異世界の門 2

 俺たちは草原を歩き始めた。

 マサはビクビクしていたけど、その他の四人はワクワクしていた。

 俺たちは中学生になって否が応でも現実ってのが見えてきた頃だった。少年漫画にもちょっと飽き始めて、暗い青年誌とか本当は見ちゃいけない大人向けのヤクザ映画とかにハマりかけてるくらいの年頃で、要は思春期って奴だった。物事を斜に構えてみるような年頃だったんだ。


 そんな厨二病ってやつになりかけの頃に、こんな現実離れした世界が目の前に現れたんだ。テンションも上がるってもんよ。


 ワイワイ喋りながら歩いていた俺たちだったけど、そんなピクニック気分が凍りつく事態が起きた。


「なあ、あれなんだろ?」


 ふと振り返ったマサが丘の上からやってくる動物の群れに気づいた。

 皆で目を細めたが、遠かったし黒い体をしていたから、放牧されてる家畜かなんかだと思った。


「牛とかだろ? のどかなもんだな」と適当にあしらって、気にもとめず呑気に歩いていたんだけど、一番目の良いマサだけが震えた声を上げた。


「ねえ、なんかこっちに向かってきてない? っていうか、牛じゃなくね?」


 馬鹿なこと言ってんじゃねえぞって言おうとしたんだけど、改めて立ち止まり、目を凝らすと確かにその黒い獣は牛なんかじゃなかった。もっと、こう獰猛な感じがした。


「熊とかじゃないよな?」ザマもそれに気づいた。


「熊じゃない。熊は群れないよ。……けど、似たようなもんかも。危険かも」


 いつもは冷静なバオバオも流石に及び腰になった。


「は、早く逃げたほうが良いんじゃない?」マサが言った。

「馬鹿。こういう時は慌てたり背を向けない方が良いんだよ」

「街はもうすぐだ。ゆっくり刺激しないように歩こう」

「で、でも……」


 なんて皆でまごまごしてるうちに、獣の群れどんどんと近づいてきて、その姿がはっきりと大きく見えるくらいの位置になってしまった。

 そして、俺たちは震えあがった。


 十匹くらいの群れで姿勢を低くして俺たちの元へ向かってくる獣は虎のようなネコ科の猛獣だった。

 ただしその大きさは虎よりも二回りほど大きくて肩高だけで2メートル以上はあった。

 真っ黒な毛に覆われた体。口が裂けたように大きくて伸びる巨大な牙が禍々しかった。

 そして、何よりも恐ろしかったのは、獣の顔面には禍々しく光る瞳が三つもあることだった。完全に化け物。つーか魔物モンスターだ。


 俺たちはあわあわと立ちすくむばかりで、なすすべなく、あっという間に三つ目の魔物に取り囲まれてしまった。

 誰も言葉を発することなく、たじろぐばかり。

 マサなんか目をぎゅっと瞑って震えていたけど、さすがに俺だって恐怖で足がぶるぶる震えていた。


「みんな、う、う、うろたえるな!」


 ビビり散らかしてるくせにザマが虚勢を張った。こういうところはザマは偉いと思うよ。

 ザマがビビりまくっているせいで逆に他のメンバーは少しだけ冷静になれたりすんだ。


 しかし、冷静になっても、対処法なんかねーじゃん。俺たちなんか完全にエサよ。

 食われる。これは終わったなと思った。


 その時だ。

 ヒュンッと風を切るような音がした。直後、一匹の魔物が悲鳴をあげて倒れた。

 魔物たちは瞬時に俺たちから視線を外して辺りを警戒し始めた。

 何が起こったのか分からなかったが魔物たちの注意が俺たちから逸れたのは確かだった。

 倒れた魔物を見ると、額に矢が深々と刺さり。カッと目を見開いたまま絶命していた。

 ビビリのマサがここぞとばかりに逃げ出そうとしたが、


「動かないで!」


 と若い女の声が魔物たちの向こうから聞こえた。

 そして、次の瞬間。今度は雷のようなものが魔物の体に落ちて、一匹が黒焦げになった。


 魔物たちは俺たちに背を向け唸り声をあげて威嚇をし始めた。誰かが助けに来てくれたのだ。


