なぼちょ 4
☆
占い師は真っ白な髪のお婆さんでした。異国風の白いゆったりとしたローブを身に纏っていて、袖や襟元には螺旋模様をあしらった刺繍が施されていました。皺だらけの顔はどこか日本人離れしているように見えましたけど、訛りはまったくなかったので、やっぱり日本の方なんだろうなと思いました。
わたしが机の前に立つと、占い師のお婆さんはゆっくりと顔を上げて、「お待ちしておりました」と言いました。
「……え。待っていたんですか? わたしを?」
聞き間違いかと思いましたが、占い師のお婆さんは「もちろん」と頷きました。
「あなたが訪ねてくると思ったので、今日は足を伸ばしてここまで来たのよ」
占い師のお婆さんは嬉しそうに言って、わたしに椅子に座るよう促しました。今思えば、そういう風に言えば信頼を得れる手口というか常套句というか、お決まりの文句なのかもしれませんが、その時のわたしは何か運命めいたものを感じました。
それに、初めて会ったというのに、彼女の笑顔を見ていると、どこか懐かしいような気持ちになったのです。
きっと占い師のお婆さんの佇まいが田舎の祖母にどことなく似ていたからなのかもしれません。
「普段は新宿でお店をしているのよ」
占い師は異国風のローブの裾から名刺を取り出しました。
「斎 優子」
住所は新宿。
お店の名前は看板と同じ、『煉獄螺旋』でした。
「新宿って、ずいぶん遠いですね」
わたしが勤める会社の最寄駅は田園都市線の池尻大橋という駅になります。新宿からここまで来るには山手線なり埼京線なりのJR線で渋谷まで出て、そこから地下鉄に乗り換えをしなければいけません。占いの机や荷物を持ってあの満員電車に乗ってきたのだとしたら、かなり大変だろうなと思いました。
「言ったでしょ。足を伸ばしてここまで来たと。あなたには今日会いたかったのよ」
占い師のお婆さんはニコニコして言いました。
私に会いたかったとはどういうことでしょうか。不思議でした。もしかして、彼女の住んでいるのがここの駅近くなのかもしれないし、本当にたまたま普段とは違う場所に立っていただけなのかもしれませんが。
「あの、わたし、占いって初めてで。勝手がよくわからないのですが、料金とかはおいくらなんでしょうか」
「あなたからお代は頂戴しませんわ。私があなたを占いたくてここまで来ているのですから」
その言葉を聞いて、わたしが怪訝な顔をしたからでしょう。占い師のお婆さんはくすくすと笑って続けました。
「怪しいって思ったでしょ。ごめんなさいね」
占いのふりをして怪しい宗教に勧誘するとか、変なマルチ商法に勧誘するとか、そういう類かとわたしは勘繰ったのですが、占い師のお婆さんは「そうじゃないのよ」と首を振りました。
「占い師は基本的には頼まれて占いをするけど、時々いるのよ。どうしても占いたいと思う人、占わなきゃって思わせる人が世の中にはいるの」
「占い師さんの方から、ですか? それがわたし?」
「そう。不思議な星の下に生まれた人や、とても珍しい運命に導かれた人。そして……幾つもの『門』をくぐる運命にある人。そういう人にはこちらから接触して占わせてもらうの。占い師にとって、そういう人を見させてもらうのは、とてもいい経験になるのよ。まあ経験すべてがプラスになるとは限らないけれど。しなくてもいい経験だって人生にはあるでしょう。でも、良い占い師になりたいのなら、避けてばかりいちゃダメなの」
「わたし、特に変わった人生は送ってないと思います。別に普通の人と違うところなんてないと思うんですけれど……」
「本人は気が付かないものよ。まあタダより怖いものは無いでしょうし、占いが終わって、あなたがもしお金を払いたいと思ったらアクセサリーを買ってちょうだい。私、アクセサリー作りもやってるの。占い代金じゃなくて、アクセサリーの代金。ってことなら文句はないでしょう?」
