜けた風船のように情けなく消えた。


 しばしの沈黙。

 何も起きない。


「……あれ。無理だ。お前さんは転移できない」


 女神様は首を傾げて不思議そうに言った。


「はい? どうして?」


「ちょっと待て。調べてみる……あ。お前さん。ねじれてるな」


 目を閉じて何かを感じ取っている様子の女神様が、目を開いて言った。


「ねじれてる? どういうこと?」


「なるほどなぁ。珍しい。だからこの煉獄螺旋を見つけられたのか。そういうことか」


 猫の女神様は勝手に何かを納得した様子でうんうんと頷いているが、俺は置いてけぼりだ。説明してほしい。


「んー。説明は難しいんだよな。お前さんは過去にやばい『門』をくぐってしまって、そのせいで捻れちゃったんだよ。どうしようもない」


 だから、その門とか捻れるってのはなんなんだ?


「んー。だから説明するの難しいんだよ。ともかく、お前さんは俺の世界には呼べない。すまないな」


「そんな! じゃあコマキは誰が助けに行くんだ!」


「ツレの兄ちゃんに任せるしかないなぁ。だって、お前さんを送るの不可能なんだもん。マジで」


 なんだってんだよ。やばい門をくぐったとかって言ったけど、それは一体なんなのか。捻れてるとはどういう意味なのか。


「まー。そうだよな。そこら辺は気になるよな。オッケー。お前さんを俺んとこの世界に呼べなかったし、お詫びの意味も込めて詳しい奴を呼んでくるよ。お前さんみたいにやばい『門』をくぐった奴がいるんだ。そいつなら俺よりかは煉獄螺旋について詳しいと思う。お前さんがどうして捻れているのかも教えてくれるかもな」


 何もわからないままなのは嫌だ。説明してほしい。本当に何が何だかわからないんだぞ。


「オッケー。じゃ、ちょっと呼んでくるわ。お前さんはこのままこの階段を登ってろな。そのうち上からそいつが現れるから。じゃあ俺は去るぞ。いやー。期待させるだけさせておいて悪かったな。お前さんの検討を祈る」


 背を向けた猫の女神様の背中に白い翼が生えた。

 勝手に色々話をして、それで謎だけ残していなくなっちゃうのかよ。

 飛び立とうと翼を広げる猫女神の後ろ姿に声をかけると、バサッと翼を羽ばたかせた猫の女神様は振り返った。


「世の中には謎が溢れている。煉獄螺旋はそんな世に溢れる謎の中でも一番の謎なのかもな。お前さんとは別の形でまた出会う日が来るだろう。その時までさらばだ」


 そう渋い声で言い残して、猫の女神様は飛んで行ってしまった。


 一人残されて呆然とする。

 なんか勝手に期待させるようなことを言われ期待を裏切られて置き去りにされた。


 転職活動でスカウトメールが来たから応募したのに落とされた感じだ。

 何だよちくしょー。

 結局、俺はどうしたいいんだよ。


 螺旋階段の上で俺は途方に暮れた。


 けど仕方ない。

 俺は少し迷ったけど、やることもないし、言われた通りにまた螺旋階段を登り始めた。


 ぐるぐると銀色の板の上を回る。相当な高さになっているので、景色がいくら登っても変わらなくて飽きてきた。

 青空と太陽。雲は遥か下。普通なら高所だから気温が寒かったりするのだろうけど、体はないし、暖かくも寒くもない。

 コマキのことだけが心配だ。


 あの猫の女神様に言われるまま黙って螺旋階段を登り続けているけれど、全然それらしい人は現れない。騙されたのかな? 


 むしろ、しゃべる猫が階段を降りてきたことすら、幻覚だったのではないかと疑い始めた時だった。

 猫が現れた時と同じで俺は足元を気にしていて、その人物が降りてくるのに気がつかなった。突然視界に細い足が現れて驚いた俺は顔を上げた。

 現れたのは少女だった。

 決してパッとするような派手さはないどこにでもいそうな少女だ。

 肩にかかるくらいの長さの黒髪。真っ直ぐに切り揃えられた前髪は眉毛を隠している。

 服装は手首から先と足先しか肌が見えないような黒くて長いワンピース。ヒラヒラと風に柔らかく揺れている。

 なぜか、どこかで会ったような気がする。

 少女は俺と目が合うと、にこりと微笑んだ。

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