一章――②

 三連休初日とはいえ人出のピークを過ぎたのか、十二時過ぎの駅前は思ったほど混雑していない。美希は駅の横にある駐車場に車を停めて、ハンドルにもたれながら目の前を行きかう人々を見るともなしに眺めた。

 仙嘉との待ち合わせ場所は市内の大きな駅にした。近鉄とJRどちらも普通から急行、特急までほとんどすべての電車が停まるため、降車に迷わないと思ったからだ。

 ――西側ってこんな感じなんやなあ。いっつも東口の方しか使わへんから知らんかったわ。

 美希も普段から利用する駅ではあるが、自宅の最寄り駅まで続くローカル線への乗り換えへの関係上、西口に降りることはほとんどない。商業施設やパチンコ店、マンションその他ビルが多く建つ東側と違って、一軒家の多いこちら側はいくらか閑静な印象だ。

 ふと駐車場の看板が目に留まる。「こちらへの駐車は三十分以内でお願いいたします」――それ以上停める場合は近くの有料駐車場を使え、というわけだ。美希と同じく送迎で訪れる人が多いのだろう、周囲に停まっていた車は目まぐるしく入れ替わる。

「もうすぐ電車着く頃やと思うねんけど」

 名古屋駅やらここまでおよそ三十分。仙嘉からは発車前に連絡が来たため、間もなく姿を見せるはずだ。

 ゲームをして時間を潰していると、駅の構内に入る人がにわかに多くなる。電車の到着にあわせて急いでいるらしい。それから数分後、今度は出てくる人が増えた。それぞれが待ち合わせの誰かを探す群れの中、特に目立つ一人を見つけて美希は車から降りる。

仙嘉せんか!」

 周囲をきょろきょろと見回す後ろ姿が、美希の呼びかけに応じてひるがえった。

「みっきー!」どこぞのキャラクターの名前そのままの愛称で呼び返して、仙嘉が笑顔で手を挙げる。まろやかながらよく通る声からは高揚感が滲んでいた。「やっと見つけた!」

 美希が山吹色の半袖シャツに七分丈のスキニー、動きやすいスニーカーで整えたのと違って、仙嘉は赤と黒のシックなカラーリングが目を惹くワンピースを纏っていた。日光を浴びてきらきら輝く銀髪には黒いリボンのワンポイントがお洒落なカチューシャをつけ、ワンピースの色に合わせたであろう紅色のブーツは丸みを帯びた形が愛らしい。

 仙嘉は重たそうなキャリーケースを転がしながら弾んだ足取りで美希に近づいてきた。

「待たせちゃってごめんねー」

「そんなに待ってへんよ」身長百五十センチの美希では、十センチほど背の高い彼女を必然的に見上げなければいけない。太陽の眩しさに目を細めつつ、眉のあたりで手をかざした。「それ新しいワンピ? よう似合におうとる」

「ふふふ、そうでしょ」

 褒め言葉を謙遜することなく肯定し、仙嘉はワンピースの裾をつまんでくるりと回ってみせた。香水だろうか、熟した苺に似た甘い香りが鼻をくすぐる。

「みーくんのご両親に会うんだし、お気に入りの一着で来たの。どう、可愛い?」

可愛かわええよ。可愛えけど向こうの親さん『エラい格好で来たわね』ってびっくりするんちゃう」

「なに言ってんの。猫被ってあとからこの服着ていくより、初めから『これが私です!』ってスタイルで行った方が良いに決まってるじゃない」

 それはそうかもしれないが。

 しかし仙嘉も多少は考えているのか、学校で見かける衣装に比べればはるかに落ち着いている。普段ならゴシックな雰囲気の柄があったり、レースとフリルが贅沢なまでにあしらわれたものを着ているのに、今日は無地かつレースもフリルも控えめだ。

 とはいえ周囲の視線を集めるのは変わらず、通り過ぎる人々の大半が仙嘉を二度見する。それを恥じたりせず当然のものとして受け止め、自信たっぷりに胸を張る姿は兄が評したようにまさしく〝女王さま〟だ。

 このまま立ち話をしているわけにはいかない。ひとまずキャリーケースを荷室へ置いてもらい、仙嘉を助手席に乗せてから美希はエンジンをかけた。クーラーの涼しさが車内を駆け抜け、二人そろって「生き返った」と呟く。

秋津あきつくんとこってまだ行かれへんねんな」

「昼の二時過ぎたくらいに来てくれって言われてる」

〝みーくん〟こと秋津雅太みやたは仙嘉の彼氏であり、彼の実家が今回の宿泊場所だ。駅から車で五分ほどのところなのだが、約束の時間までまだしばらくある。

「ほんならそれまでどっかで行こに。お昼ご飯まだやろ? なんか食べたいもんは――」

「クレープ!」

 美希の言葉を最後まで聞くより早く、仙嘉がスマホの画面を見せつけながら叫んだ。ほらここ、となにやら示されているが、至近距離過ぎて確認出来ないうえに少々邪魔だ。美希はさり気なく彼女の腕を押し返す。