占い師は机の下から鞄を取り出して机の上に広げました。
綺麗なネックレスやペンダント、イヤリングなどがたくさん綺麗に並べられていました。
「可愛いでしょ。あっ、でももちろん強制じゃないからね。安心してね」
お茶目に笑った占い師のお婆さんは鞄を閉じて机の下に置きました。
「さて。じゃあ、始めましょうか」
占い師のお婆さんは机の上に奇妙な置物を出しました。
何本かの細い銀色の金属がぐるぐると螺旋状に伸び、それらが合わさって球体となった不思議なオブジェでした。
握り拳くらいの大きさでしたが、何か神秘的なムードが漂っていました。
「これは、何占いなんですか?」
手相占いとか、タロット占いとか、占星術とか、あまり詳しくはないですが、占いには様々な種類があるのは知っていました。けれど、こういうオブジェを使った占いというのは知りません。
「水晶玉を使った占いがあるでしょう。スクライングと言って水晶に映り込んだ光や物質によって吉兆を占う方法なんだけど、それと近いものよ」
「その丸いのは水晶なんですか?」
「いいえ。これは煉獄螺旋を模した物、
「……煉獄螺旋ってなんですか?」
「この宇宙すべての可能性を含んだもの。解決していない全ての謎。ネジ式に続く輪廻の輪。同じ座標をパラレルに通過する並行世界。交わることのない放物線。すれ違う想い。未熟な答え。完成したハテナ。それらを私たちの間では煉獄螺旋と呼んでいるの」
説明を聞いてもなんだか雲を掴むようで、よくわかりませんでした。
「さて。じゃあ、そろそろ始めるわね……」
占い師のお婆さんは両手を螺旋丸にかざし、口元に携えていた笑みを消し、真剣な表情になりました。
ワタシもお婆さんの見つめるオブジェを一緒に見つめます。螺旋状に渦巻く不思議なオブジェはなんだか見ていると遠近感がわからなくなってきます。
手前のうねりが遠くに見えたり、奥の線が手前にあるように見えたり。
ぐるぐると絡み合う螺旋を見つめていると目が回ってきます。
「ふむふむ。なるほどねぇ」
占い師のお婆さんは唸りました。
「ここまで足を運んだ甲斐があったわ……」
オブジェに手をかざしたまま、占い師のお婆さんは感嘆の声をあげます。じっとオブジェを見つめ、時折優しく撫でるようにオブジェを転がし、占い師のお婆さんは何度も頷いたり、驚いたように目を見開いたり、息を呑んだりしていました。
しばらくそうしていましたが、やがてオブジェから手を離し、一つ深呼吸をしました。終わったようでした。
「ありがとう。貴重な経験をさせてもらいました」
「何が見えたんですか?」
「色々なものが見えたわ。いろんなあなたが見えた。あなたの見る夢。あなたを見る夢、愛しいあなたも恐ろしいあなたも見ることができたわ」
「ワタシの未来も見えました?」
「そうね……。何かヒントになるようなことを教えてあげたいけれど、今私が覗くことができたいくつかの世界のどれが、今のあなたと繋がっている未来かはわからないわ。それほどあなたには可能性がある。けれど、全ての世界で共通している事柄があったわ。これは伝えられる。まず一つ。あなたが今、心に抱えている悩みはもうじき解決するわ」
もったいぶったように占い師のお婆さんはいいました。
けど、ワタシは自分の悩みなど、彼女には言っていません。ワタシに悩みがあることをどうして見抜いたのか一瞬驚きましたが、占い師のところに来る人はほとんどが悩みを持った人ですから、こういう答えは、いわば予想の範囲内と言えるかもしれません。
周りの友人たちには占いが好きで雑誌やテレビの占いコーナーを見ることが習慣になっていたり、実際に占い師に悩みを相談する人もいました。けど、ワタシはあまり占いというものを信用していませんでした。
悩みはもうじき解決します、なんて漠然としたことを言われても、簡単に信じたり気が晴れたりするような素直な人間ではことはありませんでした。占いなんて、誰にでも当てはまるような当たり障りのないことを言うものだと、心のどこかで馬鹿にしていたのかもしれません。
