二章――⑤

 登校するなり、美希は教室に飛びこんだ。

 美希が通う専門学校は十階建ての円形ビルが丸ごと校舎になっている。普段はカメラ専攻がある四階までエレベーターを使うのだが、今日はそれを待つ時間すら惜しく螺旋階段を駆け上がった。

 朝八時過ぎの教室にはすでに同級生が三人ほど居り、そのうち立ち話をしていた女子二人がこちらを見るなり「おは……どうした?」と挨拶を飲みこんで心配そうな眼差しを向けてくる。彼女たちに挨拶を返しつつ、美希は残り一人――自身の席に腰かけていた雅太に歩みよった。

 彼は美希に気づくと、居心地が悪そうに視線を下げる。

「……おはよう、暁戸さ」

「仙嘉は」

 雅太が最後まで言い切るより早く、美希は名前だけ出して訊ねた。

 見つかったのか、まだなのか。具体的に言わなくても伝わるはずだ。

「……ここだとちょっと。外出よう」

 音もなく椅子を引いて、雅太が廊下に出て行く。美希も荷物を置いてから無言で後を追った。同級生たちは二人の間にただならぬ空気が漂っていると察したようで、教室を出る間際に「本当にどうしたんだろう」と言葉を交わすのが聞こえた。

 教室脇の共有スペースはこれからの時間よく人が通りかかる。それを懸念してか、美希が連れてこられたのは七階だった。ここなら別専攻がダンスレッスンで使う教室しかなく、全く人が来ないわけでは無いが朝はほとんど利用者がいない。他人に聞かれにくい話をするにはちょうどいい場所だった。

「ほんで、見つかったん」

 しかめ面で雅太を見上げ、美希が改めて訊ねる。静かな空間に潜めた声がささやかに反響した。

「捜しといてくれる言うてたやろ。どうやったん」

「暁戸さんが帰ったあとに確認したよ。けどやっぱり見つからなくて」

「やっぱりか。どんだけ連絡送っても全然既読つかへんし、まだなんやろなとは思とったけど。心当たりあるとこは全部見たん」

「もちろん。二、三回くらい見たよ」

 でもいなくて、と雅太が力なく項垂れて壁にもたれた。

 仙嘉が失踪して丸一日経過している。酔っぱらった勢いで出て行ったとしても、これだけ時間が経てばさすがに酔いは醒めているはずだ。我に返って秋津家に戻っていればと淡い期待を抱いたりもしたが、無駄だったようだ。

 二人のため息が重なる。重苦しい空気の中、雅太が「まあ、でも」と疲れた声音で続けた。

「セイレイさまが保護してるから大丈夫だって母さんも言ってたから、あまり心配しなくても大丈夫だよ」

「そんなんで納得出来ると思とんの?」

 どこか楽観的な雅太に腹が立ち、自然と語気が強くなる。気を抜けば今にも掴みかかってしまいそうで、体の横に垂らした拳を爪が食いこむほど激しく握った。

「保護しとるてどこに? そこはほんまに安心できるとこなん?」

「それは俺にも分からないよ。……俺はセイレイさまに気に入られたこと無いし」

「なんでなん。秋津くん家の守り神なんやろ? なんで秋津くんが気に入られへんくて、家に遊びに行っただけの仙嘉がいきなり気に入られんねん。おかしいやん」

「そんなこと言われても……」

「警察に連絡は?」

 美希の指摘に、雅太がはっと目を見開いた。

「人が居らんようになったら普通は警察に連絡するやろ。それはしたん?」

「いや、それは」

「まだなん? なんで?」

 交際相手とはいえ赤の他人が自宅の敷地内から消えたのだ。捜索願は出さないまでも相談くらいしていてもおかしくないのに、雅太はひたすら答えを濁す。

 もしやセイレイさまに保護されたとする母の方針に逆らえないのだろうか。だとすれば言葉に詰まるのも多少は納得がいく。

「秋津くんから言いにくいんやったら、あたしが警察行こか?」

「えっ、なんで」

「なんでもなんもあらへんやろ。友だちが居らんようになったのに心配してへんと思とんの?」

 妙に焦った様子の雅太がおかしくて、笑いたくもないのに笑いがこみ上げてくる。やり場のないいら立ちが徐々に美希から冷静さを失わせた。

「あたしとか秋津くんみたいな素人が捜すより、ちゃんとした人に捜してもろた方がどう考えてもええやんか」

「け、けど行方不明になったからって言って、警察もすぐに捜してくれるわけじゃない」

「やとしても相談するんとせえへんのとではどっちがマシ? そんなん分からへんほどアホとちゃうやろ。昨日の夜に調べてみたけど、親族やなくても捜索願とか出せるみたいやよ。やから今日学校が終わってからでも警察に」

