ユメ2
確かにその抑揚のない声の出し方は砧でもコマキでもない。
年齢は変身している俺の姿と大差ないように見える。十代後半から、いっても二十代前半だろう。
ユメという名前にどこか引っ掛かった。最近、どこかで聴いたことのある名前だ。
「も、もしかしてここの世界の住人!?」
ユメと名乗る少女は首を横に振った。
「ちょっと待ってね。明るいの苦手なの」
ユメは人差し指を頭の上に持っていき、くるくると回した。
すると、辺りは急に夜になり、満点の星空が輝く夜空が広がった。
「な、なんだいったい……」
今まで、ずっと黄昏空だったのに、彼女が指をくるりと回したら、一瞬で夜になってしまった。
俺は不思議な少女に圧倒されてしまった。細い体の少女だというのに、どこか威圧感がある。
少女は黙って、俺を見つめている。
「な、なんだ」
「パンツくらい履いたら?」
「おわっちゃあ!?」
慌てて下着を履く。どうも男性のシンボルがない股というのは、さっぱりしすぎていて収まりが悪い。
「で、あんたいったい誰なんだ!?」
「ワタシはユメ。ねえ、あなたはここがどこだか分かっている?」
抑揚のない声。だけど、スッと耳に心地よく届く声だった。
「君はここがどこだか知っているのか? 教えてくれ、ここは一体なんなんだ?」
「ワタシが聞いているの。ここはどこだと思う?」
彼女にピシャリと言われて、俺は口籠った。
この少女には逆らえないような気がした。
この少女は何者なのか。
顔立ち自体は整っているが、決してパッとするような派手さはない。
どこにでもいそうな少女だ。肩にかかるくらいの長さの黒髪。真っ直ぐに切り揃えられた前髪は眉毛を隠している。
服装は手首から先と足先しか肌が見えないような黒くて長いワンピース。海からの風に柔らかく揺れている。
「ここは……俺たちがいた世界とは全く違う世界だ」
「半分正解。ここは煉獄螺旋よ」
聴いたことのない単語だった。
「それって、この不思議な世界の名前か?」
「そうだけど、そうじゃない」
「教えてくれないか?」
「ここは煉獄螺旋の中ではあるけれど、これが煉獄螺旋の全てではない。ごく一部でしかない」
わかるようなわからないようなことを少女は言う。禅問答みたいだ。
しかし、どうしてこんな少女が目の前に現れたのか。
今までになかった事態だ。急に夜になったことも、俺たち以外の知的生命体が現れたことも。
もしかして、うんこをしようと気張ったことが引き金になったのか?
「それは違う」
頭で思っただけなのに、少女は否定した。ちょっと顔をしかめて、結構即座に否定してきた。
「お、お前。心が読めるのか?」
「いいえ」
「だって、俺が思ったことを言う前にお前は否定しただろう」
「ワタシは精霊と会話ができるだけ」
「精霊?」
俺が聞き返しても、少女は聞こえないふりをしたのか、答える必要がないと判断したのか、黙ったままだった。
精霊、ユメ。二つの言葉が頭のどこかで何かが引っかかる。あと少しで思い出せそうなのに、思い出せなかった。
「それより、煉獄螺旋ってなんなんだ。俺たちはここから抜け出せないのか?」
「出れるわ。簡単にね」
「本当か!? 頼む。俺たちをこの世界から脱出させてくれ」
「ワタシには無理よ」
「なぜだ!? 簡単に出れると言ったじゃないか」
「ええ。あなたは簡単にここから出れるわ。でも、ワタシがあなたにできることはない。あなた自身が気づかなければ、ここからは出られないわ」
「気づく? 何に気付けばいいんだ?」
「ワタシはずっとあなたのすぐそばにいた。今日、あなたはようやくワタシに気づいたの。だから、こうして話をしにきた」
暗示めいたことを言っているのか。よく意味がわからない。何に気付けと言うのだ。
しかし、さっきまでは絶対に元の世界になど帰れないと思っていた。この少女の言うことが本当なら、すぐにでも戻りたい。
「なんとか元の世界に戻って、位相差空間の中で俺たちに牙を向いたケレルロイド軍に一泡吹かせてやりたい。教えてくれ。何に気付けばいいんだ」
