煉獄螺旋 〜なぼちょ〜

煉獄螺旋 〜なぼちょ〜

 ☆


 目が覚めると薄暗い部屋だった。

 私は肘掛け付きのソファで眠っていたようだった。


 ……あれ、ここどこだっけ?


 一瞬、自分がどこにいるのか分からなかったが、すぐに思い出した。


 女子大からの友人の砧の部屋だった。

 昼間、デート中にふとしたきっかけで彼氏の浮気が発覚した。慌てふためき言い訳を始めた彼氏の顔面に渾身のナックルパンチをお見舞いして、そのまま店を飛び出して、砧に電話し、この部屋にやってきたのだ。


 砧は基本空いてるから何かあるとすぐ飲み会の場となる。

 ちょうど、後輩のコマキも家に来る予定だというので、酒を買い漁って突撃した。

 ピザを頼んで、クソ彼氏(元)の愚痴を吐いて、酒を飲んで吐いて、それでどうしたんだっけ。

 なんだかヘンテコな夢を見ていたみたいで、前後の記憶が曖昧になっていた。

 ズキンと頭が痛んだ。飲みすぎたなぁ。


 薄暗い部屋。お香が焚かれた部屋は大きな窓を覆うカーテンも流木を加工して作った重たいローテーブルの下に敷かれたラグもアジアンテイストで非常にオシャンティな空間である。

 横を見ると、部屋の主である砧と後輩のコマキがベッドに並んで座りパソコン画面を食い入るように見つめていた。

 画面の中はアニメ。美少女キャラが三人、崖っぷちで男たちに囲まれて絶体絶命のピンチになっている。

 そういえば、コマキがおすすめのアニメがあるとか言っていたな。それか。

 異世界転生ファンタジーとかいう系統のアニメで、地味な主人公が交通事故に遭った瞬間に、異世界に転生。美少女の体に入り込んで、魔王を倒すために旅をする。みたいなアニメらしい。絵柄は少女漫画みたいだけど、ちょっとエッチなギャグコメディみたいな感じなのかな。今も画面の中では主人公たちが村人から「服を脱げ!」「股を見せろ!」などと破廉恥極まりない文句を叫ばれている。

 どんなアニメだよ。こりゃ変なフェミニストみたいな連中が女性は差別されているとか叫ぶのも理解できる。


 推しのイケボ声優が出ているとかで、砧は早速ハマっているけど、私は彼氏(元)の浮気発覚でテンション落ちてて、アニメなんか見る気にはなれなかった。

 とはいえ、いつまでも引きずってるのも時間の無駄だからさっさと切り替えなきゃダメだよね。顔面ぶん殴っちゃったし、あいつとの関係は終わりでいいんだけど。あいつん家にドライヤーとか化粧水とか置きっぱなしなのはちょっと嫌だな。最近買ったばかりのだったから惜しいけど仕方なし。新しいの買おう。だって、あの男にはもう二度と会いたくない。

 次はもうちょっと誠実な男と付き合わなきゃな。顔で選んだ私が馬鹿だった。ただ、あいつの自慢の顔に拳を叩き込めたのは愉快である。カコンッって音がした。鼻を正面からぶん殴るとカコンって乾いた音がするんだ。初めて知った。あの音は鼻が折れた音かな。せいせいする。胃の中はムカムカするけど。飲みすぎたー。


 私は乱雑な思考を浮かべ捨てながら、再びソファにもたれかかった。

 ソファ脇のサイドテーブルの上には瓢箪のランプ。くびれた体にいっぱい穴が空いていて、そこから漏れるオレンジの光が部屋をプラネタリウムみたいに照らしている。オシャンティ家具。エロい。


「お、起きたね。ドーラ」


 ちょうど、アニメがひと段落ついたのか、砧がこちらを向いた。切長の瞳に細い顎。黒髪をお団子にして頭頂部に丸めている。スレンダーな体型が羨ましい。


「寝てた。気持ち悪い。気にせず、アニメ見ててー」


「面白いからドーラも一緒に見ようよ。コマキ、次の話は?」


「まだここまでしか放送されてません。次は明後日放送です。ぜひ!見てください」


 くりくりした大きな瞳を瞬かせてコマキが言う。子犬みたいでコマキは可愛い。もうちょい、おしとやかなら男も寄ってくるだろうに。

 しかし、いつもどおりの友人たちとのやりとりなのに、なぜかとても久しぶりな感じがした。飲みすぎて記憶が飛んだからかな。よくあるんだよね。飲みすぎたり低気圧とかだったり、偏頭痛とか、何かしらの原因で頭痛になった時に記憶が途切れるというか、昨日までの自分と感じ方とか物事の見方とかが微妙にずれちゃう感覚。長くても数日で元通りになるんだけどね。