 動くなと言われたけど、言われなくても俺は足がすくんで動けなかった。それは皆同じだった。

 立ちすくみながら、助けに来てくれた人がどんな人か魔物越しに見た。

 地の底に響くような唸り声をあげる魔物の向こうに立っていたのは四人。

 その姿を見て驚いた。

 現れたのは、俺たちより少しばかり年上のお姉さんたちだった。


 小柄で金色の髪をふわりとさせたショートカットのお姉さん。杖を持った長身で切長の瞳の黒髪ポニーテールのお姉さん。それと剣を構える髪の長いお姉さん。あと、俺たちと同じくらいの年齢の片腕の子が器用に口と左腕で弓矢を構えていた。


 せっかく助けに来てくれたけど、こんなお姉さんたちじゃ勝てそうもない。と、その時は思った。

 けど、その心配は全くもっての杞憂だったんだ。


 ショートカットのお姉さんが手をかざすと、氷の刃が現れて魔物を切り裂いた。ポニーテールのお姉さんが杖を振ると雷がほとばしり、魔物は黒焦げになった。髪の長いお姉さんは飛びかかる魔物の巨体を真っ二つに叩き斬った。片腕の少年は何本もの矢を器用に打ち分け魔物の頭部を撃ち抜いた。

 鮮やかな立ち回りだった。ほんの数分で魔物を全滅させてしまった。すげー強いお姉さん達だった。


「危ないところだったね」


 髪の長いお姉さんが剣を鞘にしまいながら言った。あれだけ激しく動いても息切れひとつしていなかった。


「精霊士さまの言う通りだったね」


 片腕の少年が言った。


「うん。女神様のお告げの通りね」


 髪の長いお姉さんが言った。何を話しているのか、内容はよくわからなかったが、わざわざ俺たちを助けにきてくれたみたいだった。


「武器も魔除けも無しでこんなところをウロウロしてたら魔物に食われちまうぞ」


 ポニーテールのお姉さんがきつい口調で言った。


「あなた達、デデルの町の子? どうしてこんなところにいたの?」


 ショートカットのお姉さんが優しく訊いてきた。

 俺たちはなんと答えていいかわからなくて顔を見合わせた。


「すみません。みんなで誰が一番度胸があるか勝負をしていたら、調子に乗ってこんなところまで来てしまいました。お姉さん達のおかげで助かりました」


 ザマが機転をきかせてそれっぽいことを言った。大人相手に調子の良いことをスラスラ言えるザマはこういう時、頼りになるんだ。


「しかし、こんな町の近くに前まで魔物が来るなんて結界が弱ってるのかな。早く魔王を倒さないとね」


 片腕の子が偉そうに言った。俺たちと同じくらいの歳なのに、魔物に立ち向かって倒してしまうんだから凄い。


「まったく。あんたちも魔王の影響で魔物が凶暴になってるのは知ってるでしょ。気をつけないとダメだよ」


 ポニーテールのお姉さんが俺たちを叱った。

 すみません、と皆で素直に謝った。

 謝りつつ「魔王」って言葉に俺はワクワクしていた。


 すげー。マジでここは異世界なんだ。

 魔王がいて魔物がいて魔法があって本当にファンタジーの世界じゃん。って。


「仕方ない。魔除けの鈴をあげるから、これ持って早く帰りなさい」


 ショートカットのお姉さんが背負ってるリュックから金色の鈴を取り出して渡してくれた。


「これを持ってれば、あのくらいの魔物なら近づいてこないわ。ただし、陽が暮れると効果が半減するから寄り道しないで帰るのよ」


「すぐに町に帰ります。この御恩は一生忘れません」


 ザマがいつもの外面の良さで頭を下げた。

 お姉さん達はそのまま町とは反対の方へ歩いて行った。

 カッケー。あんなかっこいいお姉さん達初めて見たよ。俺は後ろ姿を眺めながら興奮した。完全に余談だけど、この一件以降みんな年上のお姉さん好きになったな。


 お姉さん達がいなくなって、さあ町まで行ってみようか。って俺はワクワクしてたのに、ザマは魔物がよっぽど恐ろしかったのか、「やっぱりここは危険だ。帰った方がいいかもしれない」とか言い出した。

