煉獄螺旋 〜ユメ〜

煉獄螺旋 〜ユメ〜 


 ☆



 うう。痛い。痛い。お腹が痛い。

 なんだこの痛みは。くそ痛い。


 芋虫みたいに「く」の字になって横になってたが、腹の痛みは堪えきれないほど大きくなってきた。

 無理だ。もう我慢ならん。


 俺はもぞもぞと体を震わせて瞳を開け、体を起こした。


 あれ、ここどこだっけ?

 一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなったが、すぐに思い出す。コマキの家だ。

 今日、彼女に浮気がバレて、ぶん殴られて振られて、トホホって感じで砧に電話をしたら、コマキん家で飲もうぜとなったのだ。

 やんよやんよ言われて「女は星の数ほどいる」みたいな何百年使い回されたかわかんない言葉で励まされて泥酔して寝ちゃってたのだ。


「お、ドーラ。起きたかー」


 丸坊主の四角い顔、三角の目に五角の鼻、ロクでもねぇのはその性分。砧である。七分袖のモザイク柄シャツに数字の八を横にしたみたいな黄色いメガネをかけている。


「起きたよ。いてて。まったくもって不快な夢だった」


「なんかずいぶんとうなされていたぞ」


「どんな夢みたのー?」


 俺を見上げる童顔なクリクリ瞳の女子はコマキだ。平凡な父親と平凡な母親の平凡な顔からどうしてこんな整った顔ができたのか、と不思議に思うくらい顔面だけは整っている。洗顔後なのか顔が異様にテカっている。部屋着のショートパンツであぐらをかいて座っているため、パンツが見えそうな。っつうか見えてる。

 まったく、女の子なんだから足を広げて座るなよって思うけど、指摘したって直らないし、昔から礼儀正しくてしっかりしてると他人には思われる程度の外面の良さはあるので、そこら辺のバランス取るために家でグダるのは仕方ないのかな、なんて半ば諦めてる。

 でも、コマキのことをしっかりもので礼儀正しい子だと思って付き合うような男がいたら、家でのぐうたら姿を見られたら幻滅されちゃうぞ。


「そんくらいで幻滅するようなつまんない男とは付き合わないからいいの」


 んなこと言って何人の男に逃げられてきたのか。


「ドーラには関係ないでしょ」


「カンケーないわけにはいかねーだろ」


 まあ、こいつがどうなろうと別にいいのだが。

 振り回される男が少々不憫ではあるが、むしろコマキを振り回すくらいの男に現れて欲しいものだ。

 なんて言ってるとお前は何様なんだと言われそうなので先に言っておくと、コマキは妹だ。で、言うの忘れてたけど、砧は俺の兄だ。三兄妹だ。


「で、どんな夢だったんだ?」


「えっと。あれ、なんだっけ。だーっ。もう夢忘れちまったよ。あれー。なんだっけなぁ」


「夢ってすぐ忘れちゃうよな」


 それぞれ実家を離れても、暇があるとこうして集まっちゃうくらい仲の良い兄妹だ。……いや、それぞれ友達がいないってだけかも知れんが。


「腹痛くて起きちゃったんだよな。なんかそういう系の夢だったと思うんだけどなぁ。ま、便所行ってくらぁ。思い出したら言うよ。大した夢じゃなさそうだけど。それより、トイレ行ったらコンビニ行こうよ」


「俺は暑いから嫌だよ」


 砧が顔を顰めた。


「わたしもパスー」


 コマキも手をひらひらさせて嫌がった。

 二人ともノリが悪い。


「んだよ、しょうがねえなぁ」


 一人で行くか、と立ち上がる。


「……ワタシ、行きますよ」


「おう、じゃあ準備しといてー」


 背中に涼やかな声を聞きながら扉を開け廊下に出てトイレに入り蓋を開けてしゃがみ込んで、気づいた。


 あれ……今の誰だ?


 ぐるるるっと腹が嫌な音を立てる。思考が奪われる。

 くそ、マジで辛すぎだろあのラーメン。普段は食べない激辛物を食べたのは、「心頭滅却すれば火もまた涼し、失恋を治めるには激辛と古来から決まってるぜ」などと意味のわからないことを言い出した兄の砧と、面白がって「汗は心の涙だ!恋に敗れた悲しみを心の汗で吹き飛ばせ!」などと、こちらも意味のわからないことを言って乗っかった妹のコマキにそそのかされたからだ。くそ。一時の気の迷いが仇になるってやつだ。

 まずは腹が収まるまで耐えろ。と言うことで、腹痛に悶えながら、なんとか用を済ませ、冷や汗を拭いながら立ち上がり、トイレを出て廊下を歩き扉を開けようと手をかけようとして、思い出した。


 俺は誰とコンビニに行くんだっけ?