「口コミで美味しいって言われてて気になってたんだよね。行ってみたいなと思って調べたら駅の近くみたいだし、ここでご飯食べたい!」

「えー、けどクレープやろ。そんなんおやつやん。あたしハンバーガー食べたいんやけど」

「大丈夫だって。おかず系のメニューもあるみたいだし。ねーお願い。私この辺来るの初めてだしさ」

 仙嘉は胸の前で両手を組み、意図的な上目遣いで美希を見つめてくる。いささかあざとい気もするが、実際に可愛らしいのだから仕方ない。美希は深々とため息をついて車を発進させた。

 クレープ店は住宅街にひっそり建っていた。隠れ家的店舗というのだろう。道路に面した大きな窓から店内が見えるけれど、昼どきだというのに客は片手で数えられるほどしかいない。木製の扉を押せば上部に付けられた鈴がコロコロと軽やかに鳴った。

 真っ先に香ったのはハーブやコーヒーのにおいだ。入ってすぐの場所にカウンター席、壁際にテーブル席があり、美希たちは一番奥のテーブル席に案内された。

「ええ感じの店やん」店員が置いていったメニュー表を広げて、美希は木がふんだんに使われた店内を見回した。「ジャズかよう分からんけど、落ち着く曲も流れとるし」

「でしょ。けど思ったよりお客さん少なくてびっくりした。土曜日だからもっと混んでると思ったのに」

「たまたま合間のタイミングやったんかな」

 予想が当たっていたようで、美希たちがメニューを選んでいる間に席がすべて埋まってしまった。先ほどまで曲がよく聞こえていたのに、話し声ですっかりかき消されている。

 ランチセットで好きなクレープとドリンクを選べるようだが、美希が求めていたおかず系は三種類しかない。一方スイーツ系は十五種類ほどあり、その差に思わず唸ってしまう。

 結局、美希はマスタードとチーズ入りのハムクレープを、仙嘉はチョコバナナクレープをチョコと生クリーム増量で、ドリンクは二人ともアイスティーを注文した。

「昼ご飯やのにチョコバナナ食べんの?」

「いいじゃん、食べたかったんだもん」

「あんた甘いもん好きやしな。……あ、そうや」

「?」

 危うく忘れるところだった。美希はウエストポーチからチェック柄の小袋を取り出して「誕生日おめでとう」と仙嘉に渡す。

「これプレゼント」

「わーっ、ありがとう! わざわざ用意してくれたの?」

「大したもんやないけどね」

 彼女の表情が見るからに華やいで、美希の唇も緩やかに弧を描いた。

 喜んでもらえるのは素直に嬉しい。中身を確認したそうにしているのを察して、美希は無言でうなずいた。

 袋から出てきたのは、乳白色のパッケージが印象的な小箱だ。表面のラベルにはスカート姿の女性が白いシルエットで描かれ、その周囲に色とりどりの花弁が散りばめられている。

「うちのお母さん紅茶飲むん好きでさ。取り寄せたりもすんねんけど、そん中にそれが入っとって。飲んでみたら美味しかったし、なんか仙嘉っぽいなー思たもんで」

「私っぽい?」

「ホワイトチョコとラズベリーの香りがする紅茶やねん」

 ホワイトチョコは髪の色、ラズベリーは瞳の色。ラベルのシルエットも相まって、仙嘉のプレゼントにちょうど良い逸品だと感じたのだ。

「さっきアイスティー頼んどったし、紅茶飲めるタイプなんやって分かった。甘いもんにもよう合うと思う」

「めっちゃ嬉しい! ありがとう! みっきーって贈り物のセンス最高じゃん! 大事に飲むね!」

「褒めてもなんも出えへんよ」

 ここまで喜ばれるとは思わず、なんだか背中がむず痒い。仙嘉は大事そうに小袋に入れ直して、改めて「ありがとう」と微笑んでくれた。

 ――初めはこんなに仲良うなれると思てへんだなあ。

 およそ一年前、初めて彼女を見た時の印象は強烈だった。

 入学式では全専攻、全学科の生徒が一堂に会する。多くがスーツを纏っていたのに、仙嘉は服こそ周囲と同じだったけれど髪の色と長さは今と変わらなかったため、尋常ではないくらい目立っていた。というより浮いていた。

