我らバイオハッカ−ズ(2)
トゥナはブリュンヒルト号を病院の建物に突っ込ませる勢いで着陸させた。何事かと警備員はもとより医師や看護師までが外に出てきた。トゥナはアネモネを抱えながら外に出た。
「お願い、この子を助けて!」
院長とはバイオハック仲間だったので話は早い。アネモネはすぐに集中治療室に運ばれた。全身が検査され、病原体が抽出された。当然、予想できたことだが、それはバイオハックによって作られた新種であり、病院のリストのなかにも存在しなかった。これでは治療のしようがない。
「だったら、治療法を見つけるまでよ!」
トゥナは拳を握りしめて叫んだ。
「あたしたちはバイオハッカーよ。DNAを解析してヤクト・ウイルスを作り出すのはお手の物なんだから」
確かにその通り。院長もうなずいた。
しかし、そのために何日かかるかわからない。その間、アネモネがもつとは思えなかった。時間を稼ぐために人工冬眠させることにした。アネモネの華奢な体がカプセルに移され、冬眠室へと運ばれる。その刹那、わずかに意識を取り戻したアネモネはトゥナに告げた。
「ねえ、トゥナ」
「なに?」
「もし……生きて外に出ることができたら、やりたいことがあったの」
「やりたいこと?」
「うん。自分の国を作りたかった。世界中の〝美しいヒト〟、お母さんみたいに道具として使われている〝美しいヒト〟をみんな集めて、人間として暮らしていける。そんな国を作りたいって……」
トゥナは衝撃と共に得心した。では、アネモネがやけに熱心に農場の仕事をしていたのはそのためだったのだ。仕事を覚えて自分の農場を作り、そこを〝美しいヒト〟のための手作りの国にするつもりだったのだ。
だからこそ、慣れない肉体労働をあんなにも一所懸命やっていたのだ。
「できるわよ!」
トゥナは反射的に答えていた。
「できるわよ。あたしが何でも教える。ふたりで力を合わせて〝美しいヒト〟が安全に暮らせる国を作りましょう」
――そうよ。それこそ野恵農場の未来だわ。
トゥナはそう確信した。
祖母の生きていた頃の賑わいを取り戻したかった。もう一度、野恵農場を人々であふれる幸せな場所にしたかった。どうすればそれが実現できるかわからなかったけど……いま、まさにそのための方法が見えた。
〝美しいヒト〟の国にする。
その美しさ故に人目を避け、建物の奥深く、外に出ることもできずにひっそりと生きていかなくてはならない〝美しいヒト〟。その〝美しいヒト〟が堂々と外に出て幸せに暮らせる。野恵農場をそんな場所にできたとしたら……こんなにすばらしいことは他にない!
「ね、アネモネ。あたしにも手伝わせて。あたしは野恵農場をうんと賑やかな場所にしたい。世界中の〝美しいヒト〟が集まって国を作れば、それが実現できる。だから、一緒に……」
トゥナは叫んだが、アネモネはすでにかの人を見てはいなかった。もっとずっと遠いところを見ていた。
「もし、生きられたなら……お母さんみたいな、モノから作られた道具だなんて思い、誰にもさせたくない。この身で子供を孕んで、産んで、自然の生き物に、自然の一部になりたい……」
その言葉を残してアネモネは冷たい眠りに入った。
「……死なせないわ、絶対に」
その誓いの言葉と共に――。
トゥナはラボに籠もった。
侵入者があった。アネモネがひとり、人工冬眠しているその部屋へと。
キオだった。キオがたったひとり、アネモネの眠るカプセルの横に立っていた。
無断侵入である。誰の許可も得ていない。もちろん、セキュリティは存在する。普通なら無断侵入しようとした時点で警報が鳴り響き、病院の警備員が殺到し、捕まるところだ。しかし、キオもロボットの端くれ。それも、宇宙開発用に作られた。機械の操作はお手の物だ。病院のコンピュータにハックし、セキュリティをごまかして侵入するなど、キオにとっては造作もないことだった。
キオはカプセルのなかで眠るアネモネをじっと見つめた。世にも美しい、男という男すべてを性欲の虜とせずにはおかない顔を。
キオは無言で両腕を振りかざした。頭の上で両手を組んだ。位置の低い相手を全力でぶん殴る、そのときのポーズだ。
「くそ」
キオは呟いた。
「お前なんて……死んじまえばいいんだ」
キオは身をそらした。息を吸い込んだ。頭の上で組んだ両手を思いきり振りおろそうとした。
そうしていればカプセルは砕け散り、人工冬眠中のアネモネは確実に死ぬことになる。
キオは息を吸い込んだ。それから……振りかざした両腕が力なく下ろされた。カプセルを砕くことは――。
できなかった。
キオはその場にくずおれた。低い、すべてを呪うような声がキオの口からもれた。
「何が『自然の一部になりたい』だ! お前たちは最初から自然の一部じゃないか! おれたちも、お前たちも、同じく人間の手で作られた存在。だが、おれたちとお前たちとでは決定的なちがいがある。お前たちは人間のDNAを、自然が生み出した生命の設計図をもとに作られた。その体のなかには何十億年という生命の歴史が受け継がれている。自らの胎内で子供を育て、自然のままに増えることもできる。死ねば土に還って他の生命の糧となり、自然とひとつになれる。
おれたちはちがう! おれたちは純粋に人間の技術によって作られた。母なる自然から何ひとつ受け継いではいない。この世界のなにものとも一切のつながりがないんだ! 愛し合う相手すらいない。作るために金ばかりかかって役に立たない〝心を持つ〟ロボットなんて、いまさら誰が作ると言うんだ? 誰も作りはしない! 仮に作られたとしても、ロボットであるおれたちに自然そのままに増えていくことなどできはしない。生き物のように、自分自身の知識と経験を子供に伝えていくことなどできないんだ! 死んで葬られたところでこの金属とプラスチックの体は土に還ることもなければ、他の生き物に食われることもない。永遠に自然から疎外され、変わることのない姿のまま放置されるだけ。死んで他の生き物の糧となり、自然の一部となることさえできはしないんだ!
何でだ? 何で、自然の一部になれないおれたちに心を与えた? 何で、ただのロボットとして作らなかったんだ!」
一体、人間たちは一度でも考えたことがあるのだろうか。人間と同じ心をもつロボットの苦しさを。
食欲は感じるのに何も食べることができない。
性欲は感じるのに発散する機能がない。
欲求は感じるのに満たすことができない。永遠に飢えにさいなまれるというのがどんなに苦しいことか。
「くそ、くそ、くそ!」
キオは床を叩いた。殴った。思いきり泣きじゃくりたかった。いくら、そう思っても――。
機械に涙を流すことはできなかった。
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