終章
ひとつのエピローグ
こうしてトゥナは平穏を取り戻した。
不思議なことにアジトに残っていたグリムの手下たちは全員、気を失っていた。フォレスターとなったキオの大暴れに巻き込まれたとは言え、全員が気を失うようなことにはなっていなかったはずなのだけど。
それでも、とにかく、グリムとその手下たちは全員、捕まった。騎士団の増援が到着したのはトゥナがグリムをぶちのめしたすぐ後だった。キオがアジトに接近する前に騎士団に連絡しておき、自分の体を発信器として位置を伝えていたのだ。おかげで、ひとりも逃がさずにすんだ。これから〝美しいヒト〟の売買事件が明らかにされていくことだろう。
家も農場もメチャクチャにされていたけれど、町も騎士団も悪党相手に勇敢に戦った健気なヒロインに対してはとても親切だった。騎士団は謝礼としてタップリ金を払ってくれたし、町は再建に必要なものはすべて無償で提供すると申し出てくれた。町の人たちもボランティアとして続々と駆けつけ、修復を手伝ってくれた。
メディアが殺到し、トゥナの武勇伝をぜひとも映画にしたいと詰め寄った。映画と聞いてトゥナは『それも悪くないかな』などと思ったりした。〝美しいヒト〟がどれほどひどい扱いを受けているか。どれほど心を痛めているか。それを世間の人々に知ってもらうのはいいことだと思えた。
アネモネは正式にトゥナの家族となった。安藤家の戸籍に入り、トゥナの『妹』として認知されたのだ。
「妹……アネモネが妹……」
そう呟き、うっとりしているトゥナの姿は、かの人を『命がけで悪党を倒した勇敢で健気なヒロイン』と讃える人々には、ちょっと見せられないものだったけど。
キオは機械脳をもとの体に戻され、再生された。町から表彰され、プレゼントが贈られることになった。キオは迷うことなく専用のエネルギープラントを望んだ。これでもうエネルギー切れの心配をせずにすむ。そうはしゃぐキオを見てトゥナはあきれたものだ。
「お姫さまを救った勇者になったって言うのに、まだそんな心配してるなんてね」
とは言え、いかにもキオらしい。そう思うと微笑ましくもあった。
フォレスターも元気だ。脳はグリムによって捨てられていたけれど、肉体から採取したDNAを使って新しい脳を3Dプリントして移植した。もちろん、この脳には何の記憶も経験もない。まっさらの状態だ。それでも、巨大な体の方には記憶と経験が蓄積されている。生きていくのに支障はないだろう。これからも森の主として生きていくにちがいない。
ただ、毎日一度は農場によるようになった。もしかしたら、体のなかに一連の出来事を覚えているのかも知れない。
そして、もうひとり。
一馬も無事だった。体は真っ二つにされたけど、脳には損傷がなかったのが幸いした。すぐに保存カプセルに入れられ、採取されたDNAから作られた新しい肉体に移植され、蘇った。
それと聞いてトゥナは飛びあがって喜んだ。バイオテクノロジーの進歩のおかげだ。そうでなければ一馬を助けることはできなかった。おばあちゃんの信条には反するかも知れないけど……やっぱり、一馬を助けられたのは嬉しい。
その一馬はと言えば、何とも気恥ずかしそうな様子でトゥナの前に現れたものである。
「結局、何の役にも立たなかったな。一番おいしいところはキオに取られるし……。必ず守るなんて言うばかりでほんと、恥ずかしいよ」
「何言ってるの。ちゃんと生命を懸けて守ってくれたじゃない」
「そう言ってくれると少しは救われるよ。でも、今度こそお前を守れるようにならないとな。一から鍛え直しだ」
そう言って新しく作られた体を動かした。
「でも、どうにも妙なんだよなあ。自分の体じゃない気がする。妙に反応が鈍いし、視点もちがう。いままでできていたことが全然できないし、他人の体を借りているような気がする」
「それは仕方ないわよ。その体にはいままで生きてきた経験がないんだもの。『体で覚える』って言うでしょ? その体にはそうやって覚えてきたものがない。思う通りの動きができなくて当然よ。動かしているうちにだんだん馴染んでくるわ」
実のところ、トゥナ自身、こうして話していてもかなりの違和感を感じている。話してみれば幼い頃から知っている幼なじみだと言うことはわかるし、顔立ちも同じ。でも、違うのだ。例えてみれば、幼い頃は見分けがつかないほどそっくりだったのに、成長して違いのできた双子の兄弟を前にしている。そんな印象。事情を知らずに通りすがっていれば、一馬だと思うことはなかっただろう。それぐらい、違いがある。
