異世界の門 3

「夏休み明け、始業式の日に久しぶりに顔を合わせたザマとマサとバオバオとで、もう一回あのトンネルをくぐってみようってなったんだ。時間が経つと、あの異世界が本当だったのかあやふやになって来ちゃってさ。胃腸炎とかになって高熱とか出たりしたせいで、なんとなく現実感がなくなってたんだな。それで、始業式って午前で終わるじゃん。夕方からは塾だったんだけど、その前に本当にあの異世界は本物だったのか、確かめに行こうってなったんだ」


「ふうん。で、どうだったの?」


「いくら探してもあのトンネルは見つけられなかったんだ」


「じゃあやっぱり夢だったんじゃない?」


「まあ最後まで聞けよ。トンネルは見つからなかったけど、あるものは見つかった。それは井上くんがいつも被ってた帽子だったんだよ。つばが真っ直ぐのニューエラのパチモンの青いキャップ。茂みの中に落ちててさ。なんでこんなところにあるのかなって疑問に思ったけど、ザマが拾って後で塾に行った時に渡してあげようってなった。井上くんは学校が違うから塾でしか会わないってさっき言ったじゃん。だから、あの異世界に行った日から一度も会ってなかったんだ。そういえば井上くんだけ謎肉ケバブを食べていなかったし、一人だけ腹痛にもならなかったのかなって、そこらへんの話も聞こうって思ってたんだけど、塾に行ったら井上くんはいなかったんだ。塾講師に聞いたらちょっと口籠もりながら、風邪で休みだって言われて。じゃあこの帽子どうしようかってザマが言った瞬間、塾講師の目の色が変わって、その帽子どこで見つけたんだってえらい剣幕になってさ。ちょっとこっち来なさいって教室から連れ出されて事務室に連れてかれた。で、実は……って打ち明けられたんだ。井上くんが行方不明になってるって。警察に捜索願いが出されているんだけど、情報は一切ないって。混乱を避けるために風邪で休んでることになってるけど、誘拐の可能性もあるって。それですぐ警察が来て事情聴取だよ」


「え。なにそれ急展開じゃん。どうなったの?」


「帽子は城址公園で見つけたって言ってさ。異世界のことはどうせ言っても信じてもらえないだろうし言わなかった。それで城址公園を警察が捜索したんだけど、結局なにも見つからなった」


「……で、井上くんは?」


「そのまんま。いなくなっちゃった。あ。ほらそこの交番。ちょっとこいよ」


砧は横断歩道の向こうの交番を指差して、車が来ないことを確認すると渡り始めた。

交番には「パトロール中」の看板が出ていて誰もいなかったけど、砧は交番の中じゃなくて、外の掲示板の前にしゃがみ込んだ。


「ほら。これ。井上くん」


掲示板には指名手配の容疑者の顔写真とか、「麻薬ダメ絶対」だとか「自転車は車道を」とかってポスターが貼ってあって、その中の一つを砧は指差した。

小さい写真を無理やり引き伸ばしたのかちょっとボケてるけど、そこには笑顔でピースサインを作る少年がこちらを向いていた。


『井上 昴喜くん 当時 中学1年生(13歳)  2010年 8月27日 城址公園付近で行方不明になりました。

 どんな情報でもかまいません。心当たりのある方はこちらまでご連絡ください』


行方不明者の情報提供を求めるチラシだった。

俺もコマキも言葉を失ってしまった。


「もしかして、その井上くん、今も見つかってないの?」


「そう。やばいよね」


砧の話なんてどこまで本当かわからないって思ってたけど、このチラシを見て真剣な顔をしてる砧の横顔を見ると、なんにも言えなくなってしまった。


「誘拐……されちゃったのかな?」


「いや、俺は井上くんは一人で異世界に行っちゃったんだと思ってる。だって、よくよく思い出してみると、異世界に行った時、井上くんは帽子なんか被ってなかったもん。これはザマとかみんなと話をしてそうだったねって確認し合ったから間違いないと思う。あの日、井上くんだけ謎肉ケバブを食べなかったし、お腹を壊したりしなかったはずなんだ。多分、俺たちが休んでる塾の夏期講習の間に、一人で行ってみたんだよ。それで帰れなくなったか、帰りたくないって思ったか、どっちかわかんないけど、異世界に残っちゃってんだよ。きっと」


