状況把握2
☆
目が覚めた時、俺はベッドの上に寝かされていた。質素だけど落ち着いた雰囲気の部屋。丸太を積み重ねてできた建物で木の良い匂いがする。
(……あれ、ここどこだっけ?)
「勇者様。お目覚めですか」
ベッドの脇の椅子に座っている少女が心配そうに俺を見下ろしていた。
金髪の少女。確かコマキと言ったか。くりくりとした大きな瞳を瞬かせ、心配そうに俺を見つめていた。
「ここは?」
「長老が用意して下さった村のお宿です。痛みはありますか?」
そうか、俺は見知らぬ世界に召喚されていたんだっけ。
体の具合を確認がてら、ぐるりと首を捻って部屋を見渡す。なるほど、中々良い部屋だ。
「大したことないよ。ごめん。間抜けなところを見せちゃったな」
とりあえず起き上がる。体に痛みはなかった。あれだけの高さの祭壇から盛大に転げ落ちたのに傷がないのは奇跡か。
「勇者様は女神様のご加護を受けていますから、常人よりも怪我の程度が軽くなるようですね」
「女神の加護?」
「そうです。記憶にありませんか? こちらの世界に来る前に女神様によってこの世界に適応できるように魔法をかけてもらい、ご自身の能力やこちらの世界の簡単な基礎知識などを与えられているはずなのですが」
「え。そうなのかな。実は記憶がないんだ。その女神様ってのに会ってないってことあるかな?」
「いえ、この世界の言語を問題なく話されているので、きちんと女神様のご加護は受けているはずです。まさか、頭を打った拍子に記憶がなくなってしまったのでしょうか!?」
「えっと、正直いうと、目覚めた時からどうも記憶が曖昧だったんだよね。実は元の世界で自分がどういう人間だったのかも覚えていないんだ。年齢も性別も。自分のこの体を見て女の子になってるって驚いたから、きっと元の世界では男だったんだろうなってことは想像できるんだけどさ。自分が勇者なんて呼ばれても、何か特殊な力があるのかどうかすらわからないんだよ」
コマキは細い顎に指を当て、少し考え込んだ。
「そうだったんですね……。では一度、ユメ様の所に行ってもう一度女神様と交信をした方が良さそうですね」
「ユメ様って?」
「精霊士の偉い方です」
過去の記憶がないにしても、精霊士というのは聞き馴染みのない言葉だ。やはり、この世界は俺が元々いた世界とは随分と様子が違うみたいだ。
「精霊士と言うのは様々な精霊や妖精、神々などと交信をすることのできる特殊な能力を持った方のことです。となり村にユメ様という腕の良い精霊士がいらっしゃいます。ユメ様は異なる世界の神とも交信ができるという、この国きっての精霊士なんです。彼女の元に行き、女神様と交信すれば過去の記憶を元通りにできるかもしれません」
「……なるほど。じゃ、そのユメって精霊士のいる村が旅の最初の目的地ってことで良いのかな」
「はい。ユメ様はとても優しい方です。きっと力になってくれると思います」と言った後、コマキは口籠った。チラチラと俺を上目遣いで見て、恐る恐ると言った感じで言葉を続けた。
「……ですが、その、ということは魔王討伐の旅に出ていただくこと、了承して頂けるのでしょうか?」
なんだ、そんなことか。
「いいよ。どうせこの世界じゃ身寄りもないし、魔王の討伐以外にやらせてもらえる事もないんだろ?」
「あ、ありがとうございます! よかった。もし旅になんか出たくないと仰られたらどうしようかと不安だったんです」
コマキの表情から緊張感が消えた。そんなことを不安に思っていたのか。
「だってあれでしょ。どうせ元の世界には帰れないって感じでしょ?」
「それは……その、申し訳ございません」
コマキの表情が暗くなる。別に嫌味で言った訳じゃないからちょっと慌てた。
「いやいや謝らないでいいよ。今のところ元の世界には全然未練がないんだよね。記憶だって無いし、元の世界で死んじゃって、それで何かのボーナス的にこっちの世界に来たのかもしれないし。ともかく、気にしないでくれよ。君たちのために協力するよ」
元の世界に帰りたいという希望がまったくないのが自分でも不思議だったけど、考えても仕方がない。そのうち思い出すのかもしれないし、思い出さないのかもしれない。けど、そこらへんのことはあまり気にならなかった。どうやら俺は楽天的な人間らしいな。
「本当にありがとうございます!」
そんなことに話していると扉が開き誰かが部屋に入ってきた。
「失礼します。あっ。お目覚めですか。勇者様!」
銀のトレイにマグカップを乗せてやってきたのは長身の少女だった。
先ほど、祭壇の間で長老に紹介されたもう一人の侍女だ。黒く艶のある髪をきつくポニーテールにした少女で、クリッとした瞳のコマキとは対照的に切長の瞳が大人っぽい印象を与える。けど、歳の頃はコマキと同じくらいだろう。名前はなんだっけ。
「えっと君は……」
「侍女の砧です。改めてよろしくお願いします。さっき盛大に転けてましたけど、頭とか大丈夫ですか?」
コマキに比べて砧はフランクな口調だった。
「ああ。なんか女神様のご加護ってやつで体が丈夫らしい。ね、コマキさん」