 ふざけんなよ、せっかく面白くなってきたのに、なんで帰るんだよって俺は思った。


「この鈴があれば魔物に襲われる心配もないらしいし、町はすぐそこだし、少しだけ見てから帰ろうよ」


 ぼーっとしてるけど、度胸はあるバオバオも俺と同意見だった。井上くんも俺たちの意見に賛成した。


「お前はどうなんだよ。マサ」


 一番ビビってるのがマサなのは分かりきっていた。だから、「怖いから帰りたいとか思ってんのか?」って煽った。

 そしたら、予想通り「そんなことないよ。行こうぜ」って強がってきた。

 こうなると民主主義が大好きなザマも渋々同意して、街を少しだけ探索することになった。けど、絶対に陽が暮れる前にはトンネルに戻るとザマが念を押した。


 町が近くなると俺はもうワクワクが止まらなかった。口数は少ないけどバオバオも興奮してるのがわかった。

 ザマは道中、ブツクサ言っててちょっとテンション低めだったけど、いざ町に着くとやっぱりテンションは上がったみたいだった。


 レンガ作りの家が立ち並び、道路は石畳。港には帆船。潮風と海鳥の声。街角には噴水の広場があって、音楽家が謎の楽器を奏でてる。ザ・ファンタジー!

 俺は駆け出したい気持ちを抑えるのに必死だったよ。


 メインストリートには赤い屋根の同じような作りのお店が並んでて、武器屋とか防具屋もあって、かっこいい剣とか魔法使いが持ってそうな水晶玉が付いた杖とかも売ってんの。興奮しちゃうよな。

 さっきまで半べそかいてたマサとかも、普段は異世界ファンタジー漫画とかRPGとかが好きな奴だったから、めちゃくちゃテンション上がって目をキラキラさせてたよ。


 魔道具屋には火が出るランプとか、風を起こすホウキとか見たことないようなアイテムがたくさんあって、なんかお土産に買って帰りたいなって話になった。


 だけど、いかんせんこの世界のお金は持ってないわけじゃん。万引きとかするわけにもいかないし、どうしようもないかなってなった時にバオバオが「いいこと思いついたよ」って顔を上げた。


 バオバオは古道具屋みたいな傾いた店に入って、手持ちのリュックの中から文房具とか財布に入ってた小銭とかをカウンターに出して、「これ、買い取ってもらえませんか?」って店主に交渉したんだ。

 ガキンチョが変なこと言いに来たよ。って感じであしらわれそうになったんだけど、シャーペンも消しゴムも、五百円硬貨もこの世界じゃ珍しいものじゃん。バオバオが使い方を説明すると店主は虫眼鏡を出してジロジロ見て、「いいよ。買ってやる」って言ってくれたんだ。みんな自分の筆箱とか財布を出して、それぞれ金貨を数枚と交換してもらった。


 さすがバオバオだ。機転が効く。

 これでなんか買って帰ろうぜって意気揚々と古道具屋を出たんだけど、他の店に入ると、とてもじゃないけど俺らが手に入れた金貨じゃ良さそうなものは買えなかったんだ。ノートとか羽ペンとかは買えるっぽいけど、そんなん買ったって仕方ないじゃん。俺らの世界でもありそうなもんだし。


