二章――①
青空の下で三人分の拍手が高らかに響く。美希は瞼を閉じ、眼前に佇む古びた
髪も同様に地毛と異なる紫がかった黒髪である。夜会巻きのヘアアレンジに蝶の髪飾りを施し、学ランに似た衣装には蝶の羽を模した羽織を重ねている。もちろん普段着ではなく、自宅から持ってきたコスプレ用の衣装だ。
翌朝、美希たちは朝食を終えたあとすぐに着替え、撮影に臨むことにした。しかし始める前に「寄りたいところがある」と雅太にここへ連れてこられ、一対の灯籠の間に並んでとりあえず挨拶したのだが。
「昨日案内してもろた時にも思たけど、庭ん中に神社あるんすごいよな」
「ねー」同調した仙嘉の瞳もまた、空の色を溶かしたように青い。自慢の銀髪は漆黒のウィッグの中に収まっている。「よくお参りしに行く普通の神社とちょっと違う雰囲気だよね。道ばたにあるお地蔵さんの大きいバージョンみたいな?」
「庭にあるこういうのは
雅太に教えられて美希と仙嘉がそろって「へえ」とうなずく。
祠堂は離れから少し歩いた場所にあり、奥には塀の角も見えた。ここから出入り口の数寄屋門まで歩けば何分かかるだろう。十分はゆうに超えそうだ。
「みーくん毎日こうやってお参りするの?」
「そうだね。じゃないと父さんたちに怒られるし、まあ習慣みたいになってるから。あ、ごめん。二人も付き合わせちゃって」
「ええよ、なんか貴重な体験って感じやもん。お参りって一日一回だけとか決まっとんの?」
「特に決まってはないけど……なんで?」
「いや、昨日は前通りかかっただけやったなーと思て」
玻璃恵と会ったあとに「セイレイさまへ挨拶」だのと話していたため、美希はてっきりここにセイレイさまとやらが祀られていると思ったのだ。けれど雅太は戦時中に防空壕として使われた洞窟だとか、太鼓橋がかかった水路、時期になれば蓮が咲く池などについて説明するばかりで、祠堂は素通りに等しく、その後もセイレイさまとやらの名前は出ないままだ。
恐らく聞き間違いか、自分たちには関係のない会話だったのだろう。そう思って今朝まで忘れかかっていたのだが、美希や仙嘉にも参拝させたとなるとやはり無関係でない気がした。
――一人で参るんやったらあたしらに「待っとって」とか言うたらええのに、わざわざ「一緒に挨拶しない?」て言うたもんな。
聞くなら今しかない。美希は小さくうなずいた。
「ここで祀られとんのがセイレイさま?」
「うん、そうだけど……暁戸さんなんで知ってるの」
「秋津くんと、秋津くんのお母さんが話し終わるの待っとる時にそんな感じの名前聞こえてきたもんで。盗み聞きするつもりやなかってん、ごめん」
「いや、別に聞かれて困るような話じゃないから大丈夫。少しびっくりしただけで」
「ほんならええけど」
「みっきー耳いいもんね」
「褒めとんのか皮肉なんかどっちや」
「褒めてるに決まってるじゃんかー」
美希が頬を膨らませれば、仙嘉が「拗ねないでー」と人差し指でぷにぷにつついてくる。その光景が気に入ったのか、雅太が首に提げていた一眼レフカメラを構えてシャッターを切った。
普段は美希と仙嘉で、片方が被写体の時にもう一方がカメラマンを務めるか、二人が被写体の時はシャッターを自動に設定する。しかし今回は雅太がいるため、二人で彼に頼んでカメラマンになってもらった。クラスメイトの中でも一、二を争うほどの腕だし、むしろ適任と言える。
「けどセイレイさまって聞いたことない名前の神さまだね」
ひとしきり美希の頬で遊んで満足したらしく、仙嘉がようやく指を引っこめる。
「あんたって神さまの名前詳しかったっけ?」
「天照大神くらいなら分かる!」
「それしか知らんのによう『聞いたことない』とか言えたな……」
苦言を呈した美希自身も決して詳しくは無いが。