「でも、あまり良い解決ではないわね。むしろ最悪に近い形で悩みはなくなるわ」
「最悪に近い形?」
「ええ。でも、大丈夫。あなたは何度だってやり直せる。あなたは特別だから。今のあなたの悩みはとても小さいことよ。今のあなたにとってはとても大きな心配事でしょうけど、本当の真のあなたにとっては、とっても小さいことなの。だから今のあなたの悩みがどんな形であれ、解決するということは素敵なことなのよ。次に進むことができるから」
要領を得ない言葉でした。けれど、彼女の口調や抑揚、落ち着いた態度のおかげで何かとても大事なことを教えてもらっているような気がしました。
「……それと、あなたがずっと会いたがっている人に、もうすぐ再会できるわ。優しくてかっこよくて、まだ少女だった頃のあなたが憧れていた、あの彼女にね。彼女に再会すれば螺旋の渦は動き出すわ。これは決して悪いことではないから安心してね」
その言葉を聞いて、ワタシの心臓は跳ね上がりました。
悩みが解決するとか、あなたは特別とか、そんなことは誰にでも言えることです。けれど、若い頃に憧れていた女性に再会できる、という言葉は誰にでも当てはまるものではありません。
……そうです。ワタシはずっとドーラさんに会いたかったんです。
☆
ユメはそこまで話して、照れたように頬を染めた。
「占い師のお婆さんとの話はそれでおしまいです。その時は興奮しましたが本当にドーラさんと再会できるとは思いませんでした。このネックレスのおかげかもしれませんね」
占いの後、お金も払わずに帰るのも忍びなく、アクセサリーを買ったとユメは言った。
「多少、値が張るものでも仕方ないと思ったのですが、五百円で良いと言われてしまいました」
占いの代金にしても、アクセサリーの代金にしても安い気がする。
「ともかく、これで占い師のお婆さんの予言は当たったことになりますね。ほんと、信じられないです」
ユメの手のひらで転がされる螺旋の形のネックレス。
「ドーラさんに再会できたってことは、ワタシの悩みも解決するのかなぁ」
そういえば、彼女の悩みとは一体なんだろう。友達に神社でお祓いをした方がいいとか言われるくらいの悩みってなんだったのだろう。差し支えない範囲で教えてもらえないだろうか。解決策は難しいとしても、何か手助けできることもあるかもしれない。今夜これだけ親切にしてもらったんだから、少しでも彼女の役に立ちたいと思った。
「はい……。実は最近、ストーカーっていうか、付きまといっていうか。そういうのに遭ってるんです。実はそれが原因で引っ越したんですよ」
なるほど。それはキツイな。
私なんかストーカーどころか痴漢にすら遭ったことない女だけど、周りは結構な割合で性被害に遭っていたりする。
でも、それってお祓いで解決する問題じゃない気がするけれど。
「それこそ、占い師なんかより警察に相談した方が良くない?」
「でも、確証がなくて……。警察に言えるほどの被害ってまだないというか……。もしかしたら、ワタシの被害妄想なのかもって部分もあって」
何かあってからでは遅いと思うけど、どういうことが起きているのだろう。
「会社からの帰り道、毎日同じ人を見かけるんです。定時で上がれた日も、今日みたいな終電間際の日も、いつもです。電車の中だったり、途中で寄るスーパーだったり、会社のすぐ外にいたこともありますし、最寄駅の改札で見たこともあります」
通勤の時間がかぶって同じ人をよく見かけるということは、まあまあある事例だと思うけど、それにしては頻度がエグい感じ。
「毎日なの? いつから?」
「本当に毎日なんです……。二ヶ月くらい前に、終電で帰った日に、家の近くで見かけたのが最初に違和感を持った時でした。深夜だというのに、電信柱の影でボーッと立っている男の人がいたんです。怪しいな、と思って足早に通り抜けようとした時に、チラリと見ると、男もこちらを見ていて、目が合いました。その時、何度か電車や駅で見かけたことがある顔だと思い出したんです」