 で、しょうがないから屋台でなんか買って食おうってなった。謎の肉をパンみたいなもんで挟んだものを買った。ケバブみたいな感じ。癖があるけどまあいけた。

 それはそれでよかったんだけど、井上くんだけがケバブを買わなかったんだよ。どうして? って聞いたら、


「いや、僕はせっかくだからこの金貨をお土産に持って帰ろうと思って」って。


 おいーっ! それ先に言ってくれよ。ってみんなで後悔したよ。絶対そっちの方がいいもん。馬鹿したなーって肩を落とした。

 そんな感じで港町を軽く一周して、そろそろ帰ろうってなった。陽が暮れるまでに帰らなきゃ魔除けの鈴の効果が切れるっていうし早めに向かおうってなったのだ。


 町を後にして草原を歩いて丘に登った。

 魔除けの鈴のおかげか、魔物は現れなかったから、洞穴がある岩石まで無事に辿り着いた。魔物なんか出なけりゃほんとに気持ちのいいピクニックコースって感じだった。


 岩石の割れ目の洞穴はどう見ても元の世界に続いているようには見えなかった。

 もし、帰れなかったどうしよう、ってみんな思ったと思う。けど、それを口に出すのは怖かったのか、ビビりのマサも口にはしなかった。

 ジメジメした洞穴にザマを先頭に入っていく。

 下り坂。中は薄暗く、少し歩くとすぐに真っ暗になった。口数少なく、黙々と歩いた。

 しばらく歩くと、臭いが変わった。どう変わったかって言われるとうまく言えないけど懐かしい感じになった。木とか土とかの臭いが元の世界の物になったんだと思う。

 いつの間にか、トンネルは木々のアーチに変わってた。さらに歩いていくとトンネルは終わった。ムワッと蒸し暑さが体を包んだ。


 元の世界に戻ったんだ。

 けど、トンネルを抜けると辺りは真っ暗だった。


「なんでこんなに暗いんだ?」


「か、帰れたんだよな? また別の異世界とかじゃないよな」それまで黙っていたマサが俺たちに同意を求めてきた。


「んなわけあるか。夜になっただけだろ」と言ってポカリと叩いてやった。


「でも今、何時だろ?」


 俺たちは慌てて金網を抜けて、公園の広場まで出て、備え付けられている時計台を見上げた。

 時計の針は十一時を指していた。


「やば。こんな時間じゃ怒られる!」


 一気に現実に引き戻された。

 トンネルの向こうの世界だとまだ日がでているくらいの時間だったのに。

 俺はまだ携帯電話を持っていなかったけど、ザマはスマホを持っていて、そのスマホに親からめちゃくちゃ着信が入っていた。

 俺たちは今日の出来事は今いるメンバーだけの秘密にすることを約束して慌てて家に帰った。


 ……家に帰ったら、めちゃくちゃ怒られた。まあ仕方ないけどさ。


 そんで残りの夏休み、塾の後にそのまま遊びに行くのを禁止にされたんだよ。


 けど、それよりも大変な事態が起きてさ。


 って言うのも、次の日の朝、腹が痛くて目を覚まして冷や汗ダラダラ、意識が朦朧としちゃって、布団から出られず、母親に起こされても起きられず、熱を測ると四十度を越してた。そのままゲロ吐いてダウン。慌てた母親に救急車を呼ばれちゃって病院に運ばれたんだ。


 原因不明の胃腸炎。きっと異世界で食った謎肉のケバブみたいなのに当たったんだろうな。聞けばザマもマサもバオバオも同じようなもんで大変だったらしい。


 揃って残りの夏休みを棒に振ったんだ。


 学校の宿題もできなかったし最悪だったよ。





「こんな話。信じられなくても仕方ねえよな」と砧は自嘲した。


 適当なホラ話なんかはよく言う砧だけど、この話はいつものそれとは違った。砧の言葉や表情は真に迫るものがあった。

 それに、確かに砧が夏休みに救急車で運ばれた騒動は俺も覚えていた。お医者さんからは食中毒だと言われたけど砧は思い当たる節はないって言い張ってた。普段一緒に食事をしている家族に異常はなかったから、どこかで変なもんでも拾って食ったんじゃないのって話になってたと思う。


「そうそう。その時の話だよ。まさか異世界で謎肉ケバブを食ったとか言えねーじゃん」


「で、その後はどうなったの? その異世界にはそれっきり?」


コマキに尋ねられると、「実はさ。この話には続きがあるんだ」と砧は神妙な面持ちで言った。

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