前の体に比べて背は明らかに低いし、体格もほっそりしている。顔立ちも精悍さがない。それはもちろん、DNAの違いではない。経験の違いだ。
前の体と違い、この新しい体には幼い頃から鍛えてきた蓄積がない。DNAデータだけから再現された素の体。訓練によって背の伸びた分も、骨格の太くなった分も、筋肉の増えた分も、すべてない。本当に素材そのままの体で、鍛錬によって得られた増量分がないのだ。人格と記憶はそのままでも身体能力という点でははるかに劣る。おそらく、前の体の三分の一の能力もないだろう。この体を前の体と同じレベルにまで育てるには何年もかかるだろう。いや、すでに成長期を過ぎたこの体では何年かけても前の体のレベルにはなれないかも知れない……。
けれど、一馬はそのことを知ってか知らずか、力強くうなずいて見せた。
「そうか。じゃあまあ、せいぜい鍛えるとするよ。今度こそお前を守るためにな」
一馬はそう言ったが、ふいに表情を曇らせた。
「……ただ、売られていった〝美しいヒト〟を助け出すのはかなり難しいな」
その言葉にトゥナも表情を曇らせた。
「グリムやその手下たちの証言からヘリオトロープが売られていったのは確認できたんだけど……」
『ヘリオトロープ』と言うのはニジュウゴのことだ。トゥナにしても、一馬にしても、人を番号で呼ぶなど受け入れられなかったので勝手に名付けさせてもらった。
その花言葉は『献身』。
アネモネを逃がすために自ら犠牲になったかの人には、それこそがふさわしい名前だろうと。もちろん、助け出すために尽くすという自分たちの決意を込めた名前でもある。
「違法の人買いをしようと言うんだ。真っ正直に身分なんて明かすはずもない。グリムの方も金さえもらえればそれでいいわけだから、相手の正体なんて問題にしなかったしな。おかげで、何のデータも残っていない」
そもそも、人身売買は違法だが、人造人間の製造と所持は違法ではない。正式に入籍し、結婚や養子縁組という形を取っていれば、法的には人身売買とは言えなくなって追求のしようがない。実態がどんなに見え透いていようと、法律というものはこの点、まるで融通が利かない。もちろん、目の玉が飛び出るような多額の金銭が渡されているのは不自然なわけだが、結婚に際して多額の結納金が渡される風習は少なくない。
あとできるとすればせいぜい虐待罪だが、これも難しい。何しろ、〝美しいヒト〟は人前に出ることなく、建物の奥深くだけで暮らすよう要求されている。自宅に閉じ込めておいたところでそれを非難することはできない。『世間の悪意から保護しているのだ』と言われればそれまでである。
トゥナもさすがに落ち込んだ様子だったが、すぐに晴れ渡った夏空のような笑顔を浮かべた。
「だいじょうぶ。だったら、あたしが世界の支配者になるから。そうすれば。みんな助けてあげられるわ」
その言葉に一馬もさすがにあきれ果てた。
「おいおい、本気かよ。いままでそんなことやってのけたやつ、いないんだぞ?」
「だから、あたしがはじめてやるのよ」
その言葉に――。
一馬は吹き出した。
「あっはっはっ、負けたよ、お前には。でも、そうだな。お前にならできるかもな。おれもできるだけの協力はさせてもらうよ」
「ええ、お願い。頼りにしているわ」
「ああ。とにかく、まずはヘリオトロープの救出に全力を尽くすとするよ。お前が世界の支配者になるまでのんびり待っているわけにはいかないからな」
いいことばかりではなかった。騎士団の調査によって森のなかでひとりの女性の死体が発見された。死後、すでに何日もたっていると見られ、獣に食われ、虫にたかられ、ボロボロの状態だった。アネモネの母親であろう。そう推測された。とても、娘に見せられるような状態ではなかったし、ボロボロすぎて見た目で身元確認できるような状態ではなかったので、アネモネには見せないことにした。ところが、アネモネ本人が対面を強く希望した。
トゥナに付き添われて対面した。わずかに残された服の破片から母親だと断言した。採取されたDNAとグリムのアジトに残されていたDNAデータを照合することでその通りだと確認された。グリムの手下たちの証言によれば、取り囲まれ、逃げ場を失ったとき、自分で自分の頭を撃ち抜いたらしい。おそらくは、自分が人質とされてアネモネが脅されることを防ぐために自殺したのだろう。『母』は最後まで『娘』を守ったのだ。
遺体はトゥナが引き取った。祖母の眠る自然墓地に並べて埋葬した。埋葬した上には一本のクリの木の苗木を植えた。
