我らバイオハッカ−ズ(3)
トゥナはラボに籠もるとすぐに、すべての情報をバイオネットにあげ、世界中の仲間たちに助けを求めた。たちまちのうちに全世界数十万の『正義のバイオハッカー』が立ちあがった。
『アネモネを救え! いまこそ、おれたちバイオハッカーの力を見せるんだ!』
その叫びのもとに世界中で一斉にヤクト・ウイルスの作成がはじまった。アネモネの体から採取された病原菌のDNAデータが飛び交い、解析された。
立ちあがったのは『正義のバイオハッカー』だけではない。生物兵器ギークたちもまた名乗りをあげた。
『生物兵器の作り方を知っている者こそ、一番うまく生物兵器を殺せる! 我々のその主張を、いまこそ証明するんだ!』
その叫びはまさに燎原の大火と化してバイオネット上を駆け巡り、世界中の生物兵器ギークが参加した。
こうなると、もともとがライバル関係にある両者だけに対抗意識の燃えあがり方も尋常ではない。
やつらに負けてたまるか、ヤクト・ウイルスを作り出すのはおれたちだ!
その叫びが世界中に満ち、熾烈な開発競争がはじまった。この争いを目にしたある投資家が『世界で最初にヤクト・ウイルスを開発した人間に賞金を出す』と宣言したことから開発競争はますますヒートアップしていった。
誰もが自分の腕の見せ所とばかりに張り切った。人の生命を使って盛りあがっているわけで、不謹慎と言えば不謹慎だが、それによってすさまじいスピードの開発が行われたのはまちがいない。
『この病原菌は完全な新種か? それとも、以前に作られたことのある代物の改造版か?』
『このDNAコードには見覚えがある。まってろ。いま、リストを検索する』
『あったぞ! 思った通りだ。この病原菌は完全な新種というわけじゃない。生物兵器ギークのレジェンド、ウォルター・S・シモンズが作り出した『青の九号』シリーズをもとにしたものだ!』
『『青の九号』シリーズなら知っているわ。生物に感染するとたちまち体中から血の気が引いて皮膚の色か青くなり、体が震え、ついには全身から出血して死に至るというえげつない代物よ』
『シモンズはこのシリーズに大きな弱点をもたせていたはずだ。そこを突けば一発で殺せる』
『何でわざわざ、そんな弱点をもたせるんだ?』
『決まっているだろう。万が一にも漏出したときの用心だよ。おれたちは『楽しいから』DNAをいじって生物兵器を作ってるんだ。誰かを殺してやろうとか、社会を破滅させてやろうとか考えているわけじゃない。いかに強く、いかに強烈な影響を与えるかは競っても、万が一の漏出事故に備えて『そこさえ付けは簡単に駆除できる』という弱点を用意しておくのは当然の義務だ』
『いや、そんなことを気にするぐらいなら、最初から生物兵器なんて作るなよ』
『そんなことを言っている場合じゃないでしょう! いまは一刻も早くヤクト・ウイルスを作らなくちゃいけないのよ!』
『そうだった。早く弱点を攻めてみよう』
『でも、犯罪組織によって改造されているんでしょう? そんな弱点をそのままにしておくかな?』
『やってみなければわからないわ。とにかく、やってみて。こっちは別の攻め方を試してみる』
『ああ、やっぱりダメだ! 弱点には別のDNAがかぶせられて守られている。これじゃ『青の九号』シリーズ用のヤクト・ウイルスは使えない』
『と言って、他の方法で退治するのは時間がかかるし……』
『いや、まて、大丈夫だ。別のDNAをかぶせているならそいつさえ引きはがせば弱点を突けるようになる。このDNAを切り離せる酵素を見つければいい!』
『よし、急ぐぞ! やつらに負けるな!』
『おおっ!』
全世界何十万というラボで一斉に実験がはじまった。ありとあらゆる酵素が使用され、効果が試された。酵素の数はそれこそ無数と言っていいほどにあるので、ひとつの研究所だけで行っていれば何年かかったかわからない。しかし、全世界何十万という有志の手で一斉に行われているのだ。酵素の数がいくらあろうと物の数ではない。
たちまちのうちに目的のDNAを引きはがせる酵素が特定された。その途端、今度はやはり、全世界何十万というラボで一斉に、その酵素を組み込んだヤクト・ウイルスが製造された。このヤクト・ウイルスによってカバーを外し、その後、弱点を突く。その二重攻撃が採用された。
