第2話 咆哮する勇者と砕け散る指

「あ、あれ?」

 だけど、痛みはない。手も足も、首もある。


「狼だ。レン、危ないからそこから動くな!」

 背後から迫る気配に、ルークの振るった剣が弧を描いた。


 肉を斬り、骨を断つ音がすぐ後ろで響く。首にかかった熱い飛沫は血だろうか。

「俺が守る、心配するなレン」


 ルークの力強い声が、立ちすくむボクを励ます。

 その声に呪縛を解かれ、振り返る。そこには無数の狼たちが円を描くようにボクたちを囲んでいた。


 牙の間からダラダラとよだれを垂らすのは十頭を超える大柄な狼。その狼たちは間違いなく薬草採取のために森に入ったボクを追い立て、崖から落ちる原因を作った肉食獣たちだ。

 山の生物の頂点を支配し、ときには魔獣すらも狩ってエサにするグレイウルフ。

 彼らは獲物が無駄にならず済んだことを知り、群れで再襲してきたのだろう。


「こいっ! 俺が相手だ」

 十数頭もいる狼たちに、血に染まった鋒を向け、勇ましく突進するルーク。

 明らかに多勢に無勢。いくら勇者の見習いとはいえ、剣一本で立ち向かえる相手ではない。


「どうした、そんなものか……そんな貧弱な牙では勇者どころか子供も狩れないぞ」

 声を上げて狼たちの視線を集めながら、ルークは握った白刃を煌めかせる。

 ルークが剣を振るうたびに、新しい赤色が地面に散った。ルークは見ず知らずのボクを守るために戦っているのだ。


「すごい。ルークは、ほんとに勇者なんだ」

 たった一人でケモノの群れに立ち向かうルークに、胸が熱くなる。


「はっ、せいっ! ぜぁぁぁぁぁぁっ!」

 咆哮をあげて剣だけを頼りに狼に立ち向かう勇者。

 彼の表情には一片の余裕もなく、ほんの僅かなミスでも窮地に陥ることが理解できた。綱渡りのような戦いに、硬いツバが喉を滑る。


 身を守る鎧は革で、小さな盾すらないのに、息を乱しながらも多勢の敵に挑む。

 その姿は――まさに勇者だった。


「ぐっっ!」

 その勇者の隙を突いて一匹の狼が腕に食いついた。

 鋭い牙が簡素な服を食い込み、青い布生地がみるみる赤く染まっていく。


「しまった。くっっ!」

 動きが鈍った勇者の片足に、別の狼が食いつく。

 それでも勇者は剣を振るい、迫り来る爪牙を打ち払う。


 劣勢に陥った勇者に狼たちは勢いづき、その生命を奪おうと殺到する。

 あっという間に灰色の毛並みに囲まれ、苦痛に耐えるルークの声が届く。


 ああ、負ける。勇者が――ボクを救ってくれたルークが、ボクを助けに来たせいで死ぬ。


(そんなの……だめだ!)

 迫りくる未来に、喉の奥がカラカラになる。

(でも、どうすれば……ボクがなんの役に立つ? まだスキルも授かってないのに)


「俺は、負けない。絶対に、レンを連れ帰るって約束したんだ」

 多数の狼に襲われながらも諦めずに戦う勇者。

 彼はボロ雑巾のようになった腕で狼を振り払い、鮮血で染まった足に食いつく狼を斬る。


「世界を救うんだ。もう、諦めるのは止めたんだ。だから! こんなところで!」

 絶望的な状況にあっても必死で足掻く姿に、ボクは強く歯を食いしばる。


(ボクはバカか。ルークが一人で戦っているのに、なにを勝手に諦めているんだ)

 狼に囲まれる恐怖で萎えた脚に喝を入れ、震える肩を無視してルークに向かって走る。


「うあああああああああっっ‼」

 疾駆、なんてカッコいいものじゃない。泥臭く、ドタドタと萎えた脚でルークのところに突っ込む。


 手が燃えるように熱い。

 いままで一人でずっと練る練習をしてきた魔力が、一つの塊になっているのを感じる。


 初めての感覚。だが、どうすればいいかは村の魔法使いに教えてもらっている。

 だから、狼に群がれられる勇者のために全力で声を張り上げる。


「ルーク、耳を塞いでっ!」

 吐いた息を上回る酸素を吸い込み、咆哮する。


 『酸素』という言葉が何かなんて今はどうでもいい。ただ全力で練った魔力を形にする。

「ウインドフォースっ‼」


 ずっと練習していた魔法が右手から放たれる。

 ただ突風を生み出しだけの初級魔法。


 それが獣の中心で炸裂する。全力を込めた魔法は勇者に群がる狼たちを吹き飛ばし、食い込んでいた牙を払い、そしてボクの指骨と獣の鼓膜を破壊した。


「ぎっ、ぁぁっっ!」

 猛烈な痛みが弾け、魔法の反動でボクも地面に転がった。

 魔法の制御に失敗して、魔風に弾き飛ばされたのだ。


 土の味がする。血の味もする。頭が猛烈に痛む。

「―――――っっっ!」

 なによりも折れて砕けた指が痛すぎて声が出ない。右手の指が完全に明後日の方向に向いていて、笑いそうになる。なんだこれ。


(へへへ、ざまあみろ)

 しかし効果はあった。至近距離から放たれた風圧に鼓膜と三半規管をグチャグチャにされた狼たちはキャンキャンと悲鳴をあげて、森へと逃げ帰っていく。


 ルークは――ひどい手傷を負っているが無事だ。


「ありがとう、ほんとうに助かったよ」

 立ち上がった勇者はふらふらになりながらも背筋を伸ばし、ボクの方に歩いてくる。すごくタフだ。


「レン。君はすごいな。おかげで命拾いしたよ」

「へへ……これで、貸し借りはなしですよ勇者さま」


 ボクの言葉にキョトンとするルーク。勇者もそんな顔をするんだなと奇妙なことを思う。

「そうだなレン。じゃあ、これはサービスってことで――ファーストエイド!」


 そういって笑うと、傷だらけの手をかざすルーク。そこから温かな光が生まれ、不格好な枝のようになった手を包み込んだ。

 勇者は治癒の魔法も使えるらしい。


「あー、疲れた。もう冒険なんてコリゴリだよ」

 そういってやってきた疲労感に身を任せ、目を閉じると少しずつ溶けるようにボクの意識は消えていくのだった。

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