しかし聞いたことが無い名前なのは確かだ。答えを求めるように揃って雅太に視線を投げると、彼は迷ったように一つ唸ってから口を開く。
「セイレイさまは秋津家の守り神だって、子どもの頃に父さんが教えてくれた。セイレイさまは勝負ごとにご利益があって、毎日お参りしたり、お供え物をちゃんとすれば良い結果を運んでくれるんだって」
「へー! 効果はちゃんと出てる感じ?」
「俺はあんまり実感無いけど、続けるから意味があるかなと思って」
というより先ほど「怒られる」とこぼしていたし、続けざるを得ないのかも知れない。あくまで美希の予想でしかないけれど。
――とりあえずあれか、守り神なんやしお客さんのうちらを紹介せなあかんかったって感じか。
「じゃ、そろそろ撮影しよ!」
仙嘉が祠堂に背を向けて弾むように歩きだす。昨晩は寝落ちする直前までどこでどんな写真を撮るか楽しそうに話していた。その量がかなり膨大で、昼の気温の高さを考慮すると体力的に一日でどれだけ撮れるか分からない。希望を全て叶えるとなれば出来るだけ午前の涼しい時間帯に撮るしかなく、去っていくスピードから一分一秒も無駄にしないという気概を感じる。
「俺たちも行こうか」
「あっ、その前にちょっとええ?」
足を踏み出した雅太を引き止め、美希は祠堂の軒下を指さした。
そこには昨晩、離れの軒下で見たのと同じ風鈴らしきものがぶら下がっている。違うのは短冊の色くらいでこちらは黄色い。一礼した後に扉の斜め上にあるのを見つけて、ずっと気になっていたのだ。
「あれって風鈴なん? 音鳴るやつついてへんけど」
「あー、あれは……なん、だろうね……」
「? 知らへんの?」
自分の家にあるものなのに。美希が訝しがれば雅太は困ったように眉を下げ、しきりに頬をかく。
「知らないというか、なんて言えばいいのかな……えっと、上のカゴの中に黒い塊があるの分かる?」
「やっぱなんか入っとるよな。飾り?」
「トンボの形の置物。うちだとトンボはセイレイさまの使いって言われてて、ああやって飾っておくとセイレイさまが『ちゃんと祀ってるんだな』って喜んでくれるみたいで。もう少し秋が深まるとスズムシとかコオロギを入れることもあるけど、普段は置物だけ入れてある」
「はー、なるほど」
信仰心を目に見える形で示した飾り、といったところか。飾りは他に離れと祠堂を含めて五ヵ所にあるそうで、短冊は雨風で汚れたり破れたりするたびに取り替えるらしい。
そういえば秋津家の門をくぐってすぐの時、美希のそばを大きなトンボが通り過ぎていった。あれも実は神の使いだったのかも知れない。
「あみあみコンビ! なにやってるの?」
仙嘉が数十メートル先から大きな声で呼びかけてくる。
〝あみあみコンビ〟は美希と雅太の通称で、出席番号が連続しているのと、それぞれ名字と名前の頭文字が同じなことから仙嘉がいつの間にか呼び始めた。本人は広めたいそうだが他のクラスメイトが全く使わないため、恐らくこれからも流行らない。むしろ流行られても困るのが本音だ。
二人は肩をすくめて仙嘉に駆け寄り、早速撮影に移った。
秋津家の庭は撮影スポットが満載だ。美希も仙嘉も大人気マンガに出てくる剣士に扮しているが、特に仙嘉のキャラは水に関した名前の技をくり出すため、池や水路の近くで撮ると雰囲気が出る。
花がたっぷり咲く場所では美希のキャラが映える。自然豊かなためかトンボ以外の虫もちらほら見受けられ、指を伸ばせば蝶が留まってくれないかちょっと期待もした。残念ながら見向きもされなかったが、切ない表情がかえって良かったようで雅太が何度もシャッターを切る。
「なあ仙嘉、あっちの太鼓橋んとこで撮ってみやへん? 水面が鏡みたいになっとって綺麗やで」
「いいねみっきー、賛成!」