「さて、ドーラの別れ話を聞き終えた。コマキのおすすめアニメも見た。次はうちに付き合ってもらおうかな。これからは『謎』の時間だよ」


 砧が立ち上がり棚からレコードを一枚取り出すとプレーヤーに乗せた。


「なんだ。今日も用意していたんだ」


「ふふん。我々は駒光女子大学、謎解かずサークル『なぼちょ』。謎さえあれば腹すら減らぬのよ〜」


 自慢げに砧は鼻を鳴らした。腹は減るけどなぁと思いつつも反論はしない。

 砧はレコードのジャケットを私に手渡した。


「最近、ディグってて見つけたヤツなんだけど映画のサントラみたいなんだ。うち、映画は詳しくなくて。ドーラ知ってる?」


「ディグってて……ねぇ」


 レコードのジャケットを見る。

 青と淡黄色の二色で塗られたシンプルなデザインだった。よく見ると青は空で形の良い雲がいくつか浮かんでいる。淡黄色は砂漠のようだ。平坦な砂漠が一面に広がっている。上部三分の二が青空。下が砂漠。そして、空と砂漠の境目に螺旋状の塔が立っている。ネジ式に伸びる銀色の塔はどこまでも高く伸び、霞んで見えなくなっていく。

 そして、青空にデカデカとタイトルが浮かんでいる。


『煉獄螺旋 サウンドトラック盤』


「……知らないね。邦画?」


 裏面を見るが、砂漠と青空という前面と同じ構図で、こちらは塔がないバージョン。

 トラックタイトルとか参加アーティスト名とか何も書いていない。情報が一切ない。

 なぜか、どこかで見たような光景だと思ったのだが、詳細はわからない。気のせいか。


「昔の洋画だと思う。邦題が『煉獄螺旋』だろうね」

「何映画だろ。 ホラーかな。それともSF?」


 コマキにジャケットを手渡す。


「ロゴの字体が時代を感じさせますね。猿の惑星とか、あのくらいの時代。七〇年代くらいですかね?」


「そうだね。ジャケのヨレも相当年季が入っているのがわかるし」


「ネットで調べてみたんだ。でも、一件もヒットしない。煉獄螺旋なんて映画の情報は何も出てこなかったんだ」


「ネットで出てこないってすごいですね。令和の時代に」


「これは面白いと思ってね。二人に見せようと思っていたんだ。レコード以外はライナーの一枚も入ってなくてさ。作曲が誰かもわかんないんだよね」


「なるほど。はい! 一つ思いつきました」


「ドーラさん。どうぞ」


「存在しない映画。ってのはどう? 映画のサントラに見せかけた自主制作作品とか」


「ふむぅ。なるほどね。架空のアニメの主題歌ってコンセプトの作品をどっかで見た気がする。そういう感じか」


「でも、自分で言っといてなんだけど、それならそれで、多少なりともネットに情報は出てきそうだよね」


「プレス用に配ったり、結婚式の引き出物で作ったり、そんな感じで世に出回ってないレコードなんじゃないですか?」


「売り物じゃないやつか。業界関係者とかに配られただけのものならネットに情報が出ない事も……ないことはないか。ちなみに、どんな曲が入ってるの?」


「それな。こんなの」


 砧がそっとレコードに針を落とした。

 流れ始めたのは壮大なオーケストラ。


「うわ。なるほど。こりゃ自主制作のレベルじゃないでしょー。こんな豪華なオーケストラ録っておいて世に出回ってないなんておかしいよ」


「でしょ。しかもメインテーマはキャッチーじゃん? 有名になってておかしくないよね」


「スターウォーズとかそこら辺の壮大さがありますね。ジョン・ウィリアムスみがあるっていうか」


「スマホに聴かせた?」


「それは~、もちろんしておりません」


 砧はニヤリと笑って言った。


「だよね。ってことは今回の『情報』はそこまでだね」


「そういうこと。ネットで情報がなかったから、やったって思ったよ。ここから妄想を膨らませていこう」


 彼氏と別れたことも、酔っ払って気持ち悪いことも、おすすめのアニメのことも、一旦忘れる。

 砧が撒いた情報から、それぞれ妄想を膨らませる。

 我らこそ、謎解かずサークル『なぼちょ』なのだ。


 ここで説明しよう!

