第5話 オバケな少女を召喚

「はは、本当に来ちゃったよ……」


 只今、午前0時45分。栗栖星南太郎は音楽室の前にいた。


 先程までイタリアンレストランでバイトをしていたため、体中からチーズやミートソースのようなにおいがする。


 星南太郎は例によって、今日も残業を請け負っていた。

 死ぬほど皿洗いをした後、研修中の見習いシェフが注文を取り間違えて大量に余ってしまった料理を使い、賄いまで仕上げてきた。


 今夜はハンバーグとドリアとナポリタンを融合させた、その名も『ハンバーグドリアスパ』なるものを作ってみた。メインの料理をあえて1つの器に詰め込み、ホワイトソースとチーズを上からかけて焼くというものだ。


 一つ間違えれば大雑把すぎる賄いだが、意外と好評で。あかぎれの痛みに耐えながら皿洗いをし、料理の仕方を密かに観察していた甲斐があった。


 普段なら賄いを用意するのは見習いの役割なのだが、落ち込みようが半端でなかったので、バイトの星南太郎が自ら買って出たのだった。

 それは時給アップのためではなく、夢のため。星南太郎はいつか、自分の飲食店を持ちたいと思っていた。同時に、自分ごときが叶えられるはずがないとも。


 皿洗いと賄いの提供がひと段落し、そろそろ上がろうというときに、病み気味の見習いに捕まり、日々の不満を長々と聞かされた。

 そのせいか、そのおかげか、ちょうどいい時間帯になっていた。


 バイトを終えたその足で夜中の学校まで来て、24時間体制で校門を見張っている警備員に、試しに「忘れ物をした」と言ってみた。


 すると、学生証の提示と指紋認証を済ませただけであっさり通してもらえた。

 ただ、「変な気を起こすなよ」と付け加えられたので、何か怪しまれているらしい雰囲気は察した。おそらく、星南太郎の濃いクマが死相に見えたのだろう。


 真っ暗な廊下は、昼間とはまったく別の顔をしている。

 スマホのライトで辺りを照らしながら歩いていると、いつまでも暗闇に目が慣れず、窓の外で揺れる木のシルエットがものすごく恐ろしい物体に見えたりした。

 星南太郎は音楽室へたどり着くまでに、少なくとも50回は叫び声を上げた。


 廊下と音楽室を隔てる引き戸はすこぶる建て付けが悪かった。そんな些細なことでさえ、このときの星南太郎には不吉な予感に思えた。


 両手両足を使い、ようやく戸をこじ開けると、音楽室特有のにおいが星南太郎を出迎えた。


(このにおいはなんだろう? ピアノのにおい? それとも棚に並んだ埃っぽい楽譜のにおいか?)


 授業や何かの用事で音楽室に入る度、星南太郎はだいたい同じ疑問を抱いた。

 空気が明らかに異なるこの場所は、何かと曰く付きだ。

 何と言っても不気味なのが、肖像画におさめられた音楽家たちの視線。とくに、目を泳がせていると噂のベートーヴェンには注意だ。


 星南太郎は壁に並んだ肖像画をなるべく見ないようにして、窓際にあるピアノの前までやって来た。

 そうして改めて室内を見渡すと。教室に目一杯まで詰め込まれた机の1つに、プリントが置き去りになっていた。それ以外はとくに何もなく、しん、としている。


 星南太郎は、ふいに床を強めに踏んでみる。だんだん、という音が床下で反響した。今のところ、音楽室に異常はない。


 時刻は午前0時51分に差し掛かる。星南太郎は例の名前を呼びかけてみた。


「鯉!」


 言ってから思う。鯉って何だよ、と。

 音楽室と水辺の生物はどうも結びつかない。


 美しい人魚のようなオバケが出て来てくれるならいいが、魚に人間の手足が生えたような魚人的な怪物が出て来たら、対処できる自信がない。

 運動音痴な星南太郎は逃げ足も遅いのだった。


 身構えて待っていると、


「なんじゃ?」


 実にダルそうな声が、背後で聞こえた。

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