『上の空の希死念慮』 純文学
いつからか――そう、正確な時期が分からないほどに曖昧な頃から。
ふんわりと定まらない、雲を掴むような希死念慮と同居している。
この世界は驚くほど広く、そう理解していても実のところ確信はできないほどに遥かだ。
私はそれを空を見ることと、人を見ることとで認識する。
そうして、青く、ほろ苦い気持ちになるそれらを眺めるたびに「ああ」と思うのだ。その溜め息は感嘆の吐息であり、驚嘆の声であり、絶望の嗚咽である。いつだって空も人も遥か彼方まで果てがない。私はそのことを日々思い知らされては、ふんわりと、霞を食むように死を夢想する。
きっともう治りはしない。
これはもう同居人だ。誰よりも近しい隣人だ。
いつもいるわけではないのに、必ず私のところへ帰ってくる。別に、帰って来なくたっていいのに、とすら思わないのだから、最早「絆されている」と言ってもいいんじゃないだろうか。
ふらっと気まぐれに現れては、ほんの少し、ささくれ程に私の心を乱す。かすかに苦く、しかしぞっとするほど甘く感じることがあるそれは、もしかしたらいずれ私を飲み込んでしまうのだろうか。
まあ、それでもいいと思った。
ふらふらと目的も定まらない、上の空の希死念慮。
時々、世界の広さが途方もなく感じて、急にとても恐ろしくなってしまうことがある。眠れない、眠れない、普段は愛しいはずの夜が恐ろしく、ちっぽけな己の不確かさに死んでしまいたくなるのだ。
何もかもを考えてしまう私は生きるのに向いていない。だから、それに苦しみすぎなくていいように、希死念慮は私のそばにいるのかもしれなかった。それが、これの存在理由なのかもしれなかった。
無知でありたかった。愚物でありたかった。半端な知性は私を臆病者にしただけだった。全てを他者のせいにして、何もかもを放棄して、自分の正義を信じ切って酔っていられる愚か者でいられたら、きっともっと。
――――きっともっと、何だろう。
頭が痛い。ずっとずっと、気圧から来るのではない鈍痛に悩まされている。
世界の広さが怖い。知性を失うのが怖い。知性の無いものが怖い。夜が怖い。明日が怖い。
堪らなくて、潰れてしまいそうだ。いっそのこと一思いに潰してくれといつも思う。だってそうすれば怯える暇も、恐れる隙もない。もう、恐怖はこりごりだ。
そんなときにそれはやって来る。
曖昧で、ぼんやりとして、定まらない、波間の泡沫のような死への夢想。
上の空の希死念慮だ。
人はいずれ死ぬ。何なら今すぐ死んだっていいんじゃないか。よし、これから死んでみようか、なんて友達と買い物に行くような気軽さで、私は今日もそれを見つめる。丁寧に身支度を整えて、あとのことを考えて整理していれば、その内恐怖も落ち着くだろう。
そうでもしなければ、何もかもが怖くて辛くて、今日をやっていけない。死を夢見ることが私を生かしているとすら言える。ああ、そうだ、私の描く死は理想だった。それさえあれば、いつでも小さな炎を失わずにいられる不可思議な燃料。
だから私は死を想って今日を生きている。死に生かされている。
上の空だろうと夢幻のようだろうと何でもいい。
ただただ、私のためだけに、どうかそばにいて。
こうして私は今日も空を、人を眺める。
ああ、世界は恐ろしく広い。果てがない青さだ。
ふっと訪れる覚束なさ。そしてまた、希死念慮は私の隣で囁いた。
まあ、なんかあれば死んでみればいいんじゃない?
雑で適当。どこか真剣さにかけて、鼻で笑いたくなる言葉。
でもそれが心地よかった。そう、じんわりと温かく、真綿のようで、優しく、心地よかったのだ。
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