「あなたは少し、思い違いをしているようね」
「なんだって?」
「さっきも言ったでしょ。あなたは煉獄螺旋の中にいるの。あなたは煉獄螺旋の渦に巻き込まれる前のことなんて覚えていない。だから、この波打ち際が永遠に続く世界から抜け出したとしても、煉獄螺旋の渦の中から抜け出すことはできないのよ」
「だから、その煉獄螺旋ってなんなんだ」
「この宇宙すべての可能性を含んだもの。稚拙で未熟な完成品。ネジ式に続く輪廻の輪。同じ座標をパラレルに通過する並行世界。交わることのない放物線。すれ違う想い。解決されようとしている段階のまま放置され完結した謎。完成したハテナ。それらを私たちの間では煉獄螺旋と呼んでいるの」
だから、それは一体なんだってんだ。
わざとわかりにくいように言ってないか。
「それより、ひとつ聞いていい?」
「なんだ?」
「あなたは誰?」
「何言ってんだ?」
「質問に答えて。あなたは誰?」
彼女の言葉には見えない圧があった。
「俺は……ドーラだ」
「それは本当の名前?」
「え?」
「あなたはいつからドーラと呼ばれているの?」
それは俺を召喚するために生贄になった少女がドーラと呼ばれていて……。
その瞬間。ばちん、と何かが弾けるような音がした。
今のはなんだ?
俺は何を思ったんだ?
「あなたはここを現実だと思っているの?」
「どういうことだ?」
「急に自分の姿が変化するようなあり得ないことが起きているのに、どうしてそれを現実と受け入れているの?」
受け入れているわけじゃない。対処法がないだけだ。
「そうかしら。こういう時に、試してみることが一つあるわ。誰だって思い浮かぶこと。でも、あなたはそれを試していないだけ」
「試していないこと……?」
「簡単なことよ。まだ気づかないの?」
なんだ、分からない。誰にだって思い浮かぶだって?
夢ならほっぺたをつねるとか?
そんなんじゃないか。誰にでも思い浮かぶとか言われても、困る。じゃ、どうして俺は思い浮かばないんだ。
ユメは俺の答えを待っているのか、自分からは正解を発表する気はないようだ。
「降参だ。わかんない」
諦めると、ユメはクスッと笑った。
「嘘つき。なぜ、気付いたのに口に出さないの? あなたは小さい頃からそうね。学校の授業でも正解がわかっているのに手を挙げられなくて、先生に怒られたことがあったでしょ」
「お前はなんなんだ?」
「あなたが気付いたからワタシはここにいる。ねえ……頬はつねってみた?」
馬鹿な。まさか。本当に、そんなこと?
コミックやシネマで、夢か現実かわからない時に、よく頬をつねるシーンが出てくる。
そして大概がこう言う。「痛いってことは現実だな」なんて。
じゃあ。もし、頬をつねっても痛くなかったら……?
いやいや、そんな単純な話じゃないだろ。砧やコマキとも、何度もここは夢なんじゃないかって話をした。
「なら試してみたらよかったのに」
ユメは小馬鹿にしたようにクスクスと笑っている。
夢かどうか確かめる方法は、確かに頬をつねるのが大王道だ。けど……。
「ごたくばかり並べてないで試してみたらいいじゃない。ほら。早く」
言われるままに、まさかとは思いながら自らの頬に手を伸ばす。
親指と人差し指で、頬の肉をつまんでみる。そして力を入れてつねってみる。
みょーーんっとまるで焼き餅のように頬は伸びた。
驚いて手を離すと、パチンッと伸びた頬は勢いよく元に戻った。
そして、まったく痛くない。
「こ、これ……どういうことだ!?」
予想だにしなかった事態に動揺した。
その様子を瞬きひとつ見せずに眺めている少女。
「ワタシはユメ。ワタシはあなたと一緒にいる。あなたはこの煉獄螺旋の中から抜け出せない。でも安心して。あなたがワタシを見つけられなくても、ワタシはあなたを見つけだすわ……」
ぐにゃりと世界が歪む。
「時間ね。煉獄螺旋の渦が再び動き始める」
頭が揺らぎ、俺は意識を失った……。
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