第4話 忘れていた記憶と破滅の予兆

※※※


 どうしよう。


 一人ベッドの中でボクは黙考する。

 部屋を隔てる扉。その隙間から差し込む光を、寝具で遮断しながら脳内をグルグル巡る『過去』の記憶を一つずつ摘み上げていく。


「スキルで『思い出す』のが前世の記憶とか、困るんだけどな」


 独白して、蘇った過去に溜め息を吐く。我ながら子供らしからぬ疲れた溜息だ。

 思い出してしまった数々の記憶と、前世の経験を一気に詰め込まれて頭がクラクラする。


 日本という国。速水錬耶という名前。人生の半数を超える学生時代。絶え間ない仕事に追われた日々。二十九年目を目前にして突然に途切れた記憶。

 それらが今、レンとして生きてきた十一年間の記憶と混ざり合っている。


「速水錬耶。速水錬耶……ああ、やっぱり勘違いでも幻覚でもないんだな」

 かつての名前を呟き、ひどく『しっくりくる』ことに暗い室内で頭を抱える。


「東京都在住の理系大卒。実家にほど近いアパートの一人暮らし。職業はシステムプログラマー。家族構成は父と母、亡くなったけど妹がいた」

 それらの記憶が次々に頭に浮かんで――『思い出されていく』


「こんな記憶を今更思い出して、いったいどうしろっていうんだよー」

 とっくに過ぎ去った過去をスキルで思い出したボクは、芋虫のように転がりベッドの木材をきしませる。一人で悶えても隣室の両親やミリーは話に夢中で、気づく様子はない。


「はぁ……いまさら、前世の記憶なんていらないよ」

 死因はきっと交通事故。


 思い出せる最後の記憶は、道路に飛び出した子供を助けようとして大きな衝撃に襲われたこと。全身が動かせないほどの痛みと、どんどん体が冷えていったこと。

 あのとき、ボクは死んだのだろう。


「こんなの思い出しても仕方ないのに……」

 優しかった両親の顔を思い出し、ちょっと涙が出そうになる。


 妹に続き、自分まで事故で死んでしまうとは親不孝者である。

 付き合っている恋人といなかったのは、たぶん幸いだろう。仲の良かった同期の女の子や、同じ会社に勤めていた友人は、休日に一緒に遊ぶくらいの関係だったので、悲しませてしまったかもしれない。


 もう、全てが手の届かない前世の記憶だ。


「こういうの異世界……転生っていうんだっけ?」

 手の内側に日々練習している魔力を集めて、パッと霧散させる。

 生前には存在しなかった力を確認し、深い溜息を暗い室内に吐き出す。


「ほんとなら、異世界転生だ、魔法だ。ってはしゃぐところなんだろうけどな」

 異世界にやってきたのに現実感しかない。レンとして十一年を生きてきた記憶のせいで、ファンタジー感なんてものを一切覚えることができない。


「でも、『ボク』の記憶は消えなくてよかった」 

 レンとしての意識がしっかり残っているおかげでスプリングのない硬いベッドも、ごわごわとした毛皮の毛布も苦に感じない。日本で暮らしていたままの感覚で転生してたら、とても耐えられなかっただろう。


「さて……どうしようか」

 隣の部屋では、まだ父が頭を悩ませている。

 母は苦悩する父を優しい言葉を掛けているようだが、声は明るくならない。


 魔王が実存する世界で、その脅威が故郷にまで侵略の影を落としていれば当然だろう。

 いわば独裁者が圧政を敷いて人々を虐殺しているようなものだ。その魔手が伸びているなか、心穏かでいられる方がおかしいだろう。


 平和な世界ならのんびり第二の人生をスローライフで送ることもできたが、魔王がいて軍隊を組織しているなら、ただの村人として生きるのも難しい気がする。。


(でも、どうすればいいんだ)

 件の魔王の影響力がどれほどのものかは不明だが、少なくとも農村でどうにか出来る相手ではないのは考えなくとも分かる。

 ただ……なんとかしなければいけないが、手段がない。


「勇者はダメ、領主もだめか。遍歴の騎士、なんてものは今まで見たことも無いしな」


 勇者は一年前に村を発ち、そこから戻ってくる気配などない。領主が頼りにならないのは両親の反応で分かる。

 流浪で人助けが趣味な手練の戦士が突然助けに――なんて期待するだけ無駄だろう。


「もう、なんらかの犠牲が出ている感じがするし……」


 父の服に汚していた赤黒い液体は血だろう。憔悴した表情だったので、杣人の仲間が魔王の尖兵に襲われた可能性も高い。

 村に危機が迫っている――という推測は外れていない、と考えるべきだろう。


「でも、ボクになにが出来る? 都合のいいチートスキルも、不思議な力もないのに」

 生前の記憶を思い出しただけの自分の手を見る。


 初級の魔法は使える。

 だけど、ミリーのような戦闘系スキルをもっているわけでもない。今再び山の狼と再戦したところで、一度で枯渇する魔力では獣の胃袋に消えるのがオチだ。


 物語の主人公ならば、強力な魔法や能力の天稟があるだろうが、ボクはただの村人の子供に過ぎない。前世と変わらず、ただの一般人モブだ。


「最悪の事態を想定しないとマズイよな」

 プログラマーだった頃の経験をもとに、苦いツバを飲み込むと隣室の扉が開いた。


「レン……起きてる?」

 入ってきたのは幼馴染のミリアムだった。


「ああ、ミリーか。起きてるよ。父さんたちは?」

「まだ、お話してる」


 できるだけ『レン』らしい口調で話しかけると、沈んだ声が帰ってきた。

 いつも元気な幼馴染らしくない、ひどく覇気のない口調に胸がざわざわする。


「……どうしたの、ミリー」

「サムおじさん、死んじゃったって」


「え……サムおじさんが……もしかして……」

「……パパさんを守って死んじゃったって、いってた」


 嫌な予感が的中してしまったことに、自分の眉間にシワが寄るのを感じる。

 サムは父と同じ杣人で、父の長らくの友人でもあった人だ。朴訥な彼には『レン』もミリーも良くしてもらったのを覚えている。


 そのおじさんが、亡くなってしまった。殺されてしまった。

 暗い部屋のなかで、ミリーが今にも泣きそうな顔をしているのが分かる。


(あの血は……人の。サムおじさんのだったんだ)

「ねえ、レン……私たちも殺されちゃうのかな?」


「そ、そんなわけないだろっ!」

 とっさに、そんな言葉が出た。

 何の根拠もない発言は思ったより大声になり、ミリーの肩がビクッと跳ねる。


「でも……でも、サムおじさん。昨日はあんなに元気だったのに……」

 途端にボロボロと泣き出すミリー。

 我慢していた涙が、暗い部屋に落ちる。


「ごめん。そんなつもりじゃ」

 布団から飛び起きてミリーの手を握る。

 両親を亡くしたミリーが、人の死に敏感なことを失念していた。


(ボクはなにをやっているんだ。過去の記憶なんかよりミリーのことが大事なのに)

 前世の記憶は戻ったせいか、ミリーを大切にしていた『ボク』の気持ちを強く感じる。 


 それなのに言葉を間違えてしまった。

 迂闊な自分を殴り飛ばしたい気持ちを噛み殺しながら、今にも泣き崩れそうなミリーの涙を指で拭う。


「ミリー、きっと運が悪かったんだ。だから大丈夫だよ」

「レン……死んじゃイヤだよ。わたし、わたし……」


 ボクの言葉にミリーが抱きついてくる。

 ほとんど変わらない体格のはずなのに、幼馴染の体をひどく小さく感じた。


「分かってる。ミリーを一人にしないって約束しただろう、だから死んだりしないよ」

 ボクはミリーの小さな背中をポンポンと叩き、泣きじゃくる彼女をそっと慰める。


(とはいったものの、どうすればいい? こんなスキルが何の訳に立つ)

 スンスンと鼻をならす幼馴染をベッドに座らせ、手を握りながら考える。


 野生の狼にも勝てない子供が、どうすれば村の危機を救えるだろうか。


(オークにゴブリンか。ゲームなら序盤のモンスターだけど)


 生前浴びるようにプレイしたゲームならば、村人でも工夫次第で斃せた。

 ひどく作り込まれた複雑な戦略要素のあるアクションRPGでは、村にバリケードなどを築き、村人を兵士に育成することで村を防衛するシステムもあったものだ。


(それは勇者が指導しないとダメだったな。ボクで代役できるかな……いや、きっと無理だ)

 転生したとはいえ、子供にすぎないボクの言葉が大人を動かせるとは思えない。別の手段が必要になる。


「レン、どうしたの?」

 考え込むボクにミリーが不安そうな顔をする。


「なんでもない。父さんたちは……ああ、たぶん相談にでかけたのかな」

 気付けば隣の部屋から気配が消えていた。

 魔王軍の斥候は村の危機なので、あったことを村の長老へと報告しにいったのだろう。


「レン……」

「大丈夫。そのうち帰ってくるよ」


 不安そうな目に、できるだけ明るい返事をして小さな手を握りしめる。


「ミリー、それよりご飯たべた?」

「ううん、まだ……」


「じゃあ、二人で先に食べちゃおう」

「え、でもパパさんとママさんが……」


「いいから、いいからっ」

 ボクはレンのように笑い、彼女を食卓に連れて行く。

 せめて、幼馴染がいまだけでも明るい気持ちになれるように笑いながら。


※※※

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