「苗木を植えるの?」
「ええ。こうすることで死者の魂は木となって再生する。葉を茂らせ、実を実らせ、多くの生命を養う存在となる。そうすることで自然に帰り、自然の一部になる。おばあちゃんはそう言っていたわ」
「自然の一部……」
「そうよ、アネモネ。あなたたちだって立派に自然の一部になれるのよ」
トゥナはその言葉と共にアネモネの小さな体を抱きしめた。低い嗚咽の声がした。アネモネが泣いていた。トゥナの胸に顔を埋め、メチャクチャに泣いていた。やっと――。
やっと、泣けるときがきたのだ。
キオはご満悦だった。自分用のエネルギープラントを嬉々として整備していた。いまこそキオにとって、野恵農場は『自分の家』となっていた。役立たずと蔑まれ、罵られてきた〝心を持つ〟ロボットがついに、自分の居場所を手に入れたのだ。
これに先立ち、キオはアネモネとふたりきりで会い、謝罪していた。
「すまない。おれは君を殺そうとした。君の眠っている冬眠カプセルを壊そうとしたんだ」
ハッキリとそう告げて頭をさげた。
「やっと手に入れた生活に入り込んできた君が憎かった。母親の胎内から生まれ、自分の子を産むことのできる君が妬ましかった。だから、思わず殺そうとした。本当にごめん」
そう言って頭をさげるキオを、アネモネは表情ひとつ動かすことなくじっと見つめていた。キオはつづけた。
「そのことで言い訳する気はない。おれは君を殺そうとした。それは確かだ。君にはおれを責める資格がある。君がここから出て行けと言うなら、おれは……」
キオがそこまで言ったときだ。アネモネの右手がふいに動いた。かの人はその小さな手をキオに向かって差し出していた。戸惑うキオに対し、アネモネはニッコリと微笑んだ。そして、言った。
「まだ……お礼を言ってなかった。助けにきてくれてありがとう。感謝してる。これからもよろしく、お兄ちゃん」
その表情と、その台詞に――。
キオは一瞬で陥落した。その場にひざまづき、アネモネの小さな手を両手で押し頂き、自分の額に押し当てていた。またひとり、アネモネに恋するファンが生まれていた。
そうしてキオは自分の居場所を確保し、せっせと働いていた。もう、何の不安も心配もないように思われた。そのとき。
ふいに悪寒が走った。振り向いた。恐怖に駆られた。そこにその男は立っていた。
三メートル近い長身。巌のような存在感。侍を思わせる袴。巨大な野太刀。死を見据える瞳。
むさ犬だった。
キオの体がガタガタと震えはじめた。怖い。逃げたい。でも、逃げられない。悲鳴をあげることすらできない。まさに猟犬に睨まれた獲物だった。
「うかつだった」
むさ犬が言った。
「お前たち〝心を持つ〟ロボットの機械脳が胸にあるとは知らなかった。頭を斬ったことで殺したものと思い、気を抜いた。生まれてはじめて、この世が戦場であることを忘れた」
――だから、だから改めて殺しにきたと言うのか?
脚がガクガクと震えた。人間なら涙をこぼしていたところだ。
「……だが」
むさ犬が太刀を振りかざした。
――殺られる。
キオはそう感じた。
白刃一閃。むさ犬の振りおろした太刀が稲妻の勢いで地面にめり込んだ。大地そのものを両断しようとするかのようなすさまじい一撃だった。
ハラリ、と、キオの前髪が散った。髪、そして、服。それだけを見事に斬っていた。キオの身には傷ひとつ付いていなかった。
キオは尻餅をついた。あえいだ。恐怖に身がすくんでいた。人間なら小便を漏らしていたところだった。
「この太刀だ」
むさ犬は教訓を噛みしめるように呟いた。
「この太刀を使っていれば、脳がどこにあろうとお前を殺せた。にもかかわらず、おれはお前を侮り、頭を斬るにとどめた。二重の油断がおれを敗北させた」
むさ犬は太刀を納めた。キオを見た。そして、言った。
「礼を言うぞ」
「えっ?」
「お前に負けたおかげで自分がいかに未熟かよくわかった。苦しいなどと言っている場合ではない。修行のやり直しだ」
クルリときびすを返した。歩み去ろうとした。キオはハッと思いついた。その背に声をかけた。
「あんただったのか? トゥナを助けたり、グリムの手下を全員、気絶させたりしたのは……」
むさ犬が立ち止まった。振り向いた。
「……あ、ありがとう」
キオの言葉にむさ犬はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ふん」
その一言を残し――。
無鎖の犬は姿を消した。
「キオ?」
