亡霊


 ☆


 その日は月に一度のレンタルビデオ屋の半額デーで、毎月この日は定時で仕事を切り上げて、早めに店に行って時間をかけてじっくりビデオを選ぶというのが日課だったんです。でも、その日はどうしても終わらせなきゃいけない仕事があって、ようやく動けるようになったのが深夜遅くで、ビデオ屋の閉店時間ギリギリだったんで焦っていたんです。飛ばす自空車クルマのカーステレオからは雑音混じりのラジオが流れてました。

 夢の中の自分はこのラジオを結構気に入っていて、ボリュームを上げるんです。


 ラジオDJは四、五十代の男性で、アシスタントは若い女性のアイドルかな? あまりテレビとかには出てないんでそこまで売れてる子じゃないと思うんですけどね。で、その二人で省エネ対策の雑談をしてたんです。

 コンセントはこまめに抜いた方がいいとか、埃が溜まりやすいから定期的に掃除した方がいいとか、まあ月並みな会話をしていたんです。

 その流れで、アイドルが言ったんです。


「わたし、可愛いトイレの便座カバーを買ったんで、もう便座を温めなくてもいいかなって思って、もうずっとコンセントを抜いてるんです」


 って。僕はこの子まずい発言をしちゃったなぁって少し思ったんです。アイドルがトイレとかの話ってあんまりしない方がいいでしょう?

 省エネ活動してますってことを言いたかっただけなんでしょうけど迂闊ですよね。コンセントを抜いてるってことはウォシュレットは使わないってことを明言してるようなものですから。世の中にはウォシュレットを使わない人は不潔だって思う人もいるじゃないですか。そういう人たちに幻滅されるようなことを言うのは人気商売のアイドルとしては痛いミスだなって思ったんです。

 でも、このくらいの発言なら聞き手側が適当な相槌でスルーすれば傷は広がりません。それでおしまいです。

 だけど、聞き手のDJは全然アイドルの発言の危うさに気づかずに、この話を広げようとしちゃったんですよ。


「えー。そうなんだ。でも、あのコンセント抜くとウォシュレットも使えないじゃん」


 って。僕はこれは良くない流れになってきたぞって思いつつボリュームを最大にしました。どうなるか成り行きが気になったのです。

 DJは何の気なしの発言だったとは思うんですよ。

 こまめにコンセントを抜けばいいって言うけど、コンセント抜いちゃうと余計な手間がかかったり、節電とはいえせっかくの便利な機能が使えなくなっちゃうから困るよねーみたいな話をしたかっただけなんですよ。

 でも、ウォシュレットも使えないじゃん。の発言を受けて、アイドルが一瞬、言葉に詰まったんです。アイドル自身、自分の発言がリスクの高い発言だったことに気がついたのでしょう。ですがラジオDJは気づかなかったんです。むしろ、勘違いしちゃったんです。アイドルは会話の意味を理解していないのかなって思っちゃったんです。

 それで、DJは丁寧に聞き直しちゃったんですよ。


「ウォシュレット使えないと困るよね?」


 って。完全な悪手ですよね。だって、アイドルはどう答えてもマイナスしかならないんですもの。アイドルは「もうずっとコンセントは抜いているんです」という発言しています。さっきも言いましたが、自分はウォシュレットを使わない派だと言うことを暗に示してしまっているのです。大きなミスです。

 だから、アイドルは余計な発言はもうせずにできるだけあやふやにお茶を濁して終わらせたかったんです。なのに、DJは何を勘違いしたのか。どう答えるにしたってマイナスになるしかない問いをしてきたのです。言葉に詰まりますよ。


「困るかどうかは……人によるんじゃないですかね」


 アイドルは悪くない。こう言うしかないです。質問に対して返事はしない。悪くない選択です。

 と、ここでようやくDJもアイドルの発言の危うさや、自分がぼーっとしていて余計なことを聞いてしまった事などを勘付きました。ただ、察知したのは良いのですが、DJは、悪いことを聞いちゃったなぁっていう慌てた空気を出しちゃったんです。

 さらっと流して次の話題に行けば良いのにD Jも変に利口なせいで、自分のせいで変な空気になったからフォローしなきゃとか余計なことを考えちゃったんですよ。


「あ、確かにウォシュレットを使うか使わないかは人によりますし、ちょっとプライベートな話題になっちゃいましたね。すみません」


 またしても完全に悪手です。

 この場合の正解は何も言わず話題を変える。なんですよ。ラジオを聴いている人の中でも、察しの悪い人や、聞き流しちゃってる人はたくさんいます。

 だから、サラッと話題を変えてしまえば、アイドルの傷口は開かなかったんです。

 でも、DJはバカ真面目だし変に利口だから、ミスはちゃんと謝らなきゃいけない。みたいな頑固な信念を優先しちゃって、わざわざお詫びなんか言ったんですよ。

 信念ってあれば強くなれるって感じもしますけど、偏見的な信念を持ってる奴って大体その要らない信念が成長を邪魔してますよね。このDJは本当の意味で他人のために物事を考える余裕がないんだなって思いました。


