煉獄螺旋 〜異世界の門〜
煉獄螺旋 異世界の門
「……ユメはどこ行った」
「ユメ? えー! ユメいたの? うそー」
ユメの名前を聞いたコマキがパッと顔を輝かせ、嬉しそうに立ち上がった。
「店ん中は俺らしかいなかったと思ったけどな」
砧がその丸坊主の頭を傾げる横を、顎にかけていたマスクを付け直したコマキが弾むようにして店内へと向かっていった。
「本当にいたのか?」
そう言われると、自信がなくなってくるような気がするから不思議だ。
少し待っていると、コマキがぶすっとして戻ってきた。
「いないじゃん」
「……そんなわけないだろ」
コマキは肩掛けのストラップの先についたスマホを操作してユメにラインを送った。
明け方だってのにすぐに既読になって「家にいるけど」と返信がきた。
「ほら。夢でも見てたんじゃない?」
コマキが口を尖らせた。
夢……。まさか。けど……。
そっか。夢か。
と納得しかけて、待てよ。とズボンのポケットをまさぐった。
片方のポケットにはスマホ。そしてもう一つポケットには馴染みのない硬いものがあった。
取り出してみる。
……鍵だった。
「なにそれ。なんの鍵?」
コマキがくりくりした瞳で覗き込んでくる。
俺にだってなんの鍵かはわからない。けど、これは無限に続くampmの中でユメと一緒に手に入れた鍵だ。
つまり、ポケットにこの鍵が入ってたってことは、さっきのコンビニ迷路での一連の出来事は夢なんかじゃなかったってことの証明だ。
どういうことだ?
脳の普段は使ってない部分が急にフル回転し始めたような、嫌な焦燥感が湧き上がってくる。
自分だって現実とはとても思えないような奇天烈な出来事だったと思うし、夢なら夢でいい。
けど、コンビニでポテチの袋から出てきた鍵が今も手元にこうしてここにあるんだ。
ってことは、やっぱりあれは夢なんかじゃない。……と思うんだけど。
「あ、それ俺ん家の鍵じゃね? なんでドーラが持ってんだよ」
砧がひょいと俺の手から鍵を奪って、まじまじと見つめてる。
「やっぱ俺ん家の鍵だよ。良かったー。俺、鍵を無くしたって大家さんに言えなくてずっと鍵を閉めないでいたんだよ」
「えー。何そっれ。やばくない? いつから?」
「二ヶ月くらい前かな」
「やば。誰かに勝手に入られちゃうじゃん」
「俺の家に入っても金目のもんなんかねーし、誰も入らねーだろ」
砧は尻ポケットから財布を出して、その中に鍵を閉まった。
その瞬間、俺の頭に不思議な記憶が浮き出してきた。
そうだ。二ヶ月前に砧が俺の部屋に遊びに来た時に、鍵を俺の部屋の玄関の小物入れの中に忘れていったらしく、俺も気が付かなかったんだけど、今朝、出かける時にたまたまその小物入れの中から見慣れぬ鍵を見つけて、砧のものじゃないかと思ってポケットに忍ばせてきたんだった。
そうだそうだ。どうして忘れていたんだろ。
その『事実』に気がつくと、一気に今しがたの無限迷路コンビニのくだりが現実感を失っていく。そっか、今、ここでちょっと一瞬寝落ちした時に見た夢だったのか。
そりゃそうだ。夢に違いない。夢だ夢。……けど、どっから夢だ?
「さ、帰ろうぜ」
砧に促され、俺の思考は中断した。
俺はビールを持って立ち上がった。
明け方の住宅街は静かだった。時々カラスが鳴いたり、朝っぱらから散歩しつつ大きな声でくしゃみをする爺さんがいたりと、目立つものはそれくらいで、穏やかなものだった。
三人で連れ立って歩いていると、さっきまでのコンビニ内での出来事は全てモヤがかかっていくように現実感が失われていった。
あんな突拍子もないことを現実だと思ってしまうなんてなぁ。コマキにユメがいたとか言っちゃったのが少し恥ずかしかった。
「でも、そういうのってあるよね。寝ぼけて変なことを口走ったり、ちょっとしか寝てないのに、長い時間寝てたって勘違いして焦ったり。覚えてる? まだわたしが幼稚園くらいの時、砧が朝、突然わたしにシュークリーム取られたって意味わかんないこと言い出して、起き抜けのわたしを蹴っ飛ばしてきたことあったよね」
砧はあごをポリポリかきながら小首を傾げる。
「あったっけ?」
「あったよー。お父さんガチギレして、砧のことめちゃくちゃボコボコにしてさ。大泣きしてたじゃん」
俺もぼんやり覚えていた。
寝ぼけた砧が何かしでかして、父親に激怒されてぶん殴られていた記憶は確かにある。
「マジで? 当人の俺が全然覚えてないわ」
「そうだよ、母ちゃんが子供に手を出した親父にキレてさ。朝っぱらから夫婦喧嘩で大変だったんだよな。砧、ほんとに覚えてないの?」
「んー。なんとも言えん。俺、物心ついたの中三くらいからだからな」