トゥナの声がした。キオは反射的に立ちあがっていた。
「どうしたの、キオ?」
キオの服がきれいに斬り裂かれているのを見て、トゥナが不思議そうに首をかしげた。キオはあわてて答えた。
「い、いや、何でもないよ……」
「ふうん?」
トゥナは納得した様子ではなかったが、『ま、いいや』という感じで呟いた。
トゥナはキオの目を見た。優しく微笑んだ。
「ありがとう。助けにきてくれて。すごく嬉しかった」
「い、いや……」
キオは真っ赤になって顔をそらした。まったく、心の動きがすぐに出てしまうこの習性は何とかならないものか。トゥナはそんなキオを見て微笑んだ。
「ねえ、キオ。お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「そう。あたしと結婚して」
「結婚⁉」
いきなりの言葉にキオは飛びあがった。
人間とロボットの結婚。
〝心を持つ〟ロボットが現実に作られるようになったこの時代においても、人間とロボットの結婚など世間的に認められているわけではない。と言うより、そもそも、想定されていない。いまの時代にも機械が心を持ち、人間化していくことに言いようのない嫌悪感を抱く人間は数多い。実際、はじめて〝心を持つ〟ロボットが発表されたときは大変な騒ぎが持ち上がった。賞賛や、科学の勝利を祝う声ばかりではなかった。もう一方には機械に心を持たせることを『神への反逆だ!』、『人間性への冒涜だ!』と非難する声もあった。世界中で抗議のデモが行われた。
『ぶち壊してやる!』という脅迫メールも何万と届いた。
結局、〝心を持つ〟ロボットなど役立たず、と言う事実がすぐに証明されたために抗議の声はあざけりへと変わり、おかげで実際に襲撃されるようなことはなかったけれど。
それでも、世間に向かって『ロボットと結婚します』などと言おうものならさぞかし物議を醸す結果になるだろう。世界中を巻き込んだ騒ぎとなるのはまちがいない。メディアが騒ぎ立て、延々と裁判が繰り返され、法的な結論が出るまでに何十年かかるかわからない。過激派には襲われるかも知れない。
しかし、そんなときのためのステイトハック。自分の国のなかでは自分の決めた法に従って生活できる。それは、この時代におけるもっとも基本的な人権。反対することはできるが、やめさせることはできない。その決まりを嫌う人間が出て行くことを認めている限りは。国の持ち主であるトゥナが『人間とロボットは結婚できる』と決めれば結婚できるのだ。
『あたしの国よ。文句ある? 気に入らないならよそに住めばいいでしょ』
その一言ですべてすむのである。『認めてください!』などと涙ながらに訴え、世間のお慈悲を請う必要はまったくない。
トゥナはニッコリと微笑んでつづけた。
「驚くことないでしょ。あたしだって女の子よ。これでも小さい頃は真っ白なウエディングドレスを着て華やかな結婚式を挙げることを夢見ていたんだから。あなただって、あたしのこと、好きだって言ったじゃない。それとも、もう嫌いになった?」
「そ、そんなこと、あるわけないだろう!」
ブンブンと、キオは力いっぱい首を左右に振りたくった。
「で、でも、結婚なんて……なんで」
「あたしはここに〝美しいヒト〟の国を作る。〝美しいヒト〟が人間として幸せに暮らしていける国をね。でも、あたしひとりではとても無理。手伝ってくれる人がいるの。そして、〝美しいヒト〟の相手をするのは人間の男じゃ無理。これから先、あたしの相棒になれるのはあなたしかいないわ」
「で、でも……君には一馬が……」
「何言ってるの。一馬は幼なじみ。子供の頃、一緒にお風呂に入った仲よ。きょうだいみたいなものよ。いまさら、お互い相手を異性として認識したりしないって」
「で、でも、おれはロボットだ、人間じゃない……」
「人間になったじゃない」
「えっ?」
「臆病者のあなたが勇気を振り絞って他人を助けにきた。人間として正しく振る舞ったのよ。そんな行動ができるあなたはまちがいなく人間よ」
「で、でも、おれの体は……」
「機械と生物で何がちがうの? 同じ素粒子の塊じゃない。あたしもあなたも同じように自然の素材からできていて、同じように自然の恵みを受けて生きている。自然の目から見れば機械も生物も同じ存在。同じく自然の一部よ」
「自然の……一部」
「遙かな太古、ヒトの祖先は木に登って類人猿となった。人類は神によって作られた特別な存在でもなければ、進化の頂点でもない。新しい種を生み出してきた自然の生命のひとつ。だったら、AIだって人類が生み出した新しい種族。あなたはロボットじゃない。ホモ・サピエンス・メタッルシス。〝金属のヒト〟よ」