 動きが止まる。

 あれ。砧とコマキと、もう一人いたけど誰だっけ? 女の子? コマキの友達だっけ?

 三兄妹で集まる時に一緒に遊ぶような人は結構限られているけど、その中に女の子なんていたっけ。


 固まっていると、向こうから扉は開いた。


「もうドーラくん、なんでそこに立ってるの。トイレ済んだならコンビニ行こうよ」


 そこに立っていたのは、どこにでもいそうな平均的な顔立ちの女だった。肩にかかるくらいの長さの黒髪。真っ直ぐに切り揃えられた前髪は眉毛を隠している。

 顔立ち自体は整っているが、決してパッとするような派手さはない。

 ……誰だ?


「せっかくユメが付き合ってくれるって言ってんだから、変なことしてないでさっさと行って来なよ」


 コマキが首を伸ばして言う。

 その瞬間、全部思い出した。なんだ、ユメか。ユメ。ユメちゃん。そうそう、コマキの幼馴染で、つまりは俺ら三兄弟とも生まれた頃から一緒の家族みたいな存在の女の子だ。今年で二十歳。コマキより絶対モテると思うんだけど、いまだに彼氏ができたことがない。言ってくれたら誰か紹介するのに、まだウブなんだか、彼氏なんていらない、とか強がるんだよな。かわゆい奴め。


「そうだそうだ。よし、行こうぜユメ」


 二人でアパートを出た。

 どうしてユメのことを忘れちゃっていたのか、疑問に思うことは微塵もなかった。



 真夏の深夜。〇時を過ぎても蒸し暑いが、今日は風が少しあるので、まだ我慢できる。と部屋を出た時は思ったけど、四階の部屋からエレベータで降りて地上に出ると全然風を感じない。ったく、都会なんて穴蔵で暮らしてるのと変わらないな。建物で四方を囲まれて風も入ってこないしアスファルトで熱は篭るし。利便さを求めた結果がこの牢獄みたいな街。日本の繁栄の思わぬ落とし穴ってやつだ。


「浮気したこと後悔している?」


 俺が殴られた頬をさすっていたからか、隣を歩くユメが訊いてきた。

 しかし、人生うまくいかないもんだなぁ。浮気ったって酔った勢いでちょっと一回関係を持っちゃっただけで、そんなにちゃんとした浮気ってわけじゃないのに、ぶん殴ってくるんだからな。


「俺だって一度きりにしよって思ってたし、でもホテル出る時に、彼女の友達とばったり会っちゃってさ。つーかその友達もクソだよな。言うなよな」


「全体的に悪いのはドーラくんだけどね」


 断言されちゃうと返す言葉もない。

 そうなんだけどさ。切り替えていくしかないっしょ。

 夜空を見上げる。星はほぼ見えない。晴れてても都会じゃ星なんて見えない。


「なー。最近、面白いことあった?」

「ドーラくん。話題を変えたいからって、そういうテキトーなフリは良くないよ」


 ユメは呆れたように笑う。


「ユメとこうやって二人で歩くことはなかなかに珍しいからなー。会話が思い浮かばん」


「ワタシが高校生の時くらいまでは砧くんとドーラくんと三人で映画に行ったりすることもあったよね」


 あったあった。コマキが意外と面倒くさがって映画とかは来なかったりしたんだ。


「……あっ! そうだ。あったあった! 面白いことあったんだ」


 ユメが声を張り上げた。


「ドーラくん達に会ったら言おうと思ってたのに会う機会がなくて忘れてたよ」


「いいじゃん。聞かせてよ」


 えっとね、と少し視線を泳がせたユメ。頭の中で話をまとめているのだろう。


「この前ね。なんかね。街で占い師にお代は結構ですから、あなたを占わせてください。って言われたの」


「何それ。やば」


 夜の街を歩いていたりすると、路地裏から紫色のフード付きのローブを着て水晶玉とかを携えて、頭を覆うフードの下もヴェールみたいな紫色のラメとか少し入った布で顔を隠している性別年齢ともに不詳の怪しい占い師が出てきて、「あなたを占わせてください……。お代はいりません……」とか言ってきたってこと?