「わたしのことはどうぞ、さん付けなどせず、コマキとお呼びください」
「うちのことも砧でいいからね勇者様」
「そっか。わかったよ。じゃ俺のことも勇者様なんて堅苦しい呼び方じゃなくて……」
そこまで言って次の言葉が出てこなかった。
そうだ。俺、自分の名前も忘れてる。
「どうしたんですか?」
「いや。ははは。自分の名前も覚えてなくてさ」
「記憶がないんですか?」
「恥ずかしながら。何も覚えていない。それで、精霊士のところに行こうって話をしてるところだったんだ」
「ユメ様のところですね。なるほど。彼女なら女神様と交信ができる。ということは魔王討伐の依頼、お受け頂けるんですか?」
「ああ。コマキにも言ったんだけど、記憶もなけりゃやることもないし。行くよ。どうせ一度死んだようなもんなんだから」
「なーんだ、勇者様、楽天家っすねー」
「こら砧! 勇者様に失礼でしょ」
「あ、ごめんなさい」
ぺろりと舌を出す砧。目つきが鋭いせいで冷たい印象を持っていたが、思ったより表情が豊かな少女だった。
「砧は思ったことすぐに言っちゃうんです。馬鹿なんです」
「馬鹿ってことはないだろ! コマキだって真面目ぶってるけど、いつもドジして尻拭いはウチがしてんじゃんかよー」
「や、やめてよ勇者様の前で!」
なるほど、二人はなかなか息の合った掛け合いをするコンビのようだ。
「気にしてないよ。君らも旅に付き合ってくれるんでしょ。なら変に気を使わないでいこうよ。ともかく、俺のことは……適当に呼んでくれて構わないんだけど、勇者様って呼ぶのはやめてほしいかな。ほら、身分とか正体って魔王軍とか敵には知られない方が何かといいでしょ」
「それはそうですね。でも、なんとお呼びしましょうか」
困った様子のコマキの横から砧が口を開いた。
「……なら、ドーラって呼んでいいですか?」
「砧! それは……」
コマキが声を張り上げた。
「だって、うちらにとっては中身が変わってもドーラじゃん」
「そうだけど、でも……」
なんだかよくわからないが、二人の間に神妙な空気が流れた。
「待って待って。別に俺はなんて呼ばれても構わないんだけど、なんでドーラ?」
「えっとそれはですね、勇者様の体は元々はドーラっていう子の体だったんです。つまり、その……」
コマキは口ごもり瞳を伏せた。
「いいよ。私が言うよ。隠さなきゃいけないってわけでもないし」
砧がコマキの代わりに続けた。
「勇者様。実はね。勇者様を異世界から召喚するためには生贄が必要だったんだよ。汚れのない健康な体の若者っていう条件でね。それで選ばれたのが私たちの幼馴染の子だったんだ。素直でいい子だった。彼女の魂と引き換えに勇者様がこっちの世界に来たってわけ」
勇者様なんて呼ばれて、単純で馬鹿な俺は良い気になっていたが、まさか俺を召喚するために若い少女の命を生贄にしていたなんてこれっぽっちも想像していなかった。正直に言ってショックだった。なんだか一気に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「俺をこの世界に呼ぶために犠牲になった人がいるのか……」
「そんな顔なさらないでください。生贄に選ばれるってとても名誉なことなんです。みんなの憧れなんです。生贄に選ばれた時、ドーラはとても喜んでいました。ドーラの家族もわたしたちも嬉しかった。彼女はわたし達みんなの誇りなんです」
「……そうなんだね。ごめん。わかったよ。じゃあドーラって子のためにも、頑張らなくちゃね」
「そう言って頂けるとドーラも喜ぶと思います」
「じゃあよかったら、俺のことは今までと変わらずドーラって呼んでくれ。自分の名前すら覚えていない身だ。俺のために生贄になった本来の体の持ち主のためにも、その名前で呼ばれる方が頑張らなきゃって身が引き締まる思いがするしね。あと敬語も無し。元々友達だったんだろ。だから、いつも通りでいいよ」
「あ、勇者様話せるー! それはうちとしても気が楽だね! 勇者様……じゃなかった、ドーラこれからよろしくね」
「ああ。砧、よろしく頼む」
「ちょちょっと待ってください。わたしはその……慣れるまでは敬語でも構わないでしょうか?」
そうだよな。幼馴染の体に入り込んだ他人と簡単に心を開けないよな。
「違うよドーラ。単にコマキは人見知りなのよ。時間が経てば普通に喋れるようになると思うよ」
「わかった。じゃあコマキ、砧。これからよろしく。ところで、俺お腹ぺこぺこなんだけど、何か食べるものないかい?」
「おっと忘れてた! 宴の準備ができたと伝えてくれって言われていたんだった。勇者様歓迎会だよ」
「歓迎してくれるのか。悪い気はしないけど、申し訳ないな」
「遠慮しないでよ。うちの村長、飲み会が好きですぐ宴会したがるタイプだし、そんなに固い会じゃないから」
「そうなのか。わかった。じゃあとりあえず行こうか」
砧に続いて俺は部屋を出た。
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