 謎解かずサークルとは、世の中に溢れる都市伝説未満の謎という謎を、深く調べず、憶測と妄想のみで膨らませるだけ膨らませて、こっそり空に放つことを目的としたサークルだ。『なぼちょ』とは「謎膨張」の略である。


「便利な世の中、集合知に支配され、調べればすぐに正解に辿り着いてしまう現代。正しさばかりを追い求め、謎を謎のまま楽しむことのできないのは現代人の悪い癖。入道雲を見て、分厚い雲の中に何か世界の重大な秘密があるのではないかと空想を楽しむ。そういう物事の楽しみ方こそ、人生を豊かにするのだ。これができればお金なんかかけずにいくらでも楽しく暮らせるのだ。謎は謎のままで楽しもう。謎を解くなど言語道断。未来の若者が楽しむためにも、謎を謎のまま後世に残すことこそ、我らの使命」


 というのが謎解かずサークルの発案者であり代表である砧の掲げた運営理念だ。現代の科学至上主義的社会とは一線を画す、そのアホらしい理念を大学に入るも金欠コロナ禍でバイトもできず暇を持て余していた私は面白がった。残念なことに私と砧以外にメンバーは集まらなかったが。

 だが、我々の金欠と暇さは筆舌に尽くし難く、集まれば日々の生活で見つけた『謎』を持ち寄り、妄想と憶測のみでパンパンに膨らませるだけ膨らませては空に投げた。金の掛からぬ娯楽であった。が、腹は膨れなかった。

 そんな風にして、なぼちょ活動は私と砧が二人でゴロゴロしながら無意に学生生活を溶かしていただけの非生産的活動であったが、ひょんなことから後輩のコマキが入ってきて様相が変わった。コマキはアニメ等の二次創作(BL)を行うのが趣味の腐女子で、我々の怠惰を煮詰めたドロドロの鍋のような妄想劇を面白がり、一冊の本にまとめて、同人誌即売会に売り出したのだ。

 私は馬鹿げたことをやってるなー、と思って見ていたのだが、コマキのSNSの上手さと挿絵や文章のもったいぶったトンデモ内容が好評を呼び完売御礼。まさかの黒字。そこから毎年、同人誌を出すに至っていて、年二回の小旅行と数回の飲み会をまかなえるほどの利益が出たのをいいことに、大学を卒業した後もこうして集まっては小さな謎に無理やり妄想を詰め込んでいるような状態が続いている。今やビレバンや、そういうお店でも買える本を出したりもしてる人気サークルだぞ。


「あ。ジャケットと中身が違うんじゃないの? 取り違えたまま売られていたとか?」


「いや、レコードにもちゃんと煉獄螺旋のサントラって書いてあるんだよね」


「なるほど、これは良い『謎』だね。コマキ、なんかない?」


「そうですね。じゃ、突飛なとこで、こういうのはどうですか? このレコードは、どこか並行世界とかの有名な映画のサントラなんです。それが何かの拍子で次元の壁をすり抜けて、砧さんが通うレコード屋の棚に紛れていたんです」


「おお! そういうの待ってたよ! それは面白い。あのレコ屋、けっこう異次元感あるんだよね。耳の遠い爺さんがやってる店で、『リュックは背負って入るな』とか『店内スマホ使用禁止』とか、厳つい張り紙がしてあってね。狭いし、爺さんの気が向いた時しかやってないんだ。穴場なんだよね。レコ屋の棚がパラレルワールドの別のレコ屋の棚と繋がってて、この世界とは似てるけど微妙に違う音楽の歴史を辿った世界のレコードが時々紛れ込んでてって感じ? それは面白いね!」


「そういえば、絶対に家にあるはずの漫画とか、服とかがなぜかなくなることあるじゃん。あれも、なんかの拍子で異世界に迷い込んじゃってるのかもね」


「それはドーラの部屋が汚いだけでしょ」


「うへー。それはあるけど、言わないでよー」


 コマキの妄想を皮切りに、それぞれ好き勝手な妄想を膨らませていく。


 私たちが集まると、いつもこんな感じで妄想を膨らませて遊ぶ。不思議なことや謎を楽しむのだ。

 お金のかからないなんて高尚な遊びだろう。まあこんなイジケた遊びをしているからいつまで経ってもコマキは恋人ができたことがないし、私もすぐに浮気されたりして男と長続きしないんだけど。


