第4話 マドンナは人のものになったとさ

 昨夜も星南太郎は日付の変わるギリギリまで働いていた。


 掛け持ちしているバイトはコンビニとレンタルビデオ店と、それからイタリアンレストラン。とりあえず今はその3つだ。昨日はあれからコンビニのバイトへ向かった。


 準夜勤帯でシフトが組まれていた大学生のバイトから突然、「休む」と連絡が入った。そこで、夜勤が来るまでのつなぎとして、未成年の星南太郎がギリギリまで残業する羽目になったのだ。


 頼まれるとどうにも断れない性分というのもあるが、準夜勤の時間帯から時給が跳ね上がるので、断る理由がなかった。星南太郎はとにかく金が欲しい。


 冴島莎莎と同じ高校に通い続けるために、バカ高い学費や諸々の出費は親には頼らず、奨学金と自ら身を粉にして稼いだバイト代でやり繰りしていた。


 疲労が取れないまま、今日も学校へ向かう電車に乗り込んだ。

 通勤通学ラッシュ時である現時刻は、当然のように席には座れない。人と人に挟み込まれて揺れに耐えつつ、唯一の楽園である冴島莎莎のブログへと飛んだ。


 ”NEW”という表示が付いた記事のタイトルは『ご報告』だった。


 バイト後の時間は勉強に当てているため、今朝も安定の寝不足である星南太郎は、かすみがちな目をゴシゴシ擦ってからその記事をクリックした。


『この度、冴島莎莎は樺沢清貴くんとお付き合いすることになりました。未熟者の2人ですが、今後ともどうぞよろしくね♡』


 眼前に並ぶ文字たちを見て、星南太郎はもう一度目を擦った。


「な、な、な、な、な、な……なななんだとお……?」


 星南太郎が思わず、女子高生の背後で独り言を漏らした瞬間、電車が大きく揺れた。

 騒音とアナウンスに紛れて「キモ」という声が聞こえたような気がした。


 *


 星南太郎は放心状態で学校の最寄り駅で下車する。


「生きている意味ってなんですか……?」


 星南太郎は頭を抱え、しきりにそう呟いていた。


 普通に歩いていただけで「きゃあっ 生きてるゾンビ!」と叫び声をあげられたが、すでに心はズタズタだったので気に留めず、学校へとたどり着いた。

 無駄に金がかかっていそうな門を潜ったところで、この学校へ通う意味があるのだろうか、とも思えてきた。


 校舎内に入ってすぐ、数人の女子と連れ立ってトイレへ入っていく冴島莎莎を見かけた。


(気まずいな……)


 女子トイレの前を通らなければ教室へ行けないつくりであり、それだけでも星南太郎にはかなりの難所だが、さらに女子が使用中ともなれば尚更気まずい。

 しかも、中にいるのはあの冴島莎莎だ。


 足音を忍ばせ腰を低くし、息まで止めて通過しようとするも。そのとき、星南太郎の耳には確かに聞こえた。


「……あんな地味でチビでなんのメリットもない男、あたしが相手するわけないじゃない」


 と。星南太郎には、それが自分のことを言っているのだと一発で分かった。


 トドメに、


「やたらと名前長いし。星南せななのか、太郎たろうなのか、どっちかしてって感じ!」


 と、自分でも気にしていることを言われた。


 ズガガガーン。冴島莎莎と出会ったときとは別の雷に打たれたような衝撃が走る。

 全身の血の気が引いていく。指先が小刻みに震えていた。


 窓際の一番後ろにある席-ロッカーに近過ぎて椅子が非常に引きづらい-に、この世のすべてに絶望した星南太郎は突っ伏した。腕は力なく体の横に垂れている。今度は「きゃ、ゾンビが寝てる!」とか言われそうだ。


(……なんで、少しでも可能性があると思っちゃったんだろ)


 冴島莎莎レベルの女子に、自分ごときが告白してしまったことを大きく後悔し、そして心底恥じた。


 彼女が恋人に選んだ、樺沢清貴の顔面偏差値の高さはよく知っている。

 冴島莎莎の隣に並ぶには、あれくらいの顔と身長と運動神経が必要なことくらい、よく考えなくても分かる。

 そんなことすら判断できなくなっていたなんて、恋の毒にやられて頭がおかしくなっていたに違いなかった。現実が、見えていなかった。


「……そういや、音楽室にまた出たらしいぜ、例のオバケ。けっこう可愛いって噂の」


「オバケに可愛いもクソもあるかよ、バーカ! 冴島莎莎より可愛い子なんているわけないね。それで、どうすれば会えるって?」


「……めっちゃ興味あるやん。まあ、いいけど。午前0時51分に音楽室で名前を呼ぶんだって。”コイ”って」


「鯉?」


「鯉」


「え、可愛いオバケって、メスの鯉? なんだよそれ、だはははははははっ」


 たまたま聞こえてきた同級生たちのバカっぽい会話に、星南太郎の胸の痛みは少しだけ落ち着いた。


(……可愛いのか、そうか。もうオバケでも、メスの鯉でもなんでもいい。傷心の俺を慰めてくれよ)


 ぎゅっと瞑った目から涙がこぼれた。

 星南太郎の腕の内側には、かつてこの机を使っていたであろう生徒の青春に流れた、汗と涙が染み込んだような湿った木の香りが満ちていた。

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