煉獄螺旋 〜螺旋階段〜
煉獄螺旋 〜螺旋階段〜
「ななな、なんでこんなところにそんなのがいるのよ」
およそこんな住宅街の真ん中にある公園の藪の中にいるはずがない猛獣。
しかも、四方からあれよあれよという間に五、六匹もの獣が現れたのだ。
それが俺たちをぐるりと囲んでいる。三つの目で俺たちを睨み、縄張りを荒らす者を威嚇するかのごとく低い姿勢で唸り声を上げている。
足がすくむ。なんだよこれ。どういう状況だよ。嘘だろ。こんな都会の公園にこんな化け物が現れるなんて。
すでに俺たちは囲まれてしまっている。もう逃げられない。
「……落ち着け。トンネルに飛び込めば、あいつらの体じゃ入って来られない」
砧が声を潜めてチラリと後方の空洞を見た。長兄の冷静な声で、パニックになりかけていた気持ちが少し落ち着くことができた。
確かに砧の言うように魔物の体は巨大だ。四つ足で立っているのというのに俺や砧よりも背が高い。
トンネルの穴の高さはあって、一.五メートルと言ったところか。俺や砧ですら身を屈めないと入れそうもない大きさだ。あの中ならこんな巨体の魔物は入れない可能性が高い。でも、トンネルまでには微妙に距離がある。
俺たちが駆け出せば魔物を飛びかかってくるだろう。逃げ切れるほどの俊敏性が俺たちにあるだろうか。
それに狭いトンネルに三人一気に飛び込めるわけがない。一人ずつ入らなきゃいけないけど、トンネルと魔物の距離を推し量るに、一人が逃げ込んでいる隙に他の二人はガブリだ。魔物たちは今にも飛びかからんと俺たちを睨みつけている。
四の五の考えている暇はない。その間にも、魔物たちはジリジリと距離を詰めてくる。
「俺が囮になる。その隙にコマキから飛び込め」
砧が静かに言った。
「でも、それじゃ砧が……」
「三人が一斉に飛び込めるような広さの穴じゃないだろ」
それはそうだけど。
「俺が連れてきたんだし、気にするな」
「でも」と怯えるコマキに「マゴマゴしてる暇はねぇ」と砧が一喝した。
砧の目は覚悟を決めていた。こうなったら聞かないし、砧の言うことはその通りなのだ。マゴマゴしてたらその間に全員喰われちまう。
「わ、わかった。俺も援護する」
「すまねえな。ドーラ。コマキを頼むぞ」
砧はこちらを見て、なんだかとても懐かしいような優しい笑顔を見せた。
幼い頃に見た、少年のままの優しい兄の笑顔だった。
「兄ちゃん」
思わず、子供の頃のように砧のことを呼んでしまった。
「いくぞ」砧は頷くと「走れ」とコマキを突き出し、大声をあげて魔物の注意を引きながら洞穴とは逆の方に駆け出した。
魔物たちは一斉に砧の方を向く。
その隙にトンネルに向かってコマキを押し出すようにして走り出す。
トンネルはすぐそこだ。
魔物たちは砧を追いかけていて、こちらには向かってはいない。
よし、これなら逃げ込める!
コマキの細い体を洞穴に押し込もうと両手を突き出し背中を押す。
その横目に魔物たちが砧に飛びかかるのが見えた。
砧の肩に魔物の牙が食い込み鮮血が噴き出すのが視界に入った。
「コマキ見るな!」
俺は砧の姿をコマキに見せないように体を盾にして、狭い洞穴にコマキの体を押し込めた。
そして、自分も体を折り曲げ洞穴に入ろうとした。刹那、背後から巨体が飛びかかってくる気配がした。
コマキをトンネルに押し込めるのに精一杯で、全ての魔物の動向を見抜けなかった。一匹、こちらに向かってきていたようだった。
まずい、と思った瞬間。
背中に激痛が走った。肩から腰にかけて、魔物の鋭い爪が抉るように突き刺さった。
ものすごい力だった。叩きつけられた俺は吹き飛び、倒れ込んだ。
「ドーラ!」
洞穴の中からコマキが悲鳴を上げた。
倒れ込んだ先は洞穴の中だったが、なんとか立ち上がろうと足掻く俺の背中に魔物の重たい前足がのしかかった。洞穴の中に逃げるネズミでも捕まえる猫のように、太く鋭利な爪を突き立てて俺を地面に押さえつけた。俺はあまりの力の強さに悲鳴を上げた。
「コ、コマキ……逃げろ……そのまま進め」
ほとんど擦れて声にならない声で叫ぶ。
背中に突き刺さった爪は俺の内臓を抉る。
「で、でも……」
コマキの顔に恐怖が広がりその丸い瞳に涙が溜まる。
魔物は俺の体をトンネルの中から引き摺り出そうと腕を掻く。
突き刺さった爪がより一層俺の体に食い込む。
激痛が吐き気をもたらし、俺は生暖かい血を吐いた。
「行、け……」
それでも俺は必死にコマキを叱咤した。気持ちを察してくれたのか怯えた表情のコマキが涙をこぼしながら、洞穴の奥へヨタヨタと歩いていくのが霞む視界の端に映った。それでいい。
この穴がどこに繋がっているかはわからないが、この魔物の巨体では中には入れないだろう。
もし、砧の言う通り、異世界に繋がっているとでも言うのなら、コマキだけでも助かってくれ。
そう思いながら、俺は地に臥した。