 さすが専門学校、個性の強い人材が集まることに驚いたのと、「ヤバい人んな」と感じたのは一生忘れない。翌日、同じクラスだと判明した時の衝撃もそれなりだったが。

 その後、自己紹介コーナーで共通の趣味がコスプレであると発覚し、好きな漫画やアニメも似ていたことから交友に至った。今では気の置けない友人の一人である。

「お待たせいたしました」と店員がクレープを運んできた。それぞれの前に注文したものが置かれ、美希はあまりのボリュームに目をまたたく。

 具材が完全に溢れかえって皿いっぱいに広がっているのだ。薄切りのパストラミハムの枚数は数え切れず、とろとろにとろけたチーズからはまだ湯気が立っている。マスタードの粒も大きい。

 店側も手に持って食べることを想定していないらしい。商品と一緒に残されたカトラリーケースの中にフォークとナイフが用意してある。

 おかず系がこれならスイーツ系はどうだろう。仙嘉の皿をうかがうと、やはり具材がてんこ盛りだった。もはやクレープ生地に収める意思が感じられない。〝映え〟を追求した結果だろうか。

「メニュー表とエラい違うな……。写真やともうちょっと大人しそうやったのに」

「イートインとテイクアウトで出し方が違うのかもね。けど美味しそうなのは変わらないし! あ、ちょっと待って」

 SNSに掲載するのだろう、仙嘉が二回ほどシャッターを押すのを待ってから、美希はクレープにナイフを入れた。

 こぼれないよう慎重に口もとに運び、恐る恐る噛みしめる。瞬間、ハムのうま味とチーズの甘さが舌いっぱいに広がった。生地も表面はパリッとしているのに噛むとモチモチで、甘さ控えめのため具材たちの邪魔をしない。さらにマスタードの辛味が食欲を刺激し、手が止まらなくなる。

「うまっ……なにこれ、めっちゃ美味しいわ」

「チョコバナナも最高だよ。生クリームが全然甘くないから、いくらでもいけちゃいそう」

「ちょっとそれ一口ちょうだい。あたしのも適当に持ってってええで」

 いいよー、と差し出されたクレープを一口サイズだけ切り取って咀嚼する。確かに生クリームがくどくなく、たっぷりかかったチョコも苦めでバナナの甘さを引き立てていた。美希のクレープと違って生地も甘い。

「他のメニューも気になるー。せっかくだし頼んじゃおうかな」

「自分が小食なん忘れとるやろ。それ一つ食べるだけでお腹いっぱいになるんちゃう」

「そうかもしれないけど食べたいの!」

 悩んだ末に仙嘉がティラミス味を注文したものの、予想通り途中で「半分食べて」と頼まれる。コーヒーの風味が香る大人な一皿で、おかず系を食べた後のデザートにちょうど良かった。

 会計を済ませたところで、仙嘉のスマホにメッセージが届く。相手は雅太で、「そろそろ来ても大丈夫だよ」とのことだ。

「二時までまだ一時間くらいあるけど、ええんやろか」

「本人が良いって言ってるし、大丈夫でしょ。早く行こ!」

 雅太の家がどこかなんとなく把握出来ている。問題は出入り口だ。

 父の床屋に行く通りから見えるのは塀ばかりで、単純に考えればそれ以外の場所に設けてあるのだろう。

 川の方へ車を走らせること約十分、昔よく見た塀が視界に入る。経年劣化のせいか、黒い土壁は記憶にあるよりいくらか汚れていた。敷地を隙間なく囲うそれのせいで、家も庭も全く見えない。

「あそこにいるのみーくんじゃない?」

 出入り口を求めて北側を走っていると、歴史を感じる褐色の数寄屋門すきやもんが姿を現した。その手前で黒髪の青年がこちらに手を振っている。美希は近くまで車を寄せれば、「いらっしゃい」と朗らかに出迎えてくれた。

「二人とも来てくれてありがとう」

 青年――雅太は開いているのか分からない目をさらに細めて、どこか照れくさそうに微笑む。オーバーサイズのシャツに脚のラインが分かるジーンズといういで立ちは普段とまったく変わらない。

「お礼言うんはこっちの方やわ。うちらの我がままに付きうてもろて」

「みーくんずっと外で待ってたの? 暑かったでしょ」

「車で来るって聞いてたから、どこ停めていいか分からないかなと思って。俺のあとついてきて」

 雅太に案内されたのは、ざっと二十台ほど停められそうな広い駐車場だった。どう見ても一般家庭の規模ではない。四隅には防犯カメラも設置され、いささか物々しさも漂う。

「……写真で見てなんとなく分かってはおったけど、秋津くん家ってもしかせんでも超お金持ちで大豪邸やったりする……?」

「かもね! 良い写真たくさん撮れそう!」

 そんな家にお邪魔していいのだろうか。躊躇い気味の美希と違い、仙嘉は意気揚々と車を降りて荷物を取り出していた。

 ここまで来たからには後に引けない。そもそも雅太の両親も許可してくれたからこそ訪問出来るのだ。帰ってしまってはむしろ失礼だろう。

 腹を括り、美希は軽く己の頬を叩いてから車のドアを開けた。

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