「……その顔でニッコニコされると頭ん中バグりそうやわ」
「えー、なんで?」
作中ではほぼ笑わず、無表情に近いキャラにそっくりなメイクをしているというのに、仙嘉本人の笑顔が出てくると一瞬だけ混乱してしまう。それを不愉快に感じる人もいるだろうけれど、美希はどちらかというと本人とキャラのギャップを楽しみ、面白がるタイプなので構わない。
――あとシャッター切る瞬間だけめっちゃキリッとすんの、普通にかっこええんやよな。
美希が提案した太鼓橋の上で、二人は向き合って視線を交わす。この瞬間だけ仙嘉は確実に己を潜めてキャラになりきり、被写体として背筋を伸ばす。その切り替えの素早さを尊敬していた。
「うん、良い感じに取れた」
橋の向かい側には飛び石があり、そこで撮影していた雅太からオッケーサインが出る。三人は近くの木陰に集まり、どんな一枚が撮れたか顔を寄せあった。
「やっぱ秋津くん写真撮んの上手いな」
「ありがとう。でも一番は被写体が良いからだよ」
「ここ手前の花がボケてるのかっこいいね! みっきーの羽織の袖もふわふわしてて踊ってるみたい、可愛い」
「暁戸さんのキャラを撮るなら本当は藤がイメージにも合うんだけど、時期がズレてるから咲いてないのがちょっと悔しいな」
「ここの庭って藤も咲くん?」
「ううん、藤は隣の庭園」
あそこ、と雅太が視線を向けたのは東側の塀だ。
「この奥にもう一つ庭があるんだ」
「……庭ありすぎちゃう……?」
「もともと祖父さんの兄弟が住んでたんだけど、未婚のまま若くして亡くなったから祖父さんが庭園として一般開放してるんだ。敷地に茶室があるから、一ヵ月に一回くらいそこで母さんがお茶会も開いてる」
「秋津くんのお母さん色々やってんのやな」
「ねえ、じゃあ次は藤が咲く頃にあっちの庭で写真撮ろうよ!」
話を聞いてインスピレーションが湧いたらしい。仙嘉が化粧の上からでも分かるほど楽しそうに頬を赤らめて、小さく飛び跳ねる。
ええけど、と言いかけて、美希は寸前で口をつぐむ。
化粧直し用に持参していた小さなカバンからスマホを取り出し、藤の開花時期を検索すれば最盛期は五月と表示された。その頃には専門学校を卒業し、社会人としてそれぞれの道を歩んでいる頃だろう。
「中学と高校ん時もそうやけど、あたし卒業したら同級生とあんま連絡取らへんねんな」
「なに、私ともやり取りが途切れるかもって心配?」
正直に首肯すれば、仙嘉が眉間にしわを寄せた。不愉快にさせてしまっただろうかと危ぶんだのも束の間、彼女は美希の顔の横に流れる髪を指で柔らかく梳く。
「大丈夫! みっきーから連絡来なくても、私からメッセージ送るし。返信無かったらちょっと怒るかも知れないけど」
「怒りはするんやな」
「無視されて怒らない人なんている? でも『もう怒った! 縁切る!』ってみっきーを嫌いにならないくらいには、みっきーのこと大事だよ」
どこまでも真っすぐな眼差しで伝えられ、些細な懸念が一瞬でどこかへ消えていく。
付き合いは決して長くないけれど、短いぶん深い関係を知らないうちに築けていた。その実感が胸を満たして温かくなる。
「……あかんわ」
「うん?」
「その顔で言われたら惚れそうになるわ。惚れへんけど」
「えー!」美希の一言に、仙嘉が大げさに叫んだ。「結構良いこと言ったと思うんだけど!」
「はいはい、せやな。で、そろそろ着替えに行くんちゃうの」
美希が持参した衣装は一着だけだが、仙嘉はもう一つ、美希が扮したキャラの姉の衣装も持ってきたと聞く。撮影に夢中ですっかり忘れていたようで、彼女はメイクで大きくなっていた目をさらに大きく見開き、離れの方へ慌てて走り出した。
「ごめん、すぐ着替えてくる! 二人も今のうちに水分補給とかちゃんとしてね!」
「ほんならここの影で待っとるで」