「どんなやつ?」
「黒いコートを着て、パーカーのフードを被っていて。頬のこけた、ぎょろっとした瞳に高いワシ鼻。背は高いんですけど、病的に体は細い男です」
そういう人間をどこかで見たような気がしたが、思い出せなかった。気のせいかな。
「顔見知りとかじゃなくて?」
「まったく知らない男の人です」
「こわっ。初めてその人を認識した時には、もう何度か見てる顔だなって思ったのね。それって、いつから付きまとわれてるかわからないってことだよね」
「そうなんです。ワタシ、怖くなって。それに、もう一つ、気持ち悪いことがあって……」
「気持ち悪いこと?」
「部屋のものが気がつくと無くなっているんです……」
「え。なくなるってどんなものが?」
「歯ブラシとか……、トイレットペーバーです」
「え。なにそれ。怖っ」
「初めは洗面台に置いていた
歯ブラシって絶対に無くさない物じゃないですか。洗面所の歯ブラシ置き場に絶対に入れますもん。それが無くなってるのを見て、初めて今までの出来事とかが線に繋がって、一気に怖くなったんです」
「知らない間に誰かに部屋に入られていたってこと!?」
「はい。それしか考えられません……。それで、慌てて友達に連絡して泊めてもらって、すぐに引っ越しを決めたんです」
「やっぱりそれは警察に連絡したほうが良くない?」
「でも、鍵とか壊されてないし、盗まれたものだって高価なものじゃないし、部屋が荒らされてるわけじゃないし、本当は全部私の思い過ごしなのかもしれないって思う時もあって……。毎日会うあの男の人が犯人かどうかもわからないし、本当にたまたま毎日見かけるだけなのかもしれないって思ったら、自分がおかしくなっちゃったのかと不安で……」
それでお祓いを友達に勧められたのだという。なんとも言えない話だ。メンタルがやられちゃって被害妄想に駆られているという風に解釈もできる話だ。判断がつかない。
「それで、この部屋に越して来たのが先週の日曜でした。仕事も忙しくて荷解きができていなかったんです」
「引っ越してから、男の人は見かける?」
「はい。ただ会社の近くばかりですが……」
「うーん。ならやっぱり警察に相談してみたらいいんじゃない? 何かあってからじゃ遅いよ。明日一緒に警察行こうよ。私も今日のことを話しにいかなきゃいけないし。明日は仕事?」
「いえ。明日はお休みです」
「ならちょうどいいじゃん。行こうよ」
「そうですね、わかりました。ドーラさんと一緒なら」
「じゃあそうしよう。……ところでお酒とかない? お酒を補充しに出かけたところで変な事件に巻き込まれちゃったからさー」
暖かい部屋で暖かいお茶を出されて、私の緊張は一気に解けたのだ。不安が去ったという安堵感から、普段より気が大きくなっているのが自分でもわかる。
「ふふ。ドーラさん。元気になりましたね。昨日ちょうどワインを買ってたんです。赤ですけどいいですか?」
「お、わお! いいね! じゃあ二人の再会と、今日の出来事を吹き飛ばす意味を兼ねて、飲もうよ」
「わかりました」
ユメが立ち上がり冷蔵庫に向かった。
「チーズとかあった気がしますけど、食べますか?」
そんなことを言いながら冷蔵庫の扉を開けたユメは、なぜかそのまま固まった。
「……嘘」
ぽそり、とユメがつぶやいた。
「何どうしたの?」
「……買ってない物が入ってます」
「え?」
立ち上がりユメのもとに向かう。
「ワタシ、ワインは買ったけど、こんなお惣菜なんか買ってないです……」
冷蔵庫の真ん中に、ローストビーフのパックが二つ無造作に置いてあった。
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