 で、そんなラジオのトークを聞きながら自空車を走らせていた時のことなんです。

 それは本当に一瞬の出来事でした。


 左から自空車が突っ込んできたんです。

 信号機のない交差点でした。

 雨も激しかったし、よく確認しなかった僕が悪かったのかもしれません。

 激しい衝撃と共に僕の自空車は相手の自空車と衝突、大破して墜落しました。


 ローンがまだ八回も残っているのに。というのがその時の感想でした。

 そんなことを思うくらい奇跡的に僕は無傷だったんです。


 墜落したのは人気のない広大な敷地に広がる調整造林でした。車は大破しましたが僕に怪我はありませんでした。運が良かったとその時は思いました。


 僕が事故を起こした交差点は事故多発地帯のようで、墜落現場には過去の事故の痕とか、墜落した人向けの緊急連絡先とかが書かれた錆び付いた空中標識なんかが浮かんでました。


 よく街で「事故多発エリア!注意!」みたいな看板を見ることは有っても、これ見よがしに注意喚起されてる場所で事故を起こす人など、よっぽどの間抜けだと思っていたんですが……自分自身が大間抜けだったんですね。

 深夜の人気のない馬鹿みたいに広い調整造林。システムで管理されていますから、獣とかがいるわけじゃないので、そう言う意味では安心なんですが、雨は降っているし、近くに街明かりはありません。

 空を見れば雨雲の狭間に自空車のヘッドライトがチラチラ見えるだけです。

 通信端末を見ると電源は入ってるんですけど、衝撃で壊れたのか通信ができないんです。レスキューを呼ぶこともできない。

 どうしようかと途方に暮れかけましたが、ふと考えが浮かびました。僕に追突した自空車も同じように墜落したはずです。その人の通信端末を借りればいいと思いました。調整造林をぐるりと見渡しました。すると自空車のオイルの臭いが風に乗ってきました。そちらの方角を見れば、木々が薙ぎ倒されたような痕跡があります。僕は雨の中を歩き始めました。

 人気のない調整造林の夜なんてそれだけで不気味なのに、肩を濡らす雨が余計に不快な空気を醸し出していました。


 少し歩くと折れた木の生々しい臭いがしてきました。大破したであろうの自空車の破片が至る所に落ちていました。そして、その向こうに墜落した自空車を見つけました。

 木々を薙ぎ倒しながら墜落したようで、僕の自空車よりも損傷が大きいことが遠目でもわかりました。

 あの感じで生存者がいたら奇跡ですし、運転席に閉じ込められていたりしたら、僕にはどうすることもできません。

 レスキューを呼ぶにも、どのくらいの時間でここまで来てくれるのかもわかりません。

 僕は恐る恐る自空車の方へ近づきました。ウイングやリアフェンダーのエンブレムから車種を予測するのですが、元の形が頭に浮かばないほどぐしゃぐしゃに潰れているわけです。

 これは乗員の生存を確認するのも少し嫌だな。と思いましたが、奇跡的に生存していたり携帯電話は生きていたりするかもしれないから、見ないで置いておくこともできないな。と覚悟を決めて運転席の方に回り込みました。


 すると、ぺちゃんこになった運転席らしき場所のすぐ横に、得体の知れない何かがいました。


 最初、それが人だとは思いませんでした。タイヤが外れて転がっているのかな。と思ったんです。

 黒くて影のように見えたので。

 でも、その影に見えた黒いものはタイヤじゃなかったんです。しゃがみ込んでる何者かの伸び放題の髪の毛だったんです。

 何者かが、ぐしゃぐしゃになった運転席を覗き込むようにして、しゃがみこんでいたんです。

 暗い造林に紛れていたので、その存在に気づかず、僕は不用意に近づいてしまいました。


 パキッと足元の小枝を踏んでしまい、その音でそいつは僕に気付きました。

 そいつの首がグルッと回転して、長い髪が振り乱されて、その黒髪の隙間から真っ黒な瞳が僕を捕らえました。

 恐ろしい光景でした。

 髪の長い女が、細い体を不自然に折り曲げて、つぶれた自空車の運転席を覗き込んでいたのです。

 僕は女の異様な雰囲気に気圧され、立ち尽くしてしまいました。


 女は真っ黒な瞳で僕を見たまま、ゆっくりと立ち上がりました。

 僕はその女を見上げました。

 女の背丈は少なく見積もっても3メートル以上はありました。

 この世のものじゃないと、一瞬でわかりました。

 伸びた爪。アザだらけの腕。皮膚がめくれ赤黒く血のにじむ首筋。

 薄汚れた白いワンピースのようなものを着ていて、体は細く痩せこけ、生気が全く感じられない表情で小刻みに肩を震わせていました。


「ゔおあ……うぉあ……」


 女は瞬きもせず、じっと僕の顔を見つめたまま、くぐもったうめき声をあげました。地獄の底から湧き上がるような、おぞましい声でした。

 そして、突然髪を振り乱し体を揺らして僕に迫ってきたのです。

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