 やばいじゃん。変質者じゃん。


「いや、そんな風じゃなくて、普通のおじいさんだったよ。ローブは着てたけど白かったしアジアンテイストな渦巻き模様の刺繍があって、なんか雰囲気あったよ」


「へー。で、どうしたの? 逃げた?」


「逃げないよ。ってか、あっちから話しかけられたんじゃなくて、こっちから話しかけたの」


「なんで?」


「駅に立ってる占い師の人とかいるじゃん。普通に占いをしてもらおうと思ったの」


「え。ユメ、占いとか好きなの?」「普通に好きだよ」


 知らんかった。そういや、コマキも朝の情報番組とかの血液型占いとか星座占いとかそういうの毎回ちゃんと見ていた。確かに女の子って占い好きだよな。あれかな。男性に比べて女性の方が社会進出とか職業選択の自由とか男尊女卑とかそういう時代的に外からの圧力で物事が決められていく事が多かったから、それを運命とか天命だとかって納得せざるを得なくて、占いとかまじないとかそういうので心を癒していたって背景があるのかな。

 そういや彼女(元)も相性占いとかで俺との相性が悪いとか文句言ってたもんな。今思えば当たってたかなぁ。


「……いや、そういう話がしたいんじゃなくて。ドーラくんすぐそうやって話が脱線するよね」


 昔からの悪い癖だ。


「悪かったよ。つまり、占いをしてもらおうとして占い師のところに行ったら、あなたは無料でいいって言われたってことね。それはそれで妙じゃない? そんなことあるの?」


「ね。でも、なんか田舎のおじいちゃんに似てる雰囲気の人だったからあんまり怪しいとかって思わなかったなぁ。それで占ってもらったら、予言をされてね」


「どんな?」


「近いうちにあなたに迷いの時が訪れる。けれど大丈夫。その時は自分の心の奥の本当の気持ちと、きょうだいのように親しい者の言葉を信じなさい。って言われたんだ」


「なるほどね。きょうだいみたいに親しい者か。誰だろね」


「え。普通にドーラくんと砧くんが頭に浮かんだんだけど」


 心外そうに俺を見上げるユメ。


「あ。そうか、ユメは他人だったな! コマキとまとめて妹って感じで親戚感が強過ぎて逆に思い浮かばなかったよ。わりいわりい」


「まあいいけど。……どうせ他人だし妹扱いだものね」


 ぼそっとユメが何かを言ったが、ちょうど車が通ってその音でよく聞き取れなかった。なんか言ったか?


「別に。ともかく、ワタシだって占いとか好きだけど、本気で心酔するほどには信じてないしインチキ臭い占いもあるって思うけど、中にはすごい占い師もいるんだね。ワタシにきょうだいみたいに親しい間柄の人がいるなんてよくわかったよね」


「どうなんだろ。きょうだいみたいに仲の良いってくらいなら、みんな当たり前にいるものじゃないの?」


「えーそうかな」


「もしくは、ユメと会話した感じで友達とか多そうだって思ったから、そういうことを言ったりとか?」


「あー、相手を見て相手の雰囲気でジャンル分けしてそのジャンルにあった最大公約数的コメントを出すみたいな?」


「わかんないけどね。本当に霊能力的な力がある占い師だったのかもしれないし。ま、予言とかはわからんけど、悩みがあったらなんでも言ってよ。金とかはきついけどユメの頼みだったら手伝えることはやるよ」


「……うん、ありがと。でも、別に悩みもないんだけどなぁ」


 小首を傾げるユメ。

 やっぱり占い師の言うことなんて、当たるも八卦当たらぬも八卦ってやつだよ。良い部分だけ都合よく信じておけば良いんだよ。

 そういえば、なんか最近占い師が夢に出てきたような気がしないでもない。

 ……あ。一瞬、アパートで黒いフードを被った男がナイフを持って体当たりしてくる映像がフラッシュバックした。

 腹部に突き刺さるナイフの燃えるような痛みと、慌てて駆けつけるユメの青ざめた表情が脳裏に蘇った。


「え? 何?」


 立ち止まった俺に、少し前を歩いていたユメが振り返って訊く。

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