「行かなくていい!」

 雅太が突然声を張り上げ、美希は言葉を飲みこんだ。

 自分で思った以上に大きな声が出たようで、彼はばつが悪そうに背中を丸める。

「や、その。えっと……ごめん、実はうち、母さんがあまり警察好きじゃなくて」

「それで相談行かへんの? ほんならやっぱりあたしが代わりに」

「捜索するってなったら家に警察来るだろ。母さんすごく怒ると思うし、警察に連絡した暁戸さんのことももしかしたら怒りに行くかもしれないんだ。そうなったら暁戸さんが仙嘉を捜そうと思ってうちに来ても、入れてもらえないかも。それは困るんじゃないの」

「……そう、やけど」

 玻璃恵の怒りを買って立ち入りが禁じられれば、確かに美希には完全になす術がなくなる。雅太の穏やかながら脅しじみた一言に素直にうなずくしかなく、握りこぶしから力が抜けた。

「警察があかんのやったら探偵とかは? めっちゃお金かかるかもしれへんけど」

「最終手段として考えておく。とりあえず、今日と明日は授業半日だけだろ。家に帰ったら俺が仙嘉を捜しておくから」

「なあ、さっきの声なに?」

 螺旋階段を伝って大声が他の階に届いたらしく、数人の生徒がちらほら顔をのぞかせた。美希は出来るだけ笑顔を取り繕って「なんでもないです」と手を振り、雅太も無言で会釈する。痴話喧嘩とでも思われたのか、彼らはすぐに興味を失くして去っていった。

「俺たちもそろそろ教室戻ろう」

 壁にかかった時計を見れば、あと十五分で一限目が始まってしまう。パソコンやカメラの準備もしなければならないし、ここで喋り続けるわけにはいかなかった。

 雅太は去ろうとしたが、美希は「ほんならあとちょっと聞かせて」と抑えた声で引き止める。

「セイレイさまて神さま知らんかったから、そういうのに詳しい従兄に聞いてみたんやんか。一昨日ちょっと言うた榛弥兄ちゃんって人なんやけど、その流れで仙嘉が居らんようになったんも言うたんやわ」

「えっ……」

「そしたら榛弥兄ちゃんに『神隠しやな』て言われてんけど、秋津くんやと昔からようあるて言うとったやん。そういう〝セイレイさまに気に入られた〟人って、今までちゃんと戻って来とるん?」

「……ごめん、分からない」

 雅太がゆるゆると首を横に振る。どういうことか無言のまま眼差しで詳細を訊ねれば、「実際に気に入られた人を見たのは初めてで……」と答えられた。

「今までどれくらいの人数が気に入られたとか記録も取ってないんだ。だから戻ってきた人がいたかも知らない。聞きたいことってそれだけ?」

「あと一個ある」

 ぴっと人差し指を立てて、美希は雅太を見すえた。

「秋津くん家の横にある庭園で一ヵ月に一回お茶会やっとるて言うとったやん。こないだそれにうちのお母さんが参加したて聞いてん」

 母をお茶会に連れて行ったと兄から聞いた際、もしかしてと思ったのだ。

 美希の予想は当たり、母はあっさり「あー行った行った」と答えたのである。

 きっかけは職場の同僚だという。「無料でお抹茶とお菓子が頂けるから、良かったら来てみない?」と声を掛けられて、仲の良い相手からの誘いということもあり参加したそうだ。

 しかし。

『綺麗なお庭眺めて、美味しい和菓子食べて抹茶も飲んで、色んな人とお喋りもしたりして途中まではまあまあ楽しかったんだけどねえ』

 はあ、と頬に手を当てた母は見るからに辟易していた。

 参加者は母と同僚を含めて十人程度、そのうち半分が初参加だったそうだ。母たちをもてなした亭主は着物の女性で、年齢は母より少し上程度。色白で痩せていたと言うから、ほぼ間違いなく玻璃恵だろう。

『一時間くらい経った頃に、同僚が着物の人に仕事と家庭の悩みを相談し始めたのよ。そうしたら次々に他の人も言い出して、いつもこういう流れなのかなーって思ってたら同僚が「捧げ物を持ってきたので、あとでセイレイさまにお参りさせてくれませんか」って』

『セイレイ、さま……』

『聞いたことない名前でしょ。だから私もなにそれって聞いたら、どんなお願いも叶えてくれる神さまだって言われて。病気や怪我を治してもらったり、家族仲を良くしてもらったり、色々「こんなに凄いのよ!」って説明してくれたけど、その勢いに引いちゃって話が入ってこなかったわ』

 同僚もかつて母のように知り合いからお茶会に誘われ、セイレイさまに参ったら当時抱えていた悩みが全て解消されたらしい。その素晴らしさを広めるべく母を誘ったそうで、他に初参加だった者も似たような理由で、すでにセイレイさまの恩恵を受けた人々から招待されたという。

 お茶会は最終的にセイレイさまが祀られている場所――秋津家の敷地にあった祠堂しどうだろう――に案内され、願いを叶えてもらう流れだったようだが、待ちぼうけを食らっていた兄の体調が悪そうだったのと、母自身が嫌な空気を感じて離席したそうだ。