「そ、そうだね。誘拐されたり殺されちゃったって思うより、そう思ってる方がいいかもね」と神妙な面持ちでコマキは言った。


「そうだ。朝の散歩ついでに、城址公園いってみっか。もしかしたら異世界のトンネルが出没してるかもしんねーし」


ケロッとした顔で砧が言った。

コマキはさっさと帰りたいって言ったけど、長兄の砧は一度言い出したらきかない。

俺たちは日が昇り始めた町を歩き城址公園に向かった。


城址公園の森は朝日を浴びてキラキラしていた。

木々があると涼しい。朝からウォーキングしている人や犬の散歩をしている人を横目に俺たちは緑道を歩いた。


「こっちこっち。ここから行くと立入禁止のエリアに行ける。金網破れたまんまになってるかなー」


砧はウキウキし始めていたが、コマキは朝露で湿った藪の中に入っていくことにかなり不満を漏らしていた。

井上くんが行方不明になってしまった話も後味が悪いし、茶化せるような軽い話じゃないし。


けど、こうなった砧は止められない。せめてさっさと終わらせるのが得策だと俺は諦めた。

藪の中を進む砧の後を追う。少し歩くとすぐにフェンスが見えた。


「あ、整備されてんな。ずいぶん立派なフェンスになっちまったなー」


砧が子供の頃に来た時からもう一〇年は経っている。フェンスも張り替えたのだろう。


「これじゃ入れねーな」


よかった。入れないのなら仕方ない。帰れる。と思ったのだが。


「破けてる場所あるかも。もう少し歩こうぜ」


普段は飽きっぽい性格なのに、こういう時になると変にしつこくなるのが砧だ。

コマキがぶーぶー文句を言ったが、砧は意に介さない。伸び放題の雑草を手でかき分けながらフェンス伝いに歩き出した。

しばらく歩くと、「お。やった! 隙間があるぜ!」と砧は喜びの声を上げた。

フェンスの一部が破れている場所があった。俺とコマキは顔を見合わせてため息をついた。砧は入る気満々だったからだ。


「汚れるから入りたくない」とコマキは渋った。

俺も「子供なら怒られて終わりだけど、大人が三人も雁首揃えて立入禁止のエリアに入ったら、普通に不法侵入とかで逮捕されちゃわないかな」と至極真っ当な意見を出したのだが、「大丈夫だって。異世界トンネルのあった場所をチラッと覗くだけ。すぐ帰るからいいだろ」と強引に押し切られてしまった。


森と呼んでも良いくらいの鬱蒼とした中を進む。土の臭い、草木の匂い。鳥のさえずりと風のざわめき。とても都会とは思えないロケーションだ。どうせなら、整備して散歩できる道を作れば良いのに。なんで立入禁止にしてるんだろ。


「城跡の調査中なんだろ」


「でも、こんなに草木が伸び放題じゃ調査なんかできないっしょ」


「時々刈るんじゃないの? ほら、こっちは拓けてるし」


立入禁止エリアの森はこんもりとした丘のような形状になっている。傾斜の急な所があったり、木の根がボコッと出ていたり、足元が見えない藪の中に変に窪んだ場所が隠れていたりしていて、ただ歩くだけでもなかなか疲れる。