砧がとぼけたことを抜かす。まったく。長男って一番いい加減で自分勝手だよな。
そうだそうだ、思い出した。俺はその時まだ小学生低学年くらいだったけど、両親の仲裁に入ったんだ。それで二人のとばっちりを受けて親父の払った手に転がされて、タンスに頭をぶつけて泣いたんだ。俺ばかり損してるよ。
「そーだっけ? まー、でも夢だか現実だかわかんなくなったりってのは、昔はよくあったような気がするなぁ」
他人事のように砧があくびをする。
「そうだよ、わたし思い出した! 砧ったら、城址公園の奥に異世界に繋がってる門があるとかって言い出したこともあったよね」
あった。うわ、懐かしい。
そうだよ。砧が何度も城址公園の立ち入り禁止の区域に俺とコマキを連れていったことがあった。
あれはいつ頃だっけな。俺が小学校の高学年だったから、コマキはまだ小学校に上がったくらいの低学年で、砧は中学生かな。
城址公園の立入禁止のエリアの茂みの中に不思議な門があって、そこから異世界に行けるとか砧が真面目な顔をして言い出したんだ。
俺とコマキは兄貴が本気のマジな顔で言うもんだから、よせばいいのに信じてついていって、蚊に食われながら暗くなるまで藪の中を歩き回って探して、でもどこにも門なんてなくて、コマキが帰りたいって泣き出して、砧は勝手に不機嫌になって俺のことをぶん殴ってきたりしたんだ。
なんちゅーひどい兄貴だ。
「いや。あれは今思い出しても夢だとは思えないんだよ。確かにあったんだよ」
今でもはっきり覚えてる。と言って、砧が話を始めた。
☆
小学生の頃だ。
いや、中学上がりたてだっけな。
ともかくあれは夏休みだった。
塾の夏期講習とかで昼間は勉強させられてさ。
夕方に解放されるとみんなで城址公園に行って、頭の中に無理やり詰め込まれた知識を振り落とすように遊ぶってのが定番だったんだよな。
そうだ、夏の甲子園がもう終わってテレビも見るもんねーなって思ってたから、8月の終わりだったな。
城址公園の広場でサッカーかなんかやってたんだっけな。
いや、違うな。そうだ、あの日はエロ本が捨ててあったってマサが言い出したから、みんなで探しに行ったんだ。
俺がいつもつるんでた仲間は、優等生タイプで仕切りたがるけど、いざって時は及び腰になるザマ。ボーッとしてるけど意外とちゃっかりしてっし度胸もあるバオバオ。すぐ泣くし怖がりだけど強がってついてくるマサ。この三人は同じ中学校だった。で、もう一人、井上くんってのがその日はいた。井上くんだけ別の中学だったから普段は遊んだりしなかったけど、塾の帰りとかは一緒に遊んでたんだ。
城址公園ってその名の通り、古い城の跡地を公園にした場所なんだけど、お堀とか土塁の後が残ってて遺跡っぽくなってる。けど、資料とかがあまり残ってなくて、分かってることは南北朝時代のものだってことくらいで、どのくらいの範囲が城域でどのくらいの規模の城だったのかとか細部については今もわかってないらしくて、そのせいか立ち入り禁止のエリアとかが結構あるんだよな。発掘調査が進んでないんだか、やる気がないのか知らないけど。
で、立入禁止のエリアは手付かずの木々がボーボーで薄暗くて、人を寄せ付けないように金網のフェンスが張り巡らされてるんだけど、破れてる箇所とかあってそこから中に入れたんだ。エリアも結構広くて生え放題の木々と腐った落ち葉とか湿った土の匂いで、都会の真ん中だとは思えないくらい暗くてジメジメした雰囲気だった。
こんなところにエロ本なんかねーだろって思いつつも、普段は入れない場所にいることで変にみんな興奮してた。
ここに秘密基地とか作っても面白いだろうなとか、話しながら探検していたら、ザマが「あそこ、トンネルみたいになってるぞ」って叫んだんだ。
見ると薮の中にポッカリ人ひとりが通れるくらいの隙間があって、草木が避けるようにアーチ状になってて、ずっと先まで続いてるんだ。
「行ってみよう!」ってザマが仕切り出して、「財宝があるかもしれないね」なんてバオバオがニヤリとして「興味はあるけど危険かもしれないよ」なんてマサがヒヨって怖がってた。
「じゃあマサはここにいろよ。もし、お宝があっても、お前の取り分は無しだぞ」って俺が言うと、
「別に行かないとは言ってないだろ」って強がってマサもついてきた。井上くんも普通に「面白そうだね」ってついてきた。
トンネルは結構長かった。人の手で作られた感じはしなかったけど、地面は落ち葉とかなくて土が剥き出しだったし、一列になって歩くのにちょうどいい幅だし、枝とかも突き出してないし、どうしてこんなに都合よく歩きやすい道なんだろうって思った。
左右にうねったり少し上り坂になったりしながら道は続いた。