「マンデラエフェクトって知ってる?」


 砧が言った。ちなみに砧は私たちの中で唯一結婚を経験している。死別も。


「マンダラ? なんかチベットのお坊さんとかが砂で描くやつ?」


「それは曼荼羅。マンデラだよ」


「じゃあ知らない」


「例えば、ジブリの有名な映画のラストシーンについて、存在しないはずの別のバージョンを映画館で見たことがあるって言う人とか大勢いたり、存在しない炭酸ジュースの味を子供の頃に確かに飲んだとか言い張る人が大勢いたりする現象で、集団幻覚っていうか集団で勘違いっていうか。そういうやつ。南アフリカの指導者ネルソン・マンデラって人がこの現象の名前の由来で、存命してるにも関わらず、1980年代に獄中死してたはずだって記憶を持つ人が大勢現れたことで名前がついたんだって」


「あ。わたし以前、『男はつらいよ』の最終回で寅さんがハブに噛まれて死んじゃうって話を聞いたんですけど、実際はリリーと奄美大島で暮らしてるのが最終作じゃないですか。変だなって思ってたんですけど、それもマンデラエフェクトですかね?」


 せっかくコマキが例を上げてくれたけど、ごめん。寅さんなんか見たことないからわかんない。


「え!? 『男はつらいよ寅さん』見たことない日本人なんかいるんですか!?」


「いるよ!」思わず叫ぶ。なんで私が非国民みたいな扱いを受けなきゃならんのだ。二十代前半で「男はつらいよ」にハマってる女の方が変だよ。いや、名作は名作なんだろけどさ。


「ま。良くある都市伝説って言っちゃえば、それで終わりなんだけど、そうじゃなくって、それこそ並行世界の存在の証明だっていう人もいてさ。世界にはたくさんの並行世界への扉が隠されていて、ふとした拍子にその扉を通って、別の世界から人や物が紛れ込んじゃったりしているっていうんだ」


「なるほど。じゃ、このレコードはマンデラエフェクトの影響で並行世界から紛れ込んだということだ」


「そう仮定しよう。それが面白い」


「面白いことは良きことですからね」


 こうして、我々の手元にあるレコードは並行世界から何らかの都合でこちら側の世界に紛れ込んだものとして認識された。一つの方向性が固まったので、今度はこれを膨らませる作業に入るのが決まりだ。我々は『謎ふくらませサークル』だ。正解など必要ない。もっともらしくも馬鹿らしいデタラメな仮説や具にもつかない妄想を、ダラダラとお菓子やお酒を飲みながら投げ合うだけだ。ああ不毛。

 そんなこんなで、ああでもない、こうでもない、と会話をしていると、彼氏(元)の浮気とか、もうどうでも良くなってきた。


「酒、まだある?」「もうないー」


「今何時?」「一時過ぎですね」


「みんな明日は?」


「休みだよ」「わたしもです」


「じゃ、コンビニ行って燃料補給と行こうではないか」


「いいですね」


「うちも賛成! あ、でもちょっと待って、トイレ行きたいから。レコード聞いて待っててー」


 そう言って砧は席を立った。

 私は再びソファに沈み込み、流れる煉獄螺旋オリジナルサウンドトラックに耳を傾けた。

 哀愁漂うメインテーマのアレンジバージョンが流れていた。なんかクライマックス手前のシーンで師匠とか重要人物が死んだりしそうな時に流れそうなアレンジだ。穏やかなフルートの音色がしんみりとした雰囲気を誘う。

 スマホに音楽を聴かせたら、すぐにAIが検索して何の曲か教えてくれる時代だ。

 これだけ壮大なオーケストラサウンドなら、調べれば一発で答えが出るのに、それをしないのだから砧は変な奴だ。

 こっそり調べて答えを知りたい気持ちにもなる。私の悪い癖だが、こういう禁じ手も時には良いスパイスになるものだ。

 スマホを取り出し、アプリを起動し音楽を聞かせる。


「よくわかりません。わたしのデータに該当の楽曲はありませんでした。」


 スマホは知らないと言った。

 へえ、そんなこともあるんだ。けど、謎は謎のままでいい。

 だって、人生において本当に知りたいことなんてごく僅かなのだから。



 ☆

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