四章――①

 秋津家の本館に足を踏み入れるなり、壮悟がぽかんと口を開けて固まった。自分も似たような反応をした気がする、と思いつつ、美希も靴を脱いでホールに上がる。

「突っ立っとらんとよ行ってよ。邪魔やねんけど」

「うるさいな、分かっとるわ」

 美希が背中を押せばようやく壮悟が一歩踏み出す。しかし数歩進んではすぐに足を止め、扉や階段を興味深そうにしげしげと見つめていた。子どもみたく好奇心の赴くままに走り出されるよりはましかもしれない。

 子どもと言えば。

「大和くんは? 今もお兄ちゃんの横にんの?」

「居る」と短く返して、壮悟が腰の下あたりで手を水平に動かす。そこに幽霊の男の子――大和の頭があるのだろう。「なんかあっち指さしとるわ」

 壮悟が示したのは和館につながる扉だ。開け放たれたその先に廊下が伸び、さらに奥に美希たちが目指す場所がある。

 早くそこに向かいたいが、肝心の榛弥がまだ来ていない。探したいものがある、と玄関に入る前にふらふらどこかへ行ってしまったからだ。雅太は美希たちと榛弥とどちらを気にするべきか悩んだ末、榛弥のあとを追いかけていった。

「ずっとここに立っとんのもあれやし、とりあえずあっち行こ」

「ハル兄待った方がうないか?」

「奥までは行かへんよ。あっちに広い和室あるから、そこで待たせてもらお」

 美希は畳廊下を進み、玻璃恵と初めて会った部屋で二人を待つことにした。縁側には水を張ったバケツとタオルが残されており、別の部屋の隅には掃除機も放置されていた。どうやら掃除途中に押しかけてしまったらしい。

いてっ」

 ごん、と鈍い音がして振り返ると、壮悟が額を押さえて呻いていた。高身長がわざわいして鴨居に頭をぶつけたとみえる。

「ごつい音したけど大丈夫?」

「多分。血ィ出てへんよな? あー久々にぶつけた……うちと比べると低いんやろか」

 痛めた箇所を手でさすり壮悟は涙目で鴨居を見上げている。美希はそもそも激突するような身長ではないため、兄の疑問には「知らんわ」と答えるしかなかった。

「ていうか、エラい広いな。家具とか全然あらへんやん」

「ご飯食べるんとか寝るんとか、そういうんは全部あっちの洋館なんやって。こっちは教室で使つこうとるて言うとった」

「パワー貰う教室とかいうやつ?」

 教室の一例として聞いたのは生け花や体操といった、はたから見ればなんの変哲もない習い事だ。中にはセイレイさま関係なしにスキルアップや息抜きのため、それに参加していた者がいても不思議ではないが、恐らく大半は志村のような信者だったのだろう。

 立派な広さのわりに殺風景なのも、一度に多くの人数を収容するためか。机や椅子が出してあってはいちいち片付けるのが面倒くさい。美希が玻璃恵と挨拶した際には座布団が用意されていたが今はどこにも見当たらず、使わない時は律義にしまってあるか、掃除の前に除けるかしたようだ。

 隣の和室を二つ通り抜けて、庭に面した縁側に出る。外に目を向ければ、木々の向こうを榛弥と雅太が通りすぎていくのが見えた。そろそろこちらに来るだろうか。

「ハル兄なに探してんねやろな」

「分からへん。まあ聞かんでもあとで教えてくれるやろ」

「そんな気ィする……っと」

 美希の横に並ぼうとして、壮悟がさっと身を屈めた。また頭をぶつけそうになったらしい。

 高さを見てみれば、ちょうど兄の額と鴨居が同じ位置にある。これでは油断して激突するのも無理はない。

「……うん……?」

 不意に違和感が胸をよぎる。美希が眉を寄せたのを、壮悟はなにを勘違いしたのかぶつけた箇所を手で覆って「え、やっぱ怪我しとる?」と狼狽えていた。

「ちゃうわ。そこの数字がなんか……」

「数字?」

 壮悟は部屋と部屋の境に立っている。その上の長押に〝九の間〟と記された木の札が掲げてあるのだ。

 ――そういえば秋津くんのお母さんと初めて会うた部屋にも同じのあったような。

「お兄ちゃん、さっき部屋入る時に頭ぶつけたやん。そこに数字書いた木の札ってある?」

「木の札? あー……」頭上に気をつけながら、壮悟が畳廊下まで戻っていく。「あ、これか。〝二の間〟て書いてあるわ」

「なんで〝九〟の隣が〝二〟なんやろ」

 美希は早足で二の間と隣り合うもう一つの部屋に向かって長押を確認した。やはりここにも木の札が見受けられたが、そこに記された数字は〝七〟だ。

 ――初めて来たときになんか変やな思たん、これか。

 あの時はなにが変なのかすら分からなかったが、改めて考えればおかしすぎる。

「なんで〝二〟の隣に〝七〟があるんやろ。順番に並んでんのやったら普通、一とか三ちゃう?」

 さらによく考えてみれば、玻璃恵と会った部屋に〝二の間〟と掲げてあるのもおかしい。九つの各和室に順に数字が割り振られているのなら、隅であるあの部屋には一、三、七、九のいずれかが当てられるべきではないか。

 美希は壮悟と目を合わせ、洋館側の部屋から一つずつ木の札を確かめた。

 結果、和館に入ってすぐ横、つまり〝七の間〟の北にある部屋は〝六〟。その東隣にある部屋には〝一〟の札がかかり、もう一つ隣の庭に面した部屋には〝八〟の札がかかっていた。

「六と七はちゃんと隣あっとるけど、他は順番めちゃくちゃや。一と二が離れすぎとるし」

「八の横の部屋は〝三〟やったしな。さすがに俺でもおかしいて分かるわ」

 しかし〝三〟の隣、数分前に美希が榛弥を見かけた部屋にあった札は〝四〟で、一部はちゃんと数字の順に並んでいるようである。最後に確認した中央の部屋の札には〝五〟と記されていた。

 壮悟に頼んでそれに触ってもらうと、長押にがっちりと固定されている。簡単に外して入れ替えられるようなものではなく、いたずらで適当に数字を振ったわけでは無さそうだ。

「けどなんで? これもなんか意味あるんやろか」

「俺に聞かれても知らんわ。ハル兄やったらなんか分かりそうやけど」

「呼んだか」

 離れ側の畳廊下から榛弥の声が聞こえ、美希と壮悟は揃ってそちらに目を向けた。彼の後ろには疲れた表情の雅太もいる。

「待たせて悪い。なるべく急いだつもりだったんだが」

「そんな待ってへんよ。なに探しに行っとったん?」

「これだよ」榛弥はスマホに画像を表示し、満足そうに胸を張って美希に渡してくる。「思った通り、東と南東にも虫カゴの風鈴が設置されていた」

 画像は東にあった四阿あずまやだという。木製の柱は古びて黒ずみ、今にも崩れ落ちそうになりながら屋根を支えている。

「この軒下に風鈴がぶら下がっていたし、東だから短冊も青かった。もう一つがこれ。南東の赤色だ。防空壕の奥にあって見つけるのにちょっと苦労したが、なにはともあれ、『五芒星で魔除けを作っている』説が間違ってなかったのが確認できた」

 この前提が間違っていれば、これを基に組み上げた他の説も一から考え直さなければならなかった。ひとまずその心配がなくなり、美希はそっと息をつく。

「ほんなら『守護の力が強い五芒星の中心』で『セイレイさまのパワーを貰う特別な場所』も榛弥兄ちゃんが予想しとったとこ?」

「間違いなく、な」

 当たり前だろうと言わんばかりに榛弥が笑う。その後ろでは雅太が落ち着きなく手を揉み、視線を落としたまま美希たちと目を合わせようとしない。

「で、さっき僕を呼んでなかったか?」

 危うく忘れるところだった。

 美希は各部屋に割り振られた数字の順がおかしいことを説明した。住人である雅太にも聞いてみたものの、何度も舌を噛みそうになっていた上に、最終的に「答えられない」と黙りこまれる。

「分からへんてわけちゃうんやね」

「……なんでそう思うの」

「分からへんなら『分からへん』て言うたらええだけやから。大和くんのこと聞いた時もそうやったやん?」

 違うなら違うとすぐに否定すればいいのに、彼は名前を訊ねられた直後「なんでそれを」と口走っている。

 意地悪な言い方をしている自覚はある。気分はさながら悪役だ。

「『答えられない』てことは、答え知っとるんかなって。どう?」

 雅太は口を噤んだままなにも言わない。口を滑らせるより沈黙を選ぶ、というわけか。

「まあええよ。榛弥兄ちゃんが気づいてそうやから」

「え……」

九星きゅうせいだろ?」

 悩んだ様子もなく、榛弥は長押に腕を伸ばして〝五の間〟と記された木の札を人差し指の関節で軽く叩く。

「占いで『一白水星いっぱくすいせい』とか『五黄土星ごおうどせい』とか聞いたことあるか」

「なんとなく。本屋さん行ったらそんな感じの本ある気ィする」

 いかんせん美希自身が占いに興味が無いのと、一白云々うんぬんをどうやって確かめるのかが分からなくて、本を開いたことはおろか手に取ったことすらない。壮悟もだいたい美希と同じイメージのようだ。

「あれが九星なん?」

「そう。かなり簡単に言えば、陰陽五行同様に古代中国で生まれた信仰だ。陰陽五行や方角、干支を組み合わせて、さらに日本に流入してから独自の発展もしていくんだが、そこはひとまず置いておこう。現時点で重要なのは方陣ほうじんだ」