 嫌な空気、すなわち。

「新手の宗教勧誘かと思たって言うとったわ」

「…………」

「なあ、まさか仙嘉をそういうのに巻きこんでんと違うやろな」

 雅太はなにも言わず項垂れてしまう。一分近く待ったのち、「ごめん」と一言だけ残してそそくさと去ってしまった。

 ――絶対になんか隠しとるな。

 態度があからさますぎて疑わざるを得ない。もとから嘘をつくのが下手くそなのか、雅太の目線はたびたび美希から外れて宙を泳いでいた。

 その後も授業の合間や帰り際に声を掛けたものの、雅太に無視を決めこまれた。ぎこちなく相手をするより黙った方が吉と考えたのだろう。帰宅したら仙嘉を捜すと言っていたが、果たしてどこまで信用していいものか。

 出来ることなら美希の手で仙嘉を捜したいが、家に押しかけて入れてもらえるとは思えない。美希が疑っていると玻璃恵や久美彦が報告を受けているとすればなおさらだ。

 考えた末、ひとまず秋津家の周辺を捜してみることにした。

 昨日以上に民家と民家の間の狭い路地だとか、外を出歩いていた住民に仙嘉の写真を見せたりだとか、思いつく限りの方法で捜索したが目ぼしい情報はやはり無い。手ごたえが無さすぎてだんだん虚しくなってきた。

 夕方からはバイトもある上、担任からの課題もこなさなければならない。次で最後にしようと決め、美希は近くを通りかかった年配の女性を呼び止めた。

 仙嘉の写真を見せて目撃していないか訊ねたが、やはり答えは否だった。どんよりと肩を落とした美希がよほど不憫だったのか、彼女は手にしていたバッグからおにぎりの形をした煎餅を出して渡してくれた。

「お友だち見つかると良いわねえ」

「本当にそう思います。秋津さんのお宅のどこかにいるとかなら良いんですけど」

「あそこのお家広いからね。見当もつかないところに隠れちゃってたりして。あ、そういえば秋津さんのところの奥さまはお元気そうだった?」

 聞けば女性は秋津家とは道路を挟んだお隣さんだという。彼女は二年ほど前から玻璃恵の姿を見かけておらず、少々気にしていたらしい。

「ご主人と息子さんはゴミ捨て場でたまに会うんだけどね」

「秋津くんのお母さんならお元気そうでしたよ、ちょっと痩せてる感じはしましたけど」

「あら、そうなの。やっぱり精神的に辛かったのかしら」

「……なにかあったんですか?」

 うっかり口が滑った自覚があったのか、女性は目をまたたいてから「あらやだ」と苦笑した。けれど黙るわけではなく、潜めた声で周囲を気にしながら続ける。世間話が好きな性質らしい。

「あそこのお子さん、車に撥ねられて亡くなったのよ。事故が起きてすぐ奥さまが駆けつけたんだけど、もう可哀そうなくらい泣きじゃくってねえ。血だらけで動かない子を抱きしめて、ずっと名前を叫んでたわ」

「お子さんが事故で……」

 ――そのお子さんっていうのが、秋津くんのお兄さんの子どもやろな。

 雅太の話とも一致するし、信じていいだろう。

 ――となると、お兄ちゃんが視た男の子の幽霊は誰なんやって感じやけど。

 美希が悩んでいる間も、女性は話を続けていた。

「奥さまだけじゃないわね。ご主人とお嫁さんも、奥さまほどじゃないけど泣いてらしたわ。救急隊の方が心臓マッサージとか止血とかしてくれたんだけど、結局助からなくてね」

「…………うん?」

「お孫さんだけはなにが起きたのかよく分かってなかったんでしょうね。ほら、あそこもう一人息子さんがいるでしょう。あの子がお孫さんを抱きかかえて、どうにか教えようとしてて」

「ちょ、ちょっと待ってくれませんか」

 まだ喋り足りなそうな女性を制して、美希は眼前に手を出して一旦ストップをかけた。

「お子さんが亡くなったんですよね。それって幼稚園くらいの……」

 美希の問いかけに、女性はきょとんと固まった。立て続けに「家の近くで遊んでいて、道路に飛び出して、母親も轢かれた」と雅太から聞いた説明をそのまま伝えると、彼女は「違うわよ」と首をかしげる。

「亡くなったのは奥さんの子どもよ。さっき言ったお孫さんのお父さん。道路の真ん中にいた子猫を助けようとして飛び出したんだって聞いたけど」

「……あの、その方の名前って」

 なぜ美希がそんなことを聞きたがるのか不思議そうではあったが、彼女は思い出すように目を伏せてから「ああ、そうだわ」と手を叩いた。

「寅雄さんよ、寅雄さん。優しそうな見た目なのにずいぶん厳つい名前ねって思ったんだから。そういえばお嫁さんとお孫さんもしばらく見かけてないわね。ご実家に帰っちゃったのかしら」

 だんだん人が減って寂しくなるわ、と憂う女性の言葉は、ほぼ頭に入ってこなかった。

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