普段、いかに人間の手によって整備された安穏たる場所で暮らしているのかがわかる。

コマキは横でブツブツ文句を言っている。砧は俺とコマキが四苦八苦しているのに構わず、ずんずん進んでいく。

トンネルがあった場所を砧は覚えているのかな。


「いや、全然覚えてねー。あてずっぽうだ」


それでよく自信満々に歩けるよ。


「悩んだって仕方ないことは悩まないのが俺の信条だからな」


だそうだ。

しばらく歩き回ったが、結局なにも見つからなかった。

すると、「飽きたな。帰るか」と砧は当然のように言った。

俺たちを振り回すだけ振り回して謝罪もなしだよ。これだから長兄ってやつは嫌なんだ。

まあ帰れるならさっさと帰ろう。と来た獣道を戻っている最中、ガサガサと奥の茂みが不自然に揺れた。


……誰かいる?


「どうした?」


「今さ。そこの茂みに誰かいたかも」


「怖いこと言わないでよ」


「気のせいじゃね?」


砧が隣に来て、一緒に茂みを睨んだ。

けど、辺りは静かなもので、何かが潜んでいるような気配はしなかった。


「なんもいないな」


「気味悪いし早く帰ろうよ」


コマキが口を尖らせる。


「そうだな。いこうぜドーラ」


コマキに急かされて砧は歩き始めた。

けど、俺は茂みの向こうが妙に気になってしまって動けなかった。

目を凝らし茂みを睨む。けど、辺りは静かなもので、やっぱりなにも起こらない。気のせいだったのかな。

夜通し起きていて、そろそろ本格的に眠いし、風が吹いたりして木々が揺れたのを勘違いしたのかな。


と踵を返そうと視線を動かした時だった。

さっきまでなかった茂みの中にポッカリと大人なら身を屈めば入れそうな大きさの空洞を見つけた。


「き、砧! コマキ! 待って! ここ!」


慌てて叫んでしまう。振り向いた二人が俺の指差す方を見て驚いた。


「トンネルだ!」


一瞬、視線をずらしただけで、それまでなかった空洞が現れたのだ。

木々がアーチ状になっていて、トンネルのような形状になって奥へと続いている。


「わ。ほんとだ。さっき通った時は気づかなかったよね?」


コマキが首を傾げる。

確かに三人で辺りを見渡しながら歩いていたのだから、一人くらい気づきそうなものだが見落としていたのだろうか。不思議だ。


「ねえ、これ砧が子供の頃に通ったってのと同じトンネル?」


コマキに聞かれて砧は顎をさする。


「んー。わかんねえ。けど、そうかもしれないな」


「もしかして入ってみるとか言わないよね?」


砧が空洞に近づこうとするのを横目にコマキが眉をひそめた時だった。

周囲の茂みが再び、ガサゴソと揺れ始めた。今度は気のせいじゃない。


「ちょ、これなに?」


コマキが俺の肩にしがみついてきた。


「だ、誰かいるのか!?」


砧が叫んだ。緊張が走る。

その時、奇妙な風が吹いた。

生暖かく生臭い、澱んだ海のような臭いの風が辺りに吹き、木々を騒つかせた。


そして、地響きのような低く唸るような声。

グルルルっと怒りに牙を向く猛獣のような声が周囲の茂みから聞こえてくる。


「ちょっと、何これ。もしかして、猪とかいんの?」


コマキが俺の肩にしがみついたまま怯えた声を出した。


「い、いるわけねえだろ、こんな公園に……」


三人で固まり立ち尽くしていると、生い茂る木々の中から予想だにしなかったものが現れた。


それは、見たことのない獣だった。

黒い体毛に覆われた虎のような四足歩行の猛獣。だが、虎よりも一回り……いや二回りはデカい。

胴体は太く前脚は筋肉質で地面に突き立てている爪は鋭い。

口は裂けたように大きくて、伸びる巨大な牙は禍々しかった。

こんな恐ろしい動物は見たことがない。いや、違う。こいつは動物なんかじゃない。

だって、信じられないことに、この獣の顔面には大きな目が三つもあったのだ。


「こ、これ俺が昔、異世界で見た魔物だ……」

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