 榛弥は肩に提げていたカバンからノートとペンを取り出し、三×かける三のマス目を書いていく。

「この中心に五を置いて、縦、横、斜めのどこを足しても十五になるようにした図が九星の方陣。基準となる北には一を入れるんだが、反対の南にはなにがくる?」

「十五にならなあかんてことは……九?」

 美希がおずおずと答えれば、榛弥が「正解」と指を鳴らす。

 はっと思いついて、美希は南北の部屋を交互に確認しに行った。

 ――五が中心で、北が一、南が九。

「榛弥兄ちゃん、もしかしてそれ、ここの部屋に割りふってある数字と一緒なん?」

「勘が鋭くて助かる」

 褒められて悪い気はせず、美希の唇が三日月形の弧を描く。その間にも榛弥は図に数字を書きこみ、まだ理解出来ていなさそうな壮悟に説明してやっていた。

「けどなんでわざわざ部屋に九星当てはめたんか、俺よう分かってへんねんけど。これも魔除け?」

「さっき言ったように九星は占いでも使われる。恐らくセイレイさまのパワーが最も強くなる縁起のいいタイミングを占って、それを基に教室として使う部屋も変えていたんじゃないか、というのが僕の推測だが。合ってるかな、秋津くん」

「……セイレイさまの加護のことといい、大和のことと言い、なんでそこまで分かるんですか」

 雅太の言葉は問いの形をした肯定だ。「知識の積み重ねの結果だよ」と榛弥は淡く笑い、ノートをしまって畳廊下に出る。

「大和くんに関しては、美希と壮悟が本人から聞いてくれたんだけどな」

「本人……って、大和から? まさか、そんな」

「さて。時間が無限にあるわけじゃないし、行くか」

 榛弥は迷いなく廊下の奥に進み、美希たちもその後ろをついていく。突き当たりを左に曲がれば浴室とトイレに通じる扉が現れ、四人はそこを通り過ぎ、重厚感の漂う格子状の扉――蔵の前で立ち止まった。

 ――ここが榛弥兄ちゃんの思う『五芒星の中心』で『セイレイさまのパワーを貰う特別な場所』なんや。

 扉は引き戸になっており、美希が手を伸ばすと意外にすんなり開いた。あまりに呆気なくて思わず壮悟や榛弥と目を合わせてしまう。

 ――ここで仙嘉が無理やり修行させられとんのやったら、鍵くらいかけてそうなもんやのに。

 これでは自由に出入り出来てしまう。家人が居ない隙を見計らって逃げることも充分可能だ。

 ――もしかして、無理やりやなくて自分からやろうと思て修行しとる?

 一抹の不安が首をもたげて、榛弥と壮悟が蔵の中に入ったのに美希はそれに続けず立ち尽くした。本人の意思でここに留まっているのなら、美希が彼女を迎えに行こうとしているのはただのお節介になってしまう。

「美希」

 静謐な声音で名前を呼ばれ、美希はゆるゆると顔を上げた。視線の先では榛弥が蔵から顔を覗かせ、こちらに手を差し伸べている。

「心配しなくていい。自信を持て」

 真っすぐに見つめられて、声を掛けられて。ただそれだけなのに、不安が風に吹かれた霧のごとく全て消えていく。

 美希は力強く榛弥の手を取り、勢いよく蔵の中に足を踏み入れた。中は明かりが無いせいでかなり暗く、危うく転びそうになったものの、榛弥がこともなげに支えてくれたおかげで未遂で済んだ。

「なあ秋津くん、ここって電気あらへんの?」

「……今ちょうど切れてて」

 恐らく嘘だろう。答えるまでにがあった。

 この暗さでは仙嘉がどこにいるのか捜しようがない。美希たちは各々スマホのライトを灯し、ぐるりと蔵の中を照らした。

 衣替え用の服や使わなくなった家具などをしまってあるとは聞いていたが、いたるところに衣装ケースや箪笥、使い古した玩具などが積まれている。埃っぽさはあまりなく、かび臭さも特に感じない。むしろ線香のような匂いがかすかに鼻をくすぐる。

「仙嘉ー!」

 大声で名前を呼んでみたけれど、高い天井に響くばかりでどれだけ待っても反応は無かった。ととと、と聞こえたのはネズミの足音だろうか。

「ハル兄、美希! ちょっとこっち」

 蔵の奥から呼ばれ、美希と榛弥は壮悟のもとに駆けよった。兄は真っ黒な壁にライトを向けてなにかを照らしている。

「これってただの飾りやと思う?」

 光の中には、鉄で作られたと思しき五匹のトンボと、赤や青に輝く色とりどりの石が浮かび上がっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る