俺が体の力をを失くすと、魔物は力まかせに俺を引き摺り出し、大きな口を開け俺の胴体に食らいついた。生暖かい魔物の息と獣の臭いがして、バキバキと肋や背骨が噛み砕かれる音が響く。
砧を追っていた他の魔物も、四方から現れて俺の肩や足に噛み付く。最初に俺の胴体に食らいついていた奴が、他の魔物に食事を取られまいと、頭を左右にふり俺の体を揺さぶった。俺の体は四方から襲い掛かる魔物に噛みちぎられた。
まさか、こんな形で命が尽きるとは思わなかった。
それぞれの魔物が自分の取り分を手に入れ、それに食らいついていた。
俺はバラバラになり、魔物の餌となり無惨にも息絶えるのだ。
一匹が俺の頭に牙を立てた。ガリガリと頭蓋骨を齧られ、骨がひび割れ、牙が脳に到達するのを感じた。
俺は死んだ。
命が尽きたのだ。
魔物たちの咀嚼音が静かな朝に荒々しく響く。
絶望しながら横を見ると砧の体はもう地面に残った血の跡と多少の臓器の食べこぼししか残っていなかった。
考えたくはないけど、砧も魔物に喰らい尽くされ死んだのだろう。
俺たちを守ろうと最後に兄貴らしいところを見せて。
くそ。こんなところで俺も砧も死にたくなかったよ。
どうしてこんな理不尽な死に方をしなきゃならないんだよ。
絶望だ。
まだまだ人生これからだってのに突然こんな意味不明な死に方あるかよ。
人生ってこんなあっけなく終わるんだ。
まだ死にたくなかったな……って、あれ。
悲嘆に暮れながら俺は奇妙なことに気がついた。
(どうして俺は死んだのに意識があるんだ?)
体はない。食われたのだから。なのに、意識はある。どういうことだ?
俺を喰らい尽くした魔物たちはしばらくその場を徘徊していたが、コマキがもう洞穴から出てこないことを悟ったのか、ゆっくりと藪の中に消えていった。
そして辺りは静かになった。コマキは砧の言う異世界とやらに辿り着けたのだろうか。
誰もいなくなった。時折風が吹いて木々を揺らすだけ。俺は喪失感に打ちひしがれながら、しばらくその場から動けなかった。
……それにしても、「死ぬ」って初めての経験だから勝手がわからない。死んだら意識とか無くなって、真っ暗闇になって、それで終わりだと漠然と思っていたけど、死んでも意識って残るものなのか?
死後ってあるの? そうだとすると困るぞ。
俺はどうしたらいいんだ。
誰もいなくなった茂みのなかで、途方に暮れる。
このままずっとここにいろなんて言わねえよな?
天使とかそういうのが現れて俺を天国とかに連れて行ってくれるのを待ってればいいのだろうか。
それとも、死んだら自分で役所(?)的な場所に行って届け出でもしなきゃいけないのだろうか。
どうしたらいいのかわからないので、ひとまずその場に待機してみることにした。
数分が経ち、きっと数十分が経った。
……何も起きない。
いつまで経っても、何も起きない。
なんだよこれ。どうしたらいいんだ。もしかして俺、幽霊になったのか?
不幸な死に方をしたから、死ぬに死にきれなくて幽霊になっちゃったのか?
参ったなぁ。
死ぬ寸前までは魔物の恐怖に心臓がバクバクして興奮状態だったけど、もう冷静になっていた。バクバクする心臓もないんだけどさ。
することがないというのは人を冷静にさせる効果があるようだ。
仕方ない。このままここにいても何も事態は変わらない。とりあえず移動してみようか。と思った。
魔物に食べられちゃったから体はないのだけど、なぜか普通に移動ができた。どうなってんだろ。
コマキが逃げ込んだ空洞の中がどうなってるか確認しようとしたのだけど、空洞には透明な膜が貼ってあるみたいでネバネバしてて中には入れなかった。真っ暗でコマキが中にいるのかどうかもわからない。気配がしない。本当に異世界に行っちゃったのかな?
待っててもコマキは一切出てこない。仕方なし。
俺は立入禁止のエリアから出て城址公園の広場とかに行ってみようとした。
けど、金網の周辺にもネバネバした透明な膜が張り巡らされていて、どんなにもがいても抜けられなかった。
もしかして、俺はずーーーーっとこの鬱蒼とした暗い森にいなければいけないのか?
参ったなぁと思いながらウロウロしていると、視界の先に突如、銀色の螺旋階段が現れた。
階段はずいぶん高くて背の高い木の枝や生い茂る葉の向こう、天高くどこまでも続いていた。不思議なことにその螺旋階段には支柱がなかった。銀の板が空中に浮かんでいて、それが螺旋を描いて天まで伸びている。
もしかして、これは天国への階段ってやつか?
なんとなくそんな気がした。
けど、縁起の悪い物のような気もした。
頭の隅で誰かの言葉が響いたような気がした。
「「螺旋階段には近づかないで。貴方と螺旋は相性が悪いわ」」
……誰の言葉だっけ。思い出せない。
とりあえず他に行く場所がある訳でもないし、俺は階段を登ることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます