第3話 初めてのスキルと黄泉還り

※※※


「そういえば、ちょうど今くらいね」

「なにが?」

「もう忘れちゃったのレン。勇者さまが助けてくれた日だよ」


 スープを用意していた母に問うと、返事をしたのは幼馴染であるミリアムだった。

 ミリアム――ミリーは燭台を机に置き、少しサイズの大きなエプロンを椅子にかける。長いポニーテールが顔の前をよぎり、少し甘い幼馴染の匂いがする。


「あー、勇者ルークね。そんなに前だったか、ミリー」

 幼馴染の言葉で、右手を見つめながら勇者の顔を思い出す。


 細部がだいぶボヤケているが、勇者が爽やかな雰囲気の青年だったのは覚えている。

 一年前のことなので少し記憶が曖昧になった勇者を思い出し、ロウソクに火口箱で火を灯す。


 その様子をみて、鍋を掻き混ぜていた母が何気ない口調で話しかけた。


「レン、魔法は使わないの? 前は練習してたじゃない」

「母さん、魔法を一回使うとしばらく頭が痛くなるんだよ」


 ロウソクに『普通に』火をつけるボクに、母が不思議そうに首を傾げた。

 魔法は半年前まで熱心に練習をしていたが、使うたびに頭痛に苛まされるので、ここ二ヶ月は使っていない。


「よかったぁ。ようやく飽きたんだ」

「ミリー、別に飽きたわけじゃないぞ。ただ薪に火をつけたり、コップ一杯分の水を出すのに頭痛がするのは不釣り合いなだけだ」


 安心したように目尻を下げる幼馴染に肩をすくめる。

 魔法の師匠曰く、頭痛の原因は『魔力切れ』らしい。鍛錬したいで改善できるらしいが、それをサボっているだけで飽きたわけでは無い。


「もう止めても良いんだよ。魔法って危ないんでしょう」


 木製のカップに水を注ぎ、四人分の飲み物を用意するミリー。

 幼馴染は今日も働き者で、なんだか手伝っていない自分が悪いことをしている気になる。その気持ちをごまかすために、ミリーに語りかける。


「別に危なくなんて無いよ。勇者に助けられたときは、右手がグチャグチャになってけどさ」


 魔法の制御に失敗したときのことを思い出し、溜息をつく。あの魔法失敗は黒歴史だ。


「もー、レン。あのときは大変だったんだからね」


 亜麻色のポニーテールを揺らしながら、ミリアムが頬を膨らませる。

 彼女の溌剌さを詰め込んだような、パッチリとした栗色の瞳がボクを睨んでいる。


「レンは傷だらけだし、勇者さまはボロボロだし、村中が大騒ぎになったんだからね」

「そんな事言われても覚えてないよ。ばっちり気絶してたんだから」


 肩をすくめてボクをジト目で見ながら、ミリーは母から木製の椀を受け取る。母も母で、すでに四人分の器を用意している。

 狭い机にはボク、母と父、そしてミリーの分の食器と堅パンが並んでいる。


 ここはボクの家で、ミリーは隣の家だが、幼馴染とは今日も夕食を共にする。

 ミリーの分の椅子が食卓に用意されてずいぶん経つが、今は誰も不自然に思わなくなった。


(そういえば、森の狩人だったミリーの父さんが死んでもう三年か。なんだか時間が経つのが早いな)


 出没した魔獣を退治するために、森に出かけてそのまま帰らぬ人となったミリーの父。彼女の母親は、ミリーが物心付く前になくなっているのでボクも顔は知らない。

 そんな彼女を不憫に思い、ボクの父がミリーの育てていくことを決めたのだ。


「あんまり心配かけないでよね」


 そういってミリーはボクを袖を掴む。

 どこか不安げな幼馴染に、ボクはどういうべきか迷う。

 ミリーが傍にくると、なぜか落ち着かない。だが手を振り払う気にはなれない。


「ミリーちゃんね。あのときワンワン泣いてたのよ『レンが死んじゃたらどうしよう』『レンがいなくなるイヤだよー』って」

「ちょっ、ママさん。それは言わない約束じゃないですか」

「あらあら、そうだったかしら、昔のことだから忘れちゃったわ」


 顔を真っ赤にして母に掴みかかるミリーを微笑ましそうに見る母。

 その母も、あの日薬草を取りに行かなければ命がなかったことを思い出す。


 じっと手を見る。

 あの日、初めて魔法を放った手には傷跡は残っていない。


「なに、レン。もしかしてまだ右手痛いの?」


 その視線に気付いたのかミリーが心配そうな顔をする。

 ロウソクの火に照らされた幼馴染の顔が近くなり、思わず目をそらす。


「いや……全然。もう痛くなんて無い」

 なのに彼女はボクを手を握る。


「ほんとに? もう平気なの?」

 心配そうにボクの手を触れるミリー。


「もういいだろう。治ってるから気にするなって」

 小さくて柔らかい手に、妙に胸がザワザワして、強引に手を引っ込める。


「師匠のクスリだって塗ったし、水薬ポーションだって毎日飲んでたから完治してるよ」


 不安そうなミリーに背を向けて、逃げるように中断していた食事の準備を手伝う。


 なんだか、最近こんな事が多い。

 迷惑とは思わないが、やはりミリーが近くにいると落ち着かない。

 亜麻色の髪や、甘ったるい匂いに、心臓が高鳴って上手く顔が見れなくなってしまうのだ。


(なんだこれ……前はこんなこと無かったのに)


 ミリーの手の感触が残る指を確かめるように握りしめても、ソワソワとした気持ちは消えていかない。だが、ミリーが離れると目で追ってしまう。


(ボクはどうしたんだ。前はこんなことなかったのに)


「ねえ、レン。なに怒ってるの?」

「怒ってないよ」

「じゃあ、授かったスキルが不満なの?」

「……別に。ただ役に立たない『スキル』だなって」


 なにか勘違いしている幼馴染を一瞥して、小さな溜息。


「レンの授かったスキルって、たしか『思い出す』だっけ?」

「ちぇっ、そうだよ。そんなスキルが一体なんの役に立つんだよ。女神は不公平だよ」


 十一歳の誕生日に、どんな人間でも女神から授かることのできる『スキル』という恩寵ギフト


 それは個人によって違う。

 人によっては『料理』だったり、『工作』だったり、『武技』だったりと多様な種類があるスキルだが、ボクが授かったのは『思い出す』とかいう謎スキルだ。


(なんだよ。『思い出す』って)


 正直、どう使えばいいのかも分からなければ、どう伸ばしていいかも理解できないスキルで、授かったときはショックで二週間ほど引きこもったほどだ。

 幸いにして魔法の才能は少しあるらしいが、天賦である『スキル』がなければ大成することはできないだろうと師匠からは言われている。


「いいじゃない、別に村にいればスキルなんてめったに使わないんだし。レンのパパだって『歌唱』スキルあるけど使ってないでしょ?」

「俺はミリーの『武技』スキルと交換したいくらいだよ」

「私だって『料理』スキルの方がよかったよ。武器とか怖いもん」


 不満そうにポニーテールを傾ける幼馴染。

 数日遅れてスキルを授かったミリーのスキルは戦闘系。

 性格的に向いていないが、女神さまは内面までは考慮してくれなかったらしい。


「でも母さんの工作スキルは、村の役に立ってるし感謝されてるじゃないか」

「あらやだ。もうレンったら……そんなに褒めてもなにも出ないわよ」


 引き合いに出された母が、スープを皿に注ぎながら一つ肉を多く追加してくれた。やった。


「そりゃ、レンのママさんは美人だし、優しいし、工作は上手だけどスキルだけが全てじゃないよ」

「あらあら~❤ ミリーちゃんったら~」


 ボクの皿に追加されたはずの肉が、ミリーの皿に移動した。理不尽だ。


「ボクもスキルが全てとは言わないけどさ……」


 色々と納得いかないものを感じながら、部屋の中を見回す。

 質素ながらも綺麗な調度品が並んでいるのは、母のスキルのおかげだ。


 家にある家具はほとんどが母の手作りで、その恩恵は村の各家庭にも及んでいる。比較的に裕福な暮らしができているのも、工作スキルが熟練度によって進化して『調度品作成』『家具作成』『木造修繕』を獲得した成果だといえる。


「でも、あのとき戦闘用のスキルとかあったら、怪我なんてしなかったかもしれないのに……」

「そしたら、レンは『ボクも勇者になるー』とか言うでしょう?」

「……」


 ボクの性格をよく知るミリアムからの指摘に沈黙してしまう。

 たしかに勇者と共に戦えるほど強かったら、勇者ルークの仲間になることを志願していたかもしれない。


「ほらぁ、やっぱり。レンってそういう所あるよね。危ない遊びとかして怒られても懲りないし、魔女のところで魔法なんて習っちゃうし」

「なんだよ、悪いのかよ」


「悪いなんて言ってないよ。でも怪我とかしないでね」

「……一応、気をつけるよ」


 ミリーの言葉を拒絶することもできず、ガリガリと頭を掻く。

 以前なら『うるさい』と突き放すこともできたのに、勇者の一件があってから強気な言葉をぶつけることが出来なくなってしまった。


「でも、せめて村くらいは守れるスキルがよかった」

「私はレンと一緒にいられるなら何でもいいよ。あ、私が村を守ればレンも安心かも?」


「……それはなんか違わないか?」

「なんで? 村を守るだから一緒じゃないの?」


「いや……なんか、それじゃダメというか。なんか違う気がするんだが」

 上手く説明できないでいると、母が完成したシチューを運びながらクスクスと笑った。会心の料理に喜んでいるという表情ではない。母はなにがそんなに面白いのだろうか。


「あらあら~レンとミリーちゃんの将来が楽しみね。父さんにも教えてあげなきゃ」


 意味不明なことをいう母。


 そんな母を横目に見ていると、不意に玄関の扉が開いた。

 粗末だが丈夫そうな厚手の服をきた偉丈夫が、扉を軋ませて家に入ってくる。


「あ、おかえりなさい。あなた」

「パパさん、おかえりなさい」


 二人が声をかけたのはボクの父であるアレフだ。

 その職業は杣人そまびとで、木こりであるために貰ったスキルがまったく役に立っていない人間の最も身近な代表例だ。


「参った。ひどい目にあった」

「どうしたの、パパさん?」


 疲れた顔で、切ったばかりの木材を背負籠ごと床に下ろす父。

 椅子に座り、黒々とした顎ヒゲを擦る父の顔はいつもより痩けて見えた。


「なにか……あったの?」


 ただならぬ雰囲気に、家の空気がわずかに固くなる。

 家の木材の作る影や、ロウソクの光が疲弊した父の横顔を照らしている。


「魔王さ……魔王の兵隊が、近くの森まで来てやがった。ありゃきっと斥候だな」

「え、嘘でしょう。だって魔王はずっと西の都を攻めてるって、王国が食い止めているって話じゃなかったの?」


 父の言葉に母が声を震わせる。


(魔王? なんだ、それ。聞いたことがない)

「ねえレン。魔王ってなに? 悪い王様がいるの?」


 ボクと似た反応をするミリーに、疑問を重ねて首をひねる。


「魔王っていうのは、そうだな……ミリーの言うとおり悪い王様さ。人間が大嫌いで、兵隊に命じて人を殺しているんだよ」

「えっ……」


「あなたっ!」


 衝撃的なセリフに、ミリーの顔から血の気が引き、母が咎めるような声をあげる。

 だが父はそれに溜息をつき、まだ誰も手を付けていないパンを乱暴に齧る。


 全員が席につくまで食べ物に手を付けない父。そんな彼が普段なら絶対にしない行動から、父の動揺が伝わってくる。


「言っとくべきだろう。もう、無関係でいられるような状況ではなさそうだ」

「そんな……平和な村だと思ったのに、まさか誰か……亡くなったの?」

「ああ。この件で領主が動いてくれればいいが……そうじゃないと、アイツが……」


 言葉を濁した父の袖には、赤黒い血の痕のようなものがこびりついていた。それが誰のものであるか聞くのが恐ろしかった。


 突然のショッキングな単語の連続に、ミリーの顔面は蒼白だ。

 そのさまに黙っていられず、明るい話題を探すために父に問いかける。


「ねえ、父さん。領主様って……そんなに危ないことなの?」

「ああ、お前らもオークやゴブリン……と言ってもわからないか。緑や灰色の肌の生き物には近づくなよ。あれは狼より危険だからな」


 そこまで語ってから、一人で食事に手を付けたことに気付いたのか父はバツの悪そうな顔をする。父はようやく自分の無意識の行動に気付いたのだろう。


(ゴブリン……オーク……あれ、どこかで聞いたような)


 沈痛な表情の父を横目に、ボクはなぜか聞き覚えのある初めての単語を咀嚼する。


「勇者が帰ってきてくれたらな。魔王軍なんて蹴散らしてくれるはずなのに」

(あれ? 魔王軍に勇者? それってどこかで……)


「レン……」


 キュッと袖を掴む、ミリーの声もどこか遠い。

 なにか、とても大切なことを忘れている気がする。耳鳴りがする。


(なんだろう? ボクはなにを思い出せないんだ? すごく重要なことのはずなのに)


 そこまで考えてハッとした。


(そうだ、スキルだ)


 唐突に、『思い出す』の存在に気付き――指でこめかみをノックする。

 理由なんてわからない。ただ、天啓を受けたようにこめかみをコツンと叩く。


「あっっっっ!」


 刹那、忘れていたことを思い出す。

 大声をあげたボクに両親とミリーが驚愕するが、おそらく一番驚いているのは自分だ。


 次々と蘇ってくる記憶は、決してレンのものではない。

 そしてボクは――


 自分が速水錬耶という日本人だったことを、完全に思い出したのだった。

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