「ちょっと長すぎない?」なんて、ビビりのマサが声を上げた。
「嫌ならお前戻っていいぞ」と俺が言ったら「別に平気だし」なんて強がって見せた。けど、実は俺もこのトンネルはなんかおかしいなって思ってた。
城址公園は結構広い公園だし、立入禁止のエリアも全体の三分の一くらいはあると知っていたけど、それにしてもトンネルは異様に長かったんだよ。かといって今更戻るのも同じだけの時間がかかるし、乗りかかった船だと我慢した。
だんだんと皆の口数が減ってきた頃、先頭を歩くザマが「出口だ」と叫んだ。
ザマの後ろからヒョイっと顔を出すと、眩い光が上り坂の上に見えた。
「ようやくだな」「結構長かったな」なんて口にしながら出口を目指した。
勾配はさらにキツくなっていた。こんなにずっと上りっぱなしじゃ公園の一番高い見晴台よりも高い場所に出るんじゃないかって思った。
先頭を歩くザマが出口にたどり着くと急に大声を上げた。
「なんだこれ!!」って叫んでザマは立ち止まったんだ。
前を歩く奴が突然歩くのをやめたので俺はつんのめりそうになって文句を言った。
「急に止まるなよ」
「だ、だって……これやばいぞ!!」
ザマはオーバーリアクションな奴で、大したことないのに大騒ぎしがちなんだよな。
なので俺はその言葉を信用しなかった。どうせ城跡の一部が露出してる場所に出たとか、見晴台より眺めの良い場所に出たとか、そんな感じだと思った。
はいはい。俺にも見せてみぃって感じでザマを押し退けてトンネルの外に出た。
そんで、俺もザマみたいに目の前に広がる光景に驚愕して思わず叫んだ。
「なんじゃこりゃ!」
トンネルを抜けると、そこは小高い丘の上だったんだ。
青々とした草原が風になびき、なだらかな斜面の先には岸壁。そして、その向こうには大海原が広がっていた。大パノラマだった。
俺の後から出てきた面々も、そのありえない光景を見て絶句していた。
「ここどこだ……?」先頭で立ち尽くして、ザマが誰に聞くでもなくつぶやいた。
「東京には見えないね」後から出てきたバオバオが冷静に言った。
ザマを先頭に俺たちは恐る恐る崖のそばまで歩いてみた。
空は高くて青いし風は涼しくて気持ちがよかった。季節すら違って感じた。三十五度を越す都会の夏とは思えなかった。
崖の淵まで辿り着くと、ザマが海の方を指差した。
「船だ」
ザマの指し示す方をみると、キラキラかがやく海の上に一隻の帆船が浮かんでいた。大きな白いマストに海風を受けて進んでいる。
「あ、港があるよ」今度は崖の下を見ていたバオバオが言ったのでそちらをみると、崖から数キロほど先にオレンジの屋根の家が立ち並ぶ港町が見えた。桟橋には何隻かの帆船が停泊してた。ザマが見つけた帆船はその港町に向かって進んでるみたいだった。
「ななななんで!? もしかしてこれ夢? 夢だよね!?」
マサが涙声で言った。その声が癇に障ったからポカリと叩いた。痛がるマサを見て「夢じゃないな」と確認してやった。
「ここは異世界……かもしれないね」と井上くんがボソッと言った。
「異世界!?」ザマが振り返る。
「確かに。そう考えるのが一番合理的かも」バオバオが腕を組んで言った。
俺たちが出てきたトンネルを振り返ってみると、それは丘の傾斜に半分埋もれた巨大な岩石にポッカリと開いた洞穴だった。どうして木々のアーチみたいな道の先が岩石の割れ目なのかは理解できなかったが、井上くんが言うように異世界に繋がっていたのだとしたら不思議じゃない。
「ちゃんとあの洞穴に入ったら元の世界に帰れるよね?」マサが怯えた声を出した。
「帰れなかったら帰れなかったで仕方ねーじゃん」って俺が言うとマサはまた泣きそうな顔になった。
「そんな……。俺はやめといた方がいいって思ってたんだ」
今更マサが言ったので「思ってたんなら先に言えよ」とポカリと殴ってやった。
「どうする?」ザマが意見を求めた。
港町に行ってみるか引き返すか。という意味だった。ザマは仕切りたがるくせにいつも言い出しっぺにはなりたがらない奴だった。
「面白そうじゃん。ちょっと行ってみようぜ」と俺は言った。
「大発見かもしれない。そしたら俺たち有名人になれるかも」バオバオもニヤリと笑って賛同してくれた。
「で、でも危険かもしれないし、もし帰れなくなったら……」とマサは及び腰。
「んだよ。ビビってんのか」ってからかうと、「そんなことないよ。行くってんならぜんぜん構わないし!」と強がって声を張り上げた。
「よし。じゃあ少しだけ、この場所を探検してみよう」
皆の意見を聞いたザマがリーダー風を吹かせた。
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