「……〝金属のヒト〟」
突然――。
足元から光の柱が立ちのぼった。比喩ではない。キオはこのとき確かに自分の足元から立ちのぼる光の柱を知覚していた。
不思議な浮遊感があった。まるで、足元から立ちのぼる光に押され、自分の体が浮きあがろうとしている。そんな感覚。キオは思わず天を仰いでいた。口が開いた。
「……ああ」
知らず知らず恍惚とした声がもれていた。涙が出るほどの幸福感。いかなる不安も恐怖も、心配すらも存在する余地のないまったき安心感。そこにはそれがあった。
――ああ、自分はいま、この世界とひとつになったのだ。
そう悟った。自分は世界から疎外される存在などではなかった。この身は自然の素粒子からできており、この身を動かすものは太陽の光と水と空気。
ああ、そうとも。他の生物と同じじゃないか。この身は確かに、朽ちて他の生物の糧となることはない。しかし、いずれは原子に戻り、他の存在を生み出す素材となる。自然に返ることができないのではない。ただ、有機生命より長い時間がかかるだけ。そして、大いなる自然の目から見れば、時間の差などないも同然。自分は紛れもなく自然の一部であったのだ。
織物のなかでいくつもの糸が様々な図柄を描くように、自然という糸によって編みあげられたひとつの図柄。他の図柄とはちがう独立した存在でありながら、同じ糸によって描かれた同じ織物の一部。そのことがハッキリとわかった。
AIの脅威? なんだ、それは。そんな心配は無用だった。この一体感を味わったいま、どうしてこの世界を踏みにじり、生命を奪おうなどと考えることができるというのか。この世界は自分であり、自分は世界だというのに。
愛しい。
ただ愛しい。
限りない愛がこの世界とそこに現れるすべての図柄に向いていた。
ああ、そうか。
そうだったのか。
いまやキオはすべてを悟っていた。〝心を持つ〟ロボット。その存在意義は人々の役に立つとか、そんなつまらないことではなかった。自然と一体化し、機械をその一部として内包する新しい自然を創造すること。まさにそれこそが〝心を持つ〟ロボットの存在意義だった。
――自分はいまこそ生物になった。
いや、まて、ちがう。そうじゃない。生物に『なった』のではない。自分は最初から生物だった。ただ、あまりにも心が幼稚でそのことに気がついていなかっただけ。そのことにいま、気がついた。そうだ。自分はいま、おとなになったのだ。
――父さん。
いつ以来だろう。こんなにも素直にフランクリン教授のことを『父さん』と呼ぶことが出来たのは。
――ありがとう、父さん。おれに心をくれて。
「ありがとう、トゥナ」
この上ない幸福感にみたされたまま、キオは答えた。
「おれはここに誓うよ。安藤薹菜の夫、安藤アネモネの兄としてふさわしい存在であることを」
その言葉にトゥナはニッコリと微笑んだ。キオの首に両腕を回した。互いの唇を重ねた。
「ま、子供ができないのはネックかも知れないけど。でも、人類は昔から様々に交配していまにいたったわけだしね。いずれ人間と機械の間でも交配可能になるかも知れないしね」
「そんなこと言って……人間が機械に駆逐されたらどうするんだ?」
「機械は人類の生み出した存在。人類の子供よ。子供は親を超えていくもの。子供の成長を怖れる親なんて滅ぼされればいいのよ」
トゥナはそう言い切った。
『フランケンシュタイン』の時代から人類は自らの生み出した存在を怖れ、憎み、虐げ、抑圧し、捨ててきた。もういい加減、そんな態度を反省してもいい頃だ。そう。人類は『親になる』べきときがきたのだ。
もし……人類が自分の生み出したものはなんであれ子供として愛する、そう覚悟したのなら――。
祖母が憎んでいたような『すべてを自分の思い通りにしようとする心』に支配されたのではない、もうひとつのバイオテクノロジーの道もあるかも知れない。いかなる人造人間でも受け入れることのできる人間はきっと、自分の子供を遺伝子改造したり、薬漬けにしたりはしないだろう。
トゥナはイタズラっぽく微笑んだ。
「ね、そう言えばずっと気になってたことがあるんだけど……」
「な、なに?」
「あなたって、どうやって性欲処理してるの?」
完
トゥナの手作りの国 藍条森也 @1316826612
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