世界中のラボで、あるいは、家庭のキッチンで、合成DNAをもとに生きたウイルスの作成が行われ、実験され、効力が確かめられた。世界全体で何十万という実験が同時に行われたのだ。そのすべての情報はバイオネットにあげられ、共有され、それをもとに凄腕のバイオハッカーたちが新しい実験を繰り返す。
文字通り『瞬きひとつ』するごとに精度はあがり、効果は高まり、わずか三日でヤクト・ウイルスは完成した。知識と情報を閉じ込めることなく公開するオープンソフトウェアの勝利だった。
ヤクト・ウイルスのDNAはバイオネットにあげられ、貴重な品種として登録された。病院でもさっそくDNAを入手し、合成し、ヤクト・ウイルスが作成された。
アネモネの体に注入されたヤクト・ウイルスは、血液の流れに乗ってアネモネの体内を駆け巡り、脊髄に到着した。目には見えないが、そこでは熾烈な争いが繰り広げられていた。
宿主を助けにやってきたヤクト・ウイルスだからと言って体内の免疫機構にはそんなことはわからない。異物として排除しようとする。排除されないためにヤクト・ウイルスは免疫機構をかいくぐらなければならない。目当ての病原菌と戦う前にまず、体内の免疫機構と戦わなくてはならないのだ。
表面にアネモネの細胞から作りあげた衣をまとい、免疫細胞をごまかし、脊髄に進入する。目当ての病原菌を見つけ出し、突入し、食われることで酵素を排出し、弱点をカバーするDNAを取り除く。剥き出しになった弱点めがけて第二陣が突撃する。
押しよせるヤクト・ウイルスを病原菌は自分の食料と思い、捕獲し、食らう。それによって弱点を突くDNAが病原菌内に寄生し、乗っ取り、自滅プログラムを作動させる。
ヤクト・ウイルスが次々と病原菌に飛び込み、死滅させていく。
理屈の上では二四時間と立たないうちにアネモネの体内はすっかりクリーニングされ、病原菌は完全に除去されるはずだった。
そして、アネモネの体内検査が行われ。髄液が採種され、病原菌に反応するよう作られた検査薬に注がれる。
もし、病原菌がいまだ生存していれば検査薬は赤く染まるはずだった。反応は――ない。
検査薬の色はかわらないままだった。アネモネの体内から病原菌は完全に除去されたのだ!
病院内に歓声が沸き起こった。この結果はすぐにアネモネの笑顔と共にネットに載せられた。病院に沸き起こった歓喜はすぐに世界全体のものとなった。世界中でシャンパンが割られ、クラッカーが鳴らされた。
世界のお調子者たちはさらにはじけた。ヨーロッパでは何百羽というハトが解き放たれた。中国では大地も割れよとばかりに爆竹が鳴らされた。
アメリカではさらなるお調子者が発電所のコンピュータをハッキングして、市内の電気を操り、部分的な停電を起こして『我々はみんなアネモネ!』というメッセージを町中に浮きあがらせた。このお調子者は即刻、逮捕され、市長自らの手でシャンパンを頭からかけられ、胴上げされた。
ちなみに、『優勝』をさらったのは世界的に著名な生物兵器ギークのチームだった。かの人たちにとってこの結果はまさに日頃、自分たちが主張していることの証明だった。
『見ろ! ヤクト・ウイルスを作ったのは我々だ! 『作れないものは理解できない』という我々の主張は正しかったんだ!』
その宣言がネットにあげられ、かの人たちはたちまちヒーローとなった。ネット上で世界中を巻き込んだお祭りが開催された。もちろん、『ふざけるな! そもそも、お前たちが生物兵器なんか作らなければこんな苦労せずにすんだんじゃないか!』というツッコミはあったのだが、祭りの場では非難するような声は無視されるものである。
「わたし……生きられるの?」
治療を終えたあと、アネモネはトゥナに尋ねた。その表情が『信じられない』と言っている。
「ええ、その通りよ」
トゥナはアネモネの小さな手をギュッと握りしめて答えた。満面の笑みを浮かべるその瞳に涙が浮いている。
「もう何の心配もいらないわ。あなたはあなたの思う存在になれる。世界中の人たちがあなたの味方なんだから」
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