第5話 魔女の家と魔女の弟子

 次の日、ボクは朝から出かけることにした。

 行き先は村の外れに住む魔法使いのところだ。


 村で唯一の魔法使いの家は、村の外れの森の境だ。

 そこには誰も近づかず、鬱蒼とした森を留める防波堤のようなイメージの家が一軒ポツネンと建っている。


「師匠。ボクです、レンです。起きて下さい。起きて下さい。師匠、いるんでしょう!」


 村の中でも最も粗末な建物。その隙間風を製造するためにあるようなボロボロな扉をガンガン叩き、廃屋寸前の家に住む人間を大声で呼ぶ。


「起きてください。師匠。弟子ですよ。弟子が来ました」


 返事がない。いつものことだ。なので構わず叩き続ける。

 今日は朝から村人の多くが集まり、対策集会を開いているので、鼻つまみ者の魔法使いと話をするなら今しかない。


 冒険者くずれ。村の異物である魔女。

 その種の人間に。子供が近づくのを大人は嫌う


「師匠、起きて……弟子です。弟子だからはやく起きてください!」


 ガンと扉を下から蹴りつけ、金属の輪っかにフックを掛けただけの留め金を揺らす。

 施錠ともいえないほどのセキュリティだった扉は、強い衝撃で鍵が外れ、キィと軋んだ音を立てて開く。不用心だが、彼女に近づくものなどボクしかいない。


「おじゃまします。勝手に入りますよ、師匠」

(相変わらず汚い家だな)


 雑な挨拶をしながら踏み入った家は、嫌になるほど荒れ果てていた。

 机の上には様々な器具が散乱し、床にはなにやら濁った液体が広がっている。食べかけの果実がそのまま放置されている。ほんとに汚くて、変な虫を踏みそうになる。


「くっさい。いつ来ても、この家は臭すぎる」


 そして勿論のように異臭がする。


 地面の液体から漂う饐えた匂い。壁で干された薬草の香り。並んだ小瓶の中で醸造されている液体からはなにかが発酵する香りが溢れている。それらが混ざり合い、久しぶりに訪問したボクでさえ、ある種の拷問のように感じる。


「前世ならゴミ屋敷からの異臭騒ぎだな」


 地面にゴチャゴチャと散らばるのは、短くなった白墨チョーク、謎の記号で埋め尽くされた羊皮紙。先週片付けたばかりの空のインク壺が、またしても前回と同じ場所に落ちている。


「ほんと、掃除ができない人だな」


 どうしようもないほど汚れた部屋の中を、レンとしての記憶を頼りに片付けながら進んでいく。異臭を放つ残飯類は、後からまとめて裏庭に埋めることにしよう。

 世話をする交換条件で魔法を教わっていたが、しばらく訪れていないだけでひどい有様になっている。


「師匠、どこですか?」


 呼びかけるも寝台で眠るはずの主人の姿はなく、代わりに雑品が散らかっている。


「ということは……ああ、ソファーか」


 唯一、人が休めるスペースになっていた長ソファーに視線を送ると、ベージュの布がこんもりと盛り上がっていた。ベッドが物置になってしまったので、ソファーで寝ているのだろう。


「師匠、起きて下さい。レンです、弟子が来ましたよ」


 なんの約束もしていない事実から目をそらし、色褪せた寝布を引っ剥がす。

 そこにいたのは、着の身着のままで眠る妙齢の女性だった。


「師匠、ここに居ましたか。弟子が来ましたよ」

「ん、ああ……君か。久しぶりだな、もう来ないかと思ったよ」


 気怠げに目元をこする女性。通称・森の魔女はボクをみて、つまらなそうに呟く。

 実に三ヶ月ぶりの師との再会だが、彼女は何の感慨も抱いていないようだ。


「ご無沙汰したことは謝ります。訓練をサボっていたことも謝ります」


 ボクは体を起こしもしない魔女に深く頭を下げる。


「そういうのはいい。そもそも君には『スキル』を授かっていない。いくら鍛えても頭打ちになるのは確実だ。ならば魔法に興味がなくなるのも自明の理さ」


 もそもとと起き上がり、どこか投げやりに言い放つ魔女。

 彼女も魔法を鍛えていたボクに、魔法スキルが開花すると思っていたのだろう。


 鍛えていたスキルが覚醒するのは傾向が高いのは常識なので、彼女も内申では不肖の弟子に落胆しているのかもしれない。

 だが――


「残念ながら、そうも言ってられなくなったんです」


 前世の記憶を思い出し、危機に迫ることを知ったボクは引き下がれない。


「……どういう意味だ。話してみろ、弟子……いや、君。ほんとうに弟子か?」


 弟子の硬い口調に、彼女ははだけた服を整え、ボクの顔を真っ直ぐに見つめる。紫水晶色の視線が、ボクを見透かすように貫いている。


「そうとも言えますし、そうじゃないとも言えます」

「ふむ……面白いじゃないか、では話してみろ。我が弟子」


 彼女は口端をニヤリと歪めると、しなやかな指に奇術のように煙管を取り出して炎を灯す。

 煙管から紫煙を立ち上るまで、数秒の間を挟み、そして我が身に起きた出来事をボクは口にするのだった。

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