気温は徐々に高くなっている。衣装とウィッグの中も蒸れはじめ、手で仰いでもろくに意味がない。美希はカバンと一緒に持ち歩いていたペットボトルの緑茶を開け、すっかりぬるくなったそれを喉に流した。
「仙嘉が戻ってきて、もう少しだけ外で撮影したら中に行こうか」
雅太が首筋の汗をハンカチで拭いながら言う。「せやね」と同意しながら、衣装に泥がつかないよう慎重にしゃがみこむ。
休憩がてらスマホを見ると、メッセージアプリの通知があった。兄がなにやら送ってきたようで、確認するとトーク画面に画像が一枚だけ表示された。
「榛弥兄ちゃんたちや。今来たんや」
「暁戸さんもお兄さん居るんだ?」
「居るけど、今言うた榛弥兄ちゃんは従兄やねん。今日うちに遊びに来るて言うとって、あたし会われへんから写真送ってもらおかなー思て、けどお兄ちゃんにそんなん言うたら馬鹿にされそうやで言わんかったんやけど」
どうやら兄は全てお見通しだったようだ。癪だがありがたいのは確かで、感謝のスタンプを送りつけておく。あとでなにかしら借りを返さなければ。
「『暁戸さんも』ってことは、やっぱ秋津くんにもお兄ちゃん居るんやな」
「ああ、まあ……」
「いや、居るっていうか、居ったって言うた方が正しいん?」
横目で雅太をうかがうと、彼は驚いたように唇を引き結んでいた。
聞いていいものか悩んだけれど、話題に出たのだしちょうどいい。
「コス衣装に着替える時にさ、離れの仏間使わせてもろたんよ。そこに写真あったから」
美希が見つけたのは一枚の家族写真だった。香炉や花立の横に紛れて、写真立てにも入れられずひっそり置かれていたのだ。
写っていたのは雅太によく似た顔立ちの男性と、彼と歳が近そうな女性、そして二人の顔の特徴をうまく混ぜ合わせた見た目の男の子の三人だ。
「仏壇の前にあったんやし、もしかして亡くなってんのかなと思てんけど、違う?」
「いや、うん……えっと、兄さんは……」
雅太はしばらく言い淀んでから、周囲を見回してから声をひそめて続ける。
「亡くなった、のは、兄さんじゃなくて……お嫁さんと子どもの方だよ」
「あ、それでか」
「え?」
「ううん、なんでも。けど、そっか」
――ってことはお兄ちゃんに視えた男の子の幽霊って、もしかして。
男の子はまだ幼く、幼稚園児に見えた。兄も「幼稚園児くらいの」と言っていたし辻褄は合う。
「家の近くで遊んでた時に道路に飛び出しちゃって、二人とも、ね」
「それは可哀そうに……お兄さん悲しんだやろね」
「そう、だね。悲しかったと思う」
あの離れには家族三人で過ごした楽しい思い出が詰まっているのだろう。そのぶんあそこで過ごすと二人がもういないことを痛感して苦しくなり、いつしか使わなくなったと雅太が語る。
そんな大事な場所を美希と仙嘉が使っても良いのだろうか。雅太の兄に許可を得たのか心配になるが、問題ないと言われてしまえばうなずくしかない。
「お待たせー!」
ひょこひょこと軽やかに仙嘉が駆けてくる。先ほどまでの凛々しさと打って変わり、豊かな黒髪が動きに合わせて華やかに弾む。羽織と髪飾りは美希が身につけているものとほぼ同じで、腰に提げた刀のデザインもしっかり変えてある。
「あれ、どうしたの二人とも。なんか表情暗くない?」
「日陰におるでそう見えるだけやろ」よいしょ、と膝に手をついて、美希はゆっくり立ち上がった。「ほんなら続きしよ。さっき秋津くんと話しとったんやけど、あとちょっとだけ撮ったら中で別のショット試そ。そろそろ外で撮んのしんどなってくるやろ」
「そうだね。じゃあ急ごっか!」
仙嘉に手を引かれて